521話 煌天城争奪戦⑤
アラフの右目は無数に分岐する未来を読み取る。世界のありとあらゆる情報を認識し、そこからあり得る未来を予測してしまう。人間であれば誰でも持っている知覚能力と予測能力を極限まで拡張した魔装である。
だからアラフは管制室にいながら、ノスフェラトゥの戦いの末を見守ることができた。
「やはり特異点。これほど複雑に変化し続けるとは……」
宝石のような青い目を閉じ、疲れを癒すため眉間を揉む。
ほんの少し見るだけで異常なほど消耗していた。未来視の魔装とて全知の能力ではない。その本質は眼に宿っているが、使い手はあくまでも人間なのだ。情報処理能力によって性能は律速してしまう。初代王セシリアが数千年を見通せたのは、あくまでも彼女本人の資質だ。
遥か未来の予知において障害となるのは特異点と呼ぶ現象や人物である。それは世に与える影響があまりにも大きく、僅かな行動の変化で隔絶した世の変革をもたらす。
「ですがそれでもノスフェラトゥ様が敗北する未来の方が多い。移り変わる未来の中で、勝利はあまりにもか細い」
読み切れないもどかしさはアラフとて何度も経験してきた。
そして未来のことは語るべきではないことが多い。未来を知る者が増えれば、自ずとそれは変わってしまう。良かれと思って誰かの死を回避させれば、その影響で死なないはずだった別の誰かが死ぬこともある。まるで命の取捨選択を握っているかのような感覚さえする異能だ。
最良の未来のため、誰かの死を見逃した。
最善を尽くすため、誰かを死に追いやった。
そして第五十八代王アラフ・セシリアス・ラ・ピテルもその苦しみを味わった。
「あの怪物を殺すためにコーネリア様も命を懸けてくださいました。あの方のお蔭でラヴァは魔力で汚染され、本来の力を出せずにいます。ですがラヴァはそれでも強敵。ノスフェラトゥ様、そしてオスカー・アルテミア様……後は信じて託します」
この戦いは黎腫に侵された天空人にとって必要な戦いであった。天空人という種族を後に繋ぐため数えきれない犠牲を払った。
だがここまでしても確実ではない。
アラフも最後には信じることを頼りとしていた。ノスフェラトゥではなく、初代王セシリアの残した予言を。天空人がいずれ地上へ降り立つという予言を。
◆◆◆
「悪夢のような光景ですね。いえ、それよりもっと酷い」
戦いを見下ろすケシス・イミテリア・ラ・ピテルは頬が引きつっていた。黄金要塞の一画はノスフェラトゥが初手で放った《無限光》により大きく抉り取られ、まるで闘技場のようになっている。
だがそこで戦うのは剣闘士ではなく、現代の化け物たちだ。更にはノスフェラトゥが地獄から召喚した無首黒騎士、ラヴァが術師を殺して作った骸骨戦士が入り乱れている。
「陛下はこれを予測していたのですか?」
「……いえ、こんなものは見えていませんよ」
「ではオスカー殿が勝てるかどうか分からないのですか?」
「《予見》の祝福とて万能ではありませんよ。急に未来が閉ざされたようです。雲に覆われたまま地上を見渡すように、今の《予見》では何も分かりません。祝福を第二位階に引き上げていたら話は違ったかもしれませんが」
ケシスだけでなく、イミテリア家に従う天空人たちは全員が祝福を授かった。本来ならば祝福は外国人に与えられるようなものではないのだが、それだけヴェリト人は天空の城に期待していたということである。
それはイミテリア家にとって幸運であった。
だが今はその幸運の反動かのように、無力さによって打ちひしがれている。
