411話 ルーの知らせ
フェイにとって状況は絶体絶命だった。
この状況をアリエットに知らせようとしたところまでは良かったが、フェイはまだ体が成長しきっていないので体力も足りない。そして運悪く因縁深い探索者、ゼクト班に見つかってしまった。他の聖騎士や探索者ならば子供一人くらい見逃して作戦を優先したかもしれない。その点でフェイは非常に運が悪かったのだ。
(もう逃げられない。だったら)
自分自身に見切りをつけ、彼はメモ帳を取り出す。亜空間倉庫に何を仕舞ったのか忘れないために使い始めたもので、まだ真っ白なページも幾つかあった。そこに手早くペンで文字を記し、勢いよく引き千切る。またメモ帳を閉じている紐を千切って、その紐を利用してルーの首にメモ帳を括りつけた。
「キュ?」
「お願いだよ。アリエットさんにこれを届けて。僕は逃げられないけど、せめてこれを知らせないと」
「キュ、キュ……?」
「大丈夫。アリエットさんに教わった結界を張るから、それで耐えてみせるよ。でも結界を張るとルーは外に出られなくなるから」
逃げることは不可能だが、ここで耐え忍ぶだけなら可能性は残っている。そしてアリエットへの伝令はルーに託した。ルーは貧弱な羽兎でしかないが、ただの動物に比べれば優れている。
戸惑うルーはフェイから離れようとしなかったが、すぐに諦めてその腕から飛び出した。こうしてぐずぐずしている時間が長いほど状況は悪くなる、という理知的思考から生まれた答えではない。ルーはただ、フェイの願いだからこそ渋々ながら従ったのだ。そしてフェイの言葉を信じた。
「僕はここで待ってる。だからアリエットさんを連れてきて」
「キュ」
ルーは勢いよく飛び出し、瓦礫の隙間をすり抜けて駆けだした。
そしてフェイは即座に印を組み、結界を張る。
(ごめんルー。できるだけ頑張るから)
言葉に嘘はない。
しかしフェイに自信があるわけではなかった。
◆◆◆
シュレリア古城を制圧した後、アリエットは物資を漁っていた。食料などはともかくとして、オリハルコンや魔石のような希少物資は今後も使える。魔族を迎え撃つべく備えられた拠点だったこともあり、幾つかに分けられた倉庫では満足できる成果があった。
「これで最後ね」
亜空間に魔石を収納したアリエットは呟く。
するとそれを後ろで聞いていたフェレクスが尋ねた。
「この後は? 一度アバ・ローウェルに戻るのですか?」
「近くの街を見つけて攻め滅ぼすつもりよ。このまま引き下がっても、また人が入ってきて要塞化しそうだから」
「我々の損傷も無に等しいですし、問題ないかと思います」
こうして物資を強奪するのに意外と時間が取られてしまった。やはりアリエットを含めて六人では少なすぎたのだろう。またボアロやアールフォロ、ヴォルフガングは戦闘に特化しすぎているのでこういった作業には向いていない。
シュレリア古城を落とすよりも、その後の作業の方が時間も手間もかかってしまったほどである。
「あなた、ここから西の街を知っているのよね」
「はい。自分の……レクスとしての自分の故郷もあります」
「どこでもいいわ。ともかくここを取り返されないよう、適度に荒らす。そうすれば……」
どうしても行き当たりばったりになってしまう。
着実に進んでいるが、どうにも効率が良くない。それだからか、アリエットの歯切れは悪かった。
◆◆◆
アバ・ローウェル奪還作戦も二時間ほどすれば収束に傾きつつあった。魔族も西グリニア軍も互いに大きく損耗し、遭遇戦が散発するようになる。
「実質引き分け、といったところか」
「なのですよ!」
「これだけ数の差があって、しかも奇襲までして人間では引き分けが限界か」
「しかもあまり強い魔族はいませんし」
「ああ。これで固有能力を持った魔族がもっと多かったら西グリニア軍は引き分けすら許されなかった。強いな」
魔族は後天的に生み出された新しい種族と言える。
様々な魔物と融合し、その魂を魔石へと封じ込めることで容易く常軌を逸した力が手に入る。人間という肉の器と、魔物の力が合わさったことで不死性も強い。
「それよりシュウさん。アリエットさんのお気に入りの子が死にそうなのですよ」
「ああ、そうみたいだな」
「助けてあげないのです?」
「死んだら魂くらいは確保しておく。なんでもしてやるつもりはない。それに……アリエットをこちら側として引き留めておくのに使えそうだ」
「外道なのですよ」
「アリエットの力がダンジョンコアの迷宮魔法に由来する以上、こちらと紐づけできる要素を残しておかないとな」
二人が見下ろすその先には、男たちが結界を囲んで殴っている光景があった。その結界の発動者はアリエットが気にかけていた子供である。魔物を飼いならしていたことで咎人とされ、それを気に入らなかったアリエットがわざわざ手間をかけて助けた。そういう経緯もあることから、思い入れは保証されている。
