556話 炎帝御前会議
「封魔連合王国が講和の使者を送ってきた?」
その知らせを聞いたイシュヴァル・ラー・ファルエル・パルティアは思わず眉をしかめた。
プラハ帝国の皇帝として、戦後の後始末をするべく奔走していたところにこの知らせだ。しかも使者は講和のためのものだという。
「降伏ではなく、か?」
「はい。我々も聞き直したのですが」
「何のつもりだ?」
あの戦いは間違いなくプラハ帝国の勝利であった。敵軍は壊滅し、タマハミによって被害を受けた都市や街も完全に取り戻している。今は再びルーインへと圧力をかけているところだ。
そんなところに講和の持ちかけである。
これでは喧嘩して負けそうになったのでやっぱり仲良くやりましょう、と言っているようなもの。あまりにも都合のいい言い分である。
「追い返しますか?」
「……いや、話くらいは聞いてやろう。一応は客人だ。もてなしてやれ」
「承知いたしました」
予定の調整をしなければ。
そんな考えのもと、隣にいた秘書官へと目配せをする。彼はすぐに意図をくみ取り、どこかへと連絡を始めた。
◆◆◆
同日、サンドラ帝国では大陸統一令に対する中間報告会が開催されると同時に、重要幹部を招集して今後の戦略会議が行われていた。
炎帝ヘルダルフの御前にて報告を上げる人物は、その誰もが吸血種ばかり。ただの人間は数えるほどしかいない。
「――以上の作戦成功により、我々はアスラン王国、シエスタを滅ぼし、封魔連合王国へと直接攻撃を開始しております。既に四つの街を落とし、拠点として改造しているところです。連れ去った人間共の飼育場建設も順調であります。我々は次の目標、アルゲリス陥落のため作戦を進めているところです。アルゲリスの公主は迷宮神器使いでして、まずはその力の正体を探っております」
「ほう。以前も聞いたな」
「はっ……レギンレイヴ会戦にて現れた神器使いがアルゲリス公主、シンビュームです。神器の名は既に判明しております。震戮と呼ばれておりまして、大きな破壊力を持つようです。アルゲリスの制圧は目前ですが、奴が最も厄介な障害となっております」
皆が唸る。
やはり迷宮神器は一騎当千。簡単には落とせない。
「封魔連合王国は七つとも八つともいわれる国の連合です。そしてその全ての小国が神器を保有しているとか。本当に厄介ですな」
「ベレスにウルにアルゲリス。その背後にはさらなる小国か……」
「西方のシュリット神聖王国には折角奪った都市を奪還されたとか。全く誰が指揮官だったのだ」
「そう言ってやるな。そこの愚かな人間だ」
「家畜風情が生意気にも指揮官か」
「紅の兵団も哀れなものよな。あのような家畜にこき使われるなど」
戦況分析から嫌味な小言まで、吸血種たちはひそひそと語り始める。世界を一つにせよと命令を受けてからサンドラ帝国は全方面へと侵略を開始し、既に三つの国を滅ぼした。そして間もなく更に三つを手中に収めることが叶うだろう。
だが、明らかな停滞が見え始めていた。
不思議なもので、大きな功績であったとしても、それがより大きな功績の後に成し遂げられたことであれば、無力に感じてしまうものだ。侵略の初めが華々しい戦果ばかりだったこともあり、今も少しずつ戦果を挙げているにもかかわらず焦りがあった。
「静まれ」
炎帝の一声が場をそのようにさせる。
皆、一斉にそちらへと目を向けた。
「バラギスよ。紅の兵団はどう動く? 何が正しいと考える? 我に言うてみよ」
ゆっくりと、ある老人が立ち上がった。
腰こそ曲がっていないが、その顔には深い皺が刻まれている。手足は細く、呼吸も小さい。しかし他の吸血種たちは誰一人として彼を侮らなかった。
「私は最も厄介な敵をシュリット神聖王国であると考えます。その理由は二つ。まず彼らが魔族と戦い続けてきた専門家たちであること。特に彼らの持つ聖石と祝福は警戒するべきです。これらは弱き人間を我々と同一の舞台まで引き上げるのです。鋼鉄の武器すら弾く魔族の肉体を、魔術によって穿つ。その脅威を放置してはなりません」
一部の吸血種たちが苦々しい表情を浮かべる。心当たりがあるのかもしれない。あるいは人間如きに痛い目を合わされた怒りを思い出しているのか。ともかく厄介という点でバラギスに同意していた。
