498話 百鬼の業魔
神奥域の奥へ進むシュウは、魔力のノイズを感じていた。強力なエネルギー放射による妨害電波にも似た魔力ノイズである。そのせいでソーサラーデバイスは使用できず、魔術の発動も難易度が上がっていた。
「やはり颶雷妖鬼が魔法に覚醒していたか」
迷宮魔法は空間を切り取り、独立運用する魔法だ。そのため魔力を感知して進むのは困難なようになっているのが普通だ。だが、絶対に不可能ではない。迷宮魔法も『王』の能力である。故に同じ『王』の魔物であれば関係なく魔力を届かせることができるのだ。
シュウとして死魔法を使えば迷宮を侵食し、破壊することもできる。それと同じことである。
「ここまで一切魔族の軍隊と遭遇しなかったのは不可解だが……まぁ仕方ないか。先に颶雷妖鬼を討伐してしまおう。仮にすれ違っていたとして、魔族のことも『黒猫』とノスフェラトゥに任せれば、少なくとも時間稼ぎは叶うはず」
魔族の対応はシュウでなくても可能だが、『王』の魔物はシュウでなければ討伐できない。回廊を歩いていたシュウは遠慮なく魔神術式を発動する。シュウの身体を基準として冥界が開き、死魔力の術式が夥しいほどに流れ出た。
「発動、凍獄術式」
物質を冥府第一階層に落とし、迷宮の回廊を破壊する。本来であれば迷宮魔法により空間ごと守られているはずだが、そんなものは関係ないとばかりに壁を抉った。物質はエネルギーに変換されて冥界に送り込まれ、分解されて無害な魔力となる。
お蔭で迷宮では本来あり得ない近道が生成される。
シュウはそこに飛び込んだ。
◆◆◆
旧サンドラ領域の戦いは激しさを増していた。各地で火の手が上がり、悲鳴は止まらない。その戦いは吸血種たちの参戦によって流れが変わった。
「魔族を仕留めます」
吸血種たちの始祖にして女王、ノスフェラトゥは瘴血の霧を放った。もはや彼女は自分の魔装を使いこなしていると言っていい。地上で起こった『灰鼠』奪還戦以降、ノスフェラトゥは精霊秘術に接続する方法を修得した。自らに《聖印》の封印を施すことで始祖吸血種としての本能を抑え込み、力のみを抽出できるまでになっていた。
まだノスフェラトゥは十歳を過ぎたばかりの少女に過ぎない。
だが戦闘力という意味では百戦錬磨の戦士をも凌ぐほどになっていた。生成された瘴血の槍は魔族の心臓を貫き、魔石ごと破壊する。実に容易いことだった。
「ノスフェラトゥさん、霧の範囲を広げていただけませんか。まだ仲間のほとんどが霧の中じゃないと槍を使えなくて」
「わかりました。全域に広げます」
吸血種化させた炉メンバーの要請に従い、ノスフェラトゥは旧サンドラの街全域へと霧を広げていく。その際、瘴血の霧の効果を使って魔族の死体から血を吸い上げ、更には毒性を強めて人間ごと魔族を弱体化させていく。
瘴血の霧は人間にとって猛毒なのですぐに死んでしまうが、魔族は自己再生によってどうにか肉体の崩壊と釣り合わせ耐えている。だが魔力阻害や肉体破壊の霧は魔族を明らかに弱体化させ、戦いを有利に進めていた。
また瘴血の霧は吸血種にとって武器となる。まだ能力になれていない元半魔族の吸血種たちは、瘴血の霧のサポートを受けて槍や剣を生成し、魔族の討伐に貢献していた。
「どうだノスフェラトゥ。順調か?」
「現時点では魔族の討伐に成功しています。初めの半数程度になったかと」
「そうか。思ったより巻き返せたな」
「このまま押し切りますかハーケスさん」
「ああ。俺も出る。できればバラギスに加勢したい。どこにいるか分かるか?」
「分かります」
神器・瀑災渦を握るハーケスもまた参戦する。ノスフェラトゥからバラギスの位置を聞き出し、赤い霧の中に飛び込んだ。
◆◆◆
赤い霧の中で戦闘を続けるバラギスたち探索軍は、既にこの時点で壊滅していた。魔族との戦いで大半が殺されたというのもあるが、トドメとなったのが瘴血の霧である。その毒性によって全身の細胞が破壊されてしまう。人間はどう足掻いても生存できない領域だった。
だがバラギスは例外である。
探索軍団長という立場上、炉として行動できる時間はほとんどなく、吸血種化は受けていない。血を欲してしまう性質上、人間の中で過ごすには不便というのもある。
彼の場合、身体を鱗で覆う異能で霧の毒素から免れていた。
(とはいえ、かなりきついな)
バラギスは半魔族として優秀な個体だ。渦銀竜と融合した魔族バラギウムと半魔族の間に生まれ、非常に強力な魔装を生まれ持った。この場合、水銀を操る能力を魔装と定義して良いのか微妙なところだが、それ以外にも竜鱗を操る能力もある。ともかく渦銀竜という魔物の性質を受け継いでいるのは確かだ。
