416話 魔神と聖守③
タマハミ大樹は暴食タマハミを封印し、その力を削ぎ落とし、奪った魔力を大地に還元することで村を氷河期から守ってきた。しかし幾万もの魂を喰らった暴食タマハミといえど、限りはある。千年にもわたって村に恵みをもたらしてきたのだから、終わりの時が来ても不思議ではなかった。
だが、大樹を管理するロカの長老たちはこのまま滅ぼすはずだったタマハミに餌を供給することを考えた。それすなわち、生贄によってタマハミ大樹の恩恵を長続きさせようとしたのである。
「シェリア……レフ……? いないのか?」
今は過ぎしその日、防人の仕事から帰宅したスレイは自宅の違和感に気付いた。いつもなら妊娠中の妻シェリアが迎えてくれる。シェリアの体調が良くない日であれば弟のレフがいるはずなのだ。こうして二人揃っていない日など今までなかった。
一体どうしたことかと考え、もう一度外に出る。
すると家の前に銀髪の男が立っていた。髪飾りと共に編み込まれており、服装も独特。スレイは面識すらなかったが、ロカ族だとすぐに分かった。見た目こそ壮年であるが、ロカ族なので見た目通りの年齢ではない。少なくとも百歳は超えているはずだ。
男はスレイを確認すると一方的に告げる。
「スレイ・マリアスよ。悪く思うな」
言葉と共に複雑な印を組み、するとスレイの周りに術式が浮かび上がった。それは即座に彼を拘束して身動きできないようにしてしまう。突然のことで驚いたが、それでもスレイは聖なる光を発動することで中和した。
拘束が剥がれたところで大地より植物を生み出し、それによってロカ族の男を捕えようとする。しかし男は数度印を組むだけで結界を張り、植物の拘束を弾いてしまった。
なぜ攻撃されたのか分からないスレイでは積極的な行動もできない。そのため致死性の高い魔装は使わず防御に徹していた。一方でロカ族の男は容赦がない。印を組むことで次々と小さな亜空間が開き、そこから礫が飛来する。運動量を保存したまま封印することで、解放した際にその運動力を解き放つという攻撃だ。
(このままでは……シェリア! すぐに行く)
何も分からないままではいられない。
背中より無数の魔力腕を具現化し、迫りくる礫を一つ残らず弾いた。更には電撃の鎧を纏い、雷槍を召喚してその身を雷と化す。本来は万物を貫く雷光を放つ強力な魔装だが、上手く制御すれば相手を麻痺させるだけで済ますことも可能だ。
魔力腕の猛攻を囮に微弱な電気を放ち、あっという間にロカの男を麻痺へと追いやった。その状態で樹海の魔装を発動し、一気に拘束してしまう。
本来ならば嘘を見抜く魔装を使って尋問でもしたいところだが、今のスレイにそれほどの余裕はなかった。きっと家族に何か大変なことが起こっていると確信していたからだ。
スレイは急いで大樹のそびえる村の中心地、聖域へと向かう。ロカ族がかかわっているとすればそこしかないと考えたからである。
どこかいつもと雰囲気が違った。
なぜだか静かだと感じたのだ。
少しの時間とはいえ、あれだけ激しく戦闘したのにもかかわらず誰一人として家から出ようともしない。ただ何となく、多数の視線は感じた。まるで水に落ちて足掻く小動物を観察するかのようだ。気にはかけても助けることはない。
(急がなければ。何か大変なことが起こっている気がする)
そうしてロカ族が聖域と定め、村人の侵入を制限している境界線までやってきた。普段ならばここで踵を返し、帰っていく。しかしスレイは勢いよく踏み越え、そのまま奥へ奥へと進んだ。また通常は誰かが無許可に侵入すると、すぐにロカ族の誰かが跳んできて警告する。しかし今日はなぜか誰一人として来ない。
夕刻を過ぎたことで空を覆う結界も暗さを帯び始め、対照的にタマハミ大樹の枝葉に宿る魔力が淡く輝いていた。
嫌な予感が背筋を這いまわる。
それがセルア・ノアール・ハイレンからコピーしていた危機感知の魔装の影響だとは気付かなかった。記憶を失っている彼はただの焦燥感としてそれを理解する。
予感は的中していた。
最悪の結果を伴って。
◆◆◆