「なんて魔力……恥ずかしいが手足が勝手に震えてしまう」
「私もですよ。ああ、恐ろしい」
「戦いが目で追えないって本当にあるんですね。創作の中の話だと思っていましたよ」
「あの少女はどうなっているんですかね。何度骨に貫かれても生き返っているように見えるのですが」
「そんなことより蛮族でしょう! 何ですかあれは! あんな化け物だったのですか!?」
「落ち着いてください。陛下の前ですよ」
彼ら天空人にとって眼下の戦いは別次元のもの。
諦観と畏怖が彼らを支配していた。
(まぁ、それが一般的な感覚か。随分と退化したものだな)
すぐ側で姿を隠すシュウは天空人に対してそんな感想を覚える。かつて大陸全土を完全支配し、魔物を駆逐していた人類の末裔とは思えない弱音だったからだ。地下迷宮に飲み込まれた地上人と異なり、天空人はかつての文明を限りなく残したまま生き残っている。
しかしながら地上人と同じように魔力は限りなく低下していた。魔装使いもほとんどいないし、いたとしても戦闘に役立つレベルではなくなっている。銃やソーサラーデバイスなどの道具に頼り切ったことが魔力能力を退化させてしまった。
眼下の戦いも、かつての聖騎士クラスであれば介入の余地もあったはずだ。
(とはいえ、俺にとっては狙い通りだが)
ノスフェラトゥ、オスカー、ラヴァの戦いは激しさを増している。ノスフェラトゥは瘴血の霧を最小限に留め、前衛に立ってラヴァの攻撃を受け止めている。不死性を利用してあらゆる攻撃をいなし、血の結晶攻撃で注意を引く。それによってオスカーが劔撃をチャージする時間を稼いでいた。
弓形態の劔撃は速い遠距離攻撃だが、オスカー自身はほとんど動けなくなる。ノスフェラトゥが全身全霊で隙を作り、そこを見逃さずに射貫くのがオスカーの仕事だ。
また一つ魔力矢が放たれ、ラヴァの尾骨を吹き飛ばす。
「外しました!」
「問題ありません」
空中で回転する尾骨をノスフェラトゥは掴み取った。そして手を通して瘴血を侵食させ、尾骨の魔力を支配する。手元が結晶化して剣の柄のようになり、巨大な骨の鞭となる。更には脊椎の一つ一つに結晶化した血が刃となって禍々しく光を反射した。
完成したのはラヴァの尾骨を核とした蛇腹剣にも似た鞭。
ノスフェラトゥはそれを力いっぱい振り下ろした。彼女の腕力は順番に先端へと伝わり、ラヴァの骨腕へと叩きつけられる。オスカーの劔撃でなければ破壊できなかったが、ノスフェラトゥの攻撃は見事にそれを打ち砕いた。
「同じ硬さであれば、私の魔力が乗れば攻撃が通ります。これは良い武器ですね」
ノスフェラトゥは予想もしなかった高威力に少々驚きつつも、油断せず連撃を加えていく。鞭は思うが儘に操ることが可能で、次々と打撃を与えた。
ラヴァはその衝撃によろめき、骸殻には亀裂が入る。
「俺様の骸殻を奪うか小娘ェ!」
「それはもう弾けます……蛮骨」
怒り狂うラヴァは尾骨を再生させ、更には胸部の骸殻から肋骨のような鋭い骨を射出した。暴転器の能力で超音速化してノスフェラトゥへと殺到する。だがノスフェラトゥは『蛮骨』と名付けたその武器で自身を包み、骨射撃を受け流したのである。
これまでは強度の差もあって血の結晶も貫かれるばかりであったが、同じラヴァの骨を元にしているので硬さは充分。また蛮骨は鞭であるため『しなる』。だからしっかりと骨射撃を受け止め、柔軟に逸らしてみせたのだ。
更にこの一連はラヴァの気を引くのに充分であった。
オスカーのことが頭から抜けてしまったラヴァは、横から魔力矢で貫かれる。
