494話 『炉』の方針②
「どういうことなんだ!」
まず先に声を出したのはハーケスだった。
シュウはその魂の動きから『驚愕』や『不信』などを感じ取る。あるいは『戸惑い』も混じっていた。ともかくこの発言はハーケスとしても予想外だったらしい。
「お前は……魔族の首領バラギウムに倣うつもりなのか? 力で破壊し、支配するつもりなのか? 俺たちの仲間を守るんじゃなかったのか!」
「そのために必要なのが支配者階級だという話だ。力なき言葉は妄言に過ぎない。そして力とは暴力に限らない。権力もまた必要な力だ」
「確かに、そうだが……」
ハーケスが気にしているのは安全だ。
戦争ともなればバラギスやハーケスだけでどうにかできるものではない。特にサンドラ軍は神器・無限炉により全体を底上げする。半魔族が直接戦わずとも、介入すれば犠牲も出てくるだろう。
「俺は仲間を犠牲にしたくない。これ以上は」
「戦いに犠牲はつきものだ。それに……そうならないための力をお前は見たはずだ」
「そうならないための力だって? まさか!」
「不死魔族の如き力。それさえあれば」
「ノスフェラトゥを利用するというのか?」
「俺は彼女のことをよく知らない。だが彼女の能力を見て、俺のやり方は間違いではないと確信を得ることができた。あの力があれば犠牲は最小限に……そればかりかゼロになるかもしれない。それに利用し合う仲であることに間違いはないだろう?」
それに対してハーケスは言い返せなかった。
実際、炉とノスフェラトゥは本当の意味で仲間とは言い難い。黒猫を介しての付き合いがあるだけだ。その迫害対象となり得る能力のこともあり、今ではそこまでドライな関係ではないとハーケスは思っている。
しかし利用しているという事実に間違いはなかった。
戦闘力という面においてノスフェラトゥは炉の誰も敵わない。それは神器を所有するハーケスも含めてだ。
「ハーケス、俺は気付いているぞ。お前もあの女の力を得ている」
「……ああ、確かにそうだ。だがどういうつもりだ。あの戦いだ! どうして俺たちを追い詰めた。そのせいでガルミーゼとアラージュが死んだ!」
「俺とて本意ではなかった。だがサンドラと魔族の対立をより深くするためには必要なことだった。それと市民に対して強い火主を見せる必要もな。まさかあんな風にサンドラ側の戦力を減らされるとは思ってもみなかった……お蔭で他国や魔族の介入をより警戒しなければならなくなった」
それを聞いてハーケスは大量の疑問符を浮かべていた。いわゆるパワーバランスの計算なのだが、残念ながらハーケスに理解できる話ではなかった。もしもサンドラが崩壊すれば、魔族は地上まで進出して支配を確固たるものにするだろう。半魔族に反撃の芽はなくなるというわけだ。
二人の様子にシュウと『黒猫』は顔を見合わせる。
「僕のアドバイスだよ」
「ああ、なるほど」
学はなくとも火主という権力者の近くで働いてきたバラギスは、この辺りの理解も多少あるらしい。『黒猫』の提言を受け入れた結果の行動だったようだ。
つまり『黒猫』として都市国家サンドラが瓦解しては困るため、『黒鉄』を使ってその辺りをコントロールしていたという訳である。またこの話に乗ったことからハーケスとバラギスはしっかりと意志疎通ができているわけではないということも分かった。
(まぁ、最終目的の主張からして違っていたしな)
とにかく半魔族の仲間が犠牲になることを恐れているハーケスに対し、バラギスは犠牲を払ってでも勝者となるべきという考え方だ。
どちらが正解か決めるのは難しい。
少なくともシュウは正解を明言することはできないと思っていた。
「俺は火主の信頼を得つつ、父であるバラギウムに従うふりをしてきた。俺たち炉が最高の瞬間に利を得るためだ。今回は火主から信頼を得るためにしたことだ。そうしなければ倉庫の警戒は強まるばかりで、ますます食糧不足に陥っていた」
「人間の信を得るためなら仲間も殺すのか!?」
「そうだ。必要な犠牲だ」
「ふざけ――」
「黙れ。ふざけているのはお前だ。炉は仲良し集団じゃない。俺たち半端者が胸を張って生きていける唯一の場所だ。壊すわけにはいかない。お前の行動は目の前にしか向いていない。何の犠牲もなく解決するなんて夢物語に過ぎない」
「それ、は……だがお前は今を蔑ろにしている!」
「お前の言う今に問題があるのだ。俺たちには時間がない」
正しさ、という点において議論は難しい。
しかし状況に相応しい手法であるかどうかは、決着できるものだ。サンドラの警戒心が強くなっている今、炉は地上に逃れることができない。またそれに伴い炉の食糧問題が加速している。静観することもできない状況なのだ。
確かにじっくりとことを構えれば誰も死なずに済むかもしれない。しかし着実に急速に滅びに向かっていく。
ハーケスもそれを理解しているため、言い返すことができなかった。
黙り込むハーケスの肩を掴み、バラギスは諭すように言い聞かせた。
