412話 西グリニア滅亡
争いの音、爆発の音、炎が弾ける音、雨粒が落ちる音。
その全てが無為に感じる。
(また、間に合わなかった)
アリエットの後悔は二度目だった。
◆◆◆
運命が捻じれたその日、アリエットはロカ族の役目を果たすために地下にいた。そこでタマハミ大樹の封印を見張り、そこにある結界石を守っていたのだ。まだロカ族として一人前でないので異変があった時に長老たちへと知らせる程度の仕事である。しかしタマハミ大樹とそれに基づく結界が不安定になっていた背景もあり、何か変化があればすぐ知らせるよう言われていた。
「んぅ……危ない危ない」
結界守は寝ずの番となる。
昼間も厳しい修練を重ねていたこともあってすっかり疲れている。油断すれば眠ってしまいそうなので、頬を叩いて気合を入れる。あまり目は覚めなかったが、多少の誤魔化しにはなる。
そしてふと結界石を見ると、光の加減が悪くなっているように思えた。数度点滅し、瞬間的に光が強まったのだ。普通は安定した光を発しているだけなので、明らかな異常と分かる。
「え? え? あ、知らせないと!」
高度な術式を弄る技能はないので、とにかく状況を把握してから外に向かって走り出す。薄暗い石階段を昇り、地上へと昇っていくにつれて何か騒がしさを感じる。その騒がしさも、争いごとのようなものに思えた。
爆発音、悲鳴、怒鳴り声。
何かがおかしいと思い、地上に出たところで恐ろしい光景を目にする。
「何……何よこれ!」
村が、森が、そしてタマハミ大社が轟々と燃えていた。地面が割れてそこから真っ赤な溶岩が溢れ出ており、炎もそこから広がっている。そしてタマハミ様を祀っている大社にはロカ族の官職もいたはずだが、血まみれで倒れている。
すぐに駆け寄って脈を確かめたが、事切れていた。
「ベルおばさん、カーお爺さん」
社も燃えており、中には既に炭化して身元も分からない遺体まである。しかしながら社に勤めている人物は全員がアリエットにとって親族であり、深い顔馴染みだった。
「オルカ姉さん、クルーゼル兄、ヘルおばさん」
だからアリエットは全員の名前を言うことができた。
タマハミ村は荒れ果てていた。木々は薙ぎ倒され、大穴が空き、植物が枯れていたり、見慣れない巨大な木が生えていたり、何か恐ろしい厄災に襲われたかのようであった。茫然とする中、何がどうなっているのか理解しようと試みる。
ふと見ると、村の中心にある大樹のあたりで大爆発が起こった。
(きっと、あそこにいけば)
何か分かるかもしれないとそこへ急ぐ。
そこで目の当たりにしたのは――
スレイ・マリアスが樹木を操ってロカの長老たちを縛り、斬り殺している光景だった。
真っ赤な血を被ったスレイは振り返り、言葉を漏らす。
「君は……そうか、どこにいるかと思ったら」
「スレイ! あんた一体何をっ」
そこでアリエットも気づく。
彼から少し離れた場所に、二つの遺体があることに。その遺体はアリエットもよく知る親友と、その弟のものだった。
「え……シェリア? レフ?」
目の前が真っ赤になる。
そこから先、怒りのままにスレイを殺そうとしたアリエットはあっさりと殺されかけた。右腕を切り落とされ、タマハミ大樹の根元が崩落するのに巻き込まれてしまう。
それが一度目の後悔となった。
◆◆◆
生きていれば零れ落ちていくものばかりだ。
自分の器に入りきらないものは容赦なく溢れていく。アリエットは二度のそれを経験し、深く実感することになった。
フェイを抱きかかえつつ、雨に打たれる。
「さっさと行って。人間を殺し尽くして」
「捕虜は?」
「要らないわ。全滅させることを優先して」
「かしこまりました」
フェレクスは他の魔族に指示を出し、アリエットの命令を遂行させる。そしてフェレクス本人も炎の翼を出して飛んでいった。人間性の強い彼は、この命令が一人になりたいというアリエットの望みであることを理解していた。
一人になったアリエットの足元でルーが鳴く。
低位級の魔物がここまで人間に感情移入し、嘆く姿は珍しいものがあった。それだけフェイとルーの間に確かな絆が結ばれていたということである。
「キュー……」
「ごめんねルー。あたしが迂闊だったわ」
アリエットも非情になり切れない自分に気付いた。
本来の目的を優先するならば、フェイにここまで心を注ぐ必要もない。もっと冷たい人間だったら、これほど苦しむ必要もなかったとすら思った。
不意に背後で気配を感じる。
強大で、覚えのあるその感覚から何者であるか理解する。
