490話 無限の光
魔族の処刑イベントを発端とするサンドラの騒ぎは、大災害にまで発展した。ノスフェラトゥが散布した瘴血の霧は兵士たちを毒殺し、火の加護すら打ち消した。そして暗雲と共に現れた嵐がサンドラから完全に火を取り去ったのである。
「なんだと……」
「火主よ。どうかお下がりください」
「我が炎が消えるか。やはり侮れぬな……魔族」
火主は直轄兵に守られ、少し下がる。
サンドラの象徴たる神器・無限炉の同化が破られたというのは、火主ヘルダルフとして許せない事態だ。とはいえ無効化されたというわけではなく、再び火の加護を与えることはできる。
だが瞬間的な出力によって火が打ち消された。
つまり地の利を失ってしまったに等しい。あれほど熱気に包まれていたというのに、今や肌寒さすら感じてしまう。
「バラギス、分かっているな?」
「はい。逃しません」
水銀が地面全体に広がり、そこから無数の棘が生じる。少なくとも地上を進む限り棘に阻まれてしまうように、広場全体が囲われていた。
しかし次の瞬間、水銀の棘は濁流によって破砕される。渦巻くことによってただの水ですら凄まじい破壊力を生み出す。しかしバラギスは水銀という液体金属を操っているため、破壊されたところで痛手はない。優先的に付与された火の加護によって熱を帯びさせ、熱波により水を吹き飛ばす。だがその一方で豪雨は常に水を供給しており、渦が衰えることはない。
「火主よ。どうか我が身を火の化身にしてください。我がルオネの血族は忠実なしもべ。我ら六人は既に命を捧げました」
「よく言ったルオネの者たち。命を燃やし、魔族を滅ぼせ」
「私は何と幸福でしょうか。偉大なる火主にしもべと呼ばれ、この命をくべることができるとは」
火主を守る直轄兵の一人が、自身と一族の者を献上する。無限炉の力によりルオネ血族の六人は燃え上がり、その身体を炎に転じさせた。膨大な熱の人型となった彼らは、豪雨すら寄せ付けぬまま渦へ飛び込んでいく。
万物を圧砕する水禍を蒸発させ、六つの連鎖爆発が引き起こされた。
死して炎に転じる火滅兵の火力は絶大である。その衝撃は渦をも破壊し、広場を再び灼熱に戻す。すぐに豪雨が熱を冷まし始めたが、人体など跡形もなく消し飛ぶ威力ではあった。
「バラギス! 貴様に火力を注ぎ込んでやる」
宙に浮かぶ無数のランタンから炎が放たれ、その全てがバラギスに集まった。疑似覚醒状態にある火主が魔力出力の全てを加護として注ぎ込んだのだ。その火力は筆舌に尽くしがたいほど底上げされる。
バラギスは集められる限りの水銀を集め、巨大な球体として浮かべた。そこに灼熱の炎が宿ったことで、まるで太陽のように光り輝く。豪雨すらも瞬時に蒸発させるほどの火力で、今この瞬間にサンドラの地に雨水が落ちることはなくなった。
干ばつと豪雨。
二つの大災害が交互に訪れ、サンドラを滅びに近づけていく。
「火主よ。恐れ入りますが広場は消えます」
「よい。我が許す」
許しを得たバラギスが念じることで、真っ白に輝く第二の太陽が落ち始めた。爆発は起きない。ただ触れたモノを蒸発させるのみである。
◆◆◆
神器との同化は、その持ち主にとっての切り札である。古代遺物であると信じられているそれは、ただ使用するだけでも大きな力となる。同化とはその名の通り、迷宮神器と自身を一つにすること。
その恩恵として一時的に第三の眼を開眼する。根源量子の世界から無尽蔵に魔力を引き入れ、一体化した神器の力を存分に振るう。
だがこの力は無制限ではない。
大きな力にはリスクが伴う。
「ぐぅ、がぁ……」