「半魔族は老いが早い。人の世に出て初めて知った。俺たちは人間の半分くらいしか生きられない。俺はあと数年、生きていられるかも分からない。既に衰えを感じている。確実に魔力も体力も落ちた。視覚や聴覚にも支障が出始めている。それはお前も同じはずだ。いや、神器の同化を使っているお前は他の奴より……」
「お前、そこまで寿命が――」
「だが希望はある。血を操るあの女だ。他者を不死魔族のように変える能力だ。あれは犠牲を最小限にすることができるはずだ。それに火主は不死化の力に興味を抱いている。炉の皆で上手く取り入ることができるかもしれない」
シュウは感心を向けた。
冷たく、自分のエゴを押し付けているような印象だったが一変した。寧ろ半魔族の未来について最も具体的に考えているのではないだろうか、とすら思う。この辺りは経験の差が現れているのだろう。サンドラにも大サンドラにも擦り寄り、上手く立ち回ってきたバラギスだからこそ提案できたアイデアだった。
あるいはここに『黒猫』の思惑も混じっているのかもしれないが。
「バラギス、俺は」
「お前は炉の近くで……いや、その中心で燃え続けていた。だから皆が寄ってきた。それも必要な役目だと思う。お前は俺のやり方を許せないだろう。だがそれでいい」
「すまない。俺もバラギスのことをわかってやれなかった。都合よくサンドラの情報を……警備の情報を流してくれるからと甘えていた。苦しい役目を押し付けた」
「状況は変わった。もう悠長なことはしていられない。サンドラの市民の心は火主から離れつつあるし、火主も探索軍を信用していない。状況を動かすなら今しかない」
ひとまずお互いに言いたいことは言えたらしい。
急に黙り込み、酒場の騒ぎが聞こえてくるほどに静かとなった。そこで『黒猫』が口を開く。
「もう少しじっくり情報共有しながら、の予定だったんだけどね。まぁ話が早くて助かるよ。では考えるとしようか。僕たちが最も利益を得ることができる方法をね」
「とはいえ、今ので方針は決まったようなものだがな」
「一言多いよ『死神』。細かいところはもっと話し合う必要があるじゃないか」
「それはそうだがな」
『黒猫』は都市国家サンドラを大陸東部の覇者にしたい。ハーケスとバラギスは半魔族の権利が保障され、安心できる世界が欲しい。更に言えば未だ大サンドラで奴隷にされている半魔族を救いたい。そしてシュウは『黒猫』の手伝いがその目的となる。あえて言うのならばノスフェラトゥの面倒を見ることだろうか。
統合すれば取るべき手段は自然と現れてくる。『黒猫』は次のように提案した。
「サンドラと大サンドラの、最後の戦争を引き起こす。そして炉……つまりハーケスと『黒鉄』はサンドラ側に傭兵として付く。勿論、勝利する」
「まぁ『黒猫』の案が大筋になるだろうな。どうやって勝つかが問題になるが」
「ちょっと待ってくれ!」
話し合うシュウと『黒猫』に割って入って、ハーケスが叫んだ。
「傭兵!? 俺たちが人間に受け入れられると思っているのか!?」
「興奮するな。その方法を考えるのがこの場だ」
「だが……『死神』は人間だからわかってないんだ! 俺たち異形は必ず迫害される」
シュウは思わず失笑した。
鼻で笑われたハーケスは軽く見られたと思ったのか、更に憤りを見せる。
「この角を見ろ! 俺の姿は人間にとって魔物や魔族と同じだ。その姿が重要なんだ。俺の仲間には肌の色が違ったり、獣のような顔だったり、鋭い牙や爪を持っている奴、羽を生やしている奴もいる。それらは全部人間にはない特徴だ。人間とは違うから、決して受け入れられない」
「違うな。認識の違いがあるぞハーケス」
「何?」
「権利とは初めから保証されているものではない。自ら勝ち取るものだ。迫害されている? その理由が異形だから? そんなものは逃げの理由でしかない」
スラダ大陸東部はあまりにも人権という概念が希薄だ。基本的に力のない者は人権などない。女にも人権はない。貧民に人権はない。人として最低限の尊厳が保証されている人物は本当に僅かだ。
そして人権のない者には対話する機会も与えられない。
一方的に命令され、搾取されるだけである。
だから欲しければ戦って勝つしかない。
「いいか。権利を得る方法は二つだ。まずは自らが法となり、半魔族の権利を保障すること。つまり半魔族の国を作ることだ。そしてもう一つが――」
「戦って認めさせる……前者の選択肢を取れない俺たちは戦うしかないのか」
炉は常に食糧不足と戦っている。日々の糧もサンドラから強奪することで得ていたものだ。到底、自立することなどできない。誰かに擦り寄ること方法しかない。
ここでバラギスが指摘する。
「血を操る女の能力があれば、異形ではなくなるのではないか?」
「バラギス? それはどういう……」
「気付いているはずだハーケス。お前の身体は以前より大きく、筋肉質になっている」
「……やめろ」
