415話 魔神と聖守②
アリエットの一太刀はスレイの首筋へと吸い込まれる。しかしそれを受け入れるスレイではなく、足元が不安定ながらも聖なる刃で受け止める。本来ならばそのまま押し込まれてしまうことだろう。しかし刃を傾けることで斬撃を逸らし、どうにか回避してみせた。
またスレイは闇魔術と相性の良い魔装もコピーしている。
それは古代において暗黒色の物質を自在に操ることができた魔装だ。暴食王および強欲王討伐戦においてほぼ同時期に覚醒したという経緯からその魔装もコピーしていた。
「っ!?」
《黒浄原》の闇沼から鋭い槍が複数飛び出し、アリエットを貫こうとする。しかしそれは彼女の体表で止められ、傷一つ付かない。空間を司る迷宮魔力が彼女を守っているのだ。迷宮魔力を利用して生み出される魔族もその影響で攻撃が通じにくく、その主たるアリエットほどとなれば同じ空間系能力で中和しなければ一切攻撃が通用しないだろう。
本来の使い手でないからこの程度で済んでいるが、ダンジョンコアともなれば魔法でない限り対抗できない。
(通じないか!)
アリエットは契約の鎖でスレイを捕えようとしたが、それは聖なる光で分解してその場を離れた。また聖なる光を足元に展開し、《黒浄原》を浄化して足場を確保する。また元に戻した地面から植物を生やしてアリエットの足首を拘束し、手元に二挺拳銃を具現化させた。
それは幻術を弾丸にして放つ効力がある。物理的な威力はないが、表面部分とはいえ魂に干渉できる強力かつ珍しい魔装だ。当然ながら銃という武器も廃れた技術に分類される。アリエットはよく分からない鈍器を向けられたという印象であった。
――避けなさい。
しかしそこで声が響いた。
より正確にはそんな言葉が心の内に浮かび上がった。アリエットはその言葉に従って体を捻り、銃口から離れる。引き金が引かれて二つの弾丸が宙を貫いた。また続いてスレイは幻術弾を放つべく狙いを定めるも、アリエットは宵闇の魔剣から《無象鋭鎗》を発動して反撃を試みる。
「その剣は……!」
「お前を殺すための武器よ!」
スレイは時代に見合わない武器を見て動揺を隠せない。
これだけ強力な魔術を組み込んだ魔術兵器はもう作れない。古代遺物だとしても、古代ならば銃が戦術兵器として主流だったので趣味の領域で作られたものだと推察できる。そんなものを迷宮で見つけてくるなど、その執念深さは脱帽するばかりだ。
尤も、実際は異なるのだが。
「何で殺した! あたしの家族を! 友達を! 村の人たちを!」
「……言っても無駄なことだ。この世にはどうしようもない理不尽で、諦めなければならない時もある。それを打ち破ることができるのは一部の選ばれた者だけ。私はその選ばれた者を九割にしたい。一割が不幸になろうとも、九割が笑っていられるように」
「ふざけるな! なんであたしをその一割にした! あたしの村を……っ!」
「運が悪かった。それだけだ」
続けてスレイが何かを語ろうとしたようだが、アリエットはそれを遮って叫ぶ。アリエットからすれば納得できないだろう。どんな崇高な理由があったとしても、どんな理路整然とした説明があったとしても、親しき者たちを皆殺しにされたアリエットの怒りが収まることはない。
魔剣により激しく切りかかり、《無象鋭鎗》による攻撃を加え、鎖による拘束も混ぜる。ただその攻撃は全ていなされ、スレイには掠りもしない。
初めこそ不意打ちに驚いて後手に回ってしまったが、本来ならばスレイの実力はアリエットの遥か上を行く。だからアリエットの攻撃回数は減り、防御や回避を選ぶことが多くなる。
「なんで! お前がああああああ!」
アリエットの言い分はただ一つ。
お前が言うな、ということだけだ。なぜタマハミ村であれだけの惨事を引き起こしておいて、そんな態度でいられるのか信じられなかった。虐殺の限りを尽くして仕方なかったで済ませるスレイに今までより強い怒りを抱えた。
暴食タマハミと融合することで手に入れた闇の孔を発動する。それも大規模なものではなく、小規模な孔を複数配置したのである。宵闇の魔剣から闇属性を引き出して補助しつつ、ロカの秘術による緻密制御も組み合わせている。魔剣で右手が塞がっている関係上、片手印しか組めないがそれでも効力は充分だ。
