531話 嵐唱②
暗黒暦一八〇九年。
サンドラ帝国軍は宣戦布告もなく南のアスラン王国へと襲撃を仕掛けた。アスラン王国北部イルデラント地方は何の情報もなく襲撃を受け、僅か一日で壊滅してしまう。イルデラント地方の都市を制圧した後も帝国軍は南下を続け、六日後にはアスラン王国の王都すらも制圧してしまう。
侵略から七日も経てば、アスラン王国は滅亡にまで追い込まれてしまっていた。
「ミリアム」
「おはようございますシュウ様。今日も儀式を始めましょうか」
最初に占拠されたイルデラント地方レビュノス領の都市では、まだ生き残りの領民が多数残っている。しかしながら帝国兵により自由を奪われ、監視されたまま生活を送っていた。
抵抗した者は殺されるか、捕らえられて非道な実験に使われている。それは宮廷魔術師ミリアムが『儀式』と呼ぶものであった。
「聖杯よ、起きなさい」
ミリアムは手に持つ杯に命じる。
すると杯の内側からどす黒い液体のようなものが湧きあがり、溢れ始める。どろどろとした粘性を有するその液体は、重力に従って落ちていく。そして地面に縛られ、転がされていた領民へと注がれた。その液体が降りかかると同時に領民は激しく痙攣し、苦しみ始める。
「今回は何を使ったんだ?」
「少し前に見つけた幻妖花ですわ。森の中の泉に寄生していたのを聖杯で確保しましたの」
「植物系で魔族化か。身体構造が違い過ぎて壊れないか?」
「それを確かめるための実験ですのよ」
そんな会話をしていると、領民の体が弾け飛んだ。周囲に血と骨肉が飛び散り、苦痛の声も消え去る。黒い粘性のある液体も蒸発して消えてしまった。
この結果を目の当たりにしてミリアムは深い失望を浮かべる。
「ただの塵蟲ですわね。変質段階にすら到達しないなんて」
「聖杯を利用した魔族化は適正が重要だからな」
「ええ。魔神様の御業には遠く及びませんわ。魔神教団の知識を以てしても、その一端に触れるのみ。私も早く人間の身を捨てたいですわ」
「それほど人間は嫌いか」
「人間など……どれ程優れていたとしても獣。ほとんどは蟲同然ですわ」
飛び散った血肉で汚れたミリアムは、自分自身の体に影を這わせた。その影は血肉を貪り、消失させていく。すぐに彼女は染み一つない綺麗な状態に戻った。
「ああ汚らわしい」
「そんなに嫌なら吸血種化でも良かっただろうに」
「いいえ。私は魔族という存在に可能性を感じておりますのよ。魔族こそが新しい人間。より優れた人間ですの。そして最も神に近しい存在でもあります。帝国は私たち魔神教団の思想をよく理解してくださっておりますわ。優れた者が上に立ち、愚か者を支配することは世の理です」
イルデラントの都市ではミリアムの手によって魔族化の儀式が執り行われていた。それは人命など無視した非道なもの。ただ利己的な目的のために行われている。
今日もまた、多くの領民が儀式に殺された。
◆◆◆
ルーク・レビュノスにとって平和とは日常であった。
安寧とは当たり前のようにそこにあって、永遠に続くものだと思っていた。
「あ……ぁ……」
街へと舞い戻ったルークは、そこにあったものを見て言葉を失った。
およそ二百年が積み重なった文化は焼き払われ、崩され、あらゆるものが略奪されていた。死体は無造作に町の外へと捨てられており、敬意の一つも感じられない。それどころから焼いて遺体を痛めつけるなど、非人道的な行いすらされていた。
レビュノス家はレベリオ人の末裔。
かつてサンドラ人と争っていた歴史を持つ。それゆえに火を忌み嫌い、死体の処理も土葬が基本であった。焼いて処理するなど、とんでもない行為なのである。
「ルークさん、気を確かに」
「あ、ああ」
「私の感知ではまだ街の中に生き残った人がいます。ですが帝国兵に虐げられているようですね。街の中央にある屋敷があなたの実家ですか?」
