514話 スウィフト家の屈辱
時間の経過は矢の如く。
戦いの火種を抱えつつも、大きな争いを迎えることなく時は過ぎていた。黄金要塞が落ちて間もなく百五十日が経過しようとしていたその日、ノスフェラトゥはただ一人でサンドラへと訪れていた。
始祖吸血種という重要人物であるためか、どのような時間帯であっても火主に謁見を求めることができる。とはいえ常識を有する彼女は、約束を取り付けた上での謁見を望んでいた。
「久しいではないかノスフェラトゥ。我に言うべきことがあるそうだな」
手元には二つの迷宮神器、無限炉と星環を携えている。また彼自身も吸血種化したことにより頑丈な肉体と細胞崩壊により生成される膨大な魔力を保有している。
仮に戦いに発展したとして、始祖たるノスフェラトゥとも戦えるような装備であった。
それすなわち火主ヘルダルフは彼女との決別すらも想定しているということであったが。
「この国から私は出ます」
「……何?」
「私はこの国で充分な血を残しました。ここですべきことはありません」
火主以外の皆が騒ぎ始めた。
ここにいる者たちはほぼ全てが吸血種化している。つまりノスフェラトゥの血を分けた子供たちということになる。だが、彼らは自分たちの利益のために騒ぎ立てていた。
「吸血種化は始祖だけの力ですから、彼女を出すわけにはいかないのでは?」
「しかし始祖がいる限り、我ら吸血種は……」
「静かに。聞こえてしまうぞ」
今更誤魔化したところで、ノスフェラトゥの耳には入ってしまっている。それに決意の固いノスフェラトゥにどんな言葉を投げ込んだところで意味はない。
目を細めた火主は無限炉を掲げ、皆を黙らせた。
「いいだろう。だがサンドラを出るのは貴様だけだ。紅の兵団は置いていけ」
「問題ありません」
思いの他あっさりと火主はノスフェラトゥを手放す。
これはある種の予定調和であった。吸血種化によって始祖の血が入り、支配される側の存在になってしまった。これが火主には疎ましいのだ。
またノスフェラトゥ自身も納得している。
何故なら新しい目的を見つけたのだから。
「最後に一つ聞いておく」
背を向けたノスフェラトゥに対して火主は問いかけた。
「貴様は何者で、どこへ行き、何を為すのか」
「私はノスフェラトゥ。この名前以外は知りません。私は私自身を知るために、戦いへ赴きます」
「煌天城に向かうのか」
「はい。あの地で戦うことが私を知ることに繋がります」
レベリオで起こったことは、帰還したパンテオン人クラクティウスの口から聞いた。またレベリオ征伐に向かっていたノスフェラトゥからも同じように話を聞いた。
目を疑う戦いが起こり、仇敵であったレベリオが滅びたことも知った。
「ふん。不気味な奴め」
「他になければ私は行きます」
宮殿を去っていくノスフェラトゥの背を見送り、吸血種化した文官の一人が尋ねた。どこか恐れのようなものを含む口調で、機嫌を窺うように。
「我々も参戦し、煌天城を奪うべきではないでしょうか。パンテオン人が語ったことが事実であれば、大きな脅威になります」
「不要だ。我に無限炉と星環があればいつでも破壊できる。我にはその確信がある。煌天城のことは我が国に滞在している天空人に聞けばよいではないか。それよりもこの機を逃さず周辺蛮族や街の平定、滅びたパンテオン再興、そしてアリーナへの侵略支配を進めるのだ。そこに生きるあらゆる民族を我の下に置き、我を称えさせよ」
火主は粛々と命じた。
◆◆◆
「くそぉっ!」
グラベル・スウィフト・ラ・ピテルは荒れていた。
本来であれば遥かに劣る地上人を支配し、天空人による新たな支配を立ち上げているはずだった。それによって軍を作り、黄金要塞を取り戻すはずだったのだ。
「どうか落ち着いてくださいグラベル様。今はスウィフト家の御当主なのです」
「スウィフト家の当主? そんなもの、ここでは何の意味もない。私はただの捕虜に過ぎない。命の代価に知識を供給する装置に過ぎないのだ」
「それは……」
彼らスウィフト家が降り立ったのは都市国家サンドラであった。
本来ならば飛空艇十隻で国家を完全制圧し、支配者を塗り替えるはずだったのだ。だがそうはならなかった。脱出用とはいえ、飛空艇には小さな砲が搭載されている。それを使って威嚇射撃を行ったのだが、次の瞬間には四つの飛空艇が航行不能にさせられた。
地上から射出された赤色の槍が直撃し、それがペイントのようにオリハルコン装甲に付着したところまではまだ良かった。だが赤色の液体は装甲をあっという間に腐蝕させ、飛空艇を丸裸にしてしまったのである。
幸いにも空中で撃墜されることはなかったが、不時着を余儀なくされた。
そして航行不能にされた四隻の内、不幸にも一隻はグラベルが乗る船だったのである。
「あのバケモノどもめェ……」