瀑災渦と同化したハーケスは、激しい頭痛に悩まされた。魔力は万全で体力もまだ残っている。吸血種化したことで身体に傷一つない。だが、もはや一歩も動けないほどの苦痛がある。
終焉戦争以前を古代スラダ文明とするなら、第三の眼の技術は超古代のもの。そして超古代ディブロ文明においても第三の眼は危険な技術であった。人工的に覚醒魔装を付与するこの技術には死のリスクが付きまとう。
「ハーケスさん、無事ですか?」
「ぶ……な、けぇ……あるか……」
ノスフェラトゥの問いに対し、まともな答えも返せない。あまりに負荷に耐え切れず、ハーケスは同化を解除してしまった。身体は万全なはずなのに凄まじいまでの疲労を感じる。全身の神経が千切られてしまったかのようであり、もはや一歩も動ける気がしなかった。
同化によって天候すら変える神器・瀑災渦は同化のリスクがあまりにも大きい。半魔族として人間より強い肉体を持つ彼ですら、短時間の行使で死にかける。
それも当然だ。
禁呪にも匹敵する魔力出力を行使し続けるのだ。
吸血種化によって元より体力を消耗していたハーケスは、力尽きて同化も解除してしまっていた。
「た……む。じょ、りぃ……を」
「はい。連れて帰ります」
やけくそ気味の同化で気持ちを発散したハーケスはともかく、『灰鼠』は今も茫然としたままだ。吸血種になったことで身体には傷一つないが、その代わりに自らの内側から沸き起こる吸血衝動にも気づいた。そして仲間だった男から血を啜ったことも。
今までの価値観が塗り替えられ、血が欲しくて欲しくて堪らなくなる。
この変容に動揺することなく冷静でいられる者はなかなかいないだろう。それが今の『灰鼠』だった。
「では――」
ノスフェラトゥが血液を操り、鞭のようにしてハーケスと『灰鼠』を抱える。その瞬間に霧の奥から六体の火滅兵が飛び込んでいた。火滅兵はノスフェラトゥを認識した瞬間に自爆し、周囲を紅蓮に染めていく。瀑災渦との同化が解除されてからも留まっていた豪雨を吹き飛ばし、地面を一瞬にして乾かしてしまった。
三人ともが吸血種なので、火傷を負いつつも即座に再生していく。
再生に大きな魔力を使ったことで再び吸血衝動が強まり始めたハーケスと『灰鼠』だったが、そんなものはすぐにどうでもよくなった。
「これは……」
空が突然明るくなり、肌を焼く熱気が降り注ぎ始めた。ノスフェラトゥは天を覆う巨大な白熱球の存在を感知した。
徐々に落下してくるそれは、広場を丸ごと圧し潰すだろう。
魔力を阻害する瘴血の霧でも抑えるには足りない。魔力について敏感なノスフェラトゥだからこそ、それが理解できた。通常程度の魔力では到底足りない。凄まじい濃度の霧でなければ、小さな太陽の如き灼熱球を打ち消すことなどできないだろう。
(この人たちを殺させはしません)
先程は欠片程度だった気持ちが、今は強く感じられる。
吸血種となったことで血の繋がりを得たからだろうか。義務感にも近い理由で半魔族を助けていたに過ぎないが、今は寧ろ慈悲の心によって助けようとしている。
(二人は私の血脈ですから)
ノスフェラトゥ自身、素直にそのような感情が芽生えたことに驚いた。だが今はこれこそ正しいのだと実感している。
何も心が動かないのは当たり前だ。
なぜなら彼女は孤独だったのだから。同じ価値観を共有できる者はこれまで存在しなかった。そして寄り添われたとしても、心が動かされることなどなかった。
(これが私の望み。私の生きる意味)
今ここで欠けていたピースがきっちりと嵌った。
ノスフェラトゥの中で『やるべきこと』だったそれは『やりたいこと』に代わったのだ。それは力を扱う理由として現れる。
