547話 ヴァルナヘル奪還戦⑤
地下からヴァルナヘルへと奇襲を仕掛けた聖守たちだが、逆に奇襲を受けることとなり、作戦は八割失敗してしまっている。迷宮の番人による攻撃で多くの仲間を失い、あるいは戦闘不能となり、今は聖守ネオンがその力で全滅を防いでいる状況だった。
「聖守様、回復は完了しました」
「ありがとうございます。《聖捌》を解きますから、スルザーラは番人を仕留めてください」
「一体は必ず。しかし……」
残る番人は二体だ。
スルザーラは神器・劔撃で一体を確実に葬る自信がある。劔撃の能力は攻撃力の蓄積だ。双刃の槍形態、弓形態を使い分ける特性の他、溜め込んだ魔力を一撃で放出することができる。そのため格上殺しを実現できる可能性があるのだ。
逆に蓄積魔力は分割放出するような器用な真似もできない。
したがってスルザーラが倒せる番人は片方のみ。もう一体はどうしても残ってしまう。当然だが様子見している宮廷魔術師ミリアムも隙を窺っているだろう。
「大丈夫です」
だがネオンはそう返した。
スルザーラの懸念は正しく、ネオンとて認識している。それでも尚、問題ないと言い切れる確信があった。
「声が聴こえましたから」
「ッ!」
それだけでスルザーラは納得した。
聖守の語る『声』とはそれだけ重要なものだ。
だからスルザーラはネオンが指差した番人に対し、弓形態の劔撃を向ける。
同時にネオンは《聖捌》を解除し、それによって光の壁は消えた。放たれた魔力の矢は番人を貫き、火花を散らしながら沈黙する。ただしもう一体はどうしようもない。守りがなくなった聖守たちに向けて、番人は熱線を放とうとしていた。
間もなく放たれるそれが直撃すれば、確実に死ぬ。
それでもネオンは表情一つ変えない。その理由は空からやってきた。目を覆ってしまうほどの閃光が落ちてきて、ほぼ同時に轟音が鳴り響く。空気どころから地面すら揺らす音のため、ネオンは聖王剣を地面に突き立てながらも膝を突いてしまう。
(『声』の通り、来てくれましたね)
想像以上の威力に驚きはあったが、ある程度覚悟はあった。
未だ吹き付ける熱気のため目を細めつつ見上げると、全身から火花を散らすルークの姿がある。ネオンはルークのことをよく覚えていた。どちらかといえば悪印象であったが、だからこそよく覚えていたのかもしれない。
ふとスルザーラの方を見ると、彼は苦々しい表情を隠すこともしていなかった。
(ですが……)
ネオンはルークをはっきりと意識していたが、その逆は違った。
ルークの視線は全く別の一人へと完全に注がれていたのである。彼の纏う暴風や火花が一層激しくなり、ピリピリとした刺激が肌を撫でていく。
とても言葉をかけられる状態ではない。
一方で激しい憎しみを向けられるミリアムは、今思い出したとばかりに口を開いた。
「あら? あの時に捕らえ損ねた方ではありませんの? その神器、覚えがありますわ」
「……せ」
「短期間で随分上達しましたのね。余程適合したということですわ。素体としてこれほど期待できる御方も他におりませんわね!」
「……えせ」
「何か仰られましたの? 申し訳ありませんわ。聞こえなかったのでもう一度――」
「返せよ! 母を! 姉を! レビュノス領の皆を! 化け物があああああッ!」
ルークは空に浮きつつ刃を振り下ろした。
美麗な青の切先からは光が放たれ、ミリアムを襲う。目を覆うほどの閃光と共に強烈な熱が発せられ、咄嗟にスルザーラが冷風でネオンたち仲間を守る。光は一瞬の内に消えていなくなり、攻撃の結果は明らかとなった。
ミリアムは傷一つなく、佇んでいたのだ。
彼女の周囲には影が広がり、蠢きつつ盛り上がる。それは一見するとシーツを被った子供のようだ。しかしながらギョロリと不気味に動く重瞳の眼が化け物であることを教えてくれる。
「前より強くなっておりますのね。きっとあなたの家族も喜ばれますわ! どうですの? あなたも魔族になれば家族と同じになれますのよ。きっとそれは素晴らしいことですわ!」
「黙れよ」
「正しい魔族になれば、人間のことなんてどうでもよくなりますわよ」
「その口を閉じろよ!」
ミリアムの語り口は神経を逆撫する。その言葉に耳を貸すほどに怒りは増し、魔力は底なしに膨れ上がっていく。ルークの激情に嵐唱は暴風と雷鳴によって応えた。目も開けられないほどの風が吹き荒れ、ルークを中心に渦を為す。
この場の全員を巻き込むほどの巨大竜巻が発生し、ネオンは咄嗟に《聖捌》による防壁を張った。
「あの馬鹿者が……こちらを巻き込むつもりか!」