「そしてもう一点は彼らに奪い返されてしまったヴァルナヘル。あの都市はシュリット神聖王国、封魔連合王国のどちらを攻めるにしても有用でしょう。せめてヴァルナヘルを再び攻め落とすまではシュリット神聖王国を攻撃するべきです」
「なるほど。流石は我が帝国が始まって以来の忠臣だ。貴様の意見に間違いはない。ならば紅の兵団はヴァルナヘルを攻め落とすがいい」
「炎帝陛下、どうかその決断をお待ちくださいませんか?」
涼やかな声が空気を重くした。
炎帝の決定を遮るなど言語道断。今すぐにでも処刑されたとて文句は言えない。そんな暴挙を、ただの人間の女がしたのだ。吸血種たちは自分のことでもないのに胸が締め上げられるような感覚を覚える。
「ほう。我の忠臣の進言を否定し、我の決定を覆すほどの言葉が貴様にあると? 申してみよ、宮廷魔術師ミリアム」
激昂するかとも思われた炎帝だが、意外にも声色は変わっていない。この場に参加が許された数少ない人間の一人、ミリアムは立ち上がって周囲を見回す。
そして小さく鼻で笑った。
「私は封魔連合王国の首都襲撃を提案いたしますわ」
これには吸血種たちも呆気にとられ、そしてすぐに怒号をあげる。
ふざけている。愚かにもほどがある。何も状況が分かっていない。これだから劣等種は。そんな罵倒をミリアムは軽く受け流し、よく通る声で続けた。
「皆様方は炎帝陛下の真なる目的をお忘れなのですか?」
「馬鹿な。そんなはずはない。世界征服は一つの手段に過ぎん。我々は始祖の支配から脱却するために戦っているのだ」
「ええ。その通りですわね。吸血種という種は人間とは比べ物にならない。ですがその血を辿れば必ず始祖に辿り着くのです。始祖カーミラ=ノスフェラトゥへと」
始祖カーミラは全ての吸血種の頂点だ。それは強さという意味だけでなく、血による系譜の支配という意味も含んでいる。もしも始祖がその気になれば、吸血種たちはどんな命令にも逆らえない。
「始祖は吸血種の心までも操ることはできませんわ。ですがその力によって吸血種の資格を剝奪し、無にすることができる。この絶対の力関係が崩れない限り、始祖には逆らえない。だから私のような人種族が炎帝陛下にお仕えしているのですわ」
「ふん。貴様の言を信じるのであれば、始祖の支配から脱するために封魔連合王国を落とすことが優先されると?」
「その通りですわ。アスラン王国侵攻、レギンレイヴ会戦、そしてヴァルナヘルの戦い。これらで始祖が目撃されていますの。つまり既に始祖カーミラは動き始めているのです。悠長にシュリット神聖王国を落としている暇などありませんわ」
「具体的に話せ」
「封魔連合王国の中心には迷宮がありますの。それはご存じで? かの国は地獄域という迷宮を塔で封印しているのですわ。迷宮は魔力の集まる土地。始祖の支配から脱却するための儀式を行うのに、これほど相応しい場所はありませんの」
「だから奴らの迷宮域を奪い、そこで本懐を遂げると? ふむ」
なるほど、と一部の吸血種たちは納得する。
だが他の多くの吸血種たちはこの論法の大きな穴を指摘した。
「儀式に迷宮という場所が相応しいのであれば、神奥域があるのではないか。それに西方へ行けば黄金域や蟲魔域もある。わざわざ危険を冒して封魔連合王国にこだわる理由がない」
「その通りだ。詭弁を語る出ないわ!」
「全くだ。これだから愚かな人間は困る。我らが貴様如きに騙されると思うたか!」
「皆様、どうか落ち着きになって。ご説明させていただきますわ。よろしくて陛下?」
「よい」
口々に文句をいう吸血種たちも、炎帝が良いと言えば黙るほかない。口を閉ざし、ミリアムの語る続きへと耳を傾ける。
侮りや苛立ちがはっきり顔に出ているので、穴があれば指摘する気なのだろう。寧ろ何としてでも指摘してやると言わんばかりの態度であった。
だがミリアムは怖気づくこともない。
「儀式には危険が伴いますの。周辺地域の魔力を捻じ曲げ、異質なものにしてしまう可能性がありますわ。ですから帝都からほど近い神奥域や、古代遺物の発掘場である黄金域で儀式をするわけにはいきませんの」
「ならば蟲魔域はどうなのだ? 帝都からも遠く、壊れたところで利益もない」