始祖吸血種となって、本来の名すら失って、初めて現れた本能以外の感情。慈悲や慈愛といった、他を思いやるような感情である。吸血種としての『声』を凌駕するその感情によって、ノスフェラトゥは初めて繋がった。
――喰ら
『ようやくね』
――血を
『お父様から聞いていたけど』
――血を呑
『本当に感情が薄いのね』
――血
『やっとあなたまでセフィロトの根が届いた』
――血
『さっきからうるさいわね。いい? 私を信じなさい。《聖印》があなたの本来の力を縛っている。その代わり、あなたは本能を限りなく抑え込んでいるわ』
――呑
『封印もそろそろ容量限界ね。十個の《聖印》でギリギリってどういうことよ』
――喰
『だから封印に蓄積した魔力を一度解放するのよ』
ノスフェラトゥを支配する本能が徐々に消えていく。その『声』は小さくなり、代わりに可愛らしい少女の『声』が強く聞こえた。その声はノスフェラトゥの中にするりと入ってきて、知識を授けていく。
セフィロトという魔術の根源は語った。
『セフィロトに接続。第十、第九、第八、第七、第六、第五、第四、第三、第二、第一を解放』
白い光を放つ灼熱球が落下する中、凄まじい情報が頭の中に流れていった。その一つ一つを理解するためには膨大な年月を必要とするのだろう。進む道に無数の分岐があり、決して全貌を掴めぬようなものだ。しかしこの時に限り、ノスフェラトゥはセフィロトという魔術設計図を俯瞰して見ていた。
複雑な経路の中にある唯一の正解を『声』が教えてくれる。
ノスフェラトゥの背中にある《聖印》が全て反応し、その封印が保管している魔力を全て放出し始めた。
『彼方より流出する有界の無限。光より始まり、光に終わる』
セフィロトという術式の経路に魔力が満ちていく。
何もせずとも勝手に魔力が流れ、術式が構成されていく。その規模はノスフェラトゥでは全く理解できず、しかしながら樹形図を完成させていく。そこには光が満ちていた。
まるで世界と一体化したかのような感覚させ覚える。
最後の言霊は導きの『声』と重なり、ノスフェラトゥが自ら紡ぎ出す。
「《無限光》」
◆◆◆
巨大な光が天に上った。
落ちてくる巨大な白熱球すらも凌駕する青白い光だ。それは広場から空に向かって放たれ、サンドラ全土をも包み込んだ。
目も開けられなかったのはほんの僅か。
ようやく光が収まった時、火主ヘルダルフは驚愕する。
「馬鹿な!」
全てが消失していた。
広場ごと焼却しようとしていたバラギスの魔装はもちろん、曇天も、火の加護も、魔力にかかわる全てが消失していた。更には体内の魔力までも大部分が消し去られ、気怠さもある。当たり前のように神器同化も解除され、火主の手には無限炉が元の状態で握られていた。
無限というには儚過ぎる僅かな光。
だがその光は全てを消し去った。
「バラギス、今のは何だ? 何が起こった? 貴様が何かしたのか?」
「いいえ。命令には忠実に従いました」
「ならば今の光は何だ!?」
この場にいる誰も理解のできない現象が起こった。
今まさにサンドラという国が終わるかに思えた。だがその全てが消え去り、何もかも無くなった。誰もが目を疑う光景だった。
そして崩壊しかけた広場を見れば、三つの人影があった。
傷どころか服の汚れすらないノスフェラトゥ。そして残る二人も身体に傷はない。まるで一枚の絵画に収められてしまったかのような静寂だった。
「ば、化け物め!」
直轄兵の一人が静けさの恐怖に耐え切れず、己を鼓舞するために叫びながら矢を構える。火の加護による爆発矢が主力武器であるサンドラ軍において、弓矢の技術は大きなステータスだ。直轄兵ともなればそれなりの腕になる。