「……そうだ」
傷を癒し、体力を回復させたルークはすぐに街へ戻ろうとした。
しかし当然ながらカーミラはそれを止める。サンドラ帝国により制圧され、支配されている街へ戻るなど自殺行為に等しいからだ。だがルークはどうしても確認すると言って聞かなかった。
「『納得』は得られましたか?」
「いや、母上と姉上の無事を確認したい。父上のことも気になる。それとエリシュのことも」
「確かに高貴な人物であれば生かされ、捕らえられている可能性もあります。ですがエリシュというのはあなたを逃がすため囮となった護衛なのですよね?」
「分かっている。だけど確認せずにはいられないんだ」
危険は承知の上だった。
だが父より託された役目も果たせそうになく、ルークは目的を失っている。どうすればよいのか分からなくなったとき、気になったのは親しい者たちの安否であった。
「く、そ……帝国め」
「あの国は変わってしまいました。あのような魔族を認める国ではなかったはずなのに」
「サンドラ人は昔から変わらない。野蛮な侵略者だ」
「……確かに変わらないところもあります。あんな風にならないようにと願っていたはずなのに。どこで間違ってしまったのでしょう」
カーミラの語り口は、まるでサンドラ帝国の関係者であるかのようであった。
街の状況や親しい者たちのことで頭がいっぱいのルークも、それに気づかないほど馬鹿ではない。それに流されるがままカーミラと行動を共にしているが、彼女が何者なのかも分からない。魔族兵を容易く殺せるだけの実力がある、ということくらいしかわかっていなかった。
ここにきて、ルークはおそるおそる問いかける。
「カーミラ……あんたは何者なんだ?」
「私のことは今知るべきではないでしょう。それより、ここは逃げるべきです」
「何でだ! ここまで来て!」
「私たち二人ではどうしようもないからです」
「だが」
「あなたが手に入れた迷宮神器のことを当てにしているのであれば、止めておくべきです。それは簡単な力ではありません。大きなリスクを伴います」
それを聞いてルークも反射的に腰へ手を伸ばした。そこには嵐神像の中から出てきた一本の短剣が差してある。強烈な閃光を放ち、魔族兵の一人を打倒した実績のある武器だ。それがあるからこそ、ルークはここまで戻ってきた。
『我を扱え。汝と一つとなり、力に目覚めよ。汝には資格がある』
神器・嵐唱はそう語りかけてくる。
絶えずそのように言葉を発しているので、ルークの中でも『もしかしたら街を取り返せるかもしれない』という思いが芽生え始めていた。根拠のない自信がどこからともなく湧いてきた。
「俺の身体、俺の魔力を捧げる。この身と一つになれ! 嵐唱!」
まだ使い慣れていない神器との同化。
それはルークの体を蝕み、崩壊へと導くはずだった。しかしルークの同化は成功し、その額に第三の眼が開く。短剣は延伸してサーベルとなり、ルークの身体を暴風が包み始める。
「まさか同化を? すぐにやめなさい」
「帝国軍は俺が……ッ!」
声に導かれるまま、ルークは飛び出した。
◆◆◆
占領された都市で閃光が走った。
空気を貫き、轟音を鳴らし、草木を焼き尽くす。初めて嵐唱と同化したルークは、半ば暴走した状態で暴れていた。巻き起こる暴風は魔族兵を上空へと打ち上げ、閃光が肉を焼く。
「敵襲か! 相手は一人だ。さっさと殺せ!」
帝国軍とて簡単ではない。
不意打ちの襲撃で一時混乱を招いたものの、指揮官級の人物が対応を始める。その男は吸血種であった。サンドラ帝国は吸血種の国家である。当然ながら支配階級は吸血種であり、軍の指揮権も握っている。
血の雨が地上から天へと降った。
