414話 魔神と聖守①
シュリット神聖王国北部の開拓都市フラエッテ。そこは三年前にアンジェリーナの派遣した西グリニア軍が攻撃を仕掛け、周辺の開拓村や街と共に大被害を受けた。それからは警戒を強めつつ再建し、今では元の姿を取り戻しつつある。聖石による土木魔術のお蔭だった。
だがこの日、彼らが予測した通りに侵略者が現れる。
それは西グリニア軍ではなく、魔神より生まれた魔族であった。
「ま……魔物だあああ!」
見張りの術師が声を張り上げ、空に向かって三発の爆発魔術を放つ。フラエッテに限らず聖石寮の術師は魔術による手法で危機を伝える。打ち上げる爆発魔術の数がそのまま危険度だ。危険を発見した術師の独断にはなるが、最大五発で伝達するということを考えればそれなりの危険度ということになる。
フラエッテはすぐに厳戒態勢となり、住民は避難を開始して術師は脅威のある場所へと集まってきた。これだけ行動が素早いのは、普段から備えて訓練していたからである。
「相手は何だ?」
「分かりません。見たこともない魔物です」
「見せてみろ」
遠視の魔術で確認する。
すると確かに異形の者たちがフラエッテに迫っている。ただその姿に統一性はなく、獣だったり人型だったり様々である。中には複数の目や腕、足などを有する化け物までいた。
「どうしますか? 現状の対応規定では……」
「最悪を想定し、緊急事態を宣言する。強力な個体が複数種の魔物を従えている最悪のパターンかもしれんぞ」
「そのようなことがありえるのですか?」
「聖守様の仰った話ではあり得ぬことでもないようだ。もしそうなら私の預かる範疇を越えているぞ……術師長に判断を仰がなくては。私のような部隊長如きでは……ともかく術師長に連絡だ! 急げ!」
「はい!」
見張りの術師たちが慌しく動き出し、ともかく時間を稼ぐ布陣を立てる。観測された魔物と思しき敵勢力は百以上と思われる。フラエッテに厳重な警備を置いていたとしても、未知の魔物の大軍は警戒してもし足りない。
三年前のように街を蹂躙されるわけにはいかない。
そんな思いで彼らは意気込む。
「さぁ、街を、家族を守るぞ!」
だがフラエッテは壊滅した。
三年前を遥かに上回る大被害により復興された街は再び瓦礫の山となる。夕暮れの照らす赤い光のせいか、この街に住んでいた者たちの血か。フラエッテは真っ赤な廃墟となり果てた。
◆◆◆
「遅かったか」
聖守スレイ率いるヴァナスレイの調査隊が到着したのは翌日のことだった。本来は預言にあったフラエッテの危機を調査し、必要であれば迎撃する予定だった。しかし全て遅かった。
「聖守様、生き残りは一人も見当たりません」
「そうか……」
「これが例の魔族という奴の襲撃だったのでしょうか」
「おそらくな」
フラエッテだった街に残っているのは死体と瓦礫だけ。一体何に襲われたのか明確に示す証拠は何一つ存在しない。
「どうなさいますか?」
「急いで近くの街へ向かう。ここへ来る途中に寄ったルイオンはおそらく大丈夫だ。となると……」
「そうなるとフラエッテに近いのはアスタルテかバルフです」
「ならば三手に分かれる。私は一つ前の街に戻り、そこを拠点として魔族とやらの動きを探る準備を進める。他の皆はアスタルテとバルフに分かれ、無事を確かめてくれ」
予想していたよりも敵の動きが速い。
スレイは守れなかった人々のことを悲しみつつも、それ以上に義務感で燃えていた。彼が時を超え、記憶を乗り越え、不要なものを切り捨ててきたのはそのためだ。
「全ては恒久なる秩序と平和の為に」
九のために一を捨てよ。
それが聖石寮の教えである。最小限の犠牲によってより大きなものを守れ。全てを守り慈しむことは不可能である。スレイ自身が教えた心得に従い、行動を開始した。
◆◆◆