動揺していたとしても外しはしない。
美しい弧を描いた矢は、完全な絵画に一滴の染みを落とした。
「当たった……」
矢を射た兵士ですら驚いてしまうほど、あっさり矢は刺さった。広場の中心部で立ち尽くすノスフェラトゥの胸をしっかりと射抜いた。普通ならば即死の当たりである。
だがノスフェラトゥは決して動かず、倒れもしない。胸元から流れる血が滴り、地面を赤く色づけ始めた。ところが次の瞬間、まるで時が戻ったかのように流れ出た血が集まっていく。逆流する血液は衣服にすら染みを残さず、ノスフェラトゥの中に戻っていく。
こうして一点の曇りもない、元のままに戻った。矢は押し出され、転がり落ちる。
「……不死魔族、なのか? だがあの姿は」
「はい。人間のように見えます」
火主も思わず疑問の声を出す。サンドラ人の共通認識として、魔族には二種類ある。一つは殺すことが不可能な不死魔族。もう一つが殺すことのできるただの魔族。つまり魔石を破壊しない限り死なない魔族か、半魔族かの違いである。
ここで不死魔族と呼ばれる魔族という種は、人間離れした姿であると知られている。
人間の少女と全く変わりない姿のノスフェラトゥを目の当たりにして理解が追いつかない。あれは魔族なのか、それとも異能者なのか。
生唾を飲み、瞬きをした。火主はその一瞬でノスフェラトゥを見失う。
「火主を守れ!」
すぐ側でバラギスが叫んだ。
耳がおかしくなるかと思うほどの声量で、思わずそちらに目を向ける。すると直轄兵の一人が赤い霧によって体を包まれ、宙に浮かされていた。そのすぐ下には先程まで広場にいたはずのノスフェラトゥが立っていて周囲には赤い結晶が幾つも浮いている。
バラギスをはじめとした火主を守る兵士たちはすぐにノスフェラトゥを攻撃しようとしたが、それらは全て赤い結晶に弾き返された。
「ぁ、あああぇぇえああああっ!?」
瘴血の霧に捕らえられた兵士は瞬時に干からび、完全に血を抜き取られる。その兵士を包んでいた瘴血はノスフェラトゥに吸い込まれ、代わりに赤い結晶が射出される。王宮テラスは元からそれほど広くない。回避できる場所も少なく、兵士たちの身体に結晶が食い込む。
火主はバラギスの魔装に守られて無事だった。
だが結晶に貫かれた兵士は違った。
不意に赤い結晶が融解し、それぞれの兵士の体内に溶け込んだのである。すると兵士たちは激しく痙攣し始めた。全身の血管が浮き立ち、もがきながら唸る。その数は四人。
苦しむ四人は順番に落ち着き、やがて動かなくなる。そんな騒ぎが起こっている間にノスフェラトゥはテラスから消えていた。
「どうなったのだ?」
「まだ前に出ないでください、火主よ」
バラギスは水銀の防壁を解かず、動かなくなった四人を見つめる。彼は四人の魔力反応が消えていないことに気付いていた。元からバラギスはそれほど魔力の感知を得意としているわけではないが、魔力が急速に増大していれば気付く。
倒れた四人にはその現象が起こっていた。
確かめるために直轄兵が近づき、その内の一人が触れようとする。すると倒れていた兵士が突如として起き上がり、直轄兵を押し倒したのだ。それを始まりとして倒れていた他の三人も勢いよく起き上がる。各々が近くにいた兵士を襲い、そして咬みついた。
「や、やめっ!」
「早く引き剥がせ!」
「なんて力だ!」
やむを得ずバラギスは水銀を操り、異常な兵士の首を斬り裂く。本来であれば動脈の損傷により出血多量で死ぬはずだ。しかしその傷はすぐに修復され、流れ出た血も元に戻る。まるでノスフェラトゥに矢を射たときのようだった。
すなわち吸血種化。
四体の飢えた吸血種が暴れ始めた。