「人は見えない神の奇跡より、見える隣人の手助けを信頼する。仮に力の源がダンジョンコアだとしても、俺たちが細かく干渉した方が信頼も信用も大きくなる。存分に利用させてもらうさ。アリエットには悪いと思うが――」
「あ、結界が」
「――あの子供は助けない」
フェイの結界が破れ、男たちが彼へと迫る。
全力を尽くしたようだが、ここで少年の命運は尽きたのだった。
◆◆◆
ルーは全力で駆ける。
託されたメッセージを伝えるため、とにかく全力で走り続けた。その背にある小さな翼で空気を叩き、小さな四足で地面を蹴り、とにかくシュレリア古城を目指す。時間がかかれば、その分だけ彼の最も親しい友が危険に晒されるのだ。
フェイとルーの友情は本物だ。
初めは餌付けによって絆されただけの関係だったが、長く過ごすうちにそれも変わった。ルーはフェイに心を開き、本当の友となっていたのだ。
またルーには負い目もある。
かつて花の街で、ルーは逃げてしまった。フェイが探索者に捕らえられ、咎人とされてしまった時に逃げることしかできなかった。それがフェイの願いだったとはいえ、この時のことがルーのなかでしこりとして残っていた。
だから今度こそ。
次こそはフェイのために命懸けになる。
「キュー……クー……」
鳴き声の混じった呼吸が漏れる。
手足が千切れそうなほど必死で動かし、道に沿ってひたすら走る。傍から見れば白い影が恐ろしい速さで飛んでいくようであった。
一度も止まることなく走り続け、やがて火の手が上がる古城が見えた。ルーはそれが目的地だとは知らなかったが、導かれるようにそこへ向かった。どういうわけか、必死に走り続けるルーの脳裏には確信があったのだ。
その確信通り、ルーは見覚えのある魔族を発見する。二面四腕の魔族バステレトであった。催眠により狂気を呼び起こし、精神を操るこの魔族はすぐにルーの焦燥を察知した。
「これは」
「ボス……ノオ気ニ入リノ」
「羽兎」
「ダネ」
二つの猫頭が交互に会話し、ゆっくりとルーを抱き上げる。
そしてすぐに首へと巻き付けられたメモに気付き、そっと抜き取る。バステレトは魔族の中でも知能が高い方であり、当然ながら文字も読める。内容からすぐにアリエットへと知らせる必要があると判断した。
これからアリエットは近くの街に襲撃を仕掛けようとしていたので、急いでアリエットの魔力を感知し駆けつける。
すっかり準備を整えていた彼女のもとにルーとメモの伝言を携えて現れた。
「バステレト?」
「これを」
「読ンデクダサイ」
「ルー? それにこれは……」
フェイが大切にしている羽兎のことは簡単に見分けがつく。そしてアバ・ローウェルで待っているはずのルーがこんなところまで来ていることが不思議だった。
しかしバステレトが差し出したメモにより氷解する。
――タスケテ。
短いほんの一文だったが、それだけでアバ・ローウェルの状況は理解できた。
ならば戻るしかない。
アリエットにとってアバ・ローウェルは捨てるに惜しい。またフェイがルーを使ってわざわざ知らせてきた時点で危機的状況であることは明らかである。
「急ぎ戻るわよ」
だから判断は早かった。
しかしながら少しばかり遅い。すぐに元来た道を戻ろうとした彼女たちを爆発が包み込む。そして金属の砲弾が雨霰の如く降り注ぎ、瓦礫や土くれが弾け飛んだ。
アリエットはルーを抱えて保護する。
ただ砲弾の雨は止むことなく、中には彼女に直撃するものもあった。尤も、砲弾はアリエットにぶつかった瞬間に跳ね返されていたが。アリエットが宿す迷宮魔力が阻害するほか、冥府に接続してダメージを中和する常盤の鞘もあるので完全に無効化できていたのだ。
またその間に闇の第八階梯《無明幕》を発動し、フェレクス、ボアロ、バステレト、アールフォロ、ヴォルフガングをも守った。
「何事?」
「砲撃のようですね。援軍かもしれません」
「間の悪い……時間がないからこのまま戻るわよ」
「しかしアバ・ローウェルまで引き連れることになりかねませんが」
「こうするのよ!」
アリエットが魔剣を大地に突き立てる。そして闇の第十階梯《黒浄原》を発動した。アレンジによって術の及ぶ範囲が改変され、刃から闇が流れ出して地面を腐食させる。デフォルトでは発動地点を中心に腐蝕の沼を作り出す魔術だが、そこに指向性を与えることで特定方向にだけ腐蝕を及ばせた。
シュレリア古城から西方へと向かう街道が闇の沼に満たされ、通行がほぼ不可能となる。
「今の内にいくわ」
◆◆◆
「毒沼が出てきて進めないだと!? だったら土でもなんでもかけて埋めろ! シュレリア古城が予想以上に容易く落とされた以上、我々がやるしかない。アバ・ローウェルに奇襲を仕掛けた本隊と挟み撃ちにしなければならん!」
