454話 三国の思惑
プラハ王国とシュリット神聖王国の対立は示し合わせたかのように急速に進んでいた。まずシュリット神聖王国は大量の食糧をアルザードから買い込み始め、それに合わせてアルザードもプラハから食料の仕入れを開始した。それに対してプラハは食料の輸出制限を実行したのである。
売れるはずだった食料が制限されたことでプラハ国内では不満も上がったが、それは国家で買い取り備蓄することで抑えた。
この対策によって困ったのはシュリット神聖王国で、想定よりも早い状況変化により窮地へ追いやられることになる。食料が尽きない内に仕掛ける必要が生まれたのだ。
「どうにかルーインとベリアからの協力は得られました。問題ないと思っていましたが、意外と時間がかかりましたね。こうしている間にもこちらの食糧不足は深刻化していくというのに」
「やはり我々が国境で接していないことが要因でしょう。実際に戦禍が広がるのは彼らの国です」
「普段、ほとんどの魔族を我が国で受け止めているというのに……困った話だ」
決定打になったのは何十年も聖守不在になるという事実だった。
たった十五年、聖守がいなくなるだけで魔族との戦いは劣勢を強いられる。それだけ聖守の力は大きいということだ。魔族を一撃で仕留める聖王剣を操れるというだけでも、聖守の力の大きさは測れる。
「問題のアルザード王国はどうなっているのかね?」
「聖石寮が中心になって訴えかけていますよ。赫魔や魔族の脅威から守っているのは自分たちだと主張することで民衆を味方に付ける狙いです」
「彼らが賢い選択をしてくれれば良いのだがね」
「ええ。全くです」
戦争が起こったとしても山水域の魔族たちは止まってくれない。魔族の襲撃を防ぐための戦力を常に用意しておく必要がある。シュリット神聖王国は各所に術師を配置しなければならないので、プラハとの戦いに投入できる戦力は少ない。
「東方国家との接触はどうなりましたか?」
「アレは国と呼べないでしょう。民族単位で争いを続けている危険な場所です。昨日の友好民族が、今日は滅びているかもしれない。同盟関係を維持するのは困難でしょう」
「時代が進むのを待つしかありませんか」
「ええ」
「東方は迷宮の遺物が多く存在するという噂でしたから期待していたのですが」
「蟲魔域は接近も困難ですからね」
とにかく時間がない。
状況が聖教会と聖石寮を追い詰めていた。
◆◆◆
アルザード王国は先代王スリヤーが亡くなってから比較的平和な時代を築いていた。不浄大地が浄化されたことによって西部の危険が消失し、軍事力の大部分を対魔族に注げるようになった。またプラハ王国との正式同盟によって食料供給も安定化し、いざとなれば援軍を望めるようになったことも要因の一つになっている。
今代の黄金王イジャクトは先代の遺言通り、プラハ王国との関係を優先した政策を実行していた。そのせいで聖教会や聖石寮との折り合いが悪くなり、一部の内情不安はある。しかし全体的には豊かさを増す結果となっていた。
「ミダス陛下、それで手紙には何と?」
「食料をもっと売れ。さもなくば聖石を回収すると」
イジャクトは呆れたような口調で手紙を放り投げる。牽制や説得の言葉が散りばめられた長い手紙ではあるが、要点をまとめれば彼が言った通りだ。植物の繊維を編み込むことで作られた上等な紙が宙を舞い、テーブルの上に散らばる。
側に控えていた文官が慌てた様子で散らばった手紙を集め、その中身を確認した。
「……なるほど。厄介な話ですね。確かに聖石の多くはシュリット神聖王国から提供されたもの」
「問題はそこではない。続きを読んでみよ」
「七代目聖守が……ああ、そういうことですか。プラハの王家に次の聖守様が生まれたのですね。聖石寮はそれを回収したい。聖教会としても豊穣の祈りが蔓延る国から自分たちの希望を奪取したい。全ての大元たるシュリット神聖王国が動くわけです」
「まだ水面下での話だが、おそらくは武力行使によってプラハを制圧するつもりなのだろう。そのために大量の食糧を欲している。戦いになれば我が国を通して流れてくるプラハの食糧もなくなるわけだからな」
「そういう事情でプラハ王国からの食糧売却量が制限されていたのですか。得心しましたよ」
「全く……我々の知らないところで事態が動き過ぎている」