「グオオオオッ!?」
「なんと。魔力矢が身体に触れた瞬間、身を逸らしましたか。何という反射神経……」
「イラつかせやがって餌共がァ!」
「そちらには攻撃させませんよ」
「ガアアアアアアアアアッ!」
蛮骨で頬を打たれたラヴァは大きく仰け反り、オスカーを狙っていた骨射撃は逸れる。丁度その先にいた無首黒騎士に直撃し、そのまま壁に縫い留められてしまう。一撃で消滅こそしなかったが、それでも再起不能レベルとなっていた。
しかしそこで骨が無首黒騎士を侵食する。
ラヴァの骨は魔物すら喰らい、その魂が消失しても魔力体を侵食する。骸殻の魔装は人間を殺して骸骨兵に変える能力を持つが、それは魔物に対しても有効であった。無首黒騎士は作り替えられ、骨の鎧となる。
「ッ! そんなことまで! 何としてでもここで止めねば!」
不死にも思える再生力。
魔物すら超える膨大な魔力。
何より、人外の異能。
それらは魔族の中でも強大な業魔族を思わせた。
オスカーは魔族と戦う者として、ラヴァのような存在は決して捨て置けない。改めて、必ず倒さなければならないと決意を固める。
「死ね小娘ェ! 俺様に肉を食わせろォ!」
「また力が増して……!」
「もらったァ!」
激しくノスフェラトゥを攻め立てるラヴァは、蛮骨の攻撃を骨腕で受け止め、引き寄せて蹴りを叩き込む。直撃の瞬間にノスフェラトゥも霧化したが、ダメージを受け流すことができず全身の骨が砕けるほどの衝撃を受けた。
実体化したノスフェラトゥは即座に再生するも、それが隙となる。
骨腕の斬撃、殴打、蹴り、そして骨射撃と連続した攻撃が襲う。疲れを知らぬ獣のように、一切の息継ぎもなく一息の間で攻撃を続けているのだ。
「ノスフェラトゥ殿! 今援護を――くっ、こちらもですか!」
弓形態の劔撃でラヴァを射抜こうとしたオスカーには、骸骨戦士や骨化した無首黒騎士が襲う。回避したオスカーは劔撃を双刃の槍形態にして迎え撃った。回転を伴う斬撃により骸骨戦士の骨刃を弾き返し、更には炎の第四階梯《爆発》を連発して二体から距離を稼ぐ。
だが全身を骨の鎧で覆われた無首黒騎士は防御に優れるため、激しい爆発の中を突っ切ってオスカーに攻撃を仕掛けてきた。
「《粘液弾》! 《水球牢》!」
オスカーは慌てることなく足止め用の魔術を発動し、骨化した無首黒騎士を近づけない。こういう時に魔術を自動発動してくれる聖石は強い。接近戦を主体とする戦士ですら多様な魔術を絡めながら戦うことができるからだ。
またオスカーは風の第四階梯《空翔》で浮遊し、骸骨戦士に向けて大魔術を発動した。
「《大爆発》!」
その名の通り、広域に大爆発を引き起こす炎属性魔術である。
ここでオスカーは大聖石を通して熱量を底上げする代わりに爆発範囲を小さくするアレンジを加え、単体火力に特化させていた。結果として骸骨戦士は木端微塵となり、黒く焦げた骨が散らばる。
『攻撃力は蓄積済みです』
「いいタイミングです。劔撃」
浮遊したオスカーはそのまま骨化した無首黒騎士に向けて落下し、攻撃力を充分にチャージした斬撃を見舞う。刃は何の抵抗もなく骨の鎧を引き裂き、そのまま真っ二つにしてしまった。
これでようやくフリーになったわけだが、この僅かな攻防の間にノスフェラトゥはかなり追い詰められていた。霧化や蝙蝠分裂、狼化などを駆使してラヴァの攻撃を回避しているものの、徐々に受ける傷が多くなっていたのだ。