破壊的な斬撃が飛び交い、アリエットとスレイは互いの意思をぶつけあう。
復讐のために刃を振るうアリエットは荒々しく、その一刀ごとに憎悪が込められている。魔剣に込められた闇魔術がスレイを少しずつ追い詰めた。第一階梯《幻痛》、第二階梯《恐怖》、第四階梯《睡眠》、第六階梯《幻惑黒霧》といった精神面に作用する魔術による嫌がらせをメインにしつつ、《無象鋭鎗》による追撃も欠かさない。
「これがあたしの! あたしの家族の! あたしの友達の分!」
激しい猛攻に加えて鎖が鞭のようにしなり襲いかかる。普通ならばこれだけの攻撃を対処できるはずもないのである。だからこそ、ここまでして攻めきれないことに苛立ちは更に募っていた。
どうしても届かない。
何をしても一手足りない。
それがアリエットの焦りを加速させる。
「消し飛べ!」
だからなのか、闇の第十二階梯《大崩蝕壊》を刃より放った。拡張術式によってある程度の効果範囲を改変し、斬撃の直線上を放射状に破壊するようにしていた。この禁呪は第十階梯《黒浄原》と似ている。物質に対してエネルギー不均衡を及ぼし、無為にしてしまうというものだ。だがその影響範囲と深度は桁外れとなる。
腐蝕して溶けた物質が沼のようになって留まる《黒浄原》と異なり、《大崩蝕壊》は大地すら崩壊させる。粒子レベルでエネルギー状態に悪影響を与えるため、蒸発に近いレベルで広域が吹き飛ぶ。瞬時に物質が気化する際に生じる衝撃波も魔術の威力に直結するため、放射状に放てば数キロ先まで何も残らない。
危機感知の魔装でそれに気づいたスレイは樹海、聖なる光、磁力操作、暗黒物質の魔装で攻撃を逸らそうとする。実際、これだけ魔装を重ねたことで改変禁呪《大崩蝕壊》が街の中心部を直撃することはなかった。
「それが君の怒りというわけか」
「……どうしてよ! どうして当たらないのよ!」
「憎悪のままに放たれる力は確かに驚異的だ。しかし私も同等の力を持っている。ならば冷静な方に分があるのは道理だろう」
そう告げたスレイは雷光の鎧を纏い、その身を雷として斬りかかった。彼が聖王剣と呼んだその剣がアリエットに刺し込まれ、それを伝って激しい雷撃が放たれる。これまで迷宮魔力と鞘の特性で傷一つ負わなかったアリエットが、初めて大量の血を流した。
またスレイはそのまま剣を抜き、トドメとばかりに首に向けて振り払う。
アリエットは辛うじて魔剣を挟み込み、不完全ながら斬撃を受け止めることで致命的な傷を回避した。その代わり、威力は受け止め切れず吹き飛ばされる。手元から魔剣が離れ、宙を舞った。
そこでスレイは樹木を伸ばし、アリエットを空中で捕らえる。
「大きな力は私たちから理不尽に奪う。だから力は一つでいい。星盤祖だけでいい。対等な力は争いを生むのだから」
「だ、ま……」
万事休すに思われた。
しかし元よりアリエットは単独で戦っていたわけではない。空より輝く赤が降り注ぎスレイを焼き尽くさんとする。爆発と炎上が大地を一色に染め上げた。
廻炎魔仙フェレクスの爆撃である。空を飛ぶ力を得た彼は、常に戦場全体を観察してアリエットが危険になれば介入することを決めていた。そしてこの炎を合図として他の七仙業魔たちも次々と援護に現れる。
次にやってきたのは八怪魔仙ボアロである。
爆炎を中和するべく聖なる光を放ち続ける彼に突撃し、大樹の幹のように太い腕でスレイを吹き飛ばす。素手で岩をも破壊する威力がスレイへと直撃した。本来なら赤い破片となって砕け散るはずだが、スレイは魔力防壁にて威力を軽減し、更には身体強化系の魔装を重ねることで耐えた。
しかし与えられた運動量は変わることなく付与され、とどめを刺す寸前だったアリエットから大きく引き剥がされてしまう。
また吹き飛ばされた先には漆黒に染まった影が蠢いていた。それらはシーツでも被っているような姿で、巨大な口を開きスレイへと噛みつこうとする。そこでスレイは暗黒物質を生み出し、それらを刃にして自身の周囲を回転させた。ミキサーのように近づくモノを切り刻み、九尾魔仙の眷属……餓楼たちは細切れになって消える。
(新手か……!)
