410話 シュレリア古城の戦い③
アバ・ローウェルが魔族によって奪われて以降、人間は奴隷や捕虜に甘んじることとなった。元からアバ・ローウェルに住んでいた者たちは《黒望楽園》を使われたことでほぼ全員が廃人となり、魔族たちの食糧や実験材料にされている。そして健康な人間は西グリニア東部の各街から連れてこられ、何か所かに分けて閉じ込められていた。
人間たちは魔族が地下迷宮から採取してくる食料でどうにか生き延びているが、その量も充分とは言い難い。少しずつ抵抗する力も削られ、ただ助けを待ち、神に祈り願うだけの日々を過ごしていた。
しかしその期待も願いも裏切られる。
「無差別攻撃ですか。思い切りましたね」
「魔族が人間より優れていると割り切ったからこその作戦だな」
「建物も爆破しちゃってますけど」
「また建て直せばいいと思っているんじゃないか? 首都復興は雇用も生まれるから、難民を上手く捌けるだろうし」
地下迷宮の出入り口から奇襲を仕掛けた西グリニア軍の動向は上空からだとよく見える。シュウとアイリスは戦争の行く末を記録していた。
「映像は撮れているか?」
「ちゃんと記録してますよー。アリエットさんが向かった古城の方も観測魔術を設置済みなのです」
「あっちはかなり強い魔族を連れて行ったみたいだから、まず負けはないだろ。問題はこっちだな。不死性の強い魔族に人間がどこまで戦えるか……」
「これでダンジョンコアがどこまで寄与しているか測れそうですね」
アバ・ローウェルは各地で爆発が起こり、魔族と人間の戦いが始まっている。異形の姿と特殊な能力、そして常軌を逸した身体能力が売りの魔族は一体でも驚異的だ。しかし人間側は餓楼分霊によって魔族を抑え込み、遠距離から集中砲火することによって圧倒している。
地下迷宮から手に入れたのであろう古代遺物の魔術道具まで使用しており、現代の人間からは考えられない戦力となっている。災禍級の魔物すら討伐が難しくなかった時代の兵器なのだ。優れた性能を有する魔族にも効く。
「あ、首が」
「吹き飛んだな」
嘴を持つ犬の頭を持った魔族が四肢を餓楼分霊で封じられ、その首が爆発で吹き飛ばされた。爆発の余波で胸のあたりも抉れており、肋骨と内臓が見えていた。間違いなく即死であると判断され、餓楼もその四肢から離れて影へと戻っていく。
また西グリニア軍も拳を突き上げて喜びを露わにしていた。
魔族はとても頑丈なので、並の攻撃では弾かれてしまう。こうしてまともに討伐できたのもこれが初めてのことだったのだ。
その様子を眺めていたシュウは残念そうに呟く。
「油断したか」
「ですね」
「ああ。高位の魔物を知っていれば、油断することもなかっただろうに。哀れな人間たちだよ」
二人の言葉は首を吹き飛ばされた魔族にではなく、人間に向かって放たれていた。
次の瞬間、倒れていた魔族は内側から肉が盛り上がって再生し始める。吹き飛んだ胸から始まり、じわじわと首までもが元に戻り始めた。そうして嘴を持つ犬の頭部が元通りになり、魔族はゆっくりと立ち上がった。
その悍ましい様子を目の当たりにした西グリニア軍は狼狽え、中には腰を抜かしている者すらいる。明らかに死を超克した瞬間を目撃してしまったのだ。畏れぬはずがなかった。
「再生も早いな」
シュウがそう言い切る前にその魔族は動きだしていた。ただの腕力で聖騎士と思われる男から首を引き千切り、先の自分と同じようにしてしまう。また放たれる蹴りは砲弾のようで、咄嗟に挟み込まれた武器ごと砕いて人間を果実のように潰してしまった。
しかし西グリニア軍も大したもので、探索者たちが中心となって建て直した。普段から驚くべきことの連続を経験している彼らだからこそ冷静に持ち直せたのだ。陣形を作り直し、再び取り囲んでで餓楼による封殺を完成させる。そして探索者の一人が魔装の弓を発動させ、それに何かを括りつけて放った。矢は魔族の心臓部を抉り、次の瞬間に炸裂する。