アリエットは魔族を使ってシュリット神聖王国を攻撃する際、その戦略策定においてシュウの力を借りることにした。航空機による偵察や観測魔術による調査、また通信技術による諜報作戦もない時代になってしまったのだ。
この古い時代における戦争で最も大切なのは、予測である。
街の位置、水場の位置、街道の繋がり、そして何日前に軍がそこにいたのかという情報、軍隊そのものの規模、食料生産規模など、様々な要因から予測する。軍師と呼ばれる者たちは日夜議論し、限りある軍備を配置して迎撃しなければならない。
しかしシュウがいればその必要もない。
相手がどんな動きをしているのか、あらゆる手段で情報を仕入れて采配に反映できる。いわば相手にだけ目隠しチェスを強要しているようなものだ。情報とはそれだけ武器となる。アリエットはスレイ・マリアスに復讐を遂げるため手段を選ばないことにしていた。
「スレイの動きは予測通りなのかしら」
「ああ、滅びたフラエッテを見て焦り、兵力を三つに分けた。あとは罠にかけるだけ」
「目的の場所で、でしょ?」
「そういうことだ」
スレイ・マリアスは強い。
それはアリエットも理解していることであり、まともに戦っては勝てないことを認めていた。足りないものはあらゆる手段で補ってきた。暴食タマハミを取り込むことで人外となった。魂を弄び魔族を生み出した。魔剣という時代を逸脱した兵器も手に入れた。二種類の魔装は共に覚醒しているし、不死性すら手に入れている。
しかしこれだけのことがあっても敵わない。
だから罠を仕掛ける。
「機会は一度。二度目や三度目はない。時間をかけるほどお前の勝率は下がっていく」
「分かっているわ。そんな甘い相手じゃないことはあたし自身が分かっている」
「それと敵を見誤るな。シュリット神聖王国そのものは敵じゃない。お前はスレイ・マリアスただ一人を目的としているのだろう?」
「ええ、そうよ」
「魔族で分断し、罠にかけ、業魔族とお前で包囲する。あまり意味はないと思うが、念のために空間転移は俺とアイリスで防いでやろう。物理的に封鎖すれば、あとはアリエット……お前次第だ」
シュウはマザーデバイスからワールドマップを開き、シュリット神聖王国の北部地域をズームアップする。丁度、魔族を使って荒らしまわった地域だ。フラエッテは廃墟となり、引き連れてきた魔族は散開して同地域に待機させている。号令一つで襲撃をかけることも可能だ。
魔族は数こそ少ないが粒揃いだ。
それこそ業魔族のような強力かつ多彩な異能を操る魔族でなくとも、現代の魔術使い如きに劣るわけがないのである。人間の軍隊のように行儀よく街道を通る理由もないため、奇襲も容易い。
「いよいよ、なのね」
感慨深そうに、そして邪悪にアリエットは嗤った。
◆◆◆
その日は昼でも暗かった。
間もなく氷河期が終わるであろう現代であっても、日によっては暗く閉ざされていることもある。そういった日は非常に冷え込むので、街の広場でも火が焚かれたりする。
(吹雪になるかもしれないな)
フラエッテから南の街、ルイオンに留まるスレイは空を見上げ息を吐いた。その息も白くなって昇っていき、寒さを視覚的に露わとしてくれる。
今は彼も情報待ちだ。
同じくフラエッテの手前の街となるアスタルテとバルフにも術師を派遣しており、預言にあった魔族という存在の襲撃に備えている。今のところ魔族は神出鬼没で、戦闘記録もないに等しい。幾つか正体不明な魔物について目撃情報があったので、それが魔族であろうと予想はされている。
「聖守様、定時連絡です」
「どうだった?」
その問いかけに対し、術師は首を横に振った。
魔族について何もわかったことはないということである。あまり切羽詰まった様子でないことから予想はしていたが、良い情報はない。
「フラエッテの住民は? 捜索は進んでいるか?」