竜の鱗が硬い理由は、エネルギーを拡散させるからである。堅いという他、魔力を拡散させることで魔術などの効きを悪くさせている。瘴血の霧も同様に防いでいた。
「やってくれたな。愚かな息子よ」
「……一度でもお前を父親だと思ったことはない」
「なるほど。私もお前を息子だと思ったことはなかったな」
全身を銀色の鱗で覆ったバラギスと相対するのは、大サンドラの王バラギウムである。バラギウムは喉元の鱗を撫でつつ、侮りの目を向けていた。
彼の両脇には数人の魔族が控えており、決して手は出さないが威嚇している。魔族たちは自分たちの王の戦いに介入するつもりはないらしい。あるいはバラギウムが負けるはずないと確信しているのだ。
「このような戦いは計画になかった。我が軍勢は魔神様より頂いた解廊鍵を使い、この領域へ現れ、地上へ雪崩れ込む計画だったはずだ。だがどうだ。我は待ち構えていた軍勢に足止めされ、この赤い霧に囚われている。これが罠ではなくて何だというのか」
バラギウムはこの戦いが起こった時点でバラギスの裏切りを理解した。本来であればあっさりと旧サンドラ領域を制圧し、そのまま地上を破壊するはずだったのだ。今ならば戦力が低下しているというバラギスの情報が総力戦の決め手となった。
「俺はもうあんたの奴隷じゃない。仲間を得た」
「貴様は何も分かっておらんようだな。半端者は何も持たぬ。ただ我の道具として使われるだけの存在よ。そして使えぬ道具は処分するだけのこと」
右手にオリハルコン製の杖を握ったバラギウムは、それを掲げた。すると先端の黒い宝玉の周囲で円環が自転し始めた。まるで惑星の軌道を示しているかのようで、それにより周囲の霧が吸収されていく。
「喜べ。この我が直々に星環で処分してくれよう」
そう告げると共に杖は吸引力を増して霧を吸収していく。またバラギス自身も星環という杖に向かって吸い寄せられ始めた。すぐに水銀を操って自身を固定するが、地面ごと引き剥がされそうな勢いであった。
「ぐっ……」
「無駄に足掻くな奴隷。我が迷宮神器・星環は全てを吸い寄せ、塵にして呑み込む。究極魔術、暗黒点からは逃れられんのだ!」
「無駄かどうかは俺が決めることだ」
静かに魔力を練り上げたバラギスは、大量の槍を生成する。水銀の魔装は汎用性が高く、武器にも防具にもなる。射出された槍はバラギウムに向けて殺到するが、すぐに方向を変えて星環の崩玉へと吸い込まれていく。
しかしそれは囮でしかない。
本命は地面の下を這わせていた水銀である。掘削機のように地面の下を移動させ、バラギウムの直下から串刺しにしようとした。それはこれまでも魔族を葬ってきた奇襲の一手。バラギウムが侮っている今だからこそ最も有効な手だ。
予測不可能、回避不可能な速度で、水銀の槍がバラギウムに突き刺さった。
◆◆◆
迷宮に穴を空けたシュウは、その先にある領域に辿り着いた。そこは第二回廊と第三回廊を接続する大領域、轟雷號嵐領域である。
今は誰一人として知る由もないが、ここはかつての発電所である。マギアという都市は多くを永久機関から得られた魔力で運営されていたが、決して電気を使わなかったわけではない。オリハルコンという強靭な金属を利用して容器を作り、核融合反応を起こして発電していた。つまり轟雷號嵐領域とはかつての核融合発電所なのである。
「迷宮の中で嵐とは」
その魔力の異質さは感じ取れる。シュウは冥界を侵食させ、嵐を鎮めていった。少しずつ雲が晴れ、空間が正常に戻っていく。ほんの少し先も見えなかった視界が開けた。
領域全体に魔神術式が広がり、この世ではない世界が顕現する。
「しかし考えたものだな。まさか『王』の魔物を魔族化させるとは。こんな遠くでこそこそと半魔族を作っていたのはそれが理由か」
王威を放ちつつ語りかけ、少しずつ魔力のプレッシャーを強くしていく。眼下には魔神スレイと七仙業魔、そして新たに生み出された百鬼の業魔グランザム。
そう、スレイは鬼王グランザムの魔族化に成功していた。魂を見通すシュウは、その新しい業魔族の中に無数の魂が蠢いているのを知覚した。他の業魔族と比べても、融合された魂は多い。つまりそれだけ魔力の出力が高く、死ににくいということ。しかも魔法に覚醒した『王』の魔物を使っている。業魔族としては最大級の厄介さだと、見てすぐに分かった。
「冥王アークライト、なぜここに? よりにもよってこの瞬間とは……」
「ここにいるはずだった『王』を討伐するためにな。ついでに魔族も潰していく予定だったが、どこかですれ違ったらしい」
シュウはそう言いつつ、魔神術式を手元に集めて円環を紡ぐ。
「本来の目標には会えなかったが、ここでそいつを見逃す選択肢はない。《死の鎌》」
