448話 不滅の大地
黄昏の光を放つ槍から黒炎が放たれ、炎に包まれたモノは消滅していく。不死属も、大地に染みついた魔力すらもまとめて消し去っていた。
「見ているだけで問題なさそうですね」
空から様子を窺うアイリスはそのように呟く。
実際、ローランは槍を振り回し、黒炎を操り、あっという間に窮地を脱してしまった。獅子奮迅の働きによって高位級の不死属をまとめて消し去り、幾つか残っていた災禍級すらも同様に消滅させている。
「『地獄送り』も問題なく機能していますし、私は破滅級でも始末しましょうか」
視線を外し、強い魔力を放つ存在を確認する。
何かのきっかけがあれば『王』として覚醒してもおかしくない存在だ。元より意思が希薄な不死属系では滅多にないことだと思われるが、それでも知恵を付けない内に始末するべきである。先程の死聖騎士と同じ破滅級の魔物、不死教皇は不死属の中でも知力が高いという特徴があり、放置は危険であった。
法衣を纏った骸骨は祈るように手を組み、両膝を地に着けている。そして不死教皇からは鎖のような魔力が伸びており、その先には怪物がいた。骨の鎌を手に持つ『何か』であった。漆黒のクロークに全身を覆われたソレの中身を見ることはできない。頭部もフードで隠され、その奥に赤く光る二つの点だけが存在する。
これこそが不死教皇の魔導『祈祷』であった。敬虔な死の信者である不死教皇は弛まぬ祈りによって奇跡を呼び出す。しかしそれは死を具現する怪物なのだ。
「まぁ、関係ないですけど……《無間虚式》」
空間のごく小さな一点で時間停止を発動し、周囲との時空ずれを引き起こす。世界にとって巨大すぎる矛盾は負荷となり、やがて世界はその一点を切り離すことで負荷を取り除く。
結果として瞬間的に世界が破れ、どことも知れない空間へと消えていく。ブラックホールのような特異点を強制的に出現させる術式だ。この世界に存在する限り防御力は意味をなさず、破滅級であろうとも容易く葬る。
本来ならば国が滅亡しても不思議ではない不死教皇という魔物も、あっという間に異空間へと消されてしまった。
「ん。次ですね」
◆◆◆
シュウの放った《冥府の凍息》により白い巨人は氷漬けになった。《聖滅光星》により弱体化されていた不死属たちは滅びたが、邪魅の化身は身体が裂けつつも動いている。
(イゴーロナクが虚数時空の住人ならば、精神的な存在のはず。それが形を成しているということは、受肉したのか。その形が魂に左右される魔物には受肉できない。器となり得る肉体を得て、更に不浄大地の魔力を吸収……そして増幅したと)
冷静に状況を分析し、情報を紡ぎ合わせ、邪魅の化身という存在について確信を深めていく。ルシフェルは虚数時空の住民について『精神的な存在である』と語っていた。物質の世界たるこちら側に訪れ、受肉を目指している。
しかし肉体がないからといって何の力もないわけではない。虚無と呼ばれる虚数時空の住人達は魂が剥き出しなだけであって、寧ろ魂だけの状態で力を行使することができる。こちら側の世界に干渉するためには物質を介する必要があるものの、魂に宿る力は変わらない。それが魔法であったとしてもだ。
(そして状況や能力から見て赫蝋の業魔の破片に受肉したのは間違いない。細胞を自己破壊して魔力を増幅する性質をそのまま受け継いでいるとしても、この魔力上昇量は不自然。上手く能力が嚙み合ったということか)
考察している間に邪魅の化身は復帰し、罅割れた肉体も再生した。それから見上げるような仕草をする。首がないので正確性に欠ける表現であるが、シュウは『見られている』と感じた。ゾッとするような背筋の緊張を感じるのも束の間、邪魅の化身は片腕をシュウに向けて伸ばす。掌で大きく開かれた口からは鋭い牙が幾つも覗き、長い舌がダラリと垂れている。
異形の姿はアポプリス帝国で見慣れているシュウですら、それが悍ましいモノとして目に映った。掌の口はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「畏怖せよ」
邪魅の化身はそのように、こちら側の言葉で訴えかけてきた。理解不能な言葉を発信していた全なる虚無のことを思えば、これが受肉による影響の一つと判断できる。
そして彼の巨人が言葉を発した途端、シュウは自身の魂への干渉に気付いた。それほど深くはないが、表層の精神部分を搔き乱すような力を感じたのだ。
(ッ! 『死』!)
魂に触れる魔法である死魔法を使って脅威を取り除き、反撃の死魔法を放つ。すると邪魅の化身はあっさりとその影響を受けて魔力を減じてしまう。しかし即座に増幅され、元の大きさに戻ってしまった。
(瞬時に戻っただと?)