スルザーラは怒りのあまり叫んでしまったが、それすらもルークには届かない。ルークはただ仇敵ミリアムのことしか見えていなかった。
「どうにかあの方を落ち着けなければなりませんね」
「しかし聖守様……いったいどうやって?」
「《聖捌》で強制停止します。スルザーラはミリアムを撃ち抜いてください。グリムは援護です。ミリアムは魔物や魔族を操るとされています。決して増援を呼ばれないように、一瞬で仕留める必要があります」
「いえ、少し遅かったようですな」
そう返したのはグリムであった。
彼もまた九聖の一人。聖石寮の中でも実力は上から数えた方が早い。しかしそんな彼が見てわかるほどに冷や汗を流し、ある方向を指さしていた。
そちらに向かってネオンも目を向け、思わず歯噛みする。
(囲まれていましたか)
あれだけの騒ぎを起こせば人も集まってくる。魔族兵や吸血種によってここは取り囲まれており、その数だけでも術師たちを上回っていた。今は竜巻すら生み出すルークへと注目しているが、下手にルークを止めてしまえばこちらにも危険が及ぶだろう。
ネオンは先の命令を撤回せざるを得なかった。
「私が仕掛けます。皆は援護を」
「しかし聖守様の護衛が……」
「不要です。それに魔族は強敵。スルザーラやグリムには皆を率いてほしいのです」
「……ッ! 承知、しました」
何か言いたげなスルザーラも、この状況でこれ以上の時間浪費はできないと悟り、命令通りに動く。グリムは不安そうな様子であったが、流石に九聖だけあってすぐにリーダーシップを見せ始めた。
そしてネオンは聖王剣に祈りを捧げる。
聖守として訓練を積む中、多くの時間をこの剣と過ごし、肌身離さず持ち続けた。寝食すら共にした。もはや半身ともいえる剣は、ネオンの願いを聞き届ける。
「光の刃よ、あれ」
ネオンの頭上に太陽のような輝きが現れ、そこから無数の光線が放たれた。それらは周囲を取り囲む魔族兵や吸血種たちを貫き、動きを鈍らせた。すぐに再生されてしまうような傷だが、初動を奪えたのは大きい。これに続いて術師たちが攻撃を仕掛ける。実際、スルザーラは劔撃で魔族兵の心臓を貫いていた。
これはネオンにとって仲間に対する最後の支援。
今より先はそのような余裕もない。
ルークの生み出した竜巻がミリアムを襲い、瓦礫すらも舞い上げた。しかし次の瞬間、その竜巻は真っ二つに裂けて消えてしまう。
「あれはッ!」
そしてネオンは見た。
消失した竜巻の内側から出てきたミリアムの姿と、その頭上にある巨大な天秤を。天秤は強烈な輝きを放ちつつ、半分透けている。そのためあれは幻影なのだと察したが、何の意味もないものではないとも感じていた。
ミリアムは強い光に照らされて生じた影から、いくつもの怪物を生み出す。
「餓楼、贄を吐き出しなさい。聖杯よ、取引をしましょう」
黒い単眼の怪物は深淵の底のような色の喉奥から、次々と何かを吐き出していく。その何かが生きた人間だということには、すぐ気づいた。また服装の特徴から、彼らはシュリット人であることに間違いない。おそらくはヴァルナヘルの住民たちだ。
まさか人質にするつもりかとネオンを含む術師たちは冷や汗を流したが、そうではなかった。
「あの小僧を墜落させなさい。代価は命一つ」
『承知した』
まるで空が語っているかのように声が響く。
すると餓楼が吐き出した人間の一人が苦しみ始めた。全身の皮膚に亀裂が走り、そこからボロボロと崩れて灰になっていく。悲鳴は一瞬で、すぐに人間は遺体すらも消滅した。その全てが捧げられたかのように。
同時にルークは空中でバランスを崩し、勢いよく墜落してしまう。まるで地面に引っ張られてしまったかのような激しさで、土煙が高く舞い上がった。
「聖杯よ。地獄を開きなさい。代価は命を三つ」
『代価が足りぬ』
「では私の魔力を九割追加しますわ」
『承知した』
再び空に声が響く。
悲鳴が三つ重なって聴こえる。
天秤の幻影を携えたミリアムは空を歩きつつ、指を鳴らした。すると、丁度彼女の下にある地面で異変が起こる。突如として黒い炎が噴き出し、煙のように広がり始めたのだ。更には炎と共に大量の腕が生えてきたのである。それも肉がほとんどこそげ落ちた、骨ばかりの腕であった。
それを目の当たりにしたネオンは驚き、叫ぶ。
「総員警戒してください! 暗黒の魔術です!」
すぐに術師たちへと情報は伝わるが、彼らは既に魔族や吸血種たちとの戦闘を開始している。対応できる者は一人もいない。
