516話 王族たちの帰還
天鳴戦争。
後にそう呼ばれる伝説における最大の戦いは内側から始まった。一見すると静かな黄金要塞、現代では煌天城と呼ばれるその中で大量の植物が繁殖し始めていたのだ。
「あ? なんだこれ?」
人肉で宴会を開いていた蛮族たちは、部屋の壁や天井を這う蔦や木の根を不審に思う。しかしそれが何を意味するのか理解できる者はいなかった。
彼らがそれを理解したのは、雰囲気に酔った一人が遊びのつもりで木の根を引っ張ろうとしたその時である。根はあっという間に彼へと絡みつき、魔力を奪い始めたのだ。それどころか皮膚を突き破って肉へ食い込み、血をも吸収し始めたのである。
何かがおかしいと気付いた時にはもう遅い。
男はミイラへとなり果て、壁を這う植物の一部として取り込まれてしまった。
「馬鹿野郎! 敵だ! 魔物かもしれねぇ!」
そんな事件が要塞内の各所で起こる。
これが最初の犠牲者であった。
◆◆◆
ほぼ同時刻、要塞の上部へと近づく一隻の飛空艇があった。
そこに乗るのはアラフ・セシリアス・ラ・ピテルを始めとしたセシリアス王家の私兵。そして彼女が味方に引き入れた始祖吸血種ノスフェラトゥと冥王アークライトであった。まさしく一国を転覆させることも可能な大戦力ではあるが、人数としては最小の勢力であった。
「接舷完了しました」
「ありがとうございます。では私たちは行きましょう」
アラフは操縦士に礼を言って行動を開始する。
護衛たちはアーマーと銃で身を固め、いざとなれば自分たちが犠牲になってでもアラフを守る覚悟だ。一団の後ろにノスフェラトゥとシュウも付き添い、彼らは黄金要塞上部の発着場へと乗り込む。
このあたりは隔壁により閉ざされ、蛮族たちも上がってこれないエリアだ。まだ安全が確保されていた。
「では陛下のご計画通り、これより管制室を目指します。問題はないのですね?」
「それで問題ありません。よろしくお願いします」
それはアラフの未来視を期待しての問いかけであり、問題ないという返しを彼らは信じた。
これとは別に、ノスフェラトゥに対してもアラフは声をかける。
「この戦いで力を抑制してはいけません。全てを解放することこそ、勝利の鍵です」
「はい」
「おそらく今の私の言葉ではまだ理解できないでしょう。ですが敵を目の当たりにした時、あなたは戦いの中に無力さという感情を覚えるはずです。それは力の呼び水。それを覚えておいてください」
更にアラフはシュウにも目を向ける。
だが何かを語ることはなく、ただ目配せをしただけであった。
(なんだ……?)
流石にシュウも真意まで見通せるわけではない。
また魂が淀んだ魔力に侵されているので感情も読み辛く、本心を量るのは難しい。どこか釈然としないまま、彼らに付いていくことにした。
◆◆◆
アラフたちセシリアス家が黄金要塞に入ってから間もなく、ヴェリト王国から飛んできたイミテリア家の船団も到着した。彼らも同じように要塞上部の発着場へと降り立ち、そこで気付く。自分たちのものではない船があることを。
また飛空艇には番号が振られているので、それがどのような船なのかを知るのは容易いことだった。
「……またですかアラフ」
船を目の当たりにしたケシス・イミテリア・ラ・ピテルは怒りに震える。
真っ先に逃げたはずのアラフが自分よりも早くここに戻っていたのだ。これほど屈辱的なことはない。わざとではないかと思うほどケシスの怒りを煽る行動であった。
「ケシス陛下は何か見えたのですか?」
「《予見》が変わりました。戦いにアラフが混じります」
「はぁ……アラフ陛、いえアラフ様がですか?」
「あの女も管制室を目指しています。それと要塞に残っていたクライン家も。我々を含めどこが先に管制室に到着するのかまでは見えませんが」
分かりやすく忌々しそうな表情を浮かべていたが、ケシスはすぐに取り繕った。天空人の言葉を使っていても、そんな顔をしていては聖石寮やヴェリト王国軍にも余計な心配をさせてしまう。
未来の分岐が激しいためケシスの祝福《予見》では戦いの結末まで正確に見通すことはできなくなってしまった。しかしそれはセシリアス家、クライン家、イミテリア家のどれもが同程度の戦力を保有しているということに他ならない。
「急がなくてはいけませんね」
人数が人数だけに、発着場で隊列を整えるだけでも余計な時間を必要とした。自分たちが出遅れていることを察し、急かすためにもケシスはオスカーへ声をかける。
「オスカー殿。少し、いい、ですか?」
「何でございましょうか」
「急ぐ、必要が、ありそう、です」