彼がそう呼ぶ存在こそ、都市国家サンドラの支配者階級の存在である。すなわち、人外の力を持つ吸血種の存在であった。
グラベルたち天空人は地上に落ちてからも銃を使って激しい抵抗を試みたが、紅の兵団によって殲滅させられた。弾丸を打ち込んでも魔物のように自己再生し、どれだけ血を流しても立ち向かってくる。そんな存在に勝ち目などなかった。
だから今やグラベルを守ってくれる護衛は数少ない。
「しかしレベリオの言葉が分かる人物がいてくれたことは幸いでした。間を取り持ってくださったパンテオン人には頭が上がりませんな」
「だがそのお蔭で我々は持てる知識を与えるしかないのだ。魔術の知識、オリハルコンの加工法、銃の仕組みにソーサラーデバイスのことまでな」
「それは……」
「だが全てを引き渡すと思うなよバケモノども。我ら王家の秘密と黄金要塞の秘密だけは隠し通して見せるとも。我が命に代えてもラ・ピテルの秘密だけは!」
前当主エイルギーズを失ったことでスウィフト家は求心力を失っている。残念ながらグラベルは兄エイルギーズほど慕われてはいなかった。今はただ、その血筋ゆえに当主と認められているに過ぎない。
(哀れな方だ。あれほど兄に勝ちたいと望み、こうして当主になったというのに。所詮、この御方も我ら天空人が安寧を得るための贄に過ぎないのですから)
長きに渡るラ・ピテル王家の絶対統治、予言による正確な統治は天空人の国民性に一種の奴隷根性を植え付けた。すなわち、誰かに支配されることで安寧を得るというものだ。歯車として生きることを社会性としてきた。
故にグラベルも不安を抱える天空人たちに祀り上げられた仮初の王。
彼に最も近い人物はグラベルに対して憐れみをもって接する。
「……これからグラベル様にご無礼なことを言います。どうかお許しください」
「よい」
「感謝します。もはやグラベル様の代で我らが故郷に帰還することは叶わぬでしょう。だから託すのです。我々はこのサンドラで土台を作り、地位を得るのです。いつか黄金要塞に帰還するその時、充分な力があるようにと」
「馬鹿な! この私に屈辱を塗りたくったバケモノ共を許容せよというのか!? ラ・ピテル王家を愚弄した借りを返せぬなど……到底……ッ!」
「グラベル様、どうか」
「ぐぅぅ……分かっている。それが私にできる最善手であることは」
グラベルは立ち上がり、窓際に立つ。ここからは火主の宮殿が良く見えた。
ここは火主から与えられた小さな土地であり、天空人の知識が有用だからとパンテオン人の居住区からもほど近い。ここへきてしばらくということもあって、グラベルが住むのに相応しい程度の家を建てることには成功していた。
だが、かつての栄華に比べれば雲泥の差である。衣食住のレベルは悲しくなるほど低下し、自由に動くことも敵わない。常に吸血種が天空人を監視しているからだ。
「王呈血統書によればラ・ピテル王家はこれからも続いている。最も優れた予言者であった初代王の残した言葉に間違いはないだろう。必ず勝利する。それを信じ、この屈辱を耐えてみせよう。そして我が子孫に屈辱と怒りを必ず伝え残す。借りは必ず返すぞバケモノ共め!」
「……御立派でございます。ではこの国で有力な娘を見繕います。グラベル様のご子息のお相手と致しましょう。黎腫のこともあります。可能な限り外から血を取り入れるべきです」
「分かっておる。あの子には気の毒だがな」
黎腫は遺伝する。だから外から健康な血を取り込み、黎腫発症の確率を抑える必要があった。どちらにせよ、地上人との交わりも重要である。
だがこのような屈辱的な形になるとは夢にも思っていなかったが。
◆◆◆
ノスフェラトゥは国を出る前に酒場へ立ち寄っていた。
当然だが黒猫の酒場である。迷宮探索の利権を得た黒猫は、早速とばかりに表向きの探索ギルドを立ち上げた。この酒場はギルド拠点も兼ねているため、日中からすでに騒がしい。一方でノスフェラトゥが通されたのは奥の部屋で、そこに『黒猫』の人形が待っていた。
「やぁ、ようやく決心がついたのかな?」
「ハーケス様たちのことは心配しました。ですが問題ないでしょう。私が『死神』であるならば会うこともあります」
「そうだね。紅の兵団には『灰鼠』もいるわけだし。残念ながら『黒鉄』は吸血種化を拒んだみたいだけど」
半魔族との戦争は大きな傷跡を残したが、代わりにサンドラは大きな戦力を得た。それが吸血種化した元半魔族たちである。炉から紅の兵団へと名前を変えているが、メンバーは全く変わっていない。
だから『灰鼠』ことジョリーンも所属しているというわけだ。
しかしながら探索軍として活動していた『黒鉄』バラギスは吸血種化せず、新たに直轄軍団長の地位を与えられて人間の兵士をまとめる立場にある。そういう事情もあって吸血種化していなかった。
