529話 レビュノス領
カクヨムで先行していたんですが、こちらでも再開します。
時間空き過ぎて5章も半分くらい書いちゃってる…
スラダ大陸東の海に面した国、アスラン王国。
アスラン人を主民族とする一方で、多数の異民族も取り込み、拡大してきた国家だ。土地柄か魔物被害も少なく、どちらかといえば蛮族や野盗による被害の方が多い。ただ周辺国家と比べれば、比較的平和といえた。
エドマリア王朝が支配するこの王国だが、実質的な統治は地方貴族たちが行っている。貴族たちは元々、それぞれ土地を所有していた有力者だったからだ。
そんな王国北部、イルデラント地方はレビュノス辺境侯が統治しており、勢力を拡大しているサンドラ帝国との国境とも面していた。
「ッ! しまっ……」
金属が擦れ合い、鈍い音を鳴らす。
少年は剣を弾かれ、その勢いのまま押し倒されてしまった。顔の近傍には刃が添えられ、動くことすらも制限される。
しかしとどめを刺されるということはなく、刃は離され、寧ろ手を差し出された。
「随分と動きがよくなりましたよルーク様。私の教えた剣技も形になっています。それにルーク様は自分の得意な間合いを維持しようとされていました。それが大切です」
「……それでもエリシュには敵わないよ」
「これでもルーク様より六年は長く剣を握っていますからね。簡単に超えられてしまっては、私もレビュノス侯からクビにされてしまいます」
そう言って苦笑するのは女性の剣士だった。
元はサンドラ帝国を拠点とする傭兵団に所属していたのだが、帝国の軍備拡大に伴って傭兵という職種の需要が小さくなり、こうしてアスラン王国へと流れてきたのである。しかし結局は仕事も少なく傭兵団は解散し、たまたま実力を見初められたエリシュはレビュノス家に仕官することとなった。
今は屋敷の警備の他、剣の指南役として仕事をしている。
レビュノス家の次期当主たるルークに剣を教えるのも、その一環であった。
「ルーク様、そろそろご当主様と領内視察に向かわれるお時間です。修練はこのくらいにして準備をしましょう」
「面倒だなぁ」
「大切なお仕事ですよ。それにルーク様は状況次第で王にもなられる方です。こういったことを面倒だと言ってはいけませんよ」
「どうせ継承権十六位くらいだから王になることはないと思うけど」
「ですが去年までは継承権二十位だったではないですか」
「流行り病やら事故やら暗殺やらで死んじまったからな。それにレビュノス家の男子は俺だけだし、まずないよ。王になるなんて」
ルークの母が現国王の妹ということもあり、またレビュノス家は何度も王家の血を取り入れているため、可能性は低いながらも王位を継ぐということは夢物語ではなかった。
ただしルークにその気はないし、継承権十六位などあってないような権威だ。
長閑な辺境で、父から継いだ領地を発展させていく。それが自分の人生だと、この時のルークは考えていた。
◆◆◆
「はぁっ! はぁっ!」
息を切らしながらルークは駆ける。
彼の周りにはレビュノス家に仕える護衛や使用人が幾人かいて、同じように走っていた。隣では全身に血を被ったエリシュがいて、彼女の持つ剣はすっかり刃がボロボロになっている。その装いは激しい戦いの後を思い起こさせるものだった。
いや、実際に激しい戦いだった。
「そこの陰で身を隠しましょう!」
エリシュの言葉に誰もが無言で従う。
そこは薄暗い路地裏であり、それほど目立たない。隠れるには丁度良い場所だったし、何よりルークを含めた皆は疲れ切っていた。一度体を休め、落ち着く時間が必要だった。
「何なんだよ……あれ……」
「あの装備は見覚えがあります。サンドラ帝国軍です」
「ッ! そうか、エリシュはサンドラ出身だから知っているのか。だがあれは……」
「あの異形の兵士たちはおそらく魔族兵でしょう。力強く、死ににくく、意のままに動く。私が傭兵だった頃から増え始めた兵士です」
