524話 結合呪詛
糸に絡めとられたシュウは全く身体を動かせない。
それはまるで空間へと縫い留められているような感覚だった。紡ぐ叛威が宿っている骨蜘蛛は、鎌のような脚の一本で弦のように糸を弾く。するとシュウの左腕が脇腹ごと千切れた。
(こいつ、強いな)
シュウは思わずそんなことを考えてしまう。
《魔神化》を発動している今、シュウの周りは一時的に冥界化している。またシュウ自身も死魔力で再構築されているため、大抵の攻撃は無効化されるはずなのだ。だが紡ぐ叛威は容易く攻撃を通してきた。
単純な攻撃に見えて、よく練り込まれている。
骨蜘蛛はさらに追加で糸を弾こうとしていたので、シュウは即座に死魔力を解放して強制的に糸を断ち切った。出力任せの乱暴な脱出だが、余裕ぶっている場合ではない。欠損部位も即座に再生させ、凍獄術式を強化する。
『ほぉ。分解の呪詛かね?』
「っ! 俺たちの言葉を……」
『我は紡ぐ者。この世と結びつき、先程は貴様とも結びついた。対話の手段は重要なことだ。誇るが良い。貴様は力ある者だ。我が保証しよう』
「お前たちとの会話は不要だ。虚無の世界に帰れ」
『拒絶はいけないことだ。暴力による語らいは虚しい』
骨蜘蛛の周囲から徐々に黒い糸が伸びていき、それらは冥界化した空間すらも侵食していく。糸は次々と空間を縫って捻じ曲げていく。
凍獄術式による物質破壊効果も、自分自身を結び付けることで崩壊から免れている状態だった。
冥王シュウ・アークライトの魔法は死と滅び。
紡ぐ叛威の呪詛は結合と構築。
正反対に近い能力を有するため、勝負の決め手となるのは出力だ。
(あるいは魔法の使い方か)
あらゆる物質を崩壊させ、エネルギーとして奪い去る死の魔法。それが冥界の第一階層として整備した凍獄術式だ。しかし紡ぐ叛威が壊れた物質を結び付け、再構築してしまう以上はまるで意味がない。
だからといって第二階層・幽忘術式でも同じこと。魂に付随する精神や記憶や力そのものを殺して奪い取る。これは対象が物質か魂かの違い以外、凍獄術式と大差ない。ただし、本来精神的な存在である紡ぐ叛威に対しては、幽忘術式の方が有効である可能性は高い。
(前に戦ったイゴーロナクといい、つくづく相性が悪い)
こうなってしまえば、下手な術式より魔法魔力を放出する方が良い。シュウは更に死魔法の術式を放出する。それらは鎖のように連なって広がっていき、冥界の最深部が湧出した。
それ即ち、万物の死。
魂すらも完全滅却して根源量子へと還元する究極の破壊魔力だ。
「こちらの世界に来るな! アトラク・ナクア!」
冥界の第三層・零魂術式が解放された。黒い魔力が溢れだし、津波のようになって骨蜘蛛を襲う。すると紡ぐ叛威は黒い糸を空間に縫い付け、それらを足場として空中へと逃れた。
シュウは一度広げた死魔力をコントロールし、壁を作る。その壁は広く領域を囲むように円形を為し、ドーム状となって上空すらも閉じた。さらに地面も死魔力で完全に滅ぼし、死の池にしてしまう。
『我と貴様は友好的になれるはずだ』
「耳を貸す気はない」
『おお怖い。随分と危険な呪詛ではないか』
「魔法だ」
一切の光すら喰らい尽くした死の空間で、紡ぐ叛威は避け続ける。だが死に覆われたこの空間内では自在とはいかない。糸を張り巡らし、時間と空間を結い合わせ、僅かな隙間へと入り込むことで回避をしている。
ただそれらは間違いなく絶技である。
紡ぐ叛威は自らの象徴たる結合呪詛を完璧といえるほどに使いこなしている。骨蜘蛛は物質であるにもかかわらず、死に満たされた零魂術式の内側で生き残り続けていた。
『我は虚無の住民だが、お前たちに危害を加えるつもりはない。ただ受肉する肉体が欲しいのだよ』
「何のために受肉を求める!」
『簡単なことだ。全なる虚無を見返してやるのだよ!』
「アザトースだと?」
『その通りだ。あの白痴め……叛意を示した我を虚無の奥底へ封じたのだ。お蔭で我は孤独に糸を編み続けるだけの存在になってしまった』
「自業自得だろうが!」
『黙れ! 貴様には許容できるというか? 支配を受け入れるというのか? 我はあの白痴の支配が我慢ならんのだ!』
シュウは膨大な死魔力を使って空間ごと殺す。
それによって世界を支えるエネルギーが消失し、それを埋め合わせようと周囲からエネルギーを吸収し始めた。熱、電磁気、光、質量、重力など、種類を問わずあらゆる物理エネルギーが吸い寄せられていく。しかしながらこの空間において残されている物質は紡ぐ叛威の受肉体のみ。
