560話 廃都エルムレア
サンドラ帝国に対する少数精鋭の襲撃作戦のため、聖石寮は全面的な協力を約束した。エルムレア廃都を経由して蟲魔域に突入するとなれば、それは歴史に残る一大作戦である。聖守の一声でヴァナスレイの聖石寮本部も動き、援軍の派遣も叶った。
ただ時間の問題もあり、その援軍とはエルムレアの近くで合流することとなっていた。
「よく来てくれましたねアガネア、ロブ」
「当然です! 私たちは聖守様の手であり足です! お呼びとあらば即座に駆け付けます」
「常闇の帝国への対応を疎かにしてまで来たのだ。それほどサンドラは怖いと見えるのぉ」
「もう! ロブおじさんはすぐに嫌味を言う!」
「どれだけ移動させられたと思っておる。儂も暇ではないのだ」
「二人ともありがとうございます。勿論、感謝していますよ」
ネオンがそう声をかけても、ロブは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
聖守といえど、齢十五の小娘に言われるがままというのは気に入らないらしい。一通りの嫌味を言った後、ロブは作法に沿って礼の姿をとった。
「九聖第七席ロブ・バロウズ、命令に従い参上した」
「あ! ずるいです! 私も! 九聖第五席アガネアも参上しました!」
エルムレアからほど近い砦は監視を目的としており、本格的な迎撃には向いていない。その代わりに自然地形に馴染むように作られていて、隠密性には優れていた。それなりの人数を収容しても、魔物に見つかる可能性はほとんどないだろう。
援軍としてやってきたのは九聖二名と術師四十名。
そしてヴァルナヘル組は聖守、九聖二名、術師二十名の他、アスラン戦士団やバジルの民、またルークやカーミラもいる。合流したことでそれなりに大きな部隊となった。こうなると指揮系統を統一しなければ混乱を生むことになってしまう。出自も戦う理由もバラバラな寄せ集めなのだから、余計に。
「今夜は砦に一泊し、明日の朝からエルムレアに出発します。この戦いの間、どうか私を指揮官として認めてください。ルゥナ殿は良いですか?」
「問題ありません。私は文官ですから、現場のことはお任せしたほうがよいでしょう」
「文官……? そうだったのですね。では私を指揮官として、直下に九聖、ルゥナ殿、ロニ殿、ルーク、そしてカーミラを置きます。今呼ばれた方々は私の命令に従い動いてください。あるいは部隊を動かしてください」
意外にも誰が統制を取るかという話し合いはすぐに完了する。二つ以上の国が関わっているので、正直ネオンはここで揉めると思っていた。
しかし余計な時間を使わずに済んだので、次へと移れる。
「今日は日が暮れるまで訓練を行います。私たちは目的を同じとするだけの寄せ集めです。少しでも訓練をすることで生存率が飛躍的に上がります」
この日は日が暮れるまで軍隊としての動き方を訓練した。
一般戦士、術師、神器使いが一同に揃った奇妙な部隊だ。ネオンも扱い方に苦慮するが、ひとまず形にはなったと言っておこう。
◆◆◆
夜、砦の中は完全に静まり返っていた。
隠密を重視する拠点なので、夜の間は火も焚かない。蟲系魔物は夜に活動しないと分かっているので、見張ってもほとんど意味がないのだ。それよりも夜行性の魔物を呼び寄せる方が遥かに危険なので、こういったルールになっている。
ルークはどうしてか眠れず、少し外を歩いていた。
(今日は月が欠けていないな。少し落ち着く)
エルムレアとは直接関係ない。
だが宿敵たるミリアムと関係のある都市なのだ。何か手がかりが得られるのではないか、と柄にもなく考えが巡ってしまう。答えのない疑問はすっかり眠気を取り払ってしまっていた。
(もう故郷が懐かしい。レビュノスの街はどうなっているかな)
故郷に思いを馳せ、今更ながら懐かしい気持ちになってしまう。
父に付いてイルデラント地方を巡り、いずれはこの地の領主になるのだと教えられた。母は王宮にいた頃の話を聞かせて、アスラン王都の繁栄を語ってくれた。姉は心優しく、彼女の夫もまた実の兄のようであった。家に仕える者たちの笑い声は忘れられない。
そして本格的に剣を教えてくれたエリシュのことも。