警戒しつつもマザーデバイスが発動している《地の眼》を確認する。詳細観測データを見る限り、白い巨人に変化してからは細胞を自己破壊することによる魔力増幅が見られない。明らかにその性質が制御されている。
(エネルギーの増幅か。あるいは細胞の分裂速度を速めて自己破壊と釣り合わせているのか。俺の魂に干渉しようとしたみたいだし、どんな能力かは確定できないな)
シュウは思考しつつも次なる術式を用意していた。死魔力を極限まで圧縮する《冥導》である。空間の一点を殺すことにより、周囲のエネルギーが空間を埋めるべく吸い込まれる。空間の孔が蒸発するまでそれは続き、防御無視で周囲を破壊する強力な術だ。
特異点とも呼ぶべきその点を、シュウは座標移動させて邪魅の化身に射出する。すると邪魅の化身も右手の口から純白の小さな塊が現れた。その白い塊も同じく射出され、シュウの放った《冥導》と衝突する。
すると周囲の空間がよじれ、曲がり、亀裂のようなものが走っては消えた。
黒と白の衝突は数秒続き、その後は何もなかったかのように消える。
「これで魔法は確定か」
ほぼほぼ確信していたとはいえ、今ので邪魅の化身が魔法に覚醒した『王』であると確認することができた。それも虚数時空に存在する『王』である。
虚数時空、つまり虚無の世界にもこちらと同じように魔法へと覚醒した『王』が複数存在する可能性が示された。目の前の邪魅の化身以上に厄介な事案である。
シュウは《斬空領域》を発動して斬撃を設置し、邪魅の化身を切り刻む。しかし切断こそされたが肉片が崩れる間もなく再生されてしまった。ならばと続けて《死の風》を発動する。死魔法により作製した眷属であり、ウイルスほどの大きさしかない精霊である。それらは敵の体内に侵入して魔力を喰らい、死魔力となって自己崩壊する。
「《暴食黒晶》、いけ」
マザーデバイスを使って小さな立体魔術陣を形成し、仕上げをシュウが行う。この魔術は死魔法を組み込んでいるので、魔術だけの部分はマザーデバイスにより構築しなければならない。しかしそうすることによって圧倒的に早く術式を完成させられる。
最後に加速魔術により漆黒の物体を射出した。《死の風》により内部からダメージを受けている邪魅の化身は回避も防御もできず、そのまま黒い結界に包まれる。内部では反物質の対消滅反応により膨大な質量エネルギーが爆散し、凄まじい熱が万物を蒸発させているはずだ。仕上げは死魔法によるエネルギー回収である。
黒い結界が解除されると同時にシュウは自身に魔力が蓄積されるのを感じた。
しかし思ったよりは多くない。
「やはり生きているな」
「これほどの力。なるほど、同類という訳か」
「できれば大人しく元の世界に戻ってほしいんだが?」
「それはできぬ相談だ。我は邪悪。我はそれを広げなければならない。世界を悲壮で満たさなければならないのだ。それこそが我が願い、我が依り代の望みよ!」
全身が焼け焦げた邪魅の化身は傷口を泡立たせながら再生し、元の白い巨人へと戻っていく。更には不浄大地に宿る魔力までもがあり得ないほど増大し始めたのである。あまりの魔力密度のせいか、大地は罅割れて魔力の余波が黒い雷となり放たれている。
まるで強烈な魔力汚染により不毛の地となった旧コントリアスのようだ。
しかし汚染の厄介さで言えばこちらの方が間違いなく上である。
「我が呪詛を受け入れよ。我が眷属となり、邪悪と悲哀で満たせ」
不浄大地が脈動する。
まるで一つの意思を持つかのように魔力が蠢き、術式として成り立った。罅割れた大地が盛り上がって、その下から巨大な何かが持ち上がる。
「何だこれは……骨と腐肉の城、いや街か?」
凄まじい魔力密度のために黒く染まった骨、そして肉。ともかく人の形をした屍のような物体が交じり合い、組み合って形成された巨大な城が現れたのである。また城の周りには同じく黒い死体によって形作られた街並みが広がっている。
それは間違いなく死都と表現するべきものである。
黒い霧状の魔力が立ち込め、この死都には数十万もの不死属が次々と現れる。それらの不死属は最低でも中位級、最大で災禍級という有様だった。
邪魅の化身は死都の中心にある城の上に立ち、その呪詛を存分に解き放つ。
「満ち満ちよ。我が増幅呪詛がこの地を偉大なものとしようぞ」
死都の中心部、屍の城が黒い霧に包まれる。
普通の視覚ではほとんど見えなくなってしまったが、シュウはその奥にある輝きがはっきり見えた。
「不浄大地の魔力が魂に集まっている。これは……そういうことなのか? だから不死王はこの土地をコントロールできたということか」