疑似的なブラックホールを生み出す《冥導》は骨蜘蛛に空間湾曲の回避すら許さない。一瞬にして半身を削り取ってしまった。
『厄介な』
そう言いつつも破壊された半身が空間の穴へと吸収されてしまう前に、紡ぐ叛威はそれらを紡ぐ。量子単位のエネルギーを縫い合わせ、繋ぎ止め、織り込み、再び受肉体を再構築してしまった。
だがシュウは態勢の立て直しなど許さず、《死の鎌》で攻め立てる。円環状の術式が幾重にも発生し、その軌道上で死魔力が鎌の形となって奔る。三次元的に高速で迫る死の刃を回避することはできず、骨蜘蛛はバラバラに斬り裂かれた。
また《冥導》によって生じた穴もまだ塞がってはいない。世界の向こう側からも根源量子を吸収しているので穴は小さくなっていたが、まだ周囲の物質を喰らおうとしていた。斬り裂かれて破片となった骨蜘蛛の一部はそこに吸い込まれてしまう。
「悪いが何もさせない。全てを否定し、全てを殺す」
『なんと野蛮なことか。我は理知を以て接しているというのに』
「信用できるか邪神が」
シュウは容赦なく死魔力を叩き込み、隙なく攻撃を続ける。
《魔神化》まで発動し、回避も退避も不可能な封殺の領域に閉じ込めても紡ぐ叛威はまだ生きている。いや、その表現は正確とは言えない。
(コイツの魂はここにない。所詮、骨の蜘蛛は一時的な依り代に過ぎないということか。本体はまだ虚無の世界にある。おそらく結合呪詛とやらで一時的にこちらへ繋がっているだけ。ここで依り代を破壊しなければ面倒なことになる)
絶対に滅びない自信があるからこそ、紡ぐ叛威はシュウに対して勧誘を続けている。そしてシュウも向こう側にいる紡ぐ叛威本体まで届く攻撃方法を探り、時間稼ぎをしていた。
◆◆◆
零魂術式が作り出す死の領域の外では、ノスフェラトゥとラヴァの戦いが再開していた。ただしラヴァは既に死んでおり、その魂の力だけが強制的に引き出されている。ある種のアンデッド状態であった。
ラヴァの魂はまだ肉体の中にあるが、その主導権は紡ぐ叛威が保有している。骨蜘蛛と同じく、結合呪詛を使って操られていたのだ。
「ウォオオオオオオアアアアアッ!」
骸殻をまとった一撃はオリハルコンすら砕き、空気すらも震わせる。飛び散る破片は弾丸のようで、仮に人体へと直撃すれば容易く貫通してしまうことだろう。だがノスフェラトゥには関係ない。霧化によってあらゆる攻撃を透かし、全てを無傷でいなしてしまう。
だが逆にノスフェラトゥの攻撃も相変わらず通じない。
魔装の覚醒により赫魔細胞を完全支配することに成功し、細胞崩壊による自滅も克服した。しかし攻撃能力が爆発的に向上した訳ではない。
そもそも覚醒とは限界値の突破ともいえる事象である。
覚醒直後でも大幅な能力上昇は見込めるが、そこからさらに鍛え上げることで能力の拡大や拡張させて初めて有用となる。
(私の持ち得る攻撃の中で有用なものは《獄滅》のような黒炎を召喚する系統。そして最大セフィロト術式の《無限光》あたりですか。瘴血の毒は通じませんし、どうにか隙を作るべきですね)
《獄滅》はともかく、《無限光》は発動のために莫大な瞬間魔力が必要となる。魔力を溜め込む《聖印》で事前準備をしなければ発動は難しい。少なくともすぐに使えるものではなかった。
どちらにせよ溜めが大きく、使おうとすれば間違いなく邪魔されるだろうが。
「アアアアアッ! ウォオオオオオオッ!」
「まずはその骨を引き剥がします」
ラヴァの骨射撃による攻撃を回避したノスフェラトゥは、右手を上に掲げた。するとそこに血の蝙蝠が集まり、すぐに霧となって消える。ノスフェラトゥがそこから腕を引き抜くと、蛇腹剣のような武器、蛮骨が握られていた。
一度は弾き飛ばされていたそれを血の眷属に回収させておいたのである。
蛮骨はラヴァの骨を奪い、侵食して作った武器だ。同じ硬さなので、ノスフェラトゥの血で補強すれば一方的に叩き割ることもできる。
ノスフェラトゥが力いっぱいそれを振るうと、鞭のようにしなりながら刀身が伸びてラヴァを打つ。ラヴァの肉体は操られていても驚異的な反応速度を有しており、容易く腕で受け止めた。しかし蛮骨の威力は受け止め切れず、骸殻に亀裂が走る。
そこへノスフェラトゥは血の槍を放ち、その亀裂へと集中させることで一気に破壊した。
「ここですね。クリフォトに接続、《獄葬火》!」
骸殻を修復している間は隙となる。