アルザード王国はプラハ王国と強い同盟関係で結ばれている。しかし実情としてはプラハ王国側から助けてもらっている面が大きい。そのため密かな上下関係が生まれている。条約の上では対等だが、実際の力関係はプラハの方が上だ。
そしてシュリット神聖王国とアルザード王国も同じような関係性がある。魔族との戦いはヴァナスレイを中心とした聖石寮が担っている。ヴァナスレイの運営はシュリット神聖王国、アルザード王国、ルーイン王国、ベリア連合王国が共同出資しており、その出資量に従って各地に術師が派遣される仕組みだ。多くの術師が欲しければ大量出資せよという話である。当然だが一番の出資国はシュリット神聖王国であり、聖石の大部分もこの国からの提供だ。どうしてもアルザード王国は強く出られない。
「どちらにつくべきか、という話ですね」
「最終的にはそうなる。シュリット神聖王国としては蝕欲の力に期待しているということだろうな。リスクも知らずに……」
イジャクトは忌々しそうに自らの両腕を見遣る。そこは既にオリハルコンに侵食され、金色に変貌した皮膚があった。蝕欲は対魔族においても大きな力を発揮するが、明確にリスクが存在する。使い過ぎれば同化が進み、いずれは先代のように化け物に変貌してしまう。
「兵士の中には強く聖教会に傾倒している者もいます」
「グレゴリオンの奴か」
「噂は届いておりましたか」
「自分が次の黄金王になれば、プラハと縁を切ると公言しているらしいな。意外と奴に従う奴も多いと聞くぞ?」
「彼は百人隊長ですからね。実力と統率力はあります」
「奴の動きには注意しておけ」
「はい」
六代目聖守の死をきっかけとして、アルザード王国内でも不穏な空気が増していた。
◆◆◆
ベリア連合王国はルーイン王国の南部に位置しており、魔族の脅威という点においては非常に被害が少ない国だ。しかし全くの無というわけではない。かつてこの地に存在した都市国家群はたった四体の魔族によって壊滅に追い込まれた過去がある。
聖石寮の介入によって滅亡は免れたが、残ったウレイアス、カルト、テメグラスの三国家は寄り集まり、連合王国として協力しつつ立て直すことになった。その盟約が結ばれた海辺の都市ベリアから取ってベリア連合王国と呼ばれることが多い。
正式名称はウレイアス・カルト・テメグラス連合王国だ。
国家運営にかかわる事情は三つの王が集まり、話し合いによって決定されることになっている。かつて盟約の結ばれた都市ベリアにて、三国の王たちは会合を行っていた。
「聖守不在は我々にとっても非常に危険な状態だ」
「間違いない。シュリット神聖王国が魔族を止めてくれているからこそ、我々は比較的平和な状態を享受できている」
「よりにもよってプラハ王国に七代目が生まれるとはな」
彼ら諸王たちの立場として、聖守は非常に重要な存在と位置付けている。かつてこの地域を魔族に滅ぼされかけた歴史に由来していた。
聖石寮の力が大きくなれば、魔族はシュリット神聖王国やルーイン王国で受け止めてくれる。特に聖守が存在する限り安泰は約束されたようなものだ。聖守不在の状況が長く続けば、ベリア連合王国にまで魔族が流れつくリスクが増大するだろう。
ただでさえこの国は魔族との交戦経験が少なく、一度の被害が甚大なものになりかねない。
聖守という『盾』は重要なのだ。
「ともかく聖守だ。次の聖守を育ててもらわねば困る」
「プラハの王族というからには彼らも引き渡すことはあるまい。聖守不在は何十年か……」
「その程度で済めばよいがな。噂ではプラハの王は豊穣の女神と契約し、人の何倍も生きるのだという。今の国王も百五十年は統治しているという噂を聞くぞ」
「眉唾物だが……ふむ、我らも豊穣の女神に頼めば寿命を延ばしてもらえるのだろうか」
「ウレイアス王、今はそんなことを言っている場合ではない。嘘か本当かも分からん噂だ」
プラハの王が女神との契約により百年を超える統治を行っているというのは噂レベルだが伝わっている。聖守は死なねば次が生まれないので、もしもプラハ王国が七代目聖守を引き渡さない場合、百年以上も聖守不在のまま魔族と戦わなければならなくなる。
情報が曖昧で噂に想像を重ねた未来予測でしかないが、事実だとすれば国家的危機だ。
「まぁ彼の国の王子が不慮の事故……あるいは病気で死ねば次の聖守が生まれる」
「お主も悪いことを考える」
「カルト王、あくまで不慮の事故だ。それに幼い子ならば病気で死ぬことも珍しくない。期待してみるのも悪くないと思うぞ」