「帝国はあんな化け物を作ってたのか……つまりこの襲撃は!」
「間違いなく帝国軍の侵略です」
突然のことだった。
何の知らせもなく、いきなりイルデラント地方へと軍隊が攻め込んできたのだ。辺境の開拓地区ということもあり、大きな都市はレビュノス家直轄のここだけ。何の情報もなく、奇襲を許してしまった。
魔物対策の外壁は破壊され、家屋は燃やされ、事情を伺おうとしたレビュノス家の兵士も殺された。ルークたちは状況も分からぬまま屋敷から逃げてきたのである。
だが既に都市内も乱戦状態となっており、敵との交戦と退却を繰り返し、ようやく隠れることができたところだった。
「脚獣をどこかで見つけなければなりませんね」
「ああ。王都に救援を求めるにしても時間がない。辺境であることをこれほど恨んだのは初めてだ」
「帝国軍は本気でこの街を滅ぼすつもりです。そしていずれは王都にまで軍を差し向けるかもしれません。今は一刻も早く情報を届けて、王の助けを得なければ。王の親戚でもあり、ご当主様からレビュノス家の証を託されたルーク様であれば、王も聞き入れてくださるはずです」
「ああ。だが皆は……」
「ウルダもグリも、そしてゼレンも。皆がルーク様を逃がすために帝国兵を引き付けています。私も必要な働きをしなければ」
屋敷からここまで逃げてくるだけでも多くの犠牲を払った。
父は最後まで抵抗するため多くの兵士たちを率いて迎撃に向かい、母や姉たちも離れにいたので詳細不明。いつも通り剣の訓練をしていたルークは、すぐに父のもとに向かったが、家宝を託されて王都に逃げるよう命じられた。
また逃げる道中でも帝国の魔族兵と遭遇し、何人も犠牲になった。あるいは足止めのために残してきた。
「みんな死んでいく。俺はそれが怖い。俺たちは何も悪くないのに! どうして帝国が!」
「ルーク様。どうか落ち着いてください」
「ふざけるな。ふざけるなよ。サンドラ人は何も変わっていない! 奴らのせいで俺たちは二度も安住の地を追い出され、これで三度目だ。そんなにレベリオ人が憎いか! 俺たちはただ平和に暮らしていただけだろう! そうだろう!?」
ルークは興奮したまま、両手に抱える革袋を開いた。それはレビュノス家の証として父から託された大切なもの。中には三つの腕を持つ黄金像が入っていて、ルークはそれを取り出す。
「応えろよ嵐神像! ご先祖様はあんたに祈り、サンドラ人を追い払ったんだろう! レベリオ王族を守ったんだろう!? だったら助けろよ!」
怒り、悲痛、やるせなさが混じった叫びであった。
しかし黄金像は虚しく光を反射するのみで、何も変わらない。
「くそ」
「どうか落ち着いてくださいルーク様。事態はもっと悪くなります」
「……ああ、そうだな」
決してここも安全ではない。
いつ帝国軍に見つかってもおかしくない状況なのだ。
「少し休めた。脚獣の厩舎を目指そう。あまり大きくはないけど、まだ火の手の上がっていないあちらにも一つあったはずだ。詳しい場所は……」
「わ、私が知っております。私の兄が厩舎の世話人なのです」
「そうか。案内を頼む」
偶然にも一緒にいた使用人の一人が目的地を知っていたらしい。運が良かったと素直に思った。
それから周囲の様子を確認しつつ、ルークたちは移動を再開する。街は帝国軍によって破壊され、燃やされ、抵抗する者は虐殺されている。悲鳴や混乱の声はここまで届いていた。また何とか逃げ惑う民も、まだ襲撃の起こっていないと思われる方へ殺到している。
(動けなくなる前に厩舎まで辿り着かなければ)
体が感じる重みは、何も嵐神像だけが理由ではないだろう。イルデラント地方を見捨て、ここにいる民を見捨て、ただ王都に向かって逃げる。それは酷く屈辱的であった。何もできないという自分自身への深い失望が、そこにはあったのだ。
