502話 窮の一瞬
「なん、な……なんだとっ!?」
あまりの事態にバラギウムは理解が及ばなかった。凶悪な神器・星環は防御不可だ。当然だが撃ち落とすなども通じない。原理は分からなくとも、長く星環を使ってきたバラギウムは経験からそのことを知っていた。
だから暗黒点が切断されたことに、誰よりも驚き動揺していた。
「貴様か! 我を阻む者は! 何者か名乗れ!」
再生したバラギウムは即座に元凶たる剣士を睨みつけたが、剣士は無表情のまま黙って刃の角度を変えるのみ。そして次の瞬間には首が切られていた。
「は?」
バラギウム含め、皆が同じ反応を出す。
誰一人として剣士の攻撃を見切ることができなかった。気付けば剣士は刃を振り下ろしていたが、剣の間合いでもないし、いつ動いたのかもわからなかった。まるで時間が抜き取られたかのように、誰もその瞬間を意識することができない。
すぐに首を生やしたバラギウムは同化した星環の能力で時間を歪める。バラギウムの周囲で時の流れが遅くなり、停止にも近いレベルとなった。この状態で暗黒点を射出すれば、回避不能かつ防御不能の攻撃となる。
射出された暗黒点は剣士の頭部を吹き飛ばそうとしたが、それは再び切断された。二つ目、三つ目の暗黒点も剣士には届かず、四つ目がようやく腹を抉り、五つ目が左腕を消し飛ばし、六つ目で頭部を破壊する。
「何が起こったんだ……」
「大丈夫かバラギス!?」
「血は無理やり止めた。問題ない」
既に再生したハーケスに対し、バラギスは苦しそうだ。問題ないと言いつつも、重症であることには変わりない。暗黒点に腹を貫かれ、内臓ごと抉られた。水銀を使って流れ出る血は止めたが、正式な治療をしなければ死に至る。
しかし今の状況がそれを許してくれない。
「まだ死んでいなかったか。しかし貴様らは所詮半端者。頭を潰せば死ぬだろう?」
剣士を撃破したバラギウムは暗黒点を手元に生成し、狙いを定める。狙われたら回避も防御もできない究極の一撃だ。その一撃のためにハーケスとバラギスは腹に大穴を空けられ、ハーケスに至っては迷宮神器・瀑災渦も破壊された。
しかしここで再び助けが入る。
ノスフェラトゥが魔術を発動したのだ。
「《獄滅》」
それは『経路』が繋がったことで覚えた術式である。精霊王セフィラが生み出した、クリフォトの樹に魔力を捧げることで発動する地獄の魔術だった。数多の不死属を封じた地獄より獄炎を呼び出し、ぶつける。それが《獄滅》という魔術である。
生じた黒い炎は魔法から生じた一つの法則。不滅不変の性質を有する苦痛の炎だ。故に瘴血の霧と異なり、暗黒点に吸収されることがない。たとえ法則が破れるほどの重力であっても、地獄の炎を捕らえることはできない。
だからあらゆる攻撃を無効化できると慢心していたバラギウムの虚を突くことに成功した。
「ぐあああっ!? な、ん……馬鹿なァッ!?」
「血を、いただきます」
「ぐおおおおおおおおおおお!」
悶え苦しむバラギウムは暗黒点の制御を手放し、解除してしまう。その隙にノスフェラトゥは霧化して背後を取り、首筋に向かって牙を突き立てた。そして直接バラギウムの血を吸い取り始める。
始祖吸血種の有する本来の能力から言えば、わざわざ噛みつかなくとも血など奪える。瘴血の霧を使って血を奪うことも容易い。だが竜鱗という魔力を阻害する能力を有するバラギウムが相手では不足していた。だからこうして直接牙を突き立て、血を奪ったのである。
ノスフェラトゥは血と共に魔力も奪い取り、我がものとする。血によって取り込んだ人間部分を吸収し、魔物としての部分は排出した。竜系魔物の要素を含むため、血液は小さな竜の姿となって顕現する。強靭な鱗、鋭い牙、蝙蝠の翼が組み合わさった深紅の魔獣だ。
「貴様ッ! 我から離れろ!」
力を吸い取られていると気付いたバラギウムは勢い良く振り払うが、霧化したノスフェラトゥによって再び背後を取られる。彼女の手首から血で造られた触手のようなものが伸びて、次々とバラギウムの身体に突き刺さっていく。
纏わりつく瘴血の霧はバラギウムから魔力と血を奪い、代わりに毒を送り込む。着実に、迅速にバラギウムは弱らされていった。
「離れろと言っている痴れ者が!」
まだ星環の同化は解けていない。
