452話 六代目聖守
不浄大地事変からしばらくは平和な時間が続いた。
プラハ王国はその立地のお蔭で魔族による侵略がほぼないに等しく、懸念する必要のあった不浄大地も既に存在しない。同盟国となったアルザードとの関係を深めることに注力し、また国力の増強を進めることができたのだ。
「これは……陛下。このようなところまで」
「よい。お前は身重なのだ」
人材が育ってきたお蔭か、ローランは暇を持て余すことも増えてきた。こうして空いた時間で家族のもとに顔を出す余裕すらある。
今もローランが王の座に就いているが、パルティア王家の子孫はずっと続いている。
そして間もなく新しいパルティア王家の血筋が加えられようとしていた。
「この子は特別だ。おそらく私の跡継ぎになるだろう。私も長く生きた。次代の王に託すべき国を建てた。ならば私の跡を継ぐ王を育てなければならない」
「光栄なことでございます」
「この子はセフィラの加護を得るだろう。私の遺志を継ぐ子に育ってほしいものだ」
王とは栄光だけの存在ではない。
誰よりも先を歩き、全ての民を導かなければならないのだ。その責任は重い。更には英雄王とまで語り継がれるローランの跡を継ぐ存在なのだから、期待値は自然と高くなる。
子を宿す女性は緊張を隠せない様子だった。
「今日は産まれるべき子の名を持ってきた」
「それは素晴らしいことです。どうかお聞かせください」
「ああ。名はフレーゼ。意味は『自由』だ」
「自由、ですか」
「生まれながらにして縛られた人生を強制することになる。しかし自由な心で育ってほしい。矛盾した願いだが、この国を重荷だと思ってほしくない。そのような思いを込めている」
プラハ王国はローランの治世において巨大になった。
人口、土地、技術の全てが拡大し、外交するにまで至った。その全てを託される次代の王は重い責任を背負わされることになるだろう。だが願わくば、ローランと同じく自らの意思によって『王』になってほしいものだ。
そんな希望が込められていた。
◆◆◆
シュリット神聖王国は十九年でようやく戦力を回復させるに至っていた。六代目聖守ティアが活動を開始するまで耐え忍び、同時に若手たちを戦力として数えることができるようになった。人口を増やす施策を行ったおかげである。
一方でその人口に見合うだけの食糧生産が間に合っておらず、アルザードから買っている状況が続いていた。そのアルザードもプラハ王国から食料を購入しているので、実質的にプラハ王国の生産能力に頼っていることになる。
未来のことを考えれば盤石と言い難い状況ではあった。
「頭の痛くなる問題ですな」
「我々の資産がプラハ王国に流れ続けている。それも問題だ。特に鉄の流出は大きな懸念になっている。豊穣の祈りは厄介だ」
「アルザードも半分以上が侵略されています。聖教会の教えを信じる者は少なくなっているとか。伝道師の中には石を投げられた者もいたとか」
「聖石寮だけは受け入れられているようですが」
「魔族に対抗する戦力が必要なだけだろう」
聖教会はその教えを広めるために日々尽力している。シュリット神聖王国内では盤石な信徒の数を確保しているのだが、国外になるとそれは不安定だ。その理由はアルザード王国が同盟を結ぶプラハ王国である。全く異なる文化圏を有するために聖教会の教えを広めることが難しい。更には豊穣の女神という土着信仰があるので介入の余地が元からない。
魔族や魔物による侵略がほとんどなく、豊かな土地で栄えている大国だ。
「立地については羨ましい限りですね。二十年ほど前までは不浄大地に悩まされていたようですが、それがプラハの王により封印されたとか。あの土地があればどれほど魔族に対する反抗作戦が楽になることか」
「そう言っても仕方ない。武力介入は不可能に近いだろう」
「聖守様の力を人に向けるわけにはいくまい」
「ティア様ならば喜んで戦場に参じるかもしれんがな」
彼らは一斉に溜息を吐く。
六代目聖守ティアはとにかく早い実戦投入をという願いのもと育てられた。戦闘に関する英才教育を受けさせられた結果、彼女は成人すると同時に聖守としての活動を精力的に開始した。だがそのように育てられた弊害か、いわゆる戦闘狂になってしまったのだ。
「まぁ聖守としての意義に問題はない。皆でそう結論付けたではないか」
