557話 ルークの新たな力
聖守ネオンの案内により、ルークはヴァルナヘルのある場所へと訪れていた。そこはヴェリト人地区と呼ばれる場所で、ヴェリト人寄留者の居住地となっている。しかしヴェリト王国はサンドラ帝国によって土地を追われたので、今はヴェリト人の避難地区にもなっていた。
道を歩けば家を失い野営する人々が無数にいて、皆が物乞いをしている。少し前まではこの都市も占領されていたので、元あった家も荒らされているように見えた。
「気を付けてください。あまり治安が良くありませんので」
「そう、みたいだな」
ネオンも聖石寮所属を示す白い衣装を着ているので、よほどでなければ襲われたりしないだろう。しかし見た目はか弱い少女だ。愚かな者が現れないとも限らない。念のために劔撃を装備したスルザーラも付き添っていた。
三人はヴェリト人地区の中心部まで歩いていき、巨大な天幕の前に辿り着く。
金や銀で装飾された柱に真っ白な布が被せられ、まるで神殿の様相を見せている。野営に使うテントとは比較にならない厳かさがあった。
「ここは神殿です」
「神殿? 天幕なのに?」
「それがヴェリト人の文化なのです。彼らは元々、荒れた土地に住んでいました。農耕ではなく狩りを好む放浪の民だったのです。だから彼らの神殿は移動に適した形になりました」
「へぇ……」
「ですが随分と装飾が減っています。帝国に略奪されましたか……」
初めて目にするルークからすれば分からないことだったが、ネオンの言った通りヴェリト人の神殿は応急の立て直しであったのだ。
本来であれば天幕の留具もすべて純金であり、紫や赤の布の垂れ幕があった。内部にある祭具もすべて金や銀であったが、そのどれもが失われている。
「で、ここは何をするところなんだ?」
「ルークには力を得ていただきます。私もスルザーラも、かつてこのヴァルナヘルで祝福を授かりました。それこそが新しい力です」
「べる、か?」
「詳しいことはこれからです。ほら、来られましたよ」
ネオンの視線を追って天幕の方へと目を向けると、その中から一人の男が現れた。彼は薄汚れた衣服を身に着けていたが、よく見ればそれが高級な布だったことが分かる。無残にも汚れているのは先の帝国占領による結果だと思われた。
「お久しぶりですアデハ神官」
「聖守様には感謝を。お陰で我々の聖なる天幕を取り戻すことができました」
「始原母の指は?」
「勿論、私が隠し持っておりましたとも。たとえ金銀財宝を奪われようと、この聖なる指だけは奪われてはなりませんからな」
アデハ神官は懐から布に包まれた何かを取り出し、ネオンに見せた。
いったい何のことか分からないルークは小さな声でスルザーラに尋ねる。
「あれって?」
「詳しく説明すると時間がかかる。ついていけば分かることだ」
いつの間にかアデハ神官は背を向けて天幕の中へと入っていこうとしていた。ネオンもすでに歩き始めていたので、慌ててルークもついていく。
天幕の神殿は思ったより快適に思えた。一面に絨毯が敷かれているので歩き心地も悪くない。いきなり靴を脱がされ、足を洗われたことには驚かされたが、これは神聖な場所に立ち入る際の作法だという。異文化に戸惑いを感じつつ、何か所かで身を清められ、やがて最も奥へと辿り着く。
そこには祭壇のようなものが設置されていた。
アデハ神官はその祭壇に上に、先ほど取り出した布で包まれた何かを置き、ゆっくり丁寧に開いていく。ルークは爪先立ちして何が出てくるのか眺めていたが、その何かを確認して驚いてしまった。
(人の指!?)