「この天気ですから街道付近に絞るしかありません。命からがら、どことも分からない場所に逃げて遭難していると思われます。流石に皆殺しにされたとは考えたくありませんね。もしそうだとすれば……」
「そうだな」
廃墟となったフラエッテを調査したところ、死体は住民の数と比較して不足していた。瓦礫の下に埋まっていたものも可能な限り掘り起こしたが、それでも足りない。つまり逃げ延びた者たちがいたのだろうとスレイたち聖石寮の術師は考えた。
ただフラエッテと街道で繋がるルイオン、アスタルテ、バルフに逃げ延びてくる住民は一人として発見されておらず、スレイたちがフラエッテに到達するまで異変に気付けなかったほどである。
手掛かりは少なく、追加の預言もない。
こうして待つ時間がもどかしかった。
手持無沙汰の無意識か、スレイはふと左目を触る。そこには頬のあたりまで続く深い爪痕が残っていた。心配した術師が声をかける。
「痛むのですか?」
「いや、何となく疼いてね」
「その傷は魔物に?」
「ああ、ここに来る前……北の地を彷徨っていた頃に付けられた傷かな」
「聖守様に傷をつけるとは……何と恐ろしい」
「結局、私も逃げ帰るだけとなってしまった。覚えておいてほしい。北の巨大湖には化け物がいるから近づくべきではない。魔力汚染もあるからそもそも近づけないだろうけどね」
ぽつりと雫が額に落ちて、スレイも我に返った。
空を見上げつつ話を戻す。
「空模様がいよいよ悪い。調査は延期する必要があるかもしれないな」
「ですね。私は戻ります。聖守様も屋内へ」
「君も気を付けて」
「お心遣いに感謝します。では」
連絡役の術師が去っていくといよいよ天候が雨に変わり始めた。寒さの影響で雪も混じっており、焚火に当たっていたルイオンの住民も各々の家に戻り始める。
スレイはその様子を眺め、平穏な街を目に焼き付けていた。雨や雪に騒ぐ子供たち。それを諫める親。焚火を始末し始める聖教会の神官たち。凍えつつ溜息をつく聖石寮の術師たち。
ルイオンの、ひいてはシュリット神聖王国の平穏はスレイの肩にのしかかっている。
ぴりりと肌が焼けるような感覚を覚えた。
今更気負うような感情を覚えるのかと感慨に耽る――
◆◆◆
「雨は恵み。そして災い」
宵闇の魔剣を掲げ、魔術を発動させるアリエットは誰に語るでもなく呟く。発動したのは闇の十五階梯《侭雨》。天地万物のエネルギー状態を書き換え、物質の均衡を崩してしまう神呪だ。この神呪が発動したエリアは構造に不均衡化が引き起こされ、溶けるように消えていく。
吹雪に混ざって降り始めた黒い雨はしばらく降り続ける。
威力を弱化させる代わりに長時間発動するよう、魔剣の拡張機能で改変したからだ。
「呪ってやる。殺してやる。苦しませてやる」
復讐の対象はただ一人。
しかしスレイ・マリアスという男をより深く苦しませるため、周りを巻き込むことにした。それが理不尽で愚かなことと自覚しながらも、アリエットは止めようとしなかった。もう止まれないというのが本当の所である。
故郷も捨てた。
人間もやめた。
見知らぬ人を殺した。
国を滅ぼし、その国民の魂を汚した。
本来は友人思いの性根なのだ。何度も後ろを振り返り、後悔もした。しかしその度に歩んできた暗い道程を目の当たりにしてしまう。もう戻れないのだと再認識してしまう。
だからこそ、徹底的に悪となる。
二度と立ち戻れないと自覚したが故に、強い言葉で自分自身を説得した。
「フェレクス、ボアロ、バステレト、ヴォルフガング、アールフォロ、アンヘル、ルフェイ……そして名もなき魔族共に告ぐ」
契約の鎖によってアリエットは全ての魔族と従属関係で繋がっている。特に種族名と名と地位を与えた七仙業魔は繋がりが強い。
その繋がりを介して全ての魔族に布告した。
「最後の戦いを始めるわ。計画通り、殺し尽くせ」