ルイオンの街を襲ったアリエットは魔族という配下を連れてきていた。それに邪魔されたのだということはすぐに分かった。ただ、スレイが思っていたよりも厄介そうである。
磁力操作と雷光武装により激しい雷を周囲に放ち、餓楼を一掃する。
神呪《侭雨》をものともしない魔力密度であり、周囲の草木を焼き払った。焦げ臭さが鼻を突く。それも黒い雨が鎮火して静けさが戻った。
一息ついて少し待つ。
するとフェレクスの足に掴まり、アリエットが空から降りてきた。それに呼応して七体の業魔族たちが姿を見せる。フェレクス、ボアロ、バステレト、ヴォルフガング、アールフォロ、アンヘル、ルフェイの七体に囲まれ、更には虚ろな目をした聖石寮の術師たちも包囲に加わった。
(いや……術師だけじゃない。住民も何人かいる)
術師や住民はバステレトの催眠により操られ、更には餓楼が憑依することで簡易的な戦闘能力を手に入れていた。
アリエットは魔剣に《大崩蝕壊》を宿しつつ告げる。
「大人しくしてもらうわ。あたしの目的はあんたの命。大人しく殺されるなら、街の人は解放してあげるわよ? どうかしら?」
「人質か」
「汚いなんて言っても無駄よ。あたしはどんな手段でも取る。あんたを殺すためならば堕ちる所まで堕ちるつもりよ。これがあたしの本気……あたしは本気よ」
「何も思わないさ。お前たちがそういう奴らだということは既に知っている」
スレイには動揺一つなかった。
◆◆◆
「ライヤに任せたが、やはり無理じゃったか。まぁ想定通りではあるがな」
長老の一人の、そんなセリフに出迎えられた。
スレイがタマハミ大樹の根元へと到着した時、そこでは多くの篝火が焚かれ、ロカ族の精鋭たちが揃っていた。大樹の根には地下へ入れる洞のようなものがあり、祠と見てわかる程度に装飾されている。
ただ、肝心のシェリアやレフの姿はなかった。
(やはり間違いではないということか……)
この光景を見て感じたのは怒りではなく、悲しみであった。
スレイが防人の仕事で村の外縁部に出かけている間、自宅にロカ族が数人でやってきたのである。そして身重なシェリアと、その弟のレフを力ずくで聖域まで連れ去ったのだ。
理由は人質。
スレイをこの場所に呼び寄せ、言うことを聞かせるためである。
「妻を……シェリアを返していただきたい。レフもここにいるのでしょう? 何の目的かは知りませんが、大切な家族です」
まずは言葉で語りかける。
そのつもりで可能な限り冷静に言葉を紡いだ。それに対し、ロカの長老の一人が一歩前に出て返す。
「ならぬ」
「このようなことをなぜ? 私や家族が何をしたというのですか」
「ただ貴様が余所者ということだけが問題なのだ。村のため、犠牲になってもらうのに都合が良かった。運が悪かったのだ。タマハミ様の贄となり、村の繁栄の礎となれ。嫌と言っても無駄じゃよ。あの娘もその弟も贄として祠の奥におる。腹の子も良い贄となろう」
「なっ……! 外道め!」
「何とでも言え。儂らは村のため、冷酷にならねばならぬ時もある。さぁ選ぶが良い。贄は祠の奥にいる。助け出したくば、中に入る他ないぞ」
明らかにこれは罠だ。
このまま祠の奥に行ったとして、それで終わりなはずもない。何か仕掛けられるに決まっている。
(アリエットはいない、か。頼りにできそうもない。それに村も異様に静かだった。この事態は了承済みということか……)
このようなことをして親友のアリエットが黙っているはずないと思った。しかしこの場にいないことを考えると、アリエットには知らされていないのかもしれない。またよく考えれば今日の防人の仕事も違和感があったように思える。当初のシフトが変更され、自宅の反対側で遅くまで警備させられたのだ。
不意に心の内から声が湧き上がってきた。
――君はここに。勝って戻る。
――いってらっしゃい。私の騎士様。
その時浮かんだ会話はなぜか、シェリアの声とは違っていた。思い浮かんだ顔は記憶にない人物で、しかしながら懐かしさがあった。
同時に危機感知の魔装が激しく警鐘を鳴らす。
しかしスレイはそれらを全て捻じ伏せ、今すべきことを思い起こす。
「すぐに助ける!」
聖なる刃を握り、贄の祠へと駆けこむ。
すると背後では祠を囲むロカ族たちが印を組み、術を発動することで祠を閉じてしまった。大樹の根が編み込まれた空洞は淡く魔力光を発しているので視界には困らない。
通路の続くままに進みその奥まで一気に駆け抜けた。
その途中で急激に魔力を吸収される感覚もあったが、スレイは気にしなかった。今はただ、シェリアとレフを助けることだけを考えていた。嫌な予感が鳴りやまずとも、足を止めることはない。
「シェリア! レフ!」
祠の一番奥でスレイはそれを目撃した。
網目状に編まれた蔦が繭のようになっているものを。それは丁度二つ。スレイはすぐにそこへ近づき、引き千切ろうとした。ただ力及ばず、魔力腕を使って掻き分けていく。
ぶちぶちと音を立てて引き裂かれ、その内側からレフの顔が覗き込んだ。眠るように穏やかな表情を見て安堵するも、脈を図るべく首筋に手を当てた瞬間、背筋が凍る。
(死んで……え?)