アリエットたちに砲撃を仕掛けた部隊の指揮官が唾を飛ばしながら怒鳴る。本来ならばシュレリア古城で時間稼ぎを行い、援軍となる砲撃隊によって追い立てる作戦だった。地下迷宮を利用してアバ・ローウェルを取り戻し、そこを拠点として挟み撃ちを実現するところまでが計画となっている。
だが、その初段となる時間稼ぎで躓いた。
思ったより随分と早くシュレリア古城の防御が瓦解し、援軍も間に合わなかった。そこで指揮官は作戦を一部変更し、この段階で追い立てることにしたのである。
「撃て撃て! 攻撃を止めるな! 工兵は前に進み、道を整えよ」
彼が恐れるのは敵ではなくローウェル一族だ。
作戦が失敗に終わろうものなら彼の人生は終わりである。そんな恐怖があるからこそ、何としてでも、どんな犠牲を払ってでも成功を収めようと躍起になっていた。
ただルーがフェイの伝言を伝えに来ていなければ、アリエットは強引に砲撃隊を潰していたことだろう。魔族の特性で防御力が非常に高いため、力ずくで砲撃の雨も突破できてしまう。彼の浅はかさは幸運によって補われていた。
◆◆◆
アリエットたちがアバ・ローウェル近郊にまで戻ってきた時点で立ち昇る煙や爆発音を観測できた。本来ならば優れた能力を持つ魔族が敗北するはずもない。しかしフェイのメッセージが嫌な予感を強くする。
(翻弄された……)
そんな悔しさから歯ぎしりする。
「フェレクス、先行して押されている所を援護してきなさい」
「はっ!」
空を飛べるフェレクスは両腕を炎に変えて飛びあがり、流星のように飛んでいく。彼の殲滅力と機動力があればカバーも容易いだろう。アリエット自身は魔装の覚醒に伴う魔力の増強、また暴食タマハミと融合したことで常人を逸した身体能力を得ている。強い踏み込みで足跡を残し、土煙を上げて走った。
そうして辿り着いたアバ・ローウェルの外縁部で立ち止まる。
空に昇る幾つもの煙。
肌に焼き付く熱。
頭蓋の内にまで響く悲鳴。
そして血肉の焼ける不快な匂い。
「ちっ」
思わず舌打ちする。
視界の多くが赤色で染まり、既に遅かったのだという事実だけが圧し掛かった。元より思い入れのある街というわけでもなかったが、不愉快ではあった。
何よりフェイのことも心配だった。
根拠はない。
しかし何となくといった曖昧な感覚で導かれ、アリエットは足を進める。崩れた建物の破片が道路に散らばり、燃えた物もあって真っすぐにとはいかない。だが明確に目的地を意識して動いていた。アリエット自身にも理解できないモノが働いていたのは間違いない。
そうして彼女は発見する。
五人の男に囲まれ、朱に染まり、動かなくなったフェイの姿を。
「あんた」
「キュ……」
アリエットの抱えていたルーが飛び出し、跳ねながらフェイの下に近づいていく。そんな羽兎に少し驚き、またアリエットの姿にも驚いたらしい。男たち――ゼクト班――は少し後ずさる程度でルーがフェイに寄り添うことを止めない。
(負い目……そんなの感じるくらいなら初めから止めときなさいよ)
ゼクトたちの動きが止まったのは、アリエットに見られたからであった。見目麗しいアリエットに汚れた自分たちの姿を見られたことで罪悪感を覚えたらしい。それは彼らが悪いことをしている自覚のある証拠であった。
だからこそアリエットは怒りを感じる。
それは弟子を傷つけられたことも理由だったのかもしれない。とにかくアリエットは不愉快で、宵闇の魔剣を抜き、そのまま薙ぎ払う。すると呆気なく、五人は胸から上が吹き飛んで死んだ。ゼクト達が油断していた上に元から力の差があり過ぎた。
アリエットは鎖を伸ばして鞭のようにしならせ、倒れつつある男たちの下半身を吹き飛ばす。そのお蔭かフェイが余計な血で濡れることもなかった。
そうして一歩一歩、砂利や石を踏みながらフェイの下に近づく。悲し気に鳴くルーのすぐ側でしゃがみ、フェイの首に手を当てる。
予想した通り、もう温もりはなかった。
「遅かった、みたいね」
ぽつりと雫が垂れ、地面が濡れる。
そこに炎と共にフェレクスが降り立って、熱風がアリエットの背を撫でた。
「アリエット様、魔族は七割から八割ほどが死滅していま――その子供は」
「気にしないで。続きは?」
「はい。確保していた人間もかなりが殺されていました。状況から推測するに、捕虜ごと我らの同胞を爆殺したものと思われます」
「そう。こっちは大損ね」
ぽつり、ぽつりと雫が垂れた。
フェレクスはそっと見上げる。
「雨ですね。これだけの火を消すとなると、ありがたい」
こう言っている間に地面が次々と濡れて、火に焙られた雨粒が蒸気となる。
「そうね。雨、ね」
アリエットは亜空間から布を取り出し、フェイの遺体を包んで抱える。直視できないほど痛めつけられていたからだ。だからルーも小さく、淋し気に鳴いていた。