「シュウさん、アレが噂の魔石爆弾じゃないですか?」
「明らかに魔術的な爆発だった。多分間違いないと思う。魔石を使い捨てにするだけあって、威力だけは凄いな。第八階梯くらいの威力はありそうだ」
「魔晶に術式を封入する技術は私たちしか持っていないはずですが……」
「夢回廊って奴だろ」
「やっぱりシュウさんもそう思います?」
「寧ろそれ以外は考えられん」
会話をしている内に爆発の煙も晴れ、血塗れの魔族が倒れていた。胸の部分が大きく抉れて吹き飛んでおり、今度はピクリとも動かない。また復活するのではと西グリニア軍もしばらく警戒していたが、動かなくなったのを見て今度こそ安堵していた。
「体内の魔石が破壊されたか」
「ああ、もしかして」
「煉獄に魂が入り込んできた。元から魔族は体内に魔石を生成してそこに魂を封じ込めている。迷宮魔法の独立空間を設定して操る能力で一所に押し込められているという方が正確だ。アリエットが契約の鎖を使って主人格となる精神の形成に制約を設けているから一つに融合しているように見えるがな……いや、実質的に融合していると言っていい。エンジンが二基積まれているようなものだ」
「つまり魔族の心臓部に埋め込まれた魔石が破壊されたら、そこに入っている魂は抜け出てしまうってことですよね」
「逆に言えば魔石を破壊されない限り魔族は死なない。魔石は充分固いし、なかなかの不死性だ。少なくとも現代の人間では対処も難しい。あれだけ集中砲火して、一番弱い魔族を倒すのが精一杯だ」
「そうみたいですね……これだけ人数差があって互角だなんて」
各地で激しい戦いが起こっており、西グリニア軍は魔族一体に対してかなりの人数をぶつけることで討伐にも成功している。アバ・ローウェルに残っている魔族は肉体性能が売りの一番弱い型であり、戦い方に気を付ければそう簡単に負けたりしない。その分だけ犠牲も多く、数の力でゴリ押している印象があった。
アイリスが言った通り、現状では互角。
ただ西グリニア軍はアバ・ローウェルに収容されている人間を救出する予定はないらしい。そんなもの知らんとばかりに、とにかく魔族だけを攻撃していた。魔族の奴隷として従っていた人間がいても、助けるどころか魔族ごと攻撃する始末である。
「捕まった人間は切り捨てるか。思い切った真似に出たな」
「残しておけば魔族の材料にされますから」
「知ってか知らずか、それはともかく効果的だな」
残念なことだとは思わない。
シュウは西グリニアの味方でもなければ人間の味方でもないのだ。寧ろ魔族を率いるアリエットを支援しているくらいである。
一方で魔族が不利になったとしても助ける予定はなかった。
◆◆◆
西グリニア軍の襲撃により最も混乱したのは、収容されている人間だった。アバ・ローウェルには様々な街で捕虜にされてしまった人間たちが閉じ込められている。その数は誰も具体的に数えていないものの、数万を超えているだろう。
人々の多くは戦う力もない、守られる側の存在だ。
探索者や聖騎士たちは抵抗も試みたが既に殺されてしまった。まだ残っている探索者や聖騎士は殺されてしまった元同僚や仲間を見て心が折れており、とても戦える状態ではない。だから人間たちは戦いが起こると同時に収容されている場所で縮こまり、全てが終わるのを待つだけとなっていた。
「ま、待ってくれ! 俺たちは違う! 違うんだ! 人間だ! 仲間だ!」
「はぁ!? 知るかよ。魔族共と一緒にいたんだから処理するに決まってんだろ!」
地下迷宮を利用して攻め込んできた西グリニア軍は捕囚の人間にも容赦しなかった。彼らは聖堂から免罪符を得ている。魔族の街にいる者たちは大きな穢れに侵されているので、浄化しなければならない。方便に過ぎないが、魔神教の宣言は絶対なのだ。そして何より、ローウェル家の言葉は必ず守られなければならない。