「冥王……」
「久しいな」
「今更何の用かしら? 魔剣のことは感謝しているけど、今までずっと――」
「それより何の感傷だ? 復讐だけじゃなかったのか?」
「うるさいわね」
かなり長いこと音沙汰なかったシュウの姿に驚き、少しばかり距離を取る。あれだけ協力すると言っておきながら放置していたのだ。信頼が目減りしても仕方ない。それはシュウ自身も理解しているらしく、強い物言いに対しても咎めはしなかった。
「まぁいい。その少年、随分と気に入っていたな」
「別に……いえ、そうね。気に入っていたわ。弟子としてね」
「復讐心は力を追い求めるのに適した感情だ。しかしそれでは視野が狭まり、余裕もなく、早い内に限界が訪れる。だから次はちゃんと守るといい」
「次?」
シュウは手元に球状の結界を具現化する。漆黒の術式が形を作る死魔法の結界であり、限定的に冥界を作り出している。そのため、結界の内側では肉体という器がなくとも魂が霧散せず残る。
「それは?」
「少年の魂だ」
思わずアリエットは手を伸ばした。
しかしその途中で止める。
冥王とは死後の世界を管理する者である。死者の魂は冥界門を通って煉獄に到達し、そこで精霊に回収されて冥府へと連れていかれる。そして冥府まで行けば記憶や力が消去され、無垢な魂となって再び現世に送り出される準備がなされるのだ。
シュウは魂が冥府に連れていかれる前に回収しておいた。
「その身体は死んでいるが、お前の能力……魔族を生み出す能力ならば復活できるだろう?」
「死者、蘇生?」
「限定的ながらな」
光の魔術の中には蘇生を可能とするものもある。かつて死が滅びと同義だった頃、世界に記録された魂の情報体を元に再構築する魔術でしかなかった。だから蘇生というより魂の複製を作る魔術だったのである。
現代では冥界という死後の世界ができたので事情が変わった。
死者蘇生が可能となるのは魂が煉獄に留まっている短時間に限る。肉体情報から魂を紐づけし、傷ついた肉体を補完しつつ魂を呼び戻すという術式に変化した。その結果として蘇生系魔術は術式が軽くなり、かつてほどリスクも大きくない。
またネックとなる時間制限も、シュウが個人的に魂を確保していれば無関係だ。
アリエットは魔族化を施すことにより、人間の体内に魔石を生成しつつ複数の魂を封入することができるようになった。これすなわち、疑似的な死者蘇生に他ならない。
「魂がここにある。そして肉体も残っており、素材となる魔物もいる」
「キュ?」
「それにアバ・ローウェルに蓄えられていた魔石を使えばお前がお気に入りにしているネームド魔族クラスにもなれ――」
「ふざけないで。それはフェイを異形にするってこと? ルーと融合して? あたしにそんなことをさせようっていうの? それにあなたなら普通に蘇生もできるんじゃ……」
「この魂もお前に配慮して確保しているに過ぎない。不要なら冥界に送るだけだ」
アリエットに残る人間らしさ、倫理観が抵抗を覚える。またどうでもいい人間は容易く魂を濁して魔族に変えてしまえるが、親しい人間にはできないという自分勝手さも人間らしい。
「どういうつもり? 何が望みよ?」
「お前の目的は小僧と仲良しになることではあるまい。それを為すために必要なことを提案しているだけのことだ」
「それはっ! その……」
「俺は失ったものを戻してやるほど優しくはない。だからそれを再利用する方法を教えてやる」
外道だ。
そんな言葉がアリエットの脳裏に浮かんだ。
しかしシュウの言っていることに反論できない自分もいる。もしもここで冥王アークライトに依存してフェイを取り戻したとして、アリエットは一人立ちできなくなるだろう。何かがあった時、冥王が解決してくれるという甘えが生じてしまう。
それを許してはならない。
だからアリエットが考えるべきは、降ってきた奇跡を願うことではない。今の彼女にできる非情の選択を天秤にかけることだけである。
「あたしに選べというの? フェイの魂を汚して蘇らせるか、このまま殺すか」
「そうだ」
「……く、この」
ぎりぎりと歯軋りする音がシュウにまで聞こえてくる。
しかしそこでルーが跳びあがり、アリエットの抱えるフェイへと着地した。そして小さな羽を激しく動かし、何かをアピールする。
「キュ! キュ!」
「何?」
「キュ」
「はぁ、分かったわよ」
アリエットは右手から鎖を出してフェイの遺体を包む。また同時にその上で跳ねるルーも捕え、更には印を結んで亜空間を開き魔石を取り出した。これらの魔石はアバ・ローウェルで備蓄されていたもので、正確に数えてはいないが五十個ほどはあると思われる。