心にあるスレイ・マリアスという人間への憎悪を感染させる。魔族という魔族は人間に対して理由も分からない憎悪を抱え、殺意を抱くようになった。またフェレクスやヴォルフガング、アールフォロを代表として、魔族は元より憎悪を抱えた人間を素材にした個体も多い。アリエットの感情が一つのきっかけとなってそれらは暴走し始める。
最後にして唯一のチャンスと定めた戦いが狼煙を挙げた。
◆◆◆
――これは普通じゃない。
「今すぐ避難を開始せよ!」
スレイは何かがおかしいと察した瞬間、そう叫んだ。
だが少し遅い。
雨を避けて自宅に戻ろうとするルイオンの民が悲鳴を上げ始めたのだ。子供たちは泣き始め、大人たちは子供や老人を支えて屋根のある場所に急いでいる。それもそのはずだ。今、雪に混じって降る雨は闇魔術なのだから。
神呪《侭雨》は物質に不均衡をもたらす。
それすなわち原子の結合にも影響を及ぼしてしまうということだ。雨が触れた場所は闇に染まり、腐蝕するように崩れる。人体に触れれば肌が溶けてしまう。
「くっ……まずは」
樹海の魔装を発動させ、ルイオンに巨大な木を幾つも生やす。魔力を吸って成長するという特性であるため、スレイ自身の魔力と神呪の魔力を吸わせた。成長した木々は枝葉を広く伸ばし、傘のように黒い雨から人々を守る。
この魔装は退魔、対魔において聖なる光と並ぶほど称えられたものだ。コピーしたものとはいえ、その力に差はない。
「今の内に急げ! 地下壕に避難を。術師は街を守れ。襲撃が来るぞ!」
何かを感じたわけでもない。ただの勘だ。しかしスレイは確実に敵勢力、つまり魔族による襲撃が起こるのだと考えた。そしてその考えは的中する。
ルイオンの外縁部で爆発が起こった。
建物が倒壊する音である。しかしながらその爆発に炎は伴っていない。その代わりに激しく重い唸り声が轟いた。
「これは……聖守様!」
「分かっている。何かが力ずくで防壁を突破した……崩れたのは監視塔だろう。私が行く」
「お任せします。我々は地下壕を守りつつ他の地区に向かいます」
「任せる」
相変わらず黒い雨は続いている。
物質も魔力も無為にしてしまうこの雨が降る限り、聖石寮の術師ですらまともに戦えない。本来なら中和の為に聖なる光を展開したいところだが、それでは魔術の動力源たる聖石まで分解してしまう。壁型結界として発動するには緻密な制御が求められるため、時間が足りない。また多数の魔装を切り替えて発動するという特性上、聖なる光に処理能力を分配すれば対応力に欠けてしまう。
スレイは一を極める覚醒魔装士ではなく、万能の力こそが売りだ。
「これが預言にあった魔族……とすれば」
崩れた管理塔の方へ向かおうとした。
早くそこへ向かわねばならないはずだった。しかし、それを阻む者が現れる。トン、と軽く地面を踏む音と共に彼女は現われた。
三つ編みの銀髪、そこに編み込まれた飾り紐、そして真っ黒な右腕と腰に差した魔剣。スレイは聖なる刃を発動して構える。
「やはり君か、アリエット」
そんな予感はあった。
次の瞬間、スレイの魔装により茂っていた木々が燃え上がる。火山の中にでも放り込まれたのではないかと錯覚するほど熱い。木々は一瞬で燃え尽き、灰となって散る。黒い雨が再び降り始めた。
「よくやったわフェレクス」
「何という火力……」
「その魔装はもう使わせない」
アリエットは宵闇の魔剣を抜き、地面に突き立てた。
そして闇の第十階梯《黒浄原》を発動する。物質エネルギーを乱し、結合を崩し、腐食させる。闇の沼では根を張ることもできず、樹木は上手く成長しないだろう。如何に魔力を吸って無効化したとしてもそれを闇属性の不均衡化で相殺する。
また副次的効果としてスレイは足を取られた。
「死ね……シェリアとレフの仇!」
彼女自身は常盤の鞘にて《黒浄原》を無効化しつつ、斬りかかった。