しかしそんなルークの反応は予測していたらしく、スルザーラが肩を掴んで落ち着ける。
「安心しろ。本物ではない。あれは始原母像の指だ」
「始原母……」
「ヴェリト人の神であり、我々に祝福という力を授ける存在だ。指の一つにも力が宿っている」
そうは言われてもすぐに理解は追いつかない。
戸惑っている間にも儀式の準備は着々と進行し、ルークもスルザーラに背を押される形で祭壇の前まで移動する。そしてアデハ神官が傍に立ち、ルークの右手を取った。
「ルーク殿でしたね。これよりあなたは始原母の加護を授かります。善き心を以て力を使いなさい。始原母は願う者に相応しい祝福を与えられるのです」
そう言い終わると、ルークの手を引いて祭壇の上に置かれた始原母の指へと近づける。そしてルークの指先が触れた瞬間、その手の甲に奇妙な紋様が浮かび上がった。
「あなたの祝福は《耐電》です。非常に珍しく、また役に立つ機会の少ない耐性系統の祝福ですな。ですがこれも始原母の導きです。きっとルーク殿の必要を満たすことができるでしょう」
「はぁ……?」
「右手の模様は今の祝福がどれほどの位階にあるかを示しています。まだ祝福を得たばかりですので、ルーク殿の《耐電》は第一位階です。ですが試練を乗り越えるたびに祝福はより大きくなるでしょう。精進なさいませ」
まだよく分かっていないルークは、再度の生返事で返した。
◆◆◆
プラハ帝国の宮殿では主に外交担当者を中心として緊急の御前会議が行われていた。その原因となったのは封魔連合から訪れた使者である。使者は講和について話があると告げ、彼の主人の言葉を携えてきた。その内容はすぐに返答できるものではなく、こうして知識と知恵ある者たちが集められたのである。
「我が国、シュリット神聖王国、封魔連合王国の三国で平和のために話し合いをしたい。それが使者の持ち込んできた話だ。さて、どうするべきか。私は皇帝として判断するが、応じても良いと考えている。一度彼らの考え、事情を私自身で聞きたいと考えたからだ」
まずイシュヴァルは自身の考えを述べた。
使者の対応は実に丁寧で、プラハ帝国の様式に沿った挨拶まで行った。文化に配慮した行いを見れば、その本気度も測れる。だから封魔連合王国の提案に対して前向きになれたのである。
しかし当然だが、反対意見は多い。
「陛下の暗殺を狙った策略ではありませんか? 使者殿の話では、渦中となっているルーイン州で会談をしたいとのことでしたが」
「正直上手いやり方ですな。あの土地は今や敵地ですが、我々は自国の一部であると主張しています。拒否してより我が国の内側での会談を要望すれば、ルーインを捨てたも同然。もしも会談に応じるのであれば、彼らの要求を呑むしかない」
「危険だと思いますね」
やはり彼らが危惧するのはイシュヴァルの暗殺であった。
実を言えばまだ次の皇帝は正式に決まっておらず、もしもイシュヴァルが殺された場合、大きな混乱が予測される。その場合は豊穣の女神セフィラが選んだ者が皇帝として即位することになっていたが、他国に対して大きな隙を晒してしまうことになるだろう。ルーイン州もどさくさに紛れて独立を完全なものにしてしまうかもしれない。
暗殺の危険性が大きい限り、会談への参加は認めがたいものがあった。
「まぁそうなるか。どう思うセフィラ?」
「私? 私はあまり国の運営には口を出さないよ」
「そうではない。私が暗殺されそうになった場合の話だ」
「あ、そういうこと? 大丈夫だよ。私がいる限りイシュヴァルは殺されない」
「これで暗殺の危険は排除されたな。さて、他の意見を聞きたい。暗殺以外で会談参加の不利益を説明できる者はいるか?」
これで多くが黙った。
実際、暗殺の危険が排除されるのであれば悪い話ではない。
「封魔連合王国とシュリット神聖王国はタマハミなる怪物で我が国の都市に壊滅的な被害をもたらしました。話し合いに応じれば弱腰の皇帝と侮られはしませんか?」