「悪いけど、お仕事なの」
「大人しくしてくれよ」
探索者たちは持ち込んだ魔石爆弾を設置していく。
アンジェリーナが莫大な投資によって開発させた新兵器であり、大砲に並ぶ対魔族有力兵器として重用されている。数に限りはあるものの、魔神教が溜め込んできた魔石は大量にあるのでそう簡単にはなくならない。
一方で聖騎士たちは保護を求める人々を抑え込み、動けないよう睨みを利かせていた。
人類の裏切者として処断しても良かったが、この人間たちには役割があった。
「お、探索者が戻ってきたぞ」
「そのようだな。上手く魔族を引き連れてきたようだ」
「ええ。撤収しましょう」
西グリニア軍の多くは理由を詳しく知らないが、魔族には人間を保護しようとする性質がある。奴隷のように扱ったとしても、殺すまではしない。これは彼らの主たるアリエットの命令によるものだ。いずれ魔族の材料とするためにも、人間は生かしておけと命じられていたのだ。契約に忠実な魔族はアリエットの言葉を守り、西グリニア軍からも人間が殺されないよう気を使っていた。
だからそれが裏目となる。
探索者によって誘導され、魔石爆弾が仕掛けられたキルゾーンへと魔族が誘い込まれた。
「今だ! 引け!」
巻き込まれないよう聖騎士や探索者は蜘蛛の子を散らすように離れていき、魔族たちは人間たちが無事かどうかを確認するためにそこで留まる。
その瞬間、魔石爆弾が起動した。
第八階梯に匹敵する威力の大爆発が幾重にも引き起こされ、大量の魔族がその中に取り残された。戦う力のない捕囚の人間たちは多くが即死。何かが盾となって生き延びた者も虫の息が残る程度でしかなく、間もなく死ぬだろう。
何せ爆発が直撃した魔族ですらかなりの大ダメージを負っている。四肢を欠損したり、吹き飛んだ破片が腹を抉ったり、目や喉の粘膜が焼かれて苦しんでいたりと状況こそ様々だがまともに動ける魔族は一体もいなかった。
「とどめだ! 心臓を抉れ!」
何か所かで魔族の撃破報告がされており、それによると心臓部を破壊しない限り魔族は復活するということであった。より正確には心臓と融合している魔石を破壊することで封じ込められた魂が解放され、死という現象が訪れる。
理屈は知らずとも経験から魔族を倒す方法を理解し始めていた。
探索者が中心となって倒れた魔族のもとに集まり、心臓部に武器を突き刺す。あるいは餓楼分霊を使って食い荒らし、または魔石を使った魔術などで吹き飛ばす。百人以上の人間を犠牲にすることで、十体にも満たない魔族を討伐することに成功した。
「よし、次に行くぞ」
聖騎士が探索者たちにも声をかけ、次の魔族を討伐するために人間の密集する場所を目指す。同じ手段で魔族を討伐するためだ。
捕囚の人間は魔族によって行動が制限されており、安易に逃げることすら許されない。
だからこの作戦は有効となる。
しかしアバ・ローウェルにおいて唯一、自由を許された人間がいた。
「ルー、鳴いちゃだめだよ」
「……キュ」
「早くアリエットさんに知らせないと」
アリエットの弟子であり、お気に入りでもあるフェイは魔族からも奴隷扱いされない。唯一、アバ・ローウェルでも自由に過ごすことができる人物だった。
つまり彼だけがこの状況をシュレリア古城へ出陣しているアリエットに知らせることができる。
ひっそりと、フェイは街の外に向かって走り出した。
◆◆◆
シュレリア古城は襲撃から三十分程度で完全破壊されることになった。オリハルコンも使って固められた防衛陣地だったが、魔族ボアロの破壊力からすれば無意味だった。
だが最も古城を破壊したのは告詛御霊との戦いだった。