「大体の事情は僕も聞いているよ。天空人の王族に協力してラヴァを仕留めるんだってね」
「はい。アラフ様がまだ時ではないと止められていました。ですがようやく動くそうです。時期を合わせなければ目的を果たすことができないとか」
「ふぅん。それが予言ってやつなのかな」
「待つことによってラヴァにも勝てるそうです」
「相変わらず意味が分からないね」
ノスフェラトゥも無言で頷きつつ、膝の上で眠っているウェルスを撫でる。彼女が不要と判断した魔の血液より生み出された小竜ウェルスは、小さく欠伸していた。
「話は変わるけど、記憶の石の分析は進んだかな?」
「いえ。頑張ってはみたのですが、何も分かりません。予言ができるアラフ様にも聞いてみましたが、石を調べたところで意味はないと言われてしまいました」
「へぇ。でも捨てたりはしないんだね」
「はい。調べることに意味はないそうですが、所有していることに意味があると」
「君はそれで納得したの?」
「いいえ。私自身を知る鍵がこの石であるならば、調べ続けます。私が拾われたヴァルナヘルでの全てがここに入っているというのなら、きっと私を示すモノが存在するはずですから」
彼女の言葉に『黒猫』は感心した。
無機質で言われるがままだったノスフェラトゥが、明らかに自分の意思を持って行動しているからだ。まだ未熟な部分こそあれど、自立した精神を獲得しているのは間違いない。子供の成長を見ているようで『黒猫』も嬉しくなる。
「君の好きなように動くといいよ。お陰様でサンドラは安定しているからね。寧ろラヴァをどうにかしてくれるだけでも『死神』としての役割は果たしてくれている」
「はい」
「また別件だけど血は足りているのかい?」
「最近はアラフ様が血を分けてくださいますので」
「へぇ、ちなみに味は?」
「二種の甘味を感じます。シュウ様が下さった血も美味しいと感じましたが、アラフ様の血はまた別の美味しさです」
「興味深いね」
ある程度確認が終わったからだろう。
『黒猫』は雑談を始めた。血の味から始まり、最近できるようになった魔装の能力、精霊秘術のバリエーション、仲良くなった人間についてなど個人的な内容である。
(これはなかなか。今代の『死神』は可愛らしい)
二千年近くシュウ・アークライトが『死神』を務めていたので、『死神』といえばシュウというイメージで固定されてしまっている。つまるところ『黒猫』も新しい風を楽しんでいた。
和やかな時間は長いようであっという間だ。
不意に大きな魔力が部屋の中に現れた。ノスフェラトゥを迎えに来たシュウである。
「随分楽しそうだな」
「うん。まぁね。そっちの用事は終わったのかな?」
「ああ。アイリスから情報をもらってきた。ヴェリト王国だが意外と厄介かもしれん」
「例の祝福という奴かい?」
「迷宮神器と同じような匂いを感じる」
「ということはダンジョンコア関連で決定なんだね。前々から疑っていたけど」
「報告書は後で送る。戻るぞノスフェラトゥ」
シュウが呼びかけるとノスフェラトゥも返事をして立ち上がり、側に寄る。マザーデバイスの効果で魔術陣もなく転移魔術が発動した。
◆◆◆
アイリスはヴェリト王国に潜入して祝福という仕組みに対して探りを入れていた。侵略行為を続けてきたヴェリト人が大きな武力を持っており、異質な力を使うというのは周辺民族にとってよく知られた情報だった。しかしながらネットワークもなく物理的な情報伝達手段に頼り切った現状では詳細まで伝わってこない。
現地に潜入しての調査は重要であった。
「魔物を駆逐せよ! 我らを脅かす邪悪を打ち滅ぼすのだ!」
ヴェリト王国のとある街では、武装した人々が集まって怒号を上げていた。
彼らはこれから戦いに参じる。この街を目指して移動中の魔物を迎撃するためだ。その魔物も既に目に見える場所までやってきており、戦いは間もなく始まろうとしていた。
魔物の集団は混成。低位以下がほとんどであるが、その種類は多岐にわたる。鬼系、豚鬼系、牛鬼系の他、動物系や植物系の魔物も混じっている。
(数は百以上ですか。この時代の人にとっては荷が重いのですよ。それに……)
空から様子を見るアイリスには戦いの状況が良く見える。
魔物の群れの奥に潜む大きな魔力がよく感じられる。ソーサラーデバイスの観測魔術で光学映像を表示すると、悪魔系の魔物が見えた。高位悪魔というその名の通り高位級の魔物である。終焉戦争以前の評価方法ではあるが、高位級といえば街に大きな被害をもたらすほど強大な魔物とされていた。文明の発展に伴ってその脅威度は低下していったものの、文明の衰退した現代においては強大と言って差し支えない。
まかり間違っても青銅武器で倒せるような相手ではないのだ。
(高位悪魔を倒せるかどうかは、あの中に優秀な祝福持ちが何人いるかですね)
記録映像を撮りつつ、アイリスは観察を続けた。