(俺は全部失ったのか……全部)
火の手が上がり、破壊され、そして人々も殺された。
家族を含めた親しい者たちは魔族化させられ、ヴァルナヘルでルークが自ら手をかけることになった。その時の感触を思い出し、身震いする。酷い寒気で思わず両腕を擦った。
(もう寝よう)
まだ眠くはないが、横になって目を閉じていればいずれ寝付くはずだ。
そう思って帰ろうとしたとき、視界の端で何かが動いたのを見つけた。夜目にも慣れてきたので、欠けのない月明りのもと、それがはっきりと見える。
「あれは……グリムって人だよな?」
九聖の第四席とのことで、重要な会議には常に参加していた。またヴァルナヘルの戦いからずっと一緒なので、もう顔も覚えていた。
しかしながら、なぜこのような時間に外出しているのか気になった。
「……まぁ俺の言えたことじゃないか」
後をつけてみようとも思ったが、外の空気を吸いたくなっただけかもしれない。グリムとはそこまで仲が良いわけでもないので、声をかけようとも思わなかった。
だからルークも大人しく、寝床へ戻ることにした。
◆◆◆
翌日からルークたちはエルムレアを目指して再び出発した。砦からエルムレアまではそれほど距離もなく、特にトラブルもなかった。
「不思議ですね。事前の予測ではエルムレアに近づくほど魔物と遭遇しやすくなると考えていたのですが」
ネオンは不安そうであった。
いや、全体的に不安を感じている者が多かった。既に崩壊したエルムレアの外壁が目に留まるところまで来ており、嫌な静けさが満ちている。何も起こっていないからこそ、逆に不安に感じていた。
「聖守様、ここで止まっているわけにもいきません」
「分かっています。スルザーラとグリムを先頭列にして進みましょう。お願いできますね?」
「お任せください」
「勿論です」
二人の九聖は同時に返答し、すぐさま行動し始める。少々隊列を変更し、戦闘配備にてエルムレアだった廃墟に近づき始めた。
ルークは小さな声でカーミラに話しかける。
「魔物の気配はあるのか?」
「ないわけではありませんが、とても小さいですね。少なくとも魔物の巣には思えません」
「事前に聞いていた話と随分違うみたいだな」
「昨晩、エルムレアに向けてウェルスを飛ばしておきました。危険な魔物がいたら始末するように命令して。ですが強い魔物は発見できず、今朝戻ってきています」
「そんなことをしていたのか。いつの間に……」
「ルークさんが外出していたことも知っていますよ」
「うッ……」
別に悪いことをしたつもりはなかったが、思わず声を詰まらせてしまった。
「あまり単独行動しないことをお勧めします。何が起こるか分かりませんから」
「ああ。分かったよ。悪かった」
「あの砦は危険ではないので大丈夫でしたが、迷宮に入ってからは止めてくださいね」
「気を付ける」
そこからは言葉を交わさず歩を進め、崩れた外壁のすぐ傍まで辿り着いた。十五年前から放置されているため、すっかり雑草が生い茂っている。蔦や苔もびっしり張り付いており、簡単には通れなさそうであった。
だが術師の何人かが魔術を使い、瓦礫を左右へと押しのける。それによって外壁の内側へ入る道が作られた。スルザーラとグリムの隊が先頭になり、ついにエルムレア内部へと踏み込む。
かつて聖守と九聖が死に至った忌まわしき街。
十五年の月日を経て、すっかり荒れ果てた姿が目の前に広がった。
「これがエルムレア……ミリアムが壊した……」
一瞬、故郷が脳裏に過る。
各地で火の手が上がり、帝国兵たちは民を殺して回った。そして一部は捕らえられ、悍ましい実験にも使われた。そんな惨劇が十五年前もここで起こったのだろうか、と感傷に浸る。
周囲を見渡せば、アスラン戦士団やバジルの民たちも初めこそ警戒を疎かにしなかったが、段々と戸惑いを見せ始めた。カーミラの言った通り、魔物らしい姿も気配もないからである。
「聖守様、危険はなさそうです。中央を目指しますか?」
「そうですね。そうしましょう」
本来であればエルムレアの奥までは足を踏み入れないつもりであった。その理由は勿論、危険が伴うからである。しかしこれほど静かなのであれば、中央を目指す価値がある。