まるで惑星の軌道のように、シュウの周りに黒い術式が円環となって浮かび上がる。それは死魔力を扱いやすくするための枠だ。三重に展開された軌道上を鎌の形に形成した死魔力が奔り、滅びの高速斬撃がグランザムを狙う。
逃げ場を残さぬように軌道を調整された、三方向からの同時攻撃である。見てから回避はできない。気付いた時には体がバラバラになり、死魔法で滅ぼされている。そんな凶悪さがこの術式にはある。
百鬼の業魔グランザムも例に漏れず、反応できないまま身体が八つに分断された。
だが次の瞬間、グランザムの身体が崩れ去り、雷となって拡散した。
「これは……?」
「百鬼の業魔グランザム、魔法でこの領域を吹き飛ばせ」
魔神スレイによって名付けられた百鬼の業魔という称号。それはグランザムの性質を如実に表している。鬼王グランザムをベースとして千体もの半魔族を融合させ、その魂を一つにした。グランザムはその融合した魂を一時的に解放し、分身する能力を獲得したのだ。
これは他の魂と隔絶した魔法を行使できる鬼王グランザムをベースにしたからこそ起こったイレギュラーである。本来であれば魂は対等であり、ベースになる人格こそあれど、魂の融合によって影響を受けるものだ。だがグランザムの魂が一線を画す強さであったがために、融合された千の魂は『王』によって染められ、従属する形になった。
空間を埋め尽くすほどに現れた業魔族グランザムの分身たち。その数は取り込んだ魂と同じ数だ。分裂したことで魔力出力こそ低下しているが、そもそもが魔法の覚醒にまで至ったグランザムのコピーだ。決して弱くはない。
すなわち、千のグランザムが同時に魔法を放つこともできるということだ。
「八重円環!」
シュウはとにかく、狙いは定めず《死の鎌》を発動した。その目的は雷魔法を切断して相殺することである。多少のダメージは覚悟で、全方位から殺到する魔法の雷撃を切り裂いた。だが意外なことに《死の鎌》が空間を切り裂くことによって雷魔法は消え去った。
雷魔法は余波を残すことなく綺麗に消失し、シュウに届くことはなかった。
(なんだ? 単純に雷撃を操るという訳ではないのか?)
分裂したグランザムから放たれた無数の雷魔法は、雷撃と暴風を引き起こしていた。だが《死の鎌》は斬り裂き滅ぼすことで完全に無効化している。風も雷も消え去り、完全な凪を取り戻している。
(雷と暴風は魔法本来の性質から現れる余波。この物理世界におけるただの現象。死魔法で言うところのエネルギー吸収と同じか)
シュウ自身も死魔法を扱いながら、その本質へ至るのに時間がかかった。覚醒当初は無尽蔵にエネルギーを奪い取る能力として活用していたが、それは物質的な側面に過ぎない。
今回の事象もその一つだと考えた。
「三重円環」
速度に意識を割り振って、三つの《死の鎌》を奔らせる。もはや不可視の速度にまで至った死魔力の鎌が分身したグランザムを両断していく。やはり死魔法の攻撃力は凄まじい。千に届くほどにまで分裂していたグランザムをまとめて斬り払ってしまう。
しかし分身グランザムもそれで滅びない。本来ならば《死の鎌》の効果で肉体など消滅してしまう。なぜなら《死の鎌》は魂すら滅却してしまう零魂術式の汎用術式だ。触れれば死は免れないはずである。
だがグランザムは煙のように掻き消えるだけであった。死魔力の滅びによって完全消去されたような挙動ではなかった。
「我にはどのような攻撃も効かぬ」
「やはり効いていなかったか」
かき回された無数のグランザムは再び一つに集まり、元の姿に戻る。まるで捉えどころのない能力である。攻撃のすり抜けとも異なる。シュウは確かな手ごたえを感じているのだから。
千の魂が渦巻く業魔族へと戻ったグランザムは、自らを中心として渦を作り出した。それも引き込む渦ではなく、放射の渦である。雷を帯びた暴風が放射され、それらは周囲を瞬時に風化させ塵にしていく。ここでシュウも気付いた。
(魔神スレイと他の魔族に逃げられたみたいだな)
分身したグランザムに気を取られ、スレイの逃亡を見逃してしまった。
とはいえ全く気を向けなかったわけではない。この広い轟雷號嵐領域で目立つ魔力を見逃すとは思えない。間違いなく転移のような空間移動魔術を使われた結果だ。元より魔神は迷宮魔法の力を有する存在だ。限定的とはいえ冥界を展開しているにもかかわらず逃げられた点は業腹だが、迷宮魔法にとって空間移動は簡単なことなのだろうとシュウも諦める。
それに今回の目的は『王』となった颶雷妖鬼を討伐すること。ここさえ押さえれば何も問題はない。
《死の鎌》が百鬼の業魔グランザムの首を刎ねる。
「さて、魔法の攻略といこうか」
鬼王グランザム
実は『冥王様が通るのですよ!』の設定初期段階から存在していた。どこで登場させようかずっと悩んでいたが、ようやく出演決定。