帝国軍に襲われ、助けを求める民の声を聴いてもそこには行けない。
より重要な自分の役目を果たすため、振り返ってはいけない。
案内に従い、一心不乱を心がけて、ただ隠れながら厩舎へと向かっていく。どうにか帝国軍に遭遇することなく脚獣厩舎へと到達したが、その時にはルークの目から光が失われていた。
「無事のようですね。ですが……」
帝国襲撃の騒ぎで脚獣はすっかり怯えていて、何匹かは脱走していたようだ。あるいは他の民が既に脚獣を使って逃げたのかもしれない。ルークたち全員が使うには数が足りていなかった。
「たったの三頭。ルーク様は当然として、あとの二人はどうしますか……」
エリシュは怯える脚獣を宥めつつ、そう口に出す。
悠長に話し合っている場合ではないときに、話し合いを必要とする問題が浮上してしてしまった。
「公平を重視するのであれば護衛から一人、使用人から一人が良いのではありませんか?」
「しかし今ルーク様に必要なのは戦力であろう!? であれば護衛を二人にしなければ!」
「そんな! 私たちはどうすれば!」
助かりたいと願うのは誰もが同じだ。
この極限状況で冷静でいられるはずもなく、我が身可愛さの主張は止まらない。それに厩舎の存在を知り、それを頼りにここまで来たのはルークたちだけではなかった。一般住民も自分たちが助かるため、ここを目指している者たちが多かった。
言い争っているところにそんな民たちも現れ、ますます奪い合いは加速する。
命のかかっている状況では身分の違いなど理由にならない。市民たちは武器の代わりになりそうな刃物や農具を各々で手に取り、ルークたちと対立する。
「止めなさい! ここにおわすはルーク・レビュノス様ですよ!」
「関係あるか! 俺たちも逃げたいんだ! 早くそこから離れろ! 脚獣は俺たちが使う!」
「そうよ! 本当にレビュノス家の方たちなら屋敷の脚獣がいるでしょう!?」
「屋敷のは敵を迎撃するため使われているのだ! そもそもここの脚獣はレビュノス家の資産で飼われているのだぞ! お前たちに利用権はない!」
「だったら奪うまでだ! 俺たちにも家族がいる! 俺たちの方が人数が多い!」
「くそ! いいから自分の足で逃げろ! 斬らねばならなくなる!」
エリシュを含めた護衛たちは剣を抜き、使用人たちも護身用に持っているナイフを手にする。市民たちの人数は二十人前後といったところ。確かに人数ではこちらが負けている。
ただルークはより一層の虚しさしか感じていなかった。
(仮に脚獣を使えたとして、たった三人しか逃げられないというのに……!)
まわりがあまりにも混乱しているからか、一周回ってルークは冷静であった。言い争う声すら遠く、燃え上がる街はぼやけて見える。
すぐ傍で守ってくれているエリシュの叫び声すら、心に入ってこない。
どうやら無理やりにでもルークを脚獣に乗せようとしているようだが、身体はそれに反応しなかった。
「ルーク様!」
ぼんやりとしていたルークは、いきなりエリシュに押し倒される。そのまま覆い被さって、突然のことにルークは激しく混乱した。しかしそれを口に出すより早く、激しい爆発の音と光、また熱が襲ってくる。
押し倒されていてもエリシュの体の隙間から少しだけ景色は見えていて、その視界いっぱいを覆っていた炎はすぐに消え去った。僅かに残る熱は風となって肌を撫で、遅れて痛みを思い出す。
訳も分からずにいると、エリシュは起き上がってルークを背に剣を構えた。
(いったい、何が……)
そこに先ほどまであった景色はなかった。
激しく抗議していた市民たちは、人の形を保ったまま炭化してしている。あまりにも激しい熱量であったため、死んだことにも気が付かなかったのかもしれない。先ほどまでの光景のままに死んでいた。
意外と範囲は狭いらしく、ルークたちは無事である。
「何、が」
「申し訳ありませんルーク様。敵に追いつかれました」