「もしや《予見》が? 急ぐということであれば多くは聞きますまい。どちらにせよ、天の人々を蛮族から救うためには急ぐ必要があるのです。異存ありません」
「頼み、ます」
「お知らせくださりありがとうございます。私の同輩たる九聖第六席ランダーにもお伝えいたします。私は彼と部隊を分ける予定ですので」
もうすぐ聖石寮の術師は動ける。
元から九聖のオスカーとランダーの他、十数名しかいなかったのだ。寧ろ数の多いヴェリト兵を待っているだけだった。だが急ぐ必要があるとなれば先に行動するべきだろう。元から聖石寮とヴェリト兵は別組織なので連携など叶うはずもない。別行動した方が機能的である。
またケシス自身も自分たちの中で最も強いオスカーについていく予定であった。そこでヴェリト兵の案内役として付けるはずだった私兵の一人に耳打ちした。
「コイエス殿にも急ぐよう伝えておいてください。私は予定通りオスカー殿と共に管制室を目指します。ランダー殿の隊はもしもに備えて退路を確保してくださいますから、コイエス殿が率いるヴェリト兵には……」
「分かっております。民の安全確保を優先させます。彼らは野心的ですから、あまり中枢に近づけたくありません」
「理解しているならばいいのです」
人数としては大きな勢力を持っているにもかかわらず、イミテリア家の勢力はまとまり切れていなかった。これは明確な弱点になると理解していても、それ以上に早く黄金要塞を取り戻したいのだ。
この判断は後に大きな間違いを招くのだが、残念ながらケシスの《予見》には見えていなかった。いや、可能性としては浮上していたが、目を逸らしていた。
◆◆◆
黄金要塞の王座は管制室からもほど近い場所にある。
そもそも重要設備は大体が要塞の奥に集中しており、多少外装部が破壊されても内部まで被害が出ないように設計されているのだ。
しかしだからこそ、一度侵入されると一気に制圧されてしまう。
今回のラヴァ族による侵入により黄金要塞はあらゆる重要設備が抑えられた状態になってしまった。ラヴァ本人は自分たちが見たこともない豪華で丁寧な造りの玉座に満足し、管制室に至っては蛮族たちのお気に入り拠点になってしまっている。
「ラヴァ様! やべぇのがいる!」
「うるせぇなぁ」
「起こしちまって悪ぃ! でもやべぇんだ!」
下品に大あくびするラヴァは、不機嫌そうに眉を顰めながらも起き上がる。そして首や肩を回し、凝り固まった体をほぐし始めた。
それから側に置いたままにしていた水を飲み、肉を齧る。
自分勝手。
傲岸不遜。
傍若無人。
あるいは天上天下唯我独尊。
それが自分を最強で唯一と信じてやまないラヴァの生き方だった。限りない自分中心という天動説な男であるため、逆にどのような状況でも心を揺らすことがない。
「で? 俺様が出るしかねぇのか? お前の兄貴たちは?」
「すんません。それがヤベェのが色々なところに出たせいで、木の化け物を押し返せなくて……」
「木の化け物だァ? 魔物か?」
「へい! ゴボの兄貴が魔物に違いないって言ってやした!」
ラヴァは舌なめずりする。
ここ最近は食って寝ての繰り返しであり、自分の有り余る力を使う瞬間がなかった。それは暴力を生き甲斐とする彼にとって窮屈なことで、暇すぎるあまり有望な彼の子供を甚振り殺すことで心を慰めていたほどだった。
この男にとって自分の血縁すら路傍の石ほどの心を向けていない。女を見つけては適当に孕ませ、優秀な子供を産ませる。そして生まれた息子は確定でラヴァの魔装の一部を受け継いでいるため、鍛えて自分が楽しめる程度にしようとするのだ。
ちなみに娘が生まれた場合は育つのを待って孕ませ、より強い子供を産ませようとする。
「いいじゃねぇか。久しぶりに楽しませてくれるかもしれねぇ……」
「こっちだ! 来てくれ!」
「あぁ、早くしろォ!」
それほどまでに満たされていなかった。
極限まで飢えていた。
彼は――究極の捕食者であった。
◆◆◆
黄金要塞に留まり戦い続けていたクライン家一派。
彼らは自分たちの魔力を使って倉庫の物資生成機能を起動し、ここまでどうにか戦ってきた。だが黎腫で弱っている天空人がまともに戦う術など持たない。罠を仕掛け、分断し、囲んで、近代兵器を使うことでようやく渡り合えた。
ラヴァ族が骨を操り鎧などを自己生成する能力を持っていたことで、天空人が主力とする銃火器の効力が落ちていたことも苦戦の原因であったが。
「我々は長らく魔装という力を失っていた。私たちの祖先……すなわちグリニア人は魔装を神聖なものと考え、寧ろ魔術には重きを置いていなかった。しかし魔力についての研究が進むにつれて、魔装よりも魔術の方が使い勝手の良い技術となってしまった」