更には闇の孔を縫うように鎖を伸ばし、回避する場所を奪っていく。
また今も発動し続けている神呪《侭雨》のせいでスレイは常時魔力を消費させられる。一方でアリエットは迷宮魔力により効かないため、スレイだけが一方的に弱体化させられる。この状況でここまで追い込まれれば普通なら対処できない。
(なるほど、前とは違うらしい。ここまで憎悪が育っていたとは)
やはりあの時点で始末できなかったことが悔やまれるとすら思った。
ただ力があるだけでは守れない。脅威となり得るものを冷徹に排除しなければならない。個人的な感情によって守れるのは、やはり個人の範疇でしかないのだ。
スレイはその事実を思い出していた。
(祖国と同じようにはさせない)
もう記憶は戻っていた。
ただの忠義では人を護れても国を護ることはできない。
いや、たった一人の人すらも―――
◆◆◆
およそ千三百年前の終焉戦争において、スレイの祖国コントリアスは滅亡の危機に瀕した。神聖グリニアが開発した兵器、黄金要塞が首都攻撃を開始したからである。『聖女』と『剣聖』という聖騎士が協力してくれていたものの、戦力差は歴然。また実際は『剣聖』が起死回生の一手を打つべく神聖グリニアに戻ってから行方不明になっていたこともあり、頼りとなるのは『聖女』一人であった。
あとはナラクの民という戦闘民族もいたが、スレイとはあまり関わりがなかった。
そしてスレイ・マリアスは兵を率い、多数の犠牲を払って黄金要塞へと挑む。しかし奮戦も虚しく、スレイは浄化砲の大爆発に巻き込まれた。黒く可視化されるほどの魔力が空間で荒れ狂い、その汚染によりコントリアスは不毛の世界となる。覚醒魔装士だったスレイは彼の魔装、コピーにより空間転移の術式を不完全ながら取り込み、亜空間へと逃げることで即死を回避した。
だが、空間魔術とは突き詰めれば時間魔術である。
不完全に発動したことでスレイは魔力尽きるまで亜空間へと封印されることになり、千年以上経過してようやく世界に戻ってこられた。
(私は何者なのだろうか)
タマハミ村に現れ、シェリアとアリエットに拾われ、治療までされたスレイは自問した。なぜなら記憶を失っていたからである。それは心にぽっかりと穴があいたような喪失感を伴い、自分の持つ知識がどこからやってきたものなのか理解できない気持ち悪さすらあった。
それも仕方のないことだろう。
ロカ族は比較的知識を継承してきたが、それでもタマハミ村に住む一般人程度ではスレイの持つ古代知識を理解できるはずもない。忘れ去られた知識を持つスレイは間違いなく異端だった。そして自分の保有する隔絶した力に恐怖すらした。
だからこそ、それらを余さず受け入れてくれたシェリアと結婚することになったのだが。
「あなた、お腹の子が動いたわ」
「本当か?」
「ええ、触ってみて。とても元気よ」
忘れてはならない、と叫ぶ自分の知らない自分のことは無視した。今、目の前にある幸福を享受するために後ろを振り返ることを止めたのだ。虚しさは少しずつシェリアが埋めてくれた。間違いなく前進していたはずだった。
「少し寒くなってきた。さぁ、体を温めて」
「ええ……でも不思議なのよね。今まで冷えることなんてなかったのに」
「気にしなくていい。俺がどうにかするから、シェリアは心配せずに」
「ありがとう。レフのこともあるのに」
「何も苦じゃない。俺は君の夫だ。家族なんだ。助けるのが当たり前だよ。それよりもシェリアはお腹の子だけを想って、大事にしてほしい」
「本当に、ありがとう……あなた。でも無理しないで。たまにアリエットも来てくれるから」
「そうだね。無理はしないよ」
スレイは防人をしていたので、村の異変には敏感であった。
だが今はシェリアが大切な時期なのだ。心配させてはならないと思い、そう言った。村を守る結界が弱体化し、侵入する魔物が増えたことで防人の仕事も過酷になっていたのだ。この時期にスレイが現れたことは村にとって幸運だったことだろう。
実際、スレイからすれば討伐に苦労のない魔物だったのだから。
だが村の……より正確には村を守るタマハミ大樹に起こっている異変は無視できないものだった。タマハミ大樹を管理するロカ族は大樹が弱っていることを理解しており、その加護が消えた時に訪れる村の滅亡を心配していたのだ。