いつの間にか異形の兵士たちに囲まれていた。
獣のような顔を持つ兵士、腕が鱗で覆われ鋭い爪を持つ兵士、背中から触手を生やした兵士、翼や尻尾の生えた兵士、下半身が馬のような兵士、鋭い巻き角の兵士など、『人』の面影を残しつつも魔を強く感じさせる。安全に壁の内側で育ってきたルークにとって、『魔』に属する存在は初めて見るものであった。
その悍ましい姿に恐怖し、身体が竦んだ。
「あらあら。まさか生き残るなんて」
不意に上から声が聞こえた。反射的にルークも他の皆もそちらを向くと、そこには宙に浮く一人の女がいた。貴族然とした綺麗な衣服の上からマントを羽織り、手には杯のようなものを握っている。かなり若く見える上に、十人が見れば全員が美人と言い張るほどの容姿だ。しかし見下す冷たい視線のせいか、その美しさよりも恐ろしさが勝ってしまう。
蛇に睨まれた蛙のように、ルークは呼吸すら忘れて動けなくなってしまった。
元はサンドラ人のエリシュが、サンドラ語で叫ぶ。
「まさか……そのマントはサンドラの宮廷魔術師! どうしてそれほどの奴が派遣されて……本気でこの国を攻め落とすつもりですか!?」
「へぇ。このマントの意味を知っているなんて。他の塵蟲とは違うみたいですわね。他の蟲共は私たちを賊なんかと一緒にするんですもの。本当に失礼ですわ」
「布告もなくこんなことを! 賊も同然でしょう!」
「何を言っていますの。布告というものは同格の存在に対する挨拶ですわ。あなたは蟲の駆除をするために宣告いたしますの? ああ、そういえば領主? だとか名乗った男も同じことを言っていましたわね。もしかしてそんな風習でもあったのかしら。無知でごめんなさいね」
エリシュが語り掛けている間、復帰した護衛や使用人たちがルークを囲うようにして位置につく。
そして座学としてサンドラ語を学んでいたルークも、なんとなく会話の内容は分かった。確かに領主と口にした。その女が今、目の前にいるということは……そこまで思考が至り、ルークは最悪を想像する。
そして答えは聞かずとも彼女が教えてくれた。
「抵抗する蟲は皆殺しにしてきたわ。でも私たちはとても寛大よ。取るに足らない蟲を有効活用する術を知っているの。大人しくするなら、ニンゲンとして生まれ変わらせてあげるわ」
「逃げてくださいルーク様!」
「そう、残念ね」
女が杯を掲げると、周りの魔族兵が一斉に襲い掛かった。
護衛たちは実力を見込まれてレビュノス家に雇われた者ばかりだ。しかしながら魔族兵はそれよりも強く、その強靭な肉体そのものを武器として護衛たちを容易く縊り殺す。魔の手はエリシュにも伸ばされたが、攻撃が彼女に触れようとした瞬間、バチンと強い音がして、火花と共に魔族の体が弾かれた。
「ルーク様! 今の内に早く!」
「だが君は」
「私がここで押さえます。私には火花の異能がありますから。ルーク様はご自分の役目を果たしてください!」
こうしている間にも魔族兵の攻撃を防ぎ、その度に火花が散って魔族の体が弾かれる。身体を張り、命を懸けて守ってくれている。力のないルークができることは、ただその思いに応えることだけだった。
「生き残れよ! 絶対に!」
「必ず!」
エリシュが剣を振るうと、その先で次々と火花が散る。
父に託された嵐神像をしっかり抱えたルークは、まだ残っている脚獣へと飛び乗った。女魔術師が炎を発生させてルークを狙うが、空中で連鎖しつつ弾ける火花がそれを邪魔した。
「面倒ね。先に駆除してあげる。そっちの塵蟲はお前たちが追いなさい」
流石にエリシュ一人では抑えきれなかったのだろう。ルークの方にまで魔族兵が押し迫ってくる。ルークは怯える脚獣の腹を蹴り、驚かせて走らせた。
後ろではまだ火花の弾ける音がしている。
(きっと助けに戻る。それまで……)
悔しさと無力さを胸に脚獣を駆る。ただひたすら前だけを見た。