「すでに何体もの魔族を狩っている。実力は格別だった初代様を除けば最強と名高い。いずれは業魔族を打ち倒してくれるやもしれぬ」
「狂暴な赫魔の問題も残っているからな」
「そうだ。奴らは人を喰らい、家畜を貪り、畑を荒らす。優先的に排除しなければならない」
今こうして人間が生存圏を確保できている状況は奇跡に近い。聖守がいなければ今頃は魔族の軍勢に飲み込まれて国など消滅していたことだろう。
迷宮から古代遺産を入手できれば話は変わるのだが、シュリット神聖王国は迷宮への入口を持たない。不意に開くイレギュラーゲートを待つのは確実性が薄く、いつ閉じるかも分からないので危険だ。こうして地道に力を付ける他なく、彼らはもどかしさを感じていた。
「今はティア様に力を尽くしてもらうしかない。我々も東方に進出する用意を整えるとしよう。プラハ王国が勢力圏を築く西方よりは可能性が高いはずだ」
決して安心できる状況ではない。
何か一つの間違いで悪化することに変わりないのだ。彼らの口調はどこか暗かった。
◆◆◆
迷宮山水域は魔族の闊歩する危険地帯だ。
体内に魔石を保有する魔族は、それを破壊されない限り死ぬことがない。ただでさえ頑丈な肉体を持っているにもかかわらず、不死性すら保有している。故に魔族は強大な存在であると認知されていた。
「くだらねぇな。手応えってものがねぇんだよ」
「ティア様。口が悪いですよ」
「いいんだよ。今は爺さんたちの目を気にする必要もねぇからな」
「どうしてこんな口調になってしまったのか……」
「そいつはアタシに剣を教えた師匠に言うんだな。あのクソヤローを師匠にした爺さんたちが悪い」
聖守ティアは実力者だ。
単騎で魔族の群れすら屠り、魔物をまとめて始末するだけの力がある。彼女を鍛え上げるために宛がわれた師匠は剣の実力に優れていたが、とにかく口が悪かった。態度も最悪だった。なんでも体で覚えろと言わんばかりに木剣を振るい、ティアを毎日のように痛めつけた。
反骨精神に溢れていたティアは見事に実力を付けたが、結果として荒くれ者のように育ってしまった。
「さてと。ここに留まっている暇はないからな。次の魔族をぶち殺しに行くぞ」
「はい。被害は未然に食い止めないといけませんから」
ティアは信頼できる術師を率いて山水域へと繰り出し、魔族を狩り続けていた。彼女たちは魔族を街に近づけない戦い方を心掛け、その結果として魔族に襲撃された街は減りつつある。しかしどうしても手が足りないので全てを守り切ることはできない。
彼女のやり方は『攻め』だ。
とにかく攻めて事前に魔族を滅ぼし、都市部にまで到達させない。積極的な討伐こそが確かな防衛に繋がると信じていた。
「このまま進んでアズローダに行きましょう。そこで身を休めて補給します」
「よし、じゃあ進むぞ」
補佐の術師が地図を折りたたみ、他の者たちに指示を出す。
アズローダはシュリット神聖王国北西部の辺境都市で、一部要塞化もされている。元から魔族と戦うことを想定した街なので補給には丁度良いだろう。
この時はそう考えていた。
◆◆◆
魔族と戦う最前線の都市では大抵の場合、壁で街を囲んでいる。昼も夜も見張りを置き、魔族や魔物が現れないか監視しているのだ。北西の辺境アズローダも同様であった。
夜は篝火を焚いて見張りが壁の上に立ち、魔族の接近があれば激しく鐘を鳴らして知らせる決まりとなっていた。夜に鐘が鳴らされることもこの街では珍しくない。それこそ、年に何度かは経験することだ。そして今夜もその日が訪れた。
「鐘を鳴らせ! 敵は何体だ!」
「分からん。見たこともない数だ!」
しかし今日はいつもの襲撃よりも数が多かった。篝火に照らされた魔族の影はどこまでも続き、見渡す限り何かが蠢いている。
「これだけの数だ……きっと強力な個体が混じっているぞ。噂に聞く業魔族かもしれん」
「七大って奴ですか?」
「ああ。初代聖守様が残した情報だ。俺も詳しくは知らないが」
「僕も聞いたことがあります。聖守様でもない限りは勝てない、とんでもない力を持った魔族だって」
こうしている間にも激しく鐘が鳴らされ、アズローダ全体が騒がしくなり始める。駐屯している術師たちが壁に登り、迎撃手順に従って配置についた。今は夜なので休憩している術師も多い。今頃は自宅で休んでいた術師たちも慌てて出動準備を整えている頃だろう。