「先の戦いでお前は不死の能力を得た。火主の火滅兵でガルミーゼとアラージュだけが死に、お前とジョリーン、そしてあの女だけが無傷だったのはその影響だろう?」
「やめてくれ」
「血を呑むことで、その性質に近くなる。化け物に変えられた直轄兵から俺も気付いた」
中々に勘がいい、とシュウは素直に思う。
現場にいなかったので詳しい状況は分からないが、戦闘中に能力を分析するのは案外難しい。バラギスの言う血を操る女とは、ノスフェラトゥのことだ。そしてノスフェラトゥの能力は赫魔に由来している。赫魔は動物の血肉を喰らい、細胞を取り込み続けなければ自滅してしまう生物である。そして取り込んだ細胞によって自らの肉体が変化していく。
血を呑み、その性質を取り込む。
間違いなくノスフェラトゥの能力だ。バラギスは的確に能力を分析していた。
「つまり『黒鉄』はこう言いたいわけだ。血を操る女……俺の弟子、ノスフェラトゥの力で吸血種となる。そして人間の血を呑み、人に近い姿になると」
「そうだ。俺たちはこの忌まわしい種族を捨てられる、はずだ」
「目の付け所は良い。だが吸血衝動はどうするつもりだ? 人間の中で住むとしても、その衝動は迫害を生む。そう簡単な話ではないと思うが?」
「火主がその力を求めている。不死不滅となればサンドラの統治と繁栄は永遠になるだろうと考えている。同じになってしまえば迫害もない」
「……権力者の果ては不死の追及、か」
実に都合の良い流れだ。
偶然に過ぎないが、ノスフェラトゥが決着の鍵になる。ノスフェラトゥも順調に力を取り戻しているようで、実力だけで言えば、もう『死神』の座を引き渡してもいいほどだ。
おおよその計画はノスフェラトゥを中心にしたもので問題ないだろう。あとは手順である。シュウは『黒猫』に向かって尋ねた。
「サンドラと黒猫はどの程度繋がっている?」
「こちらの存在は認知しているよ。僕を通して探索軍に実力者を推薦している。『黒鉄』もその手順で探索軍に入ってもらった。人材を派遣する代わりに迷宮遺物とかの闇商売を黙認してもらっている、という状態かな」
「現状では友好的ということか」
「さて、どうだろうね。国家が裏の組織に求めることは、利益を持ってくることじゃない。思い通りに動く手足であることだ。これは傭兵団とかにも言えることだけどね。仮に利益を持ち込むとしても、思い通りに動かないならば邪魔だと思われる。支配者が無能なら操りやすいんだけどね」
「ヘルダルフとかいう火主は、その点で優秀というわけだな」
この時シュウが思い出したのは『鷹目』だった。今は空席となっている『鷹目』だが、シュウにとってはただ一人を指す。
あの男は財力、権力、変装など様々な手段で懐に潜り込み、情報という武器によって支配者階級を操っていた。操られているということにすら気付かれない見事な手腕だったと記憶している。あれは二度と現れない天賦の才だろう。
「後は同意だね。ハーケス、君はどうするかな? 『黒鉄』の提案を受け入れるかい?」
「俺は……既に半魔族ではなくなってしまったのかもしれない。血が欲しくて仕方ない身体になってしまった。これが正しいのか、俺には分からない」
「いつまでも分からない、決められないでは済まないよ」
「……俺も覚悟を決める。だがその前に確認しておきたい。ノスフェラトゥと同じになれば、異形の姿を捨てられるのか?」
「可能だ」
その問いに答えたのはシュウである。
一言、間をおいてから続きを語った。
「ノスフェラトゥの能力を継承していれば、人間の血を呑むことで人に近づく。だがそれ以外の……獣の血を呑めば獣に近づき、魔族の血を呑めば魔族に近づくだろう」
それはノスフェラトゥの源流である赫魔の能力だ。この中では誰よりも詳しいだろう。一応はノスフェラトゥの師ということになっているので、信頼性の高い情報として認識される。
「そもそもノスフェラトゥは吸血種の始祖だ。あれは……まぁ、色々な事情で生まれた奴なんだが、能力の起点は血だ。何をするにも血がいる。それ以外の食物で欲を満たすことはできない。この性質は吸血種の大きな欠点だとは思うが」
「だけど利点が大きい。そんな欠点は幾らでも補う方法があるはずだよ」
「まぁ、そこは『黒猫』の言う通りだな。吸血種の傭兵団を結成し、戦力の見返りとして血を融通してもらう。あるいは奴隷を飼って血を頂くというあたりが妥当か。火主を吸血種化してしまえば法として整備できるだろうし」
シュウが挙げた例の中には些か物騒な方法も含まれていたが、理に適っている。しばらく悩んでいたようだったが、遂にハーケスは決断した。
「分かった。炉はノスフェラトゥに付く。彼女に協力を仰ぐ。どういう方法を取るにしても、俺たちに選択できる方法はない。それに仕方のない理由ではあったが、俺とジョリーンは既に吸血種になってしまっているからな」
これは世界が動く決断となる。
ハーケスが下したこの決定も、一つの激流となって戦乱の時代に加わったのだった。