ネオンは祈りの姿勢を崩さず、周囲に青白い光を浮かべた。それらの光はすぐに光弾となって放たれ、黒い炎から這い出た異形たちへと殺到した。すなわち、地獄に封じられた不死属系魔物たちへと。しかしそれらの光弾は不死属に触れた瞬間弾けてしまい、何の効果も示さなかった。
「ッ! そんな!」
「ふふ……《聖捌》の祝福ですわね? 無意味ですわ。地獄の炎は消せませんのよ」
不死属たちは黒い炎を身に纏い、ネオンを目指して進み始める。ネオンは何度も光を放ったが、それらは全く効果を及ぼさなかった。不死属系魔物の接近は他の術師たちも気付いていたが、彼らは彼らで手を離せない。魔族や吸血種を抑える必要がある。
それでネオンは方法を切り替え、光の壁で不死属たちを覆う。ドーム状に展開された光は、黒い炎の泉ごと不死属を包囲し、完全に閉じ込めた。
「聖杯よ。光の壁を砕きなさい。代価は命を一つ」
『承知した』
再びミリアムはそのように告げた。小さな悲鳴と共に一人の人間が朽ち果て、灰のように崩れ去った。同時にネオンの張った光の壁はガラスのように砕け散り、内側より不死属たちが溢れ出る。
「私の神器・聖杯は願いの天秤。贄を捧げれば願いを叶えてくださるのよ。可愛らしく抵抗してみなさいな。私が全て踏み砕きますわ」
「そんな神器……いったいどうしろというのですか!」
「願いは無制限ではありませんのよ? 犠牲はとても大きいのですわ。本当に残念ですの」
全く残念そうに見えない表情を浮かべつつ、ミリアムはわざとらしく頬に手を当てて悩ましい演技をして見せた。宙に浮く彼女の周囲では黒い影が広がり、そこからは大量の怪物たちが顔を出している。ミリアムが餓楼と呼んだそれらは影のような黒いナニカを使って人間たちを拘束し、空中で磔にしていた。
ミリアムは見せつけていたのだ。
これらの人間は人質であると。
(私が抵抗すれば、神器を使って犠牲を払うと……なんてことを)
それではまるでネオンが彼らを殺しているかのようだ。
自分の手に多くの民の命が握られていると分かり、彼女は動くことができなくなる。黒い炎を宿した不死属たちが迫っているにもかかわらず、何もできない。
「逃げれば人質は死にますわよ?」
「聖守様は逃げてください! ヴァルナヘルの民より、あなた一人の方が重い!」
スルザーラは魔族の首を刎ねつつ、聖守を諫める言葉を叫ぶ。魔族は首を失ってもスルザーラに掴みかかったのでそれ以上の言葉はなかったが、これがネオンを迷わせた。
理屈は分かる。
ここで人質のため無抵抗を良しとすれば、今後より多くの人々が苦しむことになるのだ。彼らは切り捨て、ネオン自身を優先することが世のためには正しい。しかし人々の希望となるべき聖守としては正しくない。
悩めるだけの時間はない。こうしている間にも不死属は迫っている。優柔不断がネオンの身を縛った。十五歳という年齢を思えば仕方のない部分もあるのかもしれないが、敵はそのようなことを考慮してくれない。一瞬の判断が己の命運を決める。
(どうするのです私! 私か民か……ッ)
彼女は指一本分の目の前にまで死が差し迫っている時にも決めきれなかった。
だから彼女を救ったのは、揺るがぬ復讐心であった。竜巻のような暴風が駆け抜け、ネオンと不死属たちを分断する。更には白い閃きが幾つも空中を駆け抜け、ミリアムも広げた影の中に身を隠さざるを得なかった。
暴風で舞い上げられたネオンは目まぐるしく変わる視界によって、自分が空中にいることを悟る。どちらが地上か空かも分からなくなったころ、突然身体が安定する。
「どう、して……?」
目が回り、思考も上手く働かなかった。だが次第に意識もはっきりして、状況を確認する。強風によって体を包まれ、身体が浮いていたのだ。勿論こうしてネオンを助けてくれた人物は一人しかいない。
嵐唱と同化したルークであった。
「殺す」
ネオンはその人物にお礼を言おうとして、思わず身を竦ませた。無意識に放たれた殺意の言葉は、アスラン語であったが、なんとなく意味を理解できた。それほどに感情が乗っていたのだ。殺意は魔力に乗って放たれており、ネオンの魂がそれを理解した。
風は少しずつ小さくなり、ゆっくりと地面へ降ろされる。凄まじい暴風で薙ぎ払われた地面は多くの傷跡を残しており、着地した彼女は思わずバランスを崩してしまった。
「あぁ、なんてこと。折角召喚した地獄の亡者たちも戻ってしまいましたわ。聖杯は代価が大きすぎることが唯一の欠点ですわね」
「お前は化け物だ。人じゃない」
「残念ですわね。私たちこそが真なる人ですのに」
「ふざけるな。死ね」
閃光が空を埋め尽くした。