「その心配はあるまい。こちらとてゲヘナの鋲で大軍を殺しつくした。民たちも知っていることだ。殺し合いはここで止める方がよいと私は考えた」
「確かに、その通りです」
特にシュリット神聖王国との関係性は根が深い。
かれこれ二百年は争い続けている。惰性とまでは言わないが、もはや始まりの理由など忘れられつつあるほどだ。ただお互いに敵と認識し続けた歴史によって、今も敵対している。
これは歴史が変わるかもしれない会談だ。
「しかし会談に応じるとして、ルーイン州はどのようにしますか? あちらは独立を強く主張しておりますし、シュリットも封魔連合も支援の構え。分が悪いですぞ」
「シュリット神聖王国の面の皮の厚さにも呆れるばかりですな。そもそもルーイン独立はヴェリト王国が侵攻し、それをシュリットが支援したことが始まりだというのに」
「いや、初めから奴らはこの構図を狙っていたのかもしれん。我らが国の領土を切り取るために」
「あの頃は運も悪かったのです。赫魔の活動が活発化し、アルザード州で大きな被害がでていました」
「もう六年ですか……何かしらの清算をするべきですね」
プラハ帝国は本州と呼ばれる固有領土の他、三つの州を保有する国家だ。北のアルザード州、東のべリア州、そして北東のルーイン州である。これらの領土は本州より総督を派遣して管理しているが、実質的な統治は各州の王に任せていた。
そしてこれら三州の役割とは、外敵に対する防波堤である。
シュリット神聖王国や赫魔、あるいは魔族との戦いにおいて実績もある。ルーイン州を失うということは、そういった盾を一つ失うことに等しく、国防の観点から易々と許容できない。
「陛下、私は外務省長官としてルーイン州は手放すべきではないと主張いたします。これは国防省長官とも一致した意見です」
彼のすぐ隣に座っていた国防省長官も深く頷き、意見の力を強める。
元よりルーインを手放すべきと考える者はほとんどいない。ならばあとはどのようにして手中に戻すかということになる。
「会談を拒否し、戦いによって奪い返すのが最も確実かと思いましたが」
「しかしそれでは禍根を残すでしょうな。再びルーインが独立をしかねない」
「とはいえ会談ではシュリットと封魔連合が協力してあちらの意思を押し通そうとしてきますぞ」
「その方法をこれから協議するのではありませんか」
この難しい課題について明確な答えは見つからず、頭を捻って意見を出し合う。事前に根回しをしていたようで、ある程度は派閥内で意見はまとまっているらしい。次第に二つ、三つの案で討論する形へと移行していった。皇帝を説得できる材料を持っていた方が勝つ、言葉の戦いである。
そして決め手となったのは外務省長官の言葉であった。
「武力による圧力や介入は緊張を高め、やがて自らへと返ってきます。今は良くとも、いつか我が国に危機が訪れたとき、奴らは武力をかざしてくるでしょう。国家同士の感情は歴史が作るのです。それはシュリット神聖王国との関係が証明しております。だから今、我々が先例を作るしかありません。イシュヴァル陛下こそが善き歴史の始まりとなり、外国との関係改善に取り組めば……未来の子供たちを救うことになります。私はそう確信しているのです。そこで私が提示する手札とはルーイン州との交易許可です。国土はこちらですが、経済的な介入余地を残します。これを譲歩の札として持ち込みましょう。勿論、会談には私も同行いたします」
「強気だな」
「ですので第二の矢も用意するのです。ルーインの独立を許容しつつ、実効支配します。名を捨て、実を取る。ここが最低ラインとなるでしょう」
なるほど、とイシュヴァルは呟き、会議の場が静かになる。
長い長い沈黙を経て、一つの決断が下された。
「よい。三か国会談に賛同し、私が主導権を握る。それが王の中の王たる皇帝の役目だ」
そして歴史的会談の開催が決定された。