付き人に支えられながら、テドラ・クライン・ラ・ピテルは語る。彼らの一団は蔦や木の根によって覆い尽くされ、安全となった通路を進み続けている。
周囲に注意を払っているが、何より息を荒くしつつも言葉を語るテドラへと耳を傾けていた。
少々ずれ落ちてしまった眼鏡を戻しつつ、彼は続ける。
「黄金要塞はその集大成ともいえるであろう。多くの知識と技術が失われはしたが、本来の黄金要塞は世界を滅ぼせるほどの兵器であったという。初代王はその力の一端を使い、実際に一国を滅ぼした。覚醒魔装という魔装使いの頂点すらも超えた瞬間であったのだ」
テドラは激しく咳をした。
明らかに体が弱っており、全身から玉のような汗が雫となって床に落ちている。
「これはその代償なのだろう。人々は魔術に頼り切った結果、しかもソーサラーデバイスに頼り切った結果、魔力に対する耐性を著しく低下させてしまった。保有魔力は低下し、弱い魔装ですら生まれ持つ者は少なくなった」
「テドラ様、もう……」
「問題ない。私はまだ倒れぬ。倒れるわけにはいかぬのだ。私が今倒れれば《尸魂葬生》を維持できなくなる。私たちは伝説に残る偉人アロマ・フィデアに頼る他ないのだ」
クライン家が希望とした切り札とは、魂の第九階梯《尸魂葬生》により『樹海』の聖騎士アロマ・フィデアを蘇らせることであった。正確には彼女を模した人形を生み出す魔術であるため、本来の聖騎士アロマと比べれば弱体化している。
それでも《尸魂葬生》を維持し続けるには膨大過ぎる魔力が必要であった。天空人一人では到底賄いきれないほどの。
「私が始めたことだ。今、術式を止めるわけにはいかん。中断してしまっては再びアロマ・フィデアを復活させることができんのだ」
《尸魂葬生》の発動には生贄と、復活させたい者の遺伝子が必要となる。残念ながら二度目を発動するための贄も遺伝子も魔力もないのだ。
荒く息をするテドラは何かに気付いた様子を見せた。
そして静かに口を開く。
「奴だ。奴を見つけた」
一体何を見つけたのか。
この場でそれを理解できない者はいなかった。
◆◆◆
「ほォ。好みじゃねぇがイイ女だ」
「……」
破壊の跡が目立つ通路でその二人は邂逅した。
黄金要塞はラヴァ族に侵入された際、管制室付近を最後の砦として抗戦を行った。そのため付近の通路や部屋は破壊し尽くされ、幾つかの壁はぶち抜かれている。床には破片も散らばっているので、裸足で移動するのは危険なほどだ。
しかしラヴァはまるで恐れず、素足のままであった。当然のように怪我の一つもないのだが。
「俺様の子たちをぶち殺せる強さなら、いい胎になるなァ」
ラヴァは舌なめずりする。
はっきり言って無表情で媚びない女は好みではない。だがそれを差し引いても目の前の女から感じる力の大きさは魅力的だった。
頭部に特徴的な花飾りを付けた女、アロマ・フィデア。
彼女は植物を部屋全体に侵食させてラヴァを取り囲んだ。不意に植物の根が襲いかかり、ラヴァの全身を絡めとる。
「ウォラァアアッ!」
獣のように叫んだラヴァは力づくでそれらを引き千切り、更には全身から骨の刃を出した。頑丈な木の根を肉体能力のみで引き千切る剛力と、自身の骨を武具のように操る特異な魔装。
それは終焉戦争時代で神聖グリニアの切り札であったアロマ・フィデアと渡り合うほどである。結局は個の力でしかないラヴァの能力は相性不利であるものの、アロマとて本来の力ではない。
魔力を吸収する植物が無尽蔵に襲ってきたとしても、覚醒魔装士となっているラヴァは力づくで正面から叩き伏せる。鋭く研がれた木の根が突き刺さろうとしても、ラヴァは骨の鎧で防いでしまう。
「イイぞ! 俺様を愉しませてくれるゥ! 貴様はイイ!」
興奮するラヴァは本性を解き放つ。
全身から飛び出た骨の刃は全身鎧へと変貌し、その額からは鬼のような角が生える。また肩甲骨のあたりから巨大な骨の腕が生じ、まるで阿修羅の如き異様となった。
「俺に全てを明け渡せ! 暴転器ァ!」
『もう出番ですか』
口うるさい『声』など無視してラヴァは迷宮神器との同化も開始する。首飾りの神器・暴転器はラヴァの肉体と融合し、その影響で額に第三の眼が開く。
根源量子を魔力に変換して受信する新たな器官だ。
覚醒魔装士の能力と、第三の眼の同時発動によってラヴァは、無尽蔵となった魔力を行使する。
その両腕、肩から伸びる四つの骨の腕を前に突き出した。
「手足の一本くらい、無くなってもいいよなァ!?」
暴転器の加速能力により鋭い骨が発射される。
散弾銃のように放たれたそれらの骨は、編み込まれた樹海防壁を突き破り、アロマの右腕と左足を吹き飛ばした。