強烈な重力が放たれ、周囲の時間が歪む。霧の拘束から脱したバラギウムは暗黒点を生み出す。しかしそれを射出するのではなく、魔力を注ぎ込んでさらに巨大化させた。霧という捕らえどころのないものを滅するために必要なのは面の制圧力だ。だから巨大な暗黒点によって丸ごと消滅させようとしたのである。
だが、暗黒点を操る両腕は突如として切り落とされた。それもバラギウム本人が全く気付かないほど容易く、鋭く、滑らかに。
「畳みかけるんだ! バラギウムに力を使わせるな! ハーケスも攻撃に参加しろ。僕が『黒鉄』を治しておく!」
「お前、『黒猫』……治癒の魔術を」
「いいから早く!」
「わ、分かった」
バラギウムの両腕を切り落としたのは、暗黒点で消し飛ばされたはずの剣士だった。鋭い剣がバラギウムを両断し、反撃の隙を作らせない。
その間に『黒猫』は光属性のアポプリス式魔術によってバラギスを治療する。第八階梯《常回復》であれば魔力によって体力までも回復させ、欠損部位も再生させることができる。致命傷だったバラギスはどうにか峠を越えた。
「『黒鉄』なら本来の力でないとはいえ、足止めも充分。今はとにかく攻撃を絶やさず、奴に神器を使わせないことが重要だ。同化さえ解けたら戦いやすくなる」
「ハイレ……あの剣士殿のことか。彼が死んだのを俺は見た」
「死んでいるよ。とっくの昔にね。あれは僕が生み出した人形だ。彼の生きた証を僕は覚えている。それを形にしただけだよ。君の大先輩。かつての『黒鉄』だった男さ」
同じ幹部の名を冠する者として、バラギスは大きく目を開く。『黒猫』の言葉通りであれば、『黒鉄』という剣士は本来の力でないという。それでもバラギスとの間には天と地ほどの差があるように思えた。
まるで継ぎ目の分からない動きと、冴えわたる剣技。
美しいとさえ思える斬撃を見たのはこれが初めてだった。
(あれが古代文明の人間だというのか。俺のように半魔族でもない。魔族でもない。ただの人間があれほどになるというのか)
だが驚嘆している暇はない。
回復したバラギスは水銀の槍を生み出し、連続して射出する。バラギウムは時間を歪めて攻撃から逃れ、再び距離を取って暗黒点を射出しようとした。
「その剣士は厄介だが間合いに入らなければ――」
などと口にした瞬間、バラギウムは首を切り落とされていた。
「バラギウム! お前だけは!」
「援護します」
指先に血を集めたハーケスがバラギウムの心臓を貫こうと試みる。首を落とされた程度では死なないバラギウムは抵抗のため竜鱗と水銀の力を発動させ、防御と反撃を行う。魔族は肉の身体を持つが、その本質は魔石にある。魔石の中に封じ込めた魂こそが魔族の本体だ。故に魔石が格納された心臓部だけは絶対に死守する。
ノスフェラトゥが瘴血の霧で魔力を阻害し、水銀による防壁の強度を弱める。
そこをハーケスの右手が貫き、竜鱗をも砕き、バラギウムの左胸を抉った。だが、骨を砕き、心の臓を破壊するには至らない。
首を再生させたバラギウムは時間を歪めて暗黒点を生成し、乱雑に解き放つ。狙いも定めず放たれた暗黒点は万物を貫いて魔力が切れるまで飛び続ける。至近距離で攻撃を受けたハーケスは全身を破壊され、地に堕ちていった。
どうにか吸血種の再生能力で致命傷を修復し、元の無傷の姿へと戻っていく。
(くっ……やっぱり防げないし避けられない。そろそろ血が……)
問題は血に飢え渇くこと。
事前に古代遺跡群のならず者たちから吸血し、充分に蓄えていた。しかしこの戦いの中で何度も致命傷から回復するほどの再生力を使ってしまった。しかも瀑災渦との同化によって命を削るほどに魔力を消耗した。
それを補うため赫魔細胞は自壊して魔力を生成した。
だから体の細胞が不足し、血を欲しているのである。この耐えがたい衝動は強くなり続けている状況だった。命の危機というそれ以上の本能が働いていたので誤魔化されていたが、もはや限界であった。
「ぅ、あ、ぁ……が……ッ!」
どうにか奥歯を噛みしめて耐えようとするが、そんなことで我慢できる安い衝動ではない。吸血種にとって吸血は三大欲求以上のものだ。無理に耐えようとすれば死ぬ。だから本能で抗えないのである。
「い、や……ッ! まだだ!」
だが、ハーケスは無視した。