ノスフェラトゥは精霊秘術へとアクセスする時間を手に入れた。発動した《獄葬火》は地獄を覆う黒い炎を大規模に召喚するというもの。破壊力は小さいが、消えずに燃え続けることで苦しみを与える特性がある。
座標へ向けて召喚された黒い炎はラヴァを燃え上がらせ、激しい痛みで悶えさせる。ラヴァ本人の意識はないので痛みなど感じないはずだが、それでも身体は条件反射を抑えきれない。
しかしここでラヴァに絡みつく黒い糸が蠢く。
それらは黒炎を絡めとり、空間へと縫い付けることでラヴァから引き離したのだ。
「なるほど。厄介ですね」
投げつけられた骨の刃を避けつつ、ノスフェラトゥは呟く。
全身を骨の鎧で覆われ、額からは角、背中からは四つの骨腕まである怪物。そこに紡ぐ叛威のサポートまで加われば手の付けようがない。しかも迷宮神器・暴転器も健在で、今も同化したまま戦っている。
ノスフェラトゥの不死性がなければ何度殺されているか分からないほどの化け物だった。
「時間を稼いでください。《召屍》」
地獄からの不死属召喚を実行し、更には瘴血の霧から蝙蝠を無数に生み出していく。まるで肉壁だとでも言わんばかりの大量召喚であった。
数を優先したので、召喚された不死属はほぼ全てが低位級。中には中位級や高位級もいるが、容易に数えられる程度でしかなかった。
だが合計すれば百以上の不死属と、それと同数ほどの血の蝙蝠がラヴァの周りを埋め尽くす。即座にラヴァは暴れまわって無双の武力を見せつけ始めるが、これによってノスフェラトゥは僅かな余裕を得た。
「私が本当に戦うべきなのは、彼の魂に絡みつく黒い糸。あれが彼を生かしていますね」
シュウから加護を与えられたノスフェラトゥは魂を見ることができる。元から視覚がないことで他の感覚が鋭かったこともあり、見えざる世界の知覚にもすぐ馴染めた。今ではより集中することで、その魂の活動すらも見えるようになりつつある。
だからノスフェラトゥにはラヴァの魂に絡みつく紡ぐ叛威の結合呪詛がはっきりと見えていた。
また《冥界の加護》には、魂を見通す以外の重要な機能がある。それは死魔法の世界、つまり冥界へのアクセス権限であった。
「召喚」
ノスフェラトゥには見えている。
この物質の世界と、魂の世界を隔てる扉が。そしてそこを守護する番犬の姿が。
「冥域の怪物、あれを葬ってください」
何もない空間から黒い雫が垂れる。
それはいきなり滝のように激しく流れ落ち始めて、やがて巨大な影を創り出した。その影から巨大な何かが盛り上がり、すぐに形を成す。
その名は冥域の怪物。
三つの頭部、三つの目、三つの牙を持つ死の番犬であった。それぞれの目の中には二つの瞳が重なって存在し、激しく動き回っている。
「アアァアアァアァアアアア!」
「アアアァッァ!」
「ァァアアア! アァアアアァアア!」
それらは不気味な咆哮を重奏し、地面を滑るように移動しながらラヴァへと迫る。道中で地獄から召喚された不死属たちを圧し潰しながら、暴れまわるラヴァへと噛みついた。初撃はラヴァも回避し、反撃で殴ろうとする。しかし冥域の怪物は三つ首の化け物だ。右側の牙がラヴァの骸殻を突き破り、その肉を食い千切ったのである。
死魔法で構成された冥域の怪物は万物を噛み砕く権利が与えられている。その吐息すらも死に満ちており、あらゆる熱エネルギーを奪って凍えさせてしまう。
「ガァッ!」
身体の半分を失ったラヴァは倒れ伏し、冥域の怪物によって抑え込まれてしまう。死そのものである冥域の怪物に触れている間も骸殻は分解され、その頑強過ぎた肉体すらも壊していく。
ラヴァの魂に絡みつく黒い糸は器用に蠢いてラヴァの肉体を縫い留め続けようとしていたが、明らかに崩壊速度の方が早かった。
ノスフェラトゥは無力化されたラヴァのすぐ側まで霧化で移動し、手を翳す。
「いただきます」
これまでは身体が頑丈過ぎて血を流させることもできず、吸血など叶わなかった。
だが今は冥域の怪物によって身体を欠損させており、池を作るほどに血を流している。これでまだ再生し、動こうとしていることの方が驚異的な状態だ。だからノスフェラトゥは最後のとどめとして、吸血を選んだ。
全てを喰らい尽くす。
生命体の根源たる赤い液体をその身で飲み干す。
ラヴァの傷口からは血が霧のようになって立ち昇り、全てノスフェラトゥへと吸収され始めた。吸血行為が始まれば一瞬のことで、ラヴァの肉体は驚くほどに縮んでいく。
「あ」
ノスフェラトゥは思わずそんな声を漏らしてしまう。
彼女が全てを食い尽くすよりも先に、冥域の怪物がラヴァの肉体を丸のみにしてしまったのだった。