さらには一般兵、魔族兵に指示を出して制圧した領民が騒ぎ始めないようにする。騒ぎはすぐ大きくなった。
「敵襲のようだな。数は……一人か」
「無謀ですわね。気にする必要はありませんわ」
「どうかな。あれは覚醒……いや神器同化だ」
儀式場のシュウは、その位置からでも都市全体を感知できる。特徴的な魂であれば目立つので、その存在は真っ先に知覚していた。
しかしながらミリアムは意に介さず儀式を続行する。
「邪魔者は兵士の皆様にお願いしましょう。これからとっておきの素材を使うのですから」
「そいつらは?」
「領主の娘です。イルデラント地方の民はかつてレベリオ人と呼ばれた負け犬。ですがレビュノス家はその王族ですから、それなりの魔力はあるみたいですの」
「本命というわけか。混ぜる魔物は?」
「私が自ら誘惑した高位級ですわ」
ミリアムは聖杯を傾ける。
中にはどす黒い液体が泡立っていた。
「う、あ……」
そして彼女の前には磔にされた女が二人。
地面に突き立てられた柱に括り付けられ、ただ呻いている。彼女たちはレビュノス家の女たちだ。片方が当主の妻であり、もう片方は娘となる。すなわちルークからすれば姉や母にあたる人物であった。
「さぁ、本命の始まりですわ!」
その言葉と共に聖杯から黒い液体が流れだし、ミリアムの意思に沿って蠢く。それらは蛇のように地を這い、磔にされたレビュノスの娘へと絡みついた。足から上り、腰、胸、腕、首、そして頭にまで。まるで魔術陣のように紋様を描いて肌へと張り付いた。
すると娘は激しく苦しみ始める。
肌は溶け、肉は膨張し、骨は無造作に形を変える。それは体内で剣をかき回されているような、尋常ではない苦しみである。
「あああ!? ぐあああああああああええええええええ!?」
「随分な苦しみ方だな。だが変質段階は越えたか」
「ええ。無事に融合段階へ移行しましたわ。思った通りです。あら、もう紫幻濃蝶の翅が」
背中が盛り上がって柱の拘束も外れる。
彼女の羽化は始まったばかりだ。背中からは紫色の鱗粉を放つ蝶の翅が現れ、肌も紫色に変色していく。何度も血を吐き、身体が壊れ、その度に再生することで生き永らえていた。
顔の一部が膨張して左目が零れ落ちる。空洞となった眼孔からは蝶の翅が花のように咲く。
体内で暴れる魔力は少しずつ収まっていき、心臓へと集まる。
「調和段階か。心臓に魔石が形成されている」
「魂の融合は成功しましたわ。思った通りでしたわね」
ミリアムの足元から影が伸びて、魔族化した娘を縛り上げる。苦しみ続けていた彼女はすぐに呼吸も穏やかとなり、やがて意識を取り戻した。
魂の融合によって人間としての意思は大部分が塗り潰され、魔物の本能に苛まれる。
だがそこにミリアムが近づき、正面から目を合わせた。
「私に従いなさい」
「うあああ! あああああ!」
「獣が。身の程を知るのです」
「……ぁあ」
「幻惑蝶の魔族、といったところですわね。私の誘惑の影響を受けるということは、魔物寄りになってしまったということ。理性は期待できませんわね」
「だがこれはこれで使い道もあるだろう?」
「ええ、私の能力で支配できるならば……」
その言葉を遮り、シュウとミリアムへと光が降り注いだ。
光は一瞬にして過ぎ去り、その場へと一人の少年が降り立つ。しかし光が晴れたとき、シュウとミリアムの周囲にはドーム状の魔力結界が張られていた。当然ながら二人とも無傷である。
「母上を……母上を離せ!」
そう言って少年は再び閃光を放つ。
だがそれは魔力結界により阻まれ、二人には届かなかった。
「雷……いや陽電子か? かなり強い神器使いだな。そこの女を母上と呼んだようだが」
「あの塵蟲の言葉が真であるならば、領主の息子ということになりますわね」
「同化した神器使いだ。強いぞ」