ロカ族とて終焉戦争の煽りを受け、一族の住処を捨ててタマハミ大樹の元まで逃げてきた歴史がある。元から文明と隔離された生活を送っていたし、終焉戦争の影響で失われた技術もあった。だからタマハミ大樹を失ったら生きていけないことを理解していたのだ。外には『王』の魔物たちがもたらした死の世界が存在していると信じ切っていた。
その妄執と恐怖がロカ族の長老たちを過ちへと走らせる――
◆◆◆
「っ!?」
アリエットは勝利の確信が砕け散った。
確実にスレイの胸に魔剣を刺し込めると思っていた。しかしそれは空を切る。
「お互いに理不尽を受けた身だ。アリエット、君の怒りは私も理解できる。その上で許せとは言わないし、私とて許されるつもりなどない。だから理念に従い、君が脅威となるなら排除するまでだ」
その台詞はアリエットの後ろから聞こえてきた。
振り返れば雷光に身を包まれたスレイがそこに立ち、手には槍状の雷が握られている。これも終焉戦争以前に存在した覚醒魔装である。ジュディス・レイヴァンの雷光武装であった。鎧と槍が一体化した武器型および防具型の魔装であり、その出力と密度は桁違い。発動者に雷の如き反応性と速度を与えるその特性によって絶体絶命の瞬間を回避してみせた。
更には水晶の飛竜を具現化してアリエットに食らいつかせる。
突如として出現した巨竜の顎がアリエットを噛み砕こうとする。しかしやはり効かない。アリエットは迷宮魔力による守りがある他、常盤の鞘が物理エネルギーを冥界に逃がすことで守ってくれる機構もある。この程度の攻撃が効くはずもなかった。
「この、程度で!」
「どこまで強がれるか、試してみるといい」
反撃の闇魔術を発動しようとするアリエットに対し、スレイは樹木龍をけしかけた。最古の魔装士と言われたアロマ・フィデアの代名詞ともいうべき力の一端である。魔力を喰らう二匹の龍がアリエットへと螺旋状に巻き付き、そのまま絞め殺そうとする。
ここで重要なのは圧殺ではなく、拘束と魔力吸収だ。
どれだけ頑丈でも魔力を吸い尽くされればいずれ殺せる。聖なる光と並んで最強と評された魔装には隙が無い。
巻き付く樹木龍に覆われ、アリエットの姿は見えなくなった。
だが次の瞬間、渦巻く樹木が黒い闇に覆われた。闇の孔が発動したのである。アリエット自身を巻き込むほどであったが、彼女は迷宮魔力で守られているので無効化できたのだ。魔力を食い尽くす樹木龍といえど、空間エネルギーを崩して穴を空けているのでそのまま吸い込まれていく。そして魔剣を掲げたアリエットが現れ、その切先に黒い雨を収束させた。
宵闇の魔剣は闇属性に特化し、アポプリス式魔術を基本として多くの拡張術式を内包している。発動中の《侭雨》は今も降り注ぎ、魔力と物質を分解し続けている。アリエットはその雨を魔剣を介して操り、刃の形状にして飛ばした。
スレイは聖なる刃で弾き、何事もなかったかのように追撃の斬撃を放つ。
「うっ……」
刃が伸びるせいで間合いを見誤り、アリエットは斬撃を身に受けた。ただし、やはり迷宮魔力と常盤の鞘の影響で傷一つ付かない。
するとスレイは聖なる刃を消して腰に差した剣を抜いた。滑らかに無音で抜かれたそれは、青みがかった輝きを刀身に宿している。どこか神秘的な雰囲気がアリエットの動きを止めた。
(アレは……駄目)
そして直感する。
スレイの持つ剣はアリエットを傷つけ得るのだと、感覚的に理解した。
「感じるか。この聖王剣の脅威を」
「あんた……そんなのどこで」
「俺がタマハミ村を出て迷宮を彷徨っている頃、これを拾った。その時、私にも星盤祖の声が聞こえた。世界の脅威を切り裂く剣、聖王剣だと」
またその切先を突き付けたスレイは告げる。
「アリエット・ロカ。君はもはや人の世の脅威にまでなった。西グリニアを滅ぼし、魔族とやらの主になったのだろう。ならばその脅威を残してしまった私にこそ責がある。ここで葬ろう」
「勝手なこと!」
「何とでも言え。私にはそれしかないのだ」
ここからが本番とでも言わんばかりに魔力を滾らせる。
アリエットは魔剣を、スレイは聖王剣を、それぞれ握りしめ第二ラウンドへと移行した。