「お主まで……まぁ他に手がないことも確かだ。兵士を差し向け、あの国を攻撃するよりもな」
彼らからすれば聖教会の教えなど利用すべきものに過ぎない。魔族という脅威を排除するために利用できるものでしかない。
故に都合の悪い聖守は排除し、都合の良い聖守を立てることで解決することを厭わない。ベリア連合王国はシュリット神聖王国よりも積極的な手段によって聖守を確保しようと画策していた。
◆◆◆
ルーイン王国の民は元々東方にいた遊牧民だ。そこで争いに負け、土地を追い出され、こうしてスラダ大陸西方に流れてきた者たちである。家畜を飼い、その皮や肉によって生計を立てる者たちが多い。彼らは一つの民族ではあるが、四つの部族に分かれている。それは彼らの祖先である四兄弟に由来しており、それぞれの部族には首長がいた。この首長に上に王が立ち、ルーインの民を統治しているのである。
彼らの王は運命によって選ばれる。
王が死ねば、次の王を選ぶためのくじ引きが行われるのだ。各部族の有力者の名が記された札を壺に入れ、抽選することで新しい王が決められる。そのため王の血筋というものは存在せず、あくまで民族を率いるリーダーとしての意味合いが強い。
「長老たち、事前に伝令を送った通りだ。ユハサ族アルバの子ティアが魔族に殺された。私たちの同胞が死を遂げたにもかかわらず、聖教会は誠意を示そうとしない」
そして彼らは同胞意識が強い。
ルム族より選ばれた今代の王サルヴァンは怒りを露わにして長老たちに問いかける。
「アルバの子ティアか。あの時も随分と揉めたものだ。サルヴァン王の統治になってすぐのことだった」
「しかも死んだから次の聖守だと? 我らの同胞を何だと思っているのか」
「信頼して託したというのに」
「イサドラの子ウルマエル王の時代に我々は東の地から逃れてきた。勢力を伸ばしていたオド人に水場も畑も家畜も奪われ、多くの同胞が奴隷にされた。家族が安全に暮らせる土地を目指してここに来た。だが実際はどうだ? この土地も魔族という強大な敵に悩まされているではないか」
「移住するというのか? 男だけでも十六万を超えるのだ。それは難しいだろう。新しい土地がない。開墾するにしても時間がかかり過ぎる」
「それに我々は聖石を生み出す儀式を知らない。この地を離れるならば、聖石を捨てることになる」
「ああ、それもあったか」
聖石を生み出す洗礼の儀式は聖教会が独占している。そして聖教会はシュリット神聖王国の一部でもあるので、聖石の大元を抑えられているに等しい。また聖石寮の術師を育成するヴァナスレイもシュリット神聖王国内に存在するのだ。
移住するとなれば、便利なものを全て捨てる必要がある。
それは当然ながら難しい決断だ。
「やはり彼らに従うしかないということですか、王よ」
「その通りだ。聖教会や聖石寮は必要な力だ。しかしただ彼らの言うことを聞くだけの我々であってはならない。ルーインの民は決して奴隷にならない」
サルヴァン王の言い分はこうだ。
力関係があるのでシュリット神聖王国の言葉に従うしかない部分は存在する。しかし、その全てを聞き入れるようなことはしない。必ず、何かの対価によって動くべきだと。
「我々は要求するべきだ。そうすれば男たちに剣と角笛を持たせ、プラハの民たちを討滅しよう。我々の中には力ある戦士たちが多くいる」
ルーイン王国は武力によって聖守を奪取するということに反対はしない。彼らは武力によって祖先の土地を追い出され、この土地に逃れてきたからだ。時には奪うことも必要だと理解していた。
要求するべきは土地、家畜、聖石、また金属あたりだろうか。
サルヴァンは強く奥歯を噛みしめ、重々しく言葉を紡ぐ。
「我々は自分たちを守る力を手に入れる必要がある。聖石が足りない。武器が足りない。我々は同胞たる血族を必ず守る。ルム族、ユハサ族、エ・シャテ族、ツィオン族の長老たちよ。戦いの準備を始めよ。私は聖石寮と聖教会に使いを送り、より多くの聖石を差し出させる。そしてプラハの民に戦いを仕掛け、その土地を奪い取るのだ」
地形の問題でプラハ王国は魔族による襲撃が少ない。シュリット神聖王国、アルザード王国、そしてルーイン王国がクッションになっているからだ。
その安全な土地を手に入れ、プラハの民を今のルーインの土地に追い出す。
サルヴァンはそんな未来を思い描いていた。