他にもあまりの召喚石などを素材として加えた。
そのまま、シュウに顔を向ける。
「フェイの魂を貰うわ。あたしが縛り続ける」
「ああ」
死魔法の結界で守られたフェイの魂を引き渡す。
肉体、フェイの魂、羽兎のルー、そして魔石を材料にして迷宮魔力を流し込む。契約の鎖によって魂を縛り付け、肉体へと魔石を生成して魂の力と魔力を封じ込める。迷宮魔力がまるで卵の殻のように包み込み、幾度も脈動する。
そして罅割れ、内側からフェイより一回り大きくなった魔族が現れた。
フェイの顔をベースにしているものの、兎っぽさが混じっている。また頭部には白い耳があり、全身から白い体毛も生えていた。ヴォルフガングのように人と獣が混じった姿であるため、魔族らしいといえば魔族らしい。
「……っ」
しかしアリエットの表情は渋い。
契約の鎖により魂を縛る際、その表層意識が流れ込んできたからだ。
――名前はルーにしよう。
――楽しいな。
――君だけが僕の友達だね。
――――ルーとのことがバレた。
――アリエットさんっていうんだ。
―――僕にも魔術が使えたんだ。
――すごく楽しい。初めてだ。
――――やってしまった。ギルドにルーを知られた。
―――せめてアリエットさんに及ばないようにしないと。
――裏切られた裏切りだった。ゼクトさんたちは……
―――またアリエットさんが助けてくれた。
――情けないな。
――――襲撃。だったらせめてアリエットさんに。
――なんでこんなところにゼクトさんたちが。
――――任せたよルー。
―――次はきっと役に立たなきゃ。
――ごめんなさい。何もできなくて。
◆◆◆
そろそろ街も寝静まろうとしていたその時間、まだアンジェリーナの屋敷は強い明かりが灯っていた。シュレリア古城と西グリニアのそれぞれに戦力を送り込み、挟撃する計画を立てていた。そろそろ結果が出た頃だろうと考え、アンジェリーナ自身も起きて待っていたのである。
しかし知らせの早馬はいつまで経ってもやってこない。
苦戦しているのかもしれないが、間もなく夜だというのに連絡一つないのは不気味だった。
「ふぅ……遅いわね」
六杯目の紅茶を飲み終えたところでそう漏らす。
眠さを誤魔化すためとはいえ飲み過ぎた。もうこれ以上は飲めないので、おかわりを注ごうとした侍女を手で止める。
「ザスマンも随分と遅いわね。あれだけ簡単な仕事だと大口叩いていたというのに。何のために聖騎士と探索者を含めて一万近い戦力を用意したと思っているのよ。ねぇ、どう思うあなた」
「それは怠慢であると愚考します」
「ええ、その通りよね」
今の西グリニアが出せる戦力のほぼ全てを注ぎ込んだと言ってもいい。本来は半分程度の戦力で作戦実行を予定していたが、後にザスマンがどうしてもというのでその倍を準備した。失敗ができない戦いなので文句を言うつもりはないが、後に引けない戦いは肝が冷える。
その気になればこれ以上を絞り出すことも不可能ではないが、それらは防衛戦力や予備戦力なので動員したくはない。地下迷宮経由でアバ・ローウェルに送り込んだ七千の兵、シュレリア古城の防備に置いていた三百の兵、そして追撃としてシュレリア古城に送った千五百の兵は使い潰す覚悟で動員した。
もう後戻りできないし、仮に魔族を滅ぼして勝利したとしてもしばらくは国力低下を免れられないだろう。本来は潜在的な敵としてシュリット神聖王国ともことを構える計画だったが、遅らせざるを得ない。逆にこれを機と見たシュリット神聖王国に付け込まれないよう気を張らなければならない。
「こんなことなら――」
アンジェリーナが溜息交じりに言いかけた言葉を遮り、甲高い破壊の音が鳴り響いた。それは彼女が休む部屋の窓。ガラスが叩き割られ、その破片が激しく飛び散る。給仕していた侍女は勢いよく飛散したガラス片に全身を切り刻まれ、悲鳴を上げた。一方のアンジェリーナも全く反応できなかったが、影から餓楼が現れて彼女を守る。
夜の闇を破ってアンジェリーナの部屋に飛び込んできたのは、一人の女だった。蝋燭の明かりが照らすことでその女の姿が幽鬼の如く映し出される。
真っ黒に染まった不気味な右腕には光る鎖が巻き付き、三つ編みの銀髪が左肩から垂れ、氷のように冷たい視線がアンジェリーナを貫く。侵入者、アリエットは無言で右手を振るい、鎖で薙ぎ払った。
「餓楼!」