「かの迷宮域は危険な魔物が多数生息しておりますの。刺激すれば一都市を滅ぼすような蟲の魔物が群れとなって押し寄せますわ。ちなみにシュリット神聖王国は何度も都市を滅ぼされていますのよ。しかもシュリット神聖王国は未だに蟲魔域の中央まで到達したことがありませんの。人類未踏の土地に踏み込み、そこで都市を滅ぼす魔物に気を使いながら儀式を完遂させることができまして?」
つまりミリアムの論とは、最もマシな選択肢の提示であった。
炎帝の望みを果たすためにはミリアムが研究してきた儀式を行うしかない。だが、その実行場所となる迷宮域の選択肢がない。そして始祖カーミラ=ノスフェラトゥは既に動き始めている。時間がないのだ。
(下手に否定をすれば炎帝の望みを先延ばしにすることとなる。そして封魔連合の首都まで攻め込む以外の選択肢がない。迷宮域という魔力が集中する場所で儀式をしなければならない)
宮廷魔術師として人間のふりをするシュウは、この会議の流れが思うように進むのを見て内心笑っていた。今回はただこの場にいるだけで、何もしていない。全てミリアムに任せている。
(しかしミリアムもこんな嘘ばかりで議論を進めるとは……度胸があるのか馬鹿なのか)
『研究』の情報を独占しているため、この場において間違いを指摘できる者は一人としていない。嘘の情報によって思うがままに誘導されてしまっている。
「……しかしだからと言ってシュリット神聖王国を無視する選択肢はあり得ぬだろう」
「問題ありませんわ。あの国には魔神教団から間者を送っておりますのよ。動きがあればすぐに分かりますわ」
「ぐぬ……」
苦し紛れの指摘もミリアムからすれば想定済みであった。
重箱の隅を突くような細かい指摘は全て言い返され、寧ろそれらの質問へと回答することによってミリアムの策の完全さが証明されてしまう。
やがて炎帝は無限炉を掲げ、皆を黙らせた。
そしてその先をミリアムへと向けて最後の問いかけをする。
「して、ミリアム。貴様はどのようにして封魔連合を征伐するのか。地獄域は奥深くであろう?」
それはミリアムの提示した策において、最も難しいところであった。
地獄域を封印した塔を擁する巨大な都市まで如何にして軍を進め、制圧するというのか。口にした目的が妄想ではないことを示せということであった。
勿論、ミリアムは回答を用意している。
「スウィフト家が研究している古代兵器を起動させますわ」
「巨兵山のことか?」
「陛下が御推察されたとおりですのよ」
「……どうなのだ。アルマーニ・スウィフト」
この場における宮廷魔術師ではない人間、スウィフト家当主へと視線が集まる。一斉に注目を浴びた彼は緊張を隠しきれず、震えた様子で立ち上がった。
「偉大なる炎帝陛下。私どもの研究は間もなく実を結びます。古代兵器の起動に目星がつきました。ミリアム殿の仰る通りでございます」
「なるほど。『アレ』が使えるならば確かに話は変わる。敵を撃滅するのも難しくはないだろう。ついでに黄金域の番人も解き放てば、人間など吹いて飛ぶ。ミリアムよ。つまり貴様の策とは古代兵器を用いて力づくで封魔連合首都を目指すということか?」
「いいえ。そのようなことは必要ありませんわ」
まさか違うと言われるとは思わず、炎帝もつい驚きを見せてしまった。そして人間如きに凌駕されたことが気に入らないのか、険しい視線を向ける。
「どうかお気を悪くされないでください。我が組織は炎帝陛下に協力的ですのよ。我らが教主様は炎帝陛下に宝物にも匹敵する道具をお渡しになると申されました。こちらですわ」
懐から金属製の小箱を取り出し、それを開いて見せる。
その中には正八面体の黒い結晶体が入っていた。
「これはまさしく切札。封魔連合王国は地獄域を中心に国を作ったことを後悔するのです。それが敗北の要因となるのですわ! 人間共を一人残らず消し去り、進化させる! 世界は強い痛みによって次の段階に進むのです! サンドラ帝国と、我らが魔神教団によって!」
彼女の狂気的な笑みはこの場における皆の背筋を凍らせる。
ミリアムという女は種族こそ人間であるが、その本質はまさしく化け物だ。そう、思わされた。