回避にも傷の再生にも魔力を消耗するため、ノスフェラトゥは急激に血液不足へと陥っていく。この緊急事態に対して彼女の肉体は細胞自己崩壊による魔力生成を速めていたからだ。お蔭で魔力不足に悩まされることはないが、これも長くは続かない。
「クハハッ! その鬱陶しい武器にも慣れてきたぜェ!」
ノスフェラトゥの操る蛮骨は変幻自在の刃となってラヴァにダメージを与えていた。だがそれも初見殺しでしかない。蛮骨の優位性は既に過去のものとなり、ノスフェラトゥは防戦を強いられていた。
一撃を防ぐたびに蛮骨が軋みを上げる。
ラヴァの尾骨を侵食して作り上げた武器なので、かなりの硬さを持っているはずだ。だが、ラヴァ本人の骸殻はそれ以上の硬度や鋭さを持っている。そこに人外の膂力が加われば、何よりも強力な武器となる。
「疲れてきたのかァ? そのすり抜ける奴も使わなくなったなァ!」
「……ッ!」
「捕まえたァッ!」
ラヴァは骨射撃で蛮骨の柄を狙い、ノスフェラトゥの手から弾いた。その瞬間に骨腕で上から殴って地面に叩きつけ、そのまま彼女の身体を握りつつ持ち上げる。
ノスフェラトゥはすぐに霧化で逃れようとしたが、それよりも早く再び地面へと叩きつけられ、意識を揺らされた。更には骸殻の一部を切り離して杭のような形状の骨を作り、それを仰向けに倒れるノスフェラトゥへ突き刺す。
「ぅあ……」
「すり抜ける能力は厄介だがよォ……それよりも早く攻撃すれば関係ねェよなァ」
今更ではあるが、ノスフェラトゥにも人並の感覚はある。つまり痛みは普通に感じるのだ。強い感情は《聖印》で封印されているうえに、再生能力もあるので苦痛を表に出すことはほとんどない。だが今の状況は彼女の表情を歪めるのに充分であった。
目元は見えていないが、その痛みに耐えるため歯を食いしばっているのが見て取れる。
苦しむ姿はラヴァを悦ばせた。
「俺様はよォ、退屈してたんだ。誰も俺様に並ぶ奴はいねェ。ほんの少し力を出せば捻り潰しちまう。残念でならねェよ。なァ!」
ノスフェラトゥの左肘を力いっぱい踏みつけ、千切れるほどに圧し潰す。
「テメェには野心がねェ。俺様を殺し、喰らい尽くすという覇気を感じねェ。気に入らねェなァ」
そう語りながら両足にも骨を突き刺し、残る右腕は引き千切る。
これには流石のノスフェラトゥも苦悶を浮かべ呻いた。霧化や蝙蝠分裂で逃れようにも、痛みで集中できない。
「貴様! 彼女から離れなさい!」
「あァ?」
激昂したオスカーが鋭い突きを叩き込んだが、ラヴァは軽く身体を捻って回避し、そのまま裏拳を放つ。ラヴァからすれば軽めの一撃に過ぎなかったが、それはオスカーの右脇腹へと突き刺さり、大きく跳ね飛ばした。
つまらなそうにするラヴァに、今度は複数の影が迫る。
それはノスフェラトゥがクリフォト術式で召喚した無首黒騎士であった。ノスフェラトゥとの攻防の間、オスカーは骸骨戦士を先に仕留めていたのである。その結果、無首黒騎士は次なる敵としてラヴァを狙い始めたのだ。
「雑魚が」
だがラヴァは尾骨を強く振るって無首黒騎士の一体を両断し、その他は骨腕で握り潰したり骨射撃で吹き飛ばし処理してしまう。
彼の言った通り、雑魚でしかない。
そしてノスフェラトゥもオスカーも行動不能にまで追い込まれている。
(ここまでだな)
煉獄に身を隠していたシュウはここで姿を現す。
折角眷属にしたノスフェラトゥを見捨てる選択肢はなかったからだ。
冥王の保有する莫大な魔力を肌で感じ取ったのか、ラヴァは大きく跳び下がる。そしてシュウと対面し、全力全開の骸殻を発動した。