「この都市で何があったのか。私は調べたいと思います」
ネオンはそう告げた。
◆◆◆
まだヴァルナヘルにいた頃、聖石寮の一室で二人の言い争う声があった。
「私は反対です!」
強くそう述べるのは九聖第一席のスルザーラ。また相手は聖守ネオンである。この二人は強い信頼で結ばれていることが知られており、このように言い争う姿など想像すらされない。
「エルムレアは滅びてから十五年も経っています。どんな危険があるのか分かりません。蟲魔域への道筋を知るために経由する必要があるのは分かりますが、調査など……」
「先代聖守様がお亡くなりになり、九聖も全滅した忌まわしき場所ということは知っています。ですが私たちは知らなければなりません。私たちの敵がどういった存在なのかを」
「敵は敵です。知る必要はないと思います」
「そうかもしれません。ですが魔神教団に繋がる手がかりです」
そう言われてスルザーラも言葉に詰まってしまうが、すぐに首を横に振った。
否定というより、振り払うように。
「やはりだめです。危険が過ぎます」
「ですが……」
「私たちの本当の目的はサンドラ帝国です。下手なことをするべきではありません。どうか私の忠告を聞き入れてください」
ネオンも分かっている。
理に適っているのはスルザーラの方だ。
「どうしても、だめですか?」
「私だけでなく他の全員が反対するはずです」
「そう、ですよね……では仮にエルムレアに魔物がいなければ調査をしても?」
「そのようなことはあり得ません。議論の余地もないことです」
「で、ですよね」
その時は考えもしなかった。
まさかエルムレアが閑散としているなどとは。
◆◆◆
エルムレアは蟲魔域からやってくる魔物と戦うために作られた要塞都市だ。都市としての体裁こそ整えられているが、本質的には軍事基地である。産業の多くは軍事と結びついており、どこか無機質な印象がある。それはすっかり廃れた今でも感じ取れるものであった。
「大きいですね。これが聖石寮のエルムレア支部ですか。ヴァナスレイにも匹敵する規模です」
「最前線でしたから。記録では常に千名近くの術師が駐在していたとか」
「当時の資料が眠っているとすればここですね。入りましょう。グリム、アガネアは宿営の準備をお願いします。各人の寝所確保、防衛準備などを一任します。ロニ殿はどうかそのお手伝いを。それから私とスルザーラ、ロブは資料の調査をします」
術師、またアスラン戦士団には主に一夜を明かすための準備を指示する。またネオンはルゥナとルーク、またカーミラへと目を向けて手招きした。
「皆さん、エルムレアの調査に付き合ってください」
「いけませんな聖守様。聖石寮内には機密資料もあるでしょうに。外国人を調査に参加させるなど……」
「ロブ、所詮は十五年前の資料です」
「……承知しました」
ロブの言い分も尤もなのでルークたちから意見を発するのは憚られる。しかしネオンが聖守としてそう言うのであれば、ありがたい限りだった。
(ミリアムはエルムレアを滅ぼしたって聞いた。あいつのことが何か分かるかもしれない)
そんな期待をルークもしている。
どことなくそわそわしているのが見て取れたので、カーミラが軽く肩を叩いた。
「落ち着いてください。理由は分かりますが」
「分かってるさ。でも気になる」
「あなたは後先考えない節があります。その両腕のこともそうです」
ルークは思わず自分の両手に目を向けた。
黒ずみ、亀裂のようなものが腕全体に浮き出ている。その模様は鱗のようにも思えるが、痛みもなければ違和感もない。しかし明らかな異常だ。
限界を超えて嵐唱と同化した結果、こうなってしまった。
あれから何度かカーミラの診察を受けているものの、改善の兆候はない。ルーク自身、これは自分の腕ではなくなってしまったという感覚がどこかにあった。
「逸る気持ちは分かりますが、ネオンさんの指示には従ってくださいね」
「……ああ。気を付ける」
「それと……いえ、なんでもありません」
「何だよ。気になるだろ」
「私の勘違いかもしれませんので。忘れてください」
そんな風に言われると追及もできない。
変質した両腕が少し疼いた気がした。