アンジェリーナの命令に呼応して不気味な影の魔装が牙を剥き、契約の鎖を嚙み千切ろうとする。だが鎖は突如として軌道を変え、餓楼に巻き付いた。そのまま締め上げて身動き取れないようにしてしまう。ところが餓楼はするりと抜けだし、再びアンジェリーナの前に戻る。
そこで一時の膠着を迎えた。
「……何者かしら? 私の、アンジェリーナ・トラヴァル・ローウェルの居室と理解した上での狼藉だというのならば、随分な自信家ですこと」
「知っているわ。だってあんたを殺しに来たんだから」
「そう……」
アンジェリーナは今や西グリニアで独裁するほどの重要人物だ。暗殺を警戒して警備は厳重に敷いてあるし、彼女自身も餓楼による自衛手段がある。今頃は騒ぎを聞きつけた警備が駆け付け、屋敷の周りも固めて脱出すらできないようにしていることだろう。
「自信があったのでしょうけど、無駄だったわね。私には届かないわ。そろそろ警備が……」
しかしそういう彼女もここで違和感に気付く。
あれだけ激しくガラスが割れる音がしたというのに、屋敷が驚くほど静かなのだ。未だに誰一人として駆け付けないし、騒ぎも聞こえない。
ドッと冷や汗が流れ、心音が高くなった。
何かおかしなことが起こっていると理解して呼吸すら忘れる。
突然、部屋のドアノブを回す音が聞こえてアンジェリーナはそっと目を向けた。そこには兎が混じった男の姿。彼は両手に切断された男の首をぶら下げており、今も血が滴っている。
「よくやったわルフェイ」
「……」
「全滅させたの?」
「……」
アリエットの言葉に対して二度頷いたのは最も新しい魔族だった。弟子だったフェイと羽兎のルーを掛け合わせ、魔石による強化を施したネームド魔族である。ルフェイは両手から生首を手放し、その場から消失する。
次の瞬間、割れたガラスに切り刻まれて悶えていた侍女の背後にいた。そして一瞬のうちに首をもぎ取り、掌の上で転がす。女は死んだことにすら気付いておらず、苦痛の表情のまま固まっていた。
「ぁ……」
「遅いわよ」
突然のことで言葉を失った、その一瞬の隙がアンジェリーナにとって致命となる。気付けばアリエットは距離を詰め、アンジェリーナの目の前までやってきていた。自立行動する餓楼が巨大な牙で迎撃しようとするが、その口に向けて宵闇の魔剣を突き立てる。餓楼は構わずアリエットの腕を噛み砕こうとしたが、その牙は体表によって留められた。
宿した迷宮魔力により空間を断絶し、その牙が触れないようにしたのだ。
だからアリエットの攻撃だけが通用する。
魔剣を通して闇の第一階梯《幻痛》、第二階梯《恐怖》、第四階梯《睡眠》を同時に放つ。これによって餓楼は強制的に眠らされ、酷い悪夢に悩まされることになった。魔剣の補助機能である魔術の融合が機能したのである。生物のように自立して動く魔装であることが仇となってしまった。
そしてアリエットは契約の鎖を解き放ち、餓楼ごとアンジェリーナを縛り上げてしまう。
「あんたは憎らしいけど、素材としては優秀よ。だから……あたしのものになれ!」
アリエットの背後で亜空間が開く。
その奥には契約の鎖で縛られた魔物、複数の天狐が封じられていたのである。人間と魔物の二つが揃い、そこにアリエットがいたならばやることは一つ。
「あんたは特別。その心も感情も磨り潰して、あたしに忠実な最悪の化け物にしてあげる。だから感謝してほしいわね。これもあげるわ」
印を組み、もう一つの亜空間を開く。
そこには先程シュレリア古城で苦戦しつつも封印した告詛御霊がいた。アンジェリーナは全身を鎖で縛られ、またそれが口轡にもなっているので恐怖しつつも言葉すら出ない。僅かな抵抗として拒否の言葉すら吐けず、国家の支配者になり上がった弁舌を披露する機会すら与えられず、彼女へと迷宮魔力が送り込まれる。続いて亜空間に封印されていた九体の天狐、そして十体目に告詛御霊を吸収させられ悍ましき繭となった。
脈動する繭に向けてアリエットは語る。
「名はアンヘル。最強の魔族の誕生よ」
繭は溶けるように消えてなくなり、魔力が余すところなく誕生した魔族へ吸収された。
そこから現れたのは絶世の美女であった。アンジェリーナを素体にしているので面影こそ残っているが、どこか無機質で神聖さのようなものすら感じられる。ただ明らかに人外である証拠として、彼女には九本の尾が生えていた。
かくして七体目のネームド魔族、アンヘルが誕生した。
それと同時に独裁により維持されていた西グリニアは終焉の底に続く崖から突き落とされたのだった。




