519話 煌天城争奪戦③
ラ・ピテル王家は初代王セシリア・ラ・ピテルから始まった。
当然だが子孫を残せば王の血を継ぐ人数も増えていく。そこで正統後継の血族をセシリアス家として、それ以外を分家とすることにした。
それら分家には特定の役目が与えられている。
予言の管理だ。
初代王セシリア・ラ・ピテルが残した予言は勿論だが、それ以外にも歴代王の予言を管理するのも分家の役目である。たとえば最も重要な予言の一つである王呈血統書は、ラ・ピテル王家の終焉まで全ての王位継承者が記されている。その予言はスウィフト家が管理しているため、王位を継ぐセシリアス家であっても閲覧することはできない。予言の通りの王が続いているか監視する役目があるのだ。
「……クライン家が役目を終えたようです」
「アラフ陛下?」
「禁忌技術の管理者としての役目を終えました。お蔭で運命が次に進みます」
クライン家は予言により指定された禁忌技術を管理し、予言の成就する日まで秘匿する役目があった。その最大の役目がこの日、この瞬間に果たされたのである。アラフの眼にはそれが映っていた。
「次はあなたの番です。ケシス・イミテリア・ラ・ピテル」
また魔力を吸収するアロマの魔装が消失したことで、中枢区域による魔力流出が止まった。これによって黄金要塞の発進シーケンスが再開される。
「魔力充填を再開しました。機関始動まで間もなくです」
「ありがとうございます。これで私も王としての役目を果たせそうですね」
「役目、ですか」
「地上へ降り立ち、黄金要塞を封印する役目です。設定完了すれば、私たちも脱出の用意をしましょう」
「はっ!」
「とはいえ、ここからが本番なのですが……」
最後の独り言は誰にも聞こえず、皆準備を始める。
アラフはあるディスプレイの方へと目を向けた。先程までは大量の樹木が茂っていたが、今は何もかもが消失している。一時的に映像が途切れたものの、今はノスフェラトゥもその画面に映っていた。
「クライン家のお蔭で蛮族の数は減りました。そして私たちやイミテリア家が戦力を喪失することなくここまでくることができました。あとは……」
同じ画面には倒れ伏す蛮族の長ラヴァの姿。
皮膚は剥がれ、肉は削げ落ち、血を流している。重症どころか死んでいるのではないかと思ってしまうほどだ。そのためか、他の者たちも既に気にしていなかった。アラフだけは、その予言の眼により何が起こるか見えていた。
「ここからです。まだ終わっていませんよ」
◆◆◆
致命傷で倒れるラヴァを前にしてもノスフェラトゥは決して油断していなかった。それは目が見えないからこそである。まだ生きている、ということを感じ取っていた。
こうしている間にもノスフェラトゥは吸血衝動に蝕まれるため、精霊秘術《聖印》を自身にかけて封印する。吸血種の力も抑制されるが、衝動で理性が飛ばされることもなくなった。
「ク、ハ……クハッ」
僅かにラヴァの指が動いた。
そして次の瞬間、傷は瞬く間に再生する。元から常人を超えた肉体を持っており、更には魔装の覚醒で魔力も自動回復するのだ。そのお蔭で自己治癒能力ですら、再生に匹敵する効果となっていた。
これこそが太陽型ステージシフトの凄まじいところである。
覚醒魔装もまた人類種の進化であることを鑑みれば、ラヴァという男は二重に進化した存在だ。通常であればシュウが冥王アークライトとして出て始末する案件である。
「俺様をこれほど追い詰めてくれるとはなァァ! 暴転器ァ、まだいけるかァ?」
『……ッ。ギ、ガ……ガガッ』
「イカレやがったか。まぁ能力が残っているならいいぜ」
完全に再生したラヴァは立ち上がり、再び骸殻を発動する。骨の鎧によって肉体が守られ、肩甲骨の両側からは骨の腕が二本ずつ出現する。また額からは天を突くような鋭い角が二本生えていた。阿修羅の鬼神のとなったラヴァの額には眼のような模様が浮き上がっており、ますます不気味である。
太陽型ステージシフトの肉体、覚醒魔装、更には迷宮神器との同化によって発現した第三の眼。ラヴァはもはや人ではなく、化け物へと片足を踏み入れている。
「ウェルス」
「ギャウッ!」