かつて不死王ゼノン・ライフがこの土地から消えた時、不浄大地は少しずつ広がり始めた。砂漠化のように少しずつ土地を不浄に変えて侵略してきた。シュウはこの現象を止めるために様々な策を実行し、その研究も続けてきた。だが進行を食い止めるのが精々で、土地を浄化するのは困難に近い。
だからこそこの地を封印する方法を考案したのだ。
まさかこんな方法で不浄大地の正体が割れるとは思わなかった。
「予想外だったよ。不浄大地が魔物の一種だったなんて」
魔物と呼ぶにはあまりにも希薄であった。
だが無機物型の不死属が鎧に宿るように、この魔物も大地へと宿っていた。魔導『屍脈』を行使することで無尽蔵に不死属を生み出すだけの存在なので、逆に発見することができなかった。そういう呪いに侵された場所だと誤認していた。
そうしてシュウの眼から逃れてきたこの魔物は、邪魅の化身の力によって遂に目覚めの時を迎えた。
この魔物はあまりにも巨大である。あくまで土地そのものが魔物であり、無尽蔵に生み出される不死属は端末でしかない。人間では倒すことができず、放置すれば世界が滅びる存在という意味では終焉級に分類されるだろう。
「我がシモベ、我が支配の地よ。不死滅よ! 我に代わりて邪悪を増やせ、悲劇を創造せよ!」
不死滅。
それはこの世に初めて誕生した種であった。魔力を留めるために魂を基点としているのだが、一方でこの魔物は複数の魂が絡み合った存在でもある。幾つもの魂が重なり合い、交じり合い、補い合うことで不死滅は不死性を実現していた。
言葉を発することのないこの魔物は、邪魅の化身の呼び声に従って不死属を生み出し続ける。屍の城郭都市は数十万もの不死属で溢れ、閉ざされた門によって閉じ込められている。八方に存在する門が開いたとき、不死属は津波のように広がることだろう。
シュウは《光の雨》を発動し、まずは不死滅の殲滅を図る。禁呪級の規模を誇るこの魔術によって屍の都市は壊滅的な被害を受け、高位級以下の不死属はほとんど破壊された。しかし破壊された不死滅は即座に再生し、元の姿を取り戻す。そればかりか滅ぼされた分の不死属も容易く復活させられてしまう。
「貴様の相手は我が担おう。シモベでは荷が重い」
邪魅の化身は近くの大岩を握り砕き、掌の口によって咀嚼する。そして破片となった岩石を勢いよく投げつけたのだ。当然ながらただの礫ではない。増幅呪詛が込められたことで瞬時に光の速さへと至り、大量の破片は質量であることを捨てた。
物質は質量がある限り光の速さには至らない。
逆に光速にまで加速するならば、それは別のエネルギー形態である必要がある。質量は瞬時に光エネルギーへと分解され、同時に凄まじい熱を放った。
「死ね」
シュウは死魔法でエネルギーを奪い、大爆発を無効化する。また返しの一撃として《暗黒塔》を発動した。黒い光の柱が天地を結び、邪魅の化身はそれに飲み込まれて姿が見えなくなる。この魔術は常時待機させているので、発動速度は最大級である。また結界内に閉じ込めた太陽光を収束して放つ関係上、チャージ時間が威力に直結する。
年単位で溜め込まれた光は邪魅の化身を圧し潰したかにも思えたが、白い巨体は《暗黒塔》を突き破って現れた。
「流石にこの程度では無理か……《冥導》!」
「またそれか。《膨》」
シュウは死魔法を凝縮した空間すら滅ぼす一撃を。
邪魅の化身は増幅呪詛を凝縮した万物を膨張させる一撃を。
それぞれ放った魔法による攻撃が中間地点でぶつかり、世界を揺らす。空間が震え、亀裂が走り、気味の悪い音が奏でられた。互いの魔力が食い合い、周囲に凄まじい影響を与えつつ対消滅する。
「絶望を思い起こせ!」
「俺に精神攻撃は効かないさ」
ならばと邪魅の化身は増幅呪詛で魂に眠る記憶から絶望を引き出し、無限に膨れ上がらせようとする。常人ならば深い絶望によって身動き取れなくなり、そのまま身体は生きることを諦める。シュウは自らの魂に施した死魔法の守りによってそれを防ぐ。
一方で邪魅の化身の増幅呪詛は死魔法のエネルギー奪取を無意味にする。
普通に戦うだけでは決着がつかないだろう。
「解放、《魔神化》!」
「我が領域よ来たれ、《宮殿》!」
故に二つの『王』は自らの支配する世界を顕現させる。
冥王アークライトは死に満ちた冥界を。
邪魅の化身は邪悪を奏で称える宮殿を。
空間が歪み、ぶつかり合う二つの魔力によって世界から遮断される。地上が不死不滅の力で満たされようとしている中、シュウと邪魅の化身の戦いも最終局面に移行し始めた。
不浄大地の正体は特殊な魔物でした。