565話 エルムレア事件の裏
エルムレアからは逆方向に二つの集団が同時に出発した。
一つは蟲魔域へと向かう集団。もう一つはヴァナスレイへと帰還する術師の集団である。
「これでよかったのでしょうか」
ネオンは小さく呟いた。
彼女は当初の目的通り、蟲魔域へ向かう集団の中にいる。しかしながら今や付き従う術師は少ない。スルザーラの他、六人しかいない。
「聖守様、どちらにせよ二つに分ける必要がありました。アガネアとロブの大聖石をヴァナスレイに持ち帰らなければなりませんから」
「そう、ですね」
「グリムとて大聖石さえ持ち帰れば地上からサンドラの帝都に来る手筈です。帝都で彼と合流することをまずは目指しましょう。今度こそ、一人も欠けずに。私が力を尽くします」
「ありがとうございますスルザーラ。あなたは頼りになります」
励ましの甲斐もあって、ネオンも少しは立ち直った。
結局、ネオンはカーミラのことで納得できない者にヴァナスレイへの帰還を命じた。勿論、表向きには大聖石を持ち帰る重要任務としてだ。引率者としてグリムを任命したので、問題なく達成されるだろう。またグリムはサンドラの帝都でスウィフト家と渡りをつける役目もあるので、地上ルートで帝都に来るように命じている。単独であれば戦時下のサンドラ帝国でも特に警戒されることなく帝都まで辿り着くことができるだろうという想定だった。
だが他にも不安はある。
「スルザーラ。私は本当に聖守の器でしょうか」
「当然です」
「お願いです。正直に答えてください。私は……本当は戦うことが嫌いで、歌うことが好きです。人を導く経験もほとんどありません。ただ聖守という立場だけを持っている小娘です」
「……それは違います。もしもロブのことを気にしておられるのだとすれば、それは聖石寮全体の責です。奴はあなたが聖守となるよりずっと前から九聖の立場にいましたから。私はあなたこそが聖守であると。あなた以外にいないと信じています」
「ですが」
「これが正直な答えです」
言葉には淀みもなく、決して目も逸らさない。
スルザーラからの信頼はネオンにとって救いであった。
◆◆◆
ルークは隊列の右側でカーミラと共に歩いていた。
昨夜のことでかなりの力を使ってしまった代償か、未だに疲労が抜けていない。筋肉痛にも似た痛みがあり、カーミラから《祝祷》を受けている。そのついでに、ルークが眠っている間に起こったことを話し合っていた。
「ロブは魔神教団だったかもしれない?」
「ええ、そうです」
その結論には驚かされた。
仮にも九聖の一人に名を連ねていた男だ。まさか、と思ってしまう。
「決定的な証拠はありません。しかし状況から間違いないかと」
「何か持っていたのか? あいつ、圧し潰されていたけど」
「魔物を召喚する魔石を所持していましたので、その時点で魔神教団かサンドラ帝国の人間です。とはいえ帝国であれば人間にそのような重要な仕事は任せないでしょう。ほぼ確実に魔神教団です。決定的となったのは彼が保有していた手記でした」
「手記? そんなの血塗れで……」
「私が綺麗にしたので問題ありません」
「ああ、そういう」
ここでも血を操るカーミラの面目躍如であった。
とはいえ、これも赤い竜の熱気でロブの遺体が消失しないよう機転を利かせたネオンのお陰だ。
「ロブが手記を残してたのか? 証拠を残すとか馬鹿だろ」
「いえ、彼の手記ではありません。エルムレア聖石寮長の手記です。ネオンさんと彼が寮長室の調査をしていたのは覚えていますか?」
「ああ」
「その時にこっそり回収したのでしょう。その手記にエルムレア事件の真実に近い部分が記されていました。そして寮長の裏の顔も」
「どういうことだよ」
「エルムレアの聖石寮はおそらく魔神教団に侵食されていました。他ならぬ寮長が団員だったようです。ネオンさんも寮長の手記を発見したようですが、それはおそらく表向きの……寮長としてのもの。裏の手記には魔神教団としてのメモが残されていました」
「そうか! こっそり回収したロブは魔神教団の情報を隠そうとしているってことになるから!」
その通り、と言わんばかりにカーミラは頷いた。
魔神教団以外の勢力として九聖に入り込んでいたのだとすれば、裏の手記を隠す理由もない。隠し持てばそれだけ危険を冒すことになる。寧ろ嬉々として報告し、信頼を得るよう努めることだろう。隠さなければならないということは、ロブは魔神教団の関係者ということだ。
「それで手記の中身は?」
「私たちに関連する部分で言えば、エルムレアで行われた実験についての記録です。部下に対する指示、あるいは受けた報告について詳細に記されていたようです。几帳面な記録だとスルザーラさんが仰られていました」