ノスフェラトゥは赤竜ウェルスを手放す。ウェルスは小さく鳴いて飛びあがり、毒霧の吐息を吐き出した。魔力を阻害し細胞を破壊する瘴血の毒霧だ。
だがラヴァはそんなもの関係ないとばかりに正面から突撃し、まずは骨の腕でノスフェラトゥを叩き潰そうとする。ノスフェラトゥは霧化して回避し、結晶化した瘴血の槍を放った。しかし血の槍は骸殻に阻まれてラヴァまで届かない。
暴転器による骨の射撃、毒霧の散布、骨の大剣による薙ぎ払い、血の結晶槍の雨、硬化した拳骨による打撃、血の蝙蝠による吸血。ノスフェラトゥとラヴァは拮抗した戦いを演じる。
(強い、ですね)
魔族の王バラギウムとの戦いでは瘴血の霧により敵を弱体化させることもできていた。だがラヴァはそもそもの肉体能力が強すぎる。毒による細胞破壊は全く効いておらず、魔力阻害もそれ以上に濃い魔力で抑え込まれてしまう。血の結晶槍も骸殻で阻まれ、吸血しようにも露出部が少な過ぎた。
赤竜ウェルスも協力してくれているが、まだ小さいのでサポートにもなっていない。ノスフェラトゥは霧化の能力もあってダメージこそ受けていなかったが、魔力消耗は無視できない状況だった。
(でしたら……)
ノスフェラトゥの力は始祖吸血種の能力だけではない。
女神セフィラと繋がり、精霊秘術を扱うこともできる。そしてノスフェラトゥは《聖印》を施すためにセフィロト術式も操れるが、得意とするのは地獄と接続するクリフォト術式の方だった。
「ウェルス、霧を」
「グアァ!」
呼びかけに応えてウェルスは勢いよく赤い霧を吐いた。毒そのものはラヴァに対して効果を及ぼさないが、それでも視界を塞ぐ効果はある。また毒霧は血であるため、嗅覚を潰すのにも役立っていた。更にノスフェラトゥは血の眷属として蝙蝠を生み出し、羽ばたく音でラヴァの聴覚をも誤魔化す。
ここまでして術式を発動する余裕ができた。
「クリフォトに接続……《召屍》」
地獄に封じられた不死属の魂を呼び出し、この世に具現化する魔術である。プラハ帝国の黒魔術師団が好んで扱う術式で、大抵の場合は低位級の不死属系魔物が呼び出されるのみだ。しかしノスフェラトゥほどの魔力であれば、更に凶悪な魔物すら呼び出せる。
災禍級魔物、骸狩死鎌。
『骨喰』という魔導により他者の骨を取り込み、強大化していく魔物だ。ラヴァを相手にするためこれ以上の魔物はいない。まず骸狩死鎌は砕かれて散らばったラヴァの骨を吸収し、自己強化する。
またノスフェラトゥは骸狩死鎌に魔力阻害が及ばぬよう、霧を自身の身体に戻した。
「クハハハハハハ! 次は怪物か!」
骸狩死鎌はラヴァに向かって鎌のような腕を振り下ろす。だがラヴァも骨の腕を使って攻撃を受け止めてしまう。硬度はラヴァの骨が優れているためか、寧ろ骸狩死鎌の骨鎌に亀裂が走っていた。
更には暴転器の能力で骨を射出し、骸狩死鎌の頭部を半分吹き飛ばしてしまう。
ラヴァからすれば災禍級の魔物ですら敵ではない。それを察したノスフェラトゥは更にクリフォト術式を追加した。
「《呪装》、《呪爆》」
地獄から呼び出した不死属に黒炎と瘴気の呪いを付与する術式である。特に黒炎は魔法の一種であるため非常に強力だ。
瀕死になってしまった骸狩死鎌は黒炎と瘴気を纏い、更に砕けた骨を再吸収することで復活する。魔力は消耗してしまっていたが、まだまだ骸狩死鎌には余力があった。
更にノスフェラトゥはクリフォト術式《獄葬火》を発動した。これは地獄を封じる獄炎魔法の一部を召喚する術式で、同系統《獄滅》の上位互換となる。
「これで……」
「黒い火だとォ!? 面白れェ!」
火球として放たれた《獄葬火》をラヴァは骨の腕で受け止めようとする。巨大なので二つの骨腕を使って防いだが、黒い炎は掻き消えることなく纏わりついた。不滅属性を有する獄炎は万物を燃やし尽くしても止まらない。
骨腕に燃え移った黒い炎に驚くラヴァだが、すぐにそれを危険なものと判断して切り離した。お蔭でラヴァの身体にまでは燃え広がらずに済む。だがそこで骸狩死鎌が覆いかぶさるようにして骨鎌を振り下ろしてきた。
先程と異なり黒炎と瘴気の呪いに守られているため、ラヴァも反射的に迎撃ではなく回避を選ぶ。その判断は正しく、骨鎌で斬り裂かれた床には黒い炎が燃え移り、金属にもかかわらず激しく燃えている。また切り離した骨腕に燃え移っていた黒炎もまだ燃え続けており、危険域は広がっていた。