すぐに中から引きずり出し、寝かせて心音を聞こうと胸に耳を当てた。だがそこに鼓動はなく、呼吸の音も存在しない。間違いなく死んでいた。
顔を青くしたスレイは急いでもう一つの繭に魔力腕を差し向け、表面の蔦を剥がす。すると予想通り、そこにはシェリアがいた。震える両手で彼女を抱え、引きずり出し、丁寧に寝かせた。
「くっ……う……」
込み上げてくるものを噛みしめて押さえ、それでも嗚咽が漏れた。
スレイが一体何をしたというのか。
記憶がなかったスレイの家族となり、支えてくれた大切な存在だった。これから増える家族を想って幸せな未来を想像した。だが、それらは全て踏みにじられたのだ。
憤怒。
憎悪。
悲壮。
それらが混じり、心が狂気的な悲鳴を上げる。
「なん、だ……これ」
蓋が開いたかのように記憶が蘇った。
自分の名はスレイ・マリアス。
コントリアスにおける貴族の家系に生まれ、姫の騎士となった。その後はコンティアーノ王家代表として魔王討伐戦に参加し、魔装を覚醒させる。だが時代の流れはコントリアスという国へ荒波となって襲いかかった。世界大戦が起こり、中立を維持しようとしたコントリアスは攻め立てられる。コピーの覚醒魔装を手に入れるため、国が巻き込まれた。
苦悩した。
自分の力が国を追い詰めたのだと悩んだ。
それでも力の限り国のため、結ばれた姫のために力を尽くした。空を覆う巨大な兵器を落とすべく、犠牲を厭わない最後の戦いを挑んだ。だがその結末は実に情けない。空飛ぶ黄金の要塞は絶大な魔力から砲撃を放ち、スレイは死を回避するために不完全な転移を発動したのだ。
「俺は……私は……なぜいつも守れないのか」
思い出したのは絶望。
なぜ、今になって思い出してしまったのかと運命を呪う。ひび割れ、欠けてしまった心の器から感情が抜けていく。
「あああああああああああああああああああああああ!」
――聖なる光
―――樹海
―暗黒物質
――――溶岩流
――圧力支配
―水晶竜
――呪血
―――闇の孔
――魔力腕
――――磁力操作
――雷光鎧
その内に秘めたる様々な魔装が暴走する。
どうでもいいと叫び、この世を呪い、絶望を味わったスレイは狂気のままに魔装を発動した。それらは制御を離れてタマハミ大樹の根元を吹き飛ばし、ロカ族が用意した贄の祠を無惨に変える。
これほどの狂気に浸ってもシェリアとレフの遺体を傷つけないようにしていたのは、彼の人としての最後の心だったのかもしれない。
だから二人の遺体を抱え、魔力を喰らう大樹の根元より飛び出したスレイはそっと地面に寝かせる。そして封印術の印を組み、警戒するロカ族に向かって告げた。
「私が悲しみのない世界を創る。何も恐れることのない、失うことのない世界を。だからお前たちは……そのための礎となれ!」
終焉戦争以前において最強とすら評された魔装が無情に放たれる。
この日、タマハミ村は壊滅した。
ただ一人、アリエット・ロカを除いて。
◆◆◆
暗雲が渦巻き、光が落ちた。
その先にいるのは聖王剣を掲げるスレイ。それは雷のようであったが、その正体は圧縮された聖なる光である。聖なる刃と聖なる光という二種の反魔力を操る魔装を重ねたのだ。魔力が圧縮されると黒く稲妻のような閃きを放つように、反魔力も圧縮すればエネルギーの余波が雷光のように弾ける。
「私は人質で揺るぎはしない。それが世界のためであるならば、私は犠牲を許容しよう。それがこの時代に落ちた私の運命……そして私が負うべき責務だ!」
スレイは壮絶な覚悟により、聖王剣を振り下ろす。
反魔力が凝縮された一撃は真っすぐアリエットへと落ちた。