「実験って……魔物を召喚したってやつか?」
「はい。私たちが発見した資料では厄災召喚事件と記されていたあの事件です。七体の厄災が街中に召喚されたと記録に残っています。その方法について裏の手記には記述がありました。聖杯と呼ばれる迷宮神器です」
それを聞いてルークは眉を顰める。
聖杯。
どこかで聞いた覚えがあった。だが考え込んだのはほんの一瞬で、すぐに答えへと辿り着く。
「ッ! ミリアムの神器!」
「その通りです。なぜ聖杯がミリアムへと渡ったか。そこまでは記載されていませんでした。しかし私たちが発見した資料の通り、この時点でのミリアムは魔神教団と無関係だったようです。実験が成功してエルムレアを厄災に沈めることができたというのに、たった一人の少女に止められてしまったと恨み言が書かれていました」
「そう……か。本当だったのか」
「手記にはミリアムについてすぐ調査するよう命令したとありました。彼らにとっても想定外だったのでしょう。随分と荒く書き殴られていたようです」
おそらくは魔装の力だ。カーミラはそう考えていた。
そこから何がどうなってミリアムが魔神教団に入ったのかも当然記されていた。
「彼は寮長としての立場を用い、上手くエルムレアの民を扇動してミリアムを迫害したようですね。親、友人、そして見ず知らずの人たちから責めを受けたミリアムは深く絶望したことでしょう」
「なんでだよ。魔物を止めたんだろ?」
「彼女は魔物に対して語りかけ、止めたようです。その力は異端だとみなされたのでしょう」
「そんな馬鹿馬鹿しい話があるかよ!」
「異質な力とは恐れられるものです。特にシュリット神聖王国では」
ルークとしてはとても納得できない話だ。
日常を破壊した七体の厄災を停止させたというのに、待ち受けていたのは称賛ではなく迫害。ただの少女には残酷すぎる結末である。迫害を命じた寮長も最悪だが、民衆がそれに反対せず進んで迫害したという点においても嫌悪を覚える。
だがカーミラは仕方ないと言いつつ、首を横に振った。
「それが文化の違いなのです。シュリット神聖王国は魔族や魔物との戦いを繰り広げてきました。魔を嫌い、排除することは彼らにとって命を守るための大切な考え方です。異質な力もまた、魔に属するものだとして迫害されてきました」
「そんなの……間違っている」
「ええ、そうかもしれませんね。ですがエルムレアの人々の気持ちになって考えてください。突然、街の中に恐ろしい魔物が現れました。家族や友人、家などの財産を失った人も多かったでしょう。ですが魔物は一人の少女によって止まった」
「俺なら感謝を――」
「ルークさん。シュリット人の気持ちになってください」
その時、エルムレアにいた当事者ならばどう考えるだろうか。仮に魔を酷く恐れ、異能のような力を排除する思想だとすれば。
気に食わなかったが、ルークもシュリット人の思いを汲み取ってみた。
「……魔物の力が自分たちに向けられないか、不安になる。少女を魔族だと思い込む。それか少女こそが魔物を召喚したと勘違いする」
「いい予測です。魔神教団の暗躍こそありましたが、滅びのきっかけは――」
「エルムレアの人々か」
これはルークにとって嫌な予測だった。
そんなはずないと思い込もうとする自分がいた。
だから思わず口に出してしまう。
「まるで……ミリアムが被害者みたいじゃないか」
怒りの炎はそのままに、憐れみの心が生じてしまう。
上手く考えがまとまらず、気持ち悪さを潰すように自然と奥歯を噛み締めた。
◆◆◆
シュウは定期的に山水域へと赴き、魔族たちの様子を確認している。情勢の動きが緩慢な時は数年に一度程度だが、ここ最近は年に何度も訪れていた。
今や山水域は魔族の庭。
奥へと踏み込めば無数の魔族と接敵し、死は免れられない。しかしシュウは転移魔術を用いて最も奥深く、魔神がいる宮殿にまで辿り着くことができた。
「あまり変わらずか」
間髪入れずに襲ってきた魔族を死魔法で滅ぼし、畏怖の魔力を解き放つ。本能に生きる魔族はそれだけで恐れ慄き、シュウには一切近づかない。知能ある魔族はもとよりシュウに手を出したりはしない。
しばらくすると空が赤く染まった。
暁の色ではない。
空を覆っているのは巨大な炎であった。その内側から勢いよく何かが飛び出し、シュウの前に降り立つ。しかし決して攻撃はしかけず、まるで許しを請うようにして頭を垂れていた。
「冥王よ。また参られたのですか」
「魔神の様子見にな。いつも通りだ。気にするな」
「……はい」