それは苦しいと理解しつつも呼吸を止め続けるようなもの。
「あと、少しなんだ! 後少しで俺たちは解放される……ッ! 魔族の支配から解放されて自由になれるんだ!」
バラギウムは着実に追い詰められている。ハーケス、バラギス、ノスフェラトゥ、『黒猫』、そして人形の剣士の猛攻は確かに効いている。
だが逆に言えば一人でも欠ければ容易く均衡が崩れるということ。
故にハーケスは自身を削ってでも動いた。自分でもわかるほど体力が無くなっていくのを感じるが、それでも動いた。可能な限り右手に血液を集め、鋭く研いで一本の剣に仕立て上げる。
時間を歪め、暗黒点を連発するバラギウムに対して無策で突撃した。もはやハーケスによく考えて戦うほどの余裕はない。ただ意思の力のみで、標的であるバラギウムを狙っているのだ。当然だがそんな姿は良い的にしかならない。
ハーケスに気付いたバラギウムは三つの暗黒点を射出する。
「させないよ」
だが、それを『黒猫』が邪魔した。
空間を湾曲させることで暗黒点を逸らし、その隙にハイレインで攻める。バラギウムにとってハイレインは鬼門だ。放置すれば死の危険があり、倒すためにも時間を歪める必要があるので大量の魔力を消費する。
そして何より、ハイレインの対処に集中するあまりハーケスの存在が頭から抜けてしまう。
「時間を停滞させる瞬間は黒い球を出せない、だよね! ノスフェラトゥ! 『黒鉄』!」
「逃がしません」
「魔力を使い切ってでもお前を止める!」
星環により時の流れを緩やかにしようとした瞬間を狙って、『黒猫』が空間湾曲を発動させた。重力によって空間が歪むのと同時に湾曲を戻し、間接的に重力を相殺したのだ。
この時を狙ってノスフェラトゥは血を操って両腕を縛り上げる。またバラギスは残る魔力の全てを注ぎ込んでバラギウムの足元を固めた。糊のように張り付いた水銀のため、バラギウムはその場から動けなくなる。
「ァ、オオオオオッ! アアアアアアアッ!」
正真正銘、全てをかけた一撃をハーケスが放つ。吸血種として残った全ての生命力を魔力に変換し、無比の刃と化した右腕を突き出す。硬化した血液を纏った右手はまるで流星のように、真っすぐバラギウムの心臓を抉ろうとする。
(我をこの程度の水銀で足止めしたつもりか? 愚かな)
あと僅かな時を以て、ハーケスの手刀がバラギウムの心臓に触れるだろう。そんな瞬間でも大サンドラの王に焦りはなかった。何故ならバラギウムの足を拘束する水銀は、元はと言えば彼の能力だからである。
地竜系の魔物である渦銀竜と融合したバラギウムが手にした水銀の能力を、バラギスは魔装として受け継いだに過ぎない。その力の質は結局のところ、バラギスでは及ばないのだ。だから足元を固める水銀の制御を奪い取り、それを刃としてハーケスを仕留める算段であった。
実際、瞬きするよりも早くバラギウムは水銀の制御を奪ってしまった。
しかし奪った水銀で刃を形成するよりも早く、ノスフェラトゥがバラギウムの首筋に咬みつく。また追撃とばかりに竜のような小さな魔獣が脇腹に牙を突き立てた。この小さな竜はバラギウムから吸血した時、ノスフェラトゥが不要と断じた魔物としての部分を集めた眷属だ。すなわち瘴血の毒そのものを牙に宿す。細胞を破壊し、魔力を阻害するこの毒はバラギウムの強靭な竜鱗すらも砕いて体内にまで侵食した。
(魔力が使えぬだと!?)
バラギウムは根拠に基づいた自信があった。
攻防一体な水銀を操る能力。地竜系魔物に由来する強靭な肉体、膨大な魔力、そして無敵の竜鱗。また魔石以外を破壊されても、魔力さえあれば再生可能な魔族の生命力。最後に無敵にも思える迷宮の遺物、迷宮神器・星環。
ついでになってしまうが、三桁にものぼる魔族の軍勢もある。
これで負ける方がおかしい。
「終わりだバラギウム! 俺たち半魔族を舐めるなァッ!」
「ふざけるなァ! 貴様程度の攻撃で我の骨肉を! 我の魔石を砕けると思うか!」
瘴血で弱らされ、霧で両腕を拘束され、足元も水銀で固められている。同化した星環の能力で暗黒点を出そうにも、ハイレインが斬り裂いて消してしまう。
ハーケスが魔力と生命力の全てをかけた渾身の一撃がバラギウムの筋肉を裂き、骨を砕き、心臓を抉り、そこにある魔石に触れた。