「問題ありませんわ。これでも私、色々と幹部級ですのよ」
シュウが魔力結界を解くと、ミリアムは前に出た。
そして軽く地面を蹴り、宙へと浮く。浮いた彼女の足元から影が広がり、その影に無数の口が生じた。それらは鋭い牙を持ち、威嚇するように唸っている。
「そうですわね。今日のところはこう名乗っておきましょう。サンドラ帝国の宮廷魔術師ミリアムですわ。神器使いであれば僥倖。それを奪い、炎帝陛下へと献上いたしましょう」
「ルーク。ルーク・レビュノスだ。返せ……俺たちの平和を返せえええええ!」
「あらあら。野蛮ですこと」
莫大な魔力を解き放ちつつルークは迫る。
纏っている嵐の鎧の効果か、空を飛んできたのだ。そのままサーベルに陽電子を宿し、閃光として放つ。対消滅反応により物質を崩壊させ、また反応熱により破壊効果をもたらす強力な攻撃だ。
しかし陽電子の閃光はミリアムへと到達する前に、その間へと割り込んだ幻惑蝶の魔族へと直撃する。かなりの火傷を負っているが、魔族の防御力のお陰か死にはしなかった。再生しながら蝶の翅をはばたかせ、幻惑の鱗粉を吹きかける。
だが鱗粉は風の防壁に阻まれ、ルークから逸れていった。
「やりますわね」
ミリアムが感心の言葉を漏らすと同時に、彼女の広げた影から大量の魔物が飛び出した。それらは主に蟲系魔物であり、中位級の個体ばかりだ。すなわち蟲系魔物の成体においては最弱の個体を集めた群れであった。
蟲系は劣大芋虫から始まり、七色大蛹へと進化した後、七種の成体へと分岐進化する。成体となった時点から中位級の魔力を誇るため、大変危険な魔物だ。
それらの魔物が一斉にルークへと襲い掛かる。
「うおおおおおああああああッ!」
しかしルークは空中で身をひねり、刀身から閃光を放ちつつ薙ぎ払った。陽電子の光が一切を焼き払い、蟲系魔物の群れを一掃してしまう。
そのままミリアムを狙って閃光を放とうとしたが、ここでルークは動けなくなった。幻惑蝶の魔族により羽交い締めされたのだ。ルークの纏う暴風の鎧が魔族の体を傷つけるが、再生力で無理やり相殺する。さらには至近距離で幻惑の鱗粉を浴びせかけた。
神器との同化により第三の眼を開眼させたルークは、魔力出力の差で幻惑を無効化する。それでも純粋な膂力により抑え込まれ、蝶の羽ばたきにより地面にまで下ろされてしまった。
「離せ化け物!」
「化け物だなんて酷いですわね」
「こんな、こんな奴すぐに殺して……」
「いいんですの? ルーク・レビュノス。それはあなたの実の姉ですのに」
「殺して……は?」
影を広げ、空から見下ろすミリアムの言葉にルークは身体を固めた。力の抜けた身体は容易く抑え込まれ、幻惑蝶の魔族により地面へと押し付けられる。
理解ができないとばかりに目が泳ぐルークに対し、ミリアムはいいことを思いついたと言わんばかりに手を叩いた。
「そうですわ。折角ですから、あなたの未来について教えて差し上げましょう。そこにいるレビュノス家の女を使って」
「母上? お前! 母上に何を!」
「儀式ですわ。蟲を新生させ、素晴らしいものにするための儀式ですの」
「おい。お前……」
「暴れてもいいですわよ。でもあなたを抑え込んでいるお姉さまは無事で済むかしら?」
息を飲んだルークは、何とか動かせる首を回して後ろに目を向ける。丁度見えたのは幻惑蝶の魔族の右側の顔。魔族化によって潰れていない側の顔であった。
「嘘だ。嘘だ……姉上」
一体の魔物と融合しただけなので、まだ人間だった頃の面影は残っている。肌は紫に変質して異形化しているが、確かにルークの姉の顔であった。
それはつまりミリアムの言葉が真実であるということを意味する。
「さぁ、あなたのお母さまも同じにして差し上げますわよ」
ミリアムは絶望を語り、嗤っていた。