項垂れた様子で了承したのは廻炎魔仙フェレクスだ。
彼は最も理知的な魔族の一人で、山水域の実質的統治を任されている。彼がいるからこそ山水域では魔族による秩序が保たれ、一つの国のように機能している。
廻炎魔仙は立ち上がり、黒夜宮へと案内を始めた。
(百年前は竪穴式の簡単な住居だったのにな。レンガまで作り出すとは)
山水域は自然豊かで、食べ物に困ることはない。無計画に採取を続けても尽きないほどである。しかし居住地はそうもいかない。魔族の中には野生の強い者が多い一方、人の感性も一部残している。ここにある魔族の街もその表れなのだろう。
「随分と復興したな」
「ええ。はい。あの日は悪夢でしたが、その傷跡も癒えつつあります。ですが失われた命は戻りません。魔神様もずっと……」
「もう五十年ほどか。随分強固な封印だ」
「忌々しいことです。聖守ロールズ」
「あれは歴代最強とまで言われていたからな」
黒夜宮はその名の通り、全てが黒い。城門も外壁も屋根も、全てが黒く染まっている。まさしく闇の生き物が住まう宮殿に相応しい禍々しさだ。
だが内部へと踏み込めば、新たに物寂しさを訴えかけてくる。破壊の痕跡が壁や床に残り、階段も崩れてしまっている。天井も一部崩れているほか、破壊された武器も散らばっていた。
「まだ片づけないのか?」
「魔神様がこのままにせよとの仰せですので」
「面倒なこだわりだ」
廻炎魔仙が火の粉を散らしつつ浮き上がり、崩れた階段を飛び越えて二階に上がる。シュウも魔術を使ってそれに続いた。
丁度上がったところの壁は大きく崩れており、そこから外の景色が見える。黒夜宮の裏手にあたるそこは、数えきれないほどの武器が地面に突き立てられていた。フェレクスはそれらを目にして表情を歪めるも、すぐに案内を続ける。
「ルフェイ」
その呼びかけで少年が現れた。兎のような長い耳をぴくぴくと震わせ、警戒心を剝き出しにした目を向けてくる。空間を飛び越えてやってきた彼は、無言で廻炎魔仙とシュウを交互に見遣る。そして深く頷いた。
「ありがとう」
死兎魔仙ルフェイは小さく首を横に振り、再び消えた。
そこからさらに奥へと進むとようやく目的の大広間へと辿り着く。大人二人分の高さはあるだろう大扉も片方が倒壊しており、外からでも中が見える。
大広間へと入ろうとすると、まず冷気が肌を撫でた。
足を踏み入れれば冷気が強くなり、廻炎魔仙の吐き出す息も白くなる。大広間だけ氷点下になっていたのだ。冷気は広間の中央から放射されており、近づくほどに気温は下がっていく。
「私の炎を以てしても解除不能の呪い。氷結の呪いは未だ……」
「初期に比べれば半分ほどは溶けただろ?」
「ええ、しかし未だ魔神様は動けません」
広間の中央にいたのは氷漬けにされた魔神スレイだった。
両腕と下半身は完全に動けないよう凍結されており、胸から上は辛うじて解凍している。それでも頬には霜が降り、肌もすっかり青白くなっていた。
シュウの接近に気が付いたらしく、魔神は目を開ける。
「……冥王」
「やっと話せるようになったか」
「フェレクス、から……聞いた。よく、来る、らしい……な」
「ああ。お前たちを監視するためにな」
「なぜ、殺さない」
「俺はお前の生き死にをどうでもいいと思っている。魔神という存在の背後にいるダンジョンコアだけが俺の狙いだ。お前はそこに辿り着くための標でしかない」
魔神は再び目を閉じた。
どうしようもないと判断したのだろう。諦観が分かりやすく浮かんでいた。
「七代目の時から露骨に聖守を強化し始めたようだな。七代目ロールズには強力な祝福に加えて神器・聖杯まで与えた。八代目ラスターも蟲魔域で無双を誇ったし、九代目ボウローフはエルムレア事件さえなければお前にとどめを刺したかもしれない。十代目……つまり今代は特に魔族特攻の能力を与えられている。そろそろ魔神を討伐できないと星盤祖の信仰が揺らぐとでも思ってるのかねぇ?」
「……」
「ダンジョンコアの本体がどこにいるか、教える気はないんだな?」
「……私は知らない。何度も言っている」
「そうか。まぁ本当でも嘘でもどちらでもいい」
もう言葉を交わす必要はない。シュウはその場から消えた。
残された魔神は再び目を開き、まさに冥王がいた場所を見つめる。
「私たちは神の駒ではない。いずれ……必ず……神、殺……しを」
魔神は万全ではない。
七代目聖守と相討ちになり、今は一歩も動けない姿となっている。だがそれでも魔神スレイは戦いの炎を絶やしてはいなかった。内側から囁かれる呪いの言葉すら受け入れ、『人類の破壊者』として使命を果たそうとしていた。