(とはいえ、ノスフェラトゥも押しているとは言い難いか。かなり魔力を使ったな)
シュウはこれまでの戦いを見て、不利なのはやはりノスフェラトゥだと感じた。クリフォト術式を使い始めてからは攻勢に回っているものの、吸血による魔力補充ができない以上、ノスフェラトゥは弱っていく一方である。
赫魔細胞の性質上、減った魔力は細胞を急速自壊させて補充してしまう。
魔力を使い続ければノスフェラトゥが自滅してしまう恐れもあった。実際、このペースで魔力を使い続ければ頑丈なラヴァを削り切る前にノスフェラトゥが倒れてしまうに違いない。
逆にラヴァはますます戦意を高め、敵たるノスフェラトゥを屠るべく気力を充実させている。自分を愉しませてくれる敵として認め、決して逃さぬとばかりに獰猛な笑みすら浮かべていた。
「クハハ。ギャハハハハハハハハッ!」
もはや理性ある言葉など不要。
全身を覆う骸殻は刺々しく、禍々しく変貌していく。肉を突き破って骨が体表に現れる。それはただの装飾ではなく弾丸の装填であった。
ラヴァは暴転器の能力で全方位に加速放出する。それは本能的な攻撃だった。全方位に放射される骨の弾丸は壁も床も吹き飛ばし、物質を燃やし続けていた黒炎ごと遠ざける。ノスフェラトゥは瞬時に身体を貫かれ、反射的に霧化することでどうにか回避したほどだ。
だがウェルスや骸狩死鎌は一瞬で砕け散り、その魂は地獄に返ろうとした。その寸前でノスフェラトゥは一部を実体化させ、ウェルスの魂だけを掴む。
(これは、危――)
息を吐く間もない激しい全体攻撃だ。ほんの僅かな間だけの実体化にもかかわらず、その部分を骨で破壊されてしまう。慌ててウェルスの魂を取り込んだが、一瞬でも霧化を解除すればダメージ必至の危険さだ。
シュウとて同じ空間にいるのでその脅威に晒され、凍獄術式で物質ごと消し去らなければならないほどだった。
「ノスフェラトゥには荷が重かったか……?」
ラヴァの魔力は無限にも等しい。
覚醒魔装の副作用による魔力受信と、暴転器との同化による第三の眼があるからだ。本来ならば過剰魔力汚染で死滅する肉体も、太陽型ステージシフトのお蔭で問題にならない。
つまりラヴァが止める気を起こさない限り、骨の射撃による全方位攻撃はいつまでも続くのだ。
「これは仕方な―――いや?」
諦めてシュウが始末を付けようかと考えたその時、不意にラヴァの攻撃が止まる。それどころか彼は胸を抑えて苦しみ始めたのだ。
それもこれまで聞いたことがないような苦痛に悶える激しい嗚咽である。
骸殻すらも崩れ去り、彼の強靭な肉体が露わとなった。
ノスフェラトゥも困惑した様子で実体化し、シュウに問いかけた。
「何があったのでしょうか」
「胸を抑えている。あの胸にある黒い痣……といってもお前には見えないか。黒い痣が原因だろうな」
「……魔力が集まっています。アラフ様の身体にも見える症状です」
「黎腫に近い魔力汚染だな。急激に汚染が始まっている」
見た目上でもラヴァの胸元から黒い模様が広がりつつある。また魂を見通すシュウの眼で見た時、汚染魔力が少しずつ魂に近付いているのが確認できた。
「少しずつ肉体が魔力に置き換わっている。なまじ頑丈な肉体だから今まで抑え込めていたのか」
今は肉体で食い止めているが、それが魂にまで到達すれば本格的に黎腫が発症する。果たしてステージシフトの魂にどれほど影響があるのか分からないが、現状で苦しんでいるので効果はあると思われる。
(なぜあんなものがラヴァの胸にあるのか……だがチャンスだな)
好機ということはノスフェラトゥにも理解できたのだろう。瞬時に霧化し、苦しむラヴァの背後に立った。そして右手に血を纏わせ、指先を鋭くして首元に突き刺す。
骸殻も解けて無防備となった首を斬り裂くのに問題はなく、血が噴き出た。ラヴァの血はすぐに霧のようになり、ノスフェラトゥが手元に吸い寄せて取り込んでいく。この吸血によってノスフェラトゥは細胞を取り込み、かなり回復することができた。それどころか吸血を続け、ラヴァを失血死させようとする。