この防壁で魔族の群れを足止めし、術師たちの本隊が到着するまでの時間を稼ぐ必要がある。敵が強大であるとか、数が多いとかは関係ない。
「弓矢を構えろ! どうせ効かないだろうが……顔を狙って撃て! 投石はまだか!」
見張りたちは弓を構え、弓矢を持たない者は投石兵器を準備する。投石兵器といっても弾性力によって射出するもので、飛距離はあるが精度は低い。魔族の数が多いので、とにかく放てば当たるだろうという算段だ。
徐々に接近する魔族の群れに対し、矢の掃射が行われる。続けて三人がかりで射出する投石兵器が風を切る音を響かせた。術師たちは魔術によって攻撃を開始し、各地で火柱が上がる。
魔族の群れもただ攻撃を受けるだけではないらしく、進軍速度を速めた。
「頑丈な奴らめ!」
「次を放つぞ。いいか、一気に引っ張れ! せーの!」
「矢がもう足りないぞ!」
「今持ってきている!」
魔族の第一波が壁に到達し、破壊するべく殴り始める。特に異能を持たない魔族が主だったが、それでも殴られる度に壁が揺れた。そのせいで投石兵器を準備中だった者たちがバランスを崩し、石はあらぬ方向へと飛んでいく。
見張りの一部が武器を槍に持ち替えて魔族を突き殺そうとしたが、それらは硬い皮膚に阻まれた。そればかりか穂先を掴まれ、引きずり降ろされる者もいる始末だ。
「あああああ! た、助け――」
「下手に攻撃するな! 引きずり降ろされるぞ!」
「何て数だ……こんなこと今までなかったのに!」
いつもならば充分に時間を稼げる戦術だ。
確かに夜ということで防衛戦力は小さいのだが、壁の上から防衛に徹するだけでも対等に戦える。これは幾度も経験した襲撃により学んだ事実だった。
しかし学習するのは魔族側も同じというわけである。
ただ魔族は戦術的な方法ではなく、アズローダの防壁を突破できるだけの数と質を揃えてきたに過ぎない。
「ヴォオオオオオオオオオオオ!」
耳を塞ぎたくなるような咆哮が夜の闇を貫いた。
同時に激しく地面が揺れる。ある者は魔族の群れの中から突出する個体を目の当たりにした。暗くて目視による確認は難しかったが、他の魔族より一回り大きいことだけは分かった。それが勢いを付けて防壁に突撃を仕掛けてきたのだ。
魔族と言えど体当たり如きで崩れる薄い壁ではない。
だがそれを見ていた彼は嫌な予感に襲われた。
「こ、ここから離れ――」
彼の言葉は破壊の音によって掻き消された。
たったの一撃でアズローダを守り続けた防壁は貫かれ、その瓦礫が宙を舞ったのだ。破壊の惨劇は街にも降り注ぎ、不安で騒がしくなっていた街が悲鳴に塗り替わる。
このアズローダを破壊するため、魔族は最高戦力を出してきたのだ。
最もパワー溢れる業魔族、八怪魔仙ボアロである。
◆◆◆
一夜明け、朝日が東から顔を見せる。
淡いオレンジの光に照らされながら聖守ティア一行はアズローダを目指していた。しかし彼女たちが見えたのは崩壊し、煙の立ち昇る街並みだった。遠くからでも見える壊れた外壁の上には異形の人型たちが立っており、既にこの街が人の手から離れていることを示している。
「間に合わなかったか。クソが」
「まさかアズローダを落とされるとは……どうしますか?」
「襲撃して街を奪い返す。多分、強い奴らがいるんだろ。アタシの役目は魔族をぶち殺す。それはどこへ行ったって変わらない。どんな状況でもな」
珍しくティアの口調は硬い。
彼女はいつだって強敵を前にして軽口をたたいていた。それだけの自信があったからだ。しかし今日だけは……今日に限ってそれがなかった。術師たちは言い知れぬ不安を覚える。
「ティア様?」
「感じるんだよ。強敵の匂いって奴だ。生きるか死ぬか……初めてだぜ」
「我々もついています」
「ああ、このまま攻め込む。だが何人かは戻ってジジイ共に連絡だ。あの様子じゃ、アズローダの連中はシュリッタットに伝令を走らせることもできてないだろうさ」
魔族は自分たちを増やすために人間を使う。占領されたアズローダには生き残りの民が残っていると予想できた。
人々を守る聖守として、アズローダをこのままにしておく理由はない。
それとは別にこの状況を聖都に知らせる必要もある。戦闘狂とはいえ、ティアは比較的冷静だった。感じる強敵の予感が彼女を落ち着かせたのかもしれない。
暗黒暦一五六〇年。
アズローダ奪還戦をきっかけに大陸西部は新たな歴史を迎えることになる。