「邪魔だァ!」
ラヴァは身体から骨の棘を生やした。出の早い不意打ちであったため、ノスフェラトゥも回避できず貫かれる。ただいつも通り霧化することで逃れ、シュウの側で実体化した。
「回復したか」
「はい。ですがあちらも」
「そのようだな」
首元の傷は瞬時に塞がり、再び骸殻によって覆われていく。黒い炎に囲まれ、幽鬼のように立ち上がるその姿は不気味の一言。放たれる魔力の圧は先程よりも大きい。
今度は顔も鬼面に覆われ、一分の隙もない。
怒り狂っているのは明白だった。
「時間切れか。地獄の炎も戻っていくな」
クリフォト術式《獄葬火》は不死属を封じた地獄から、炎を呼び出す。獄王ベルオルグの獄炎魔法の残滓だ。安全のため、ある程度の時間経過で戻るよう設定されている。
これで何度目かも分からない振出だ。
お互いに強すぎる再生能力を持っているからこそ、中々進展がない。
だが明らかに違っている部分がある。
「気を付けろ。これまでは奴にとって遊びだった。ここから本気で、生き残るために戦ってくるぞ」
「はい。ウェルスを預かってください」
「ああ」
シュウは赤竜ウェルスに入っていた魂を受け取り、保護する。ウェルスを構成する血肉は滅びたが、魂さえ無事であれば再び再構築もできよう。
一安心となったノスフェラトゥは周囲に赤い霧を発生させつつ、前に進み出た。霧は集まって結晶となり、多数の血の槍へと形を変えていく。
だが、気付けば血の槍は砕け散っていた。
「ッ!」
「遅ェ」
無数の刺々しい骨で覆われた左腕がノスフェラトゥに叩きつけられる。だがノスフェラトゥの血の蝙蝠となって分裂し、少し離れた場所で元の姿に戻る。そして再び血を結晶化させ、槍を形成した。しかし形成とほぼ同時にやはり砕け散り、ラヴァもノスフェラトゥの目の前に移動する。
明らかに先ほどより反応も動きも速い。
ノスフェラトゥは霧化や蝙蝠分裂を繰り返して回避を続けるも、反撃の糸口を掴めずにいた。精霊秘術を使うにも発動するための隙を作れない。結晶槍も形成した途端に骨の射撃で破壊されるので意味をなさなかった。
「オオオオオオオオオッ!」
吼えるラヴァは一回り身体が大きくなった気がした。
骸殻はますます禍々しい装いとなり、獣のように四足で構える。肩甲骨から生える四つの骨腕には鋭く研がれた骨の刃があり、背骨から連なって尾のようなものもある。
瘴血の毒が効かない以上、ノスフェラトゥにはますます決め手が無くなってしまった。
(どうしましょうか。先の吸血で余力はありますが、これでは……)
ノスフェラトゥはできる限り距離を取り、《無限光》で抉り取った広い空間を活かして戦う。ほんの一瞬でも動きを止めれば骨の射撃に貫かれ、ラヴァに喰らいつかれる。彼女は強いが格上と戦う経験がほぼない。そもそも戦いの経験自体が少ない。
(あれは先程苦しんでいましたから、それをもう一度……ッ!)
目の前に骨が突き刺さり、壁を爆散させた。
ゆっくり考え事をする暇もない。霧化して粉塵に紛れ、高い位置で実体化する。途端に太い骨が飛んできてノスフェラトゥは右半身を吹き飛ばされた。
(直撃……)
今のは霧化が間に合わなかった。
少し遅れて全身を霧化して再度実体化し、削れた肉体ごと再構築する。しかしその隙をラヴァに突かれた。自身が大きな影で覆われたと思った時にはもう遅い。見上げれば骨腕の刃が振り下ろされ、直撃する寸前だった。
(間に合わない。当た――)
次の思考よりも早く攻撃は当たる。
ノスフェラトゥは大きなダメージを覚悟した。
だがその寸前、ラヴァは横からの大きな一撃で吹き飛ばされていく。骨の刃は逸れてノスフェラトゥのすぐ左を通り過ぎ、床に大きな亀裂を刻み付けた。
「囲め! 少女を援護するのだ!」
どこか懐かしい、久しぶりに聞く言語。
それはノスフェラトゥが初めから扱えたシュリット神聖王国の言葉であった。巨大な骨の獣となったラヴァを囲むようにして武装した人間が現れ、炎魔術による攻撃を加えていく。
その中で双刃の槍を手にした青年が声高く叫んだ。
「覚悟せよ。これ以上の蛮行、このオスカー・アルテミアが見逃さぬぞ」
ここに最後の勢力、イミテリア家の勢力が到着した。