「はぁっ! はぁっ! 手間取らせてくれる……」
西グリニアが定める魔物の指標に当てはめるなら、破滅級といったことろか。アリエットはそんなこと知る由もないが、彼女自身に加えてフェレクスとヴォルフガングがいてもギリギリの戦いであった。破滅級ともなれば終焉戦争以前であっても国家が総力を尽くして討伐する魔物だった。覚醒魔装士を投入し、あらんかぎりの兵器と兵力で攻撃してようやく討伐が叶うような存在だ。たったの三人で対等に戦えている時点で快挙というべきなのだ。
だがアリエットはそう思わなかった。
(こいつはスレイ・マリアスより弱い)
アリエット自身が闇の孔と魔剣以外にまともな攻撃手段を持たないというのも理由の一つだが、それでも告詛御霊はスレイより弱いように思えた。感じ取れる魔力の質や、能力の豊富さから鑑みて間違いないだろう。
如何に捕獲が討伐より困難とはいえ、三人がかりなら難なく達成できなければスレイに届かないと思わされた。
「けど、ここまでよ!」
もうすでに告詛御霊は捕えている。
羽の一枚一枚に眼を宿す気味の悪い翼は病毒に侵されて黒ずみ、胴に張り付く二つの顔の内の片方は炎で焼き潰されている。また全身に暗黒物質の槍が突き刺さっており、契約の鎖が巻き付くことで完全に動きを封じていた。
そして残ったもう一つの顔もヴォルフガングが呪詛を宿した爪で今、抉り取った。
これで告詛御霊は言霊を使うこともできない。
アリエットは複雑な印を組み、ロカの秘術を発動する。亜空間を生成する術式だ。また契約の鎖も併用して亜空間の内より無数の鎖を射出し、行動不能となった告詛御霊へと巻き付ける。そして一息に引きずり込み、同時に印を組んで亜空間を閉じた。
「封印完了、ね」
「見事でございます」
「助かったわ二人とも。でも、苦労した甲斐はあった」
今までにないほど強い魔物を手に入れた。
その成り立ちを考えれば魔物と言うには少し怪しいかもしれないが、存在の性質は魔物のそれと変わらない。だからアリエットからすれば同じことだった。
◆◆◆
フェイは羽兎のルーを抱えつつ、アバ・ローウェルから脱出してシュレリア古城を目指した。魔族たちはアリエットの命令を忠実に守り、アバ・ローウェルを襲撃した西グリニア軍の迎撃に注力している。犠牲を厭わない無差別攻撃により魔族は後手を掴まされ、効率的な殲滅に移行できないでいた。
元よりアバ・ローウェルに残っている魔族はアリエットが適当に作った個体が多く、中には失敗気味のものも多い。魔物と合成するという関係上、数に限りがあるので西グリニア軍と比べても圧倒的に少ない。
(早く……早く知らせないと!)
ロカの秘術を教わり、かつてのように何もできない本当の無力ではない。しかし彼の心の性質か、攻撃的な術は全く習得できていなかった。身を隠すか、身を守るための結界術ばかりである。そして魔力増強に伴って広がった魔装の異空間がある程度。
だから追手がいても追い払う術もなかった。
「くそ! どこに行きやがった!」
「あのガキ……ちょこまかと!」
「落ち着けクランク。ロビンも冷静になれ。こういう時こそ俺の……斥候の出番ってやつさ」
瓦礫に隠れ潜むフェイはギュッとルーを抱きしめ、肩を震わせる。まだ充分に体のできていない彼では体力も伴っておらず、逃げ切るのは難しいだろう。
そして何より、今フェイを追っているのはトラウマとも呼べる者たちだった。
かつてフェイが花の街で所属していたパーティ、ゼクト班のメンバーたちである。何の運命か、フェイは因縁深い彼らと遭遇してしまった。もはや不運としか言いようのない有様である。
「よし、頼むぜバード。あの野郎は俺たちの汚点だ。咎人に堕としたはずの奴が生きている限り、俺たちは聖堂からの追及に怯えなきゃいけない。ここで確実に殺しておく」
「分かってるさ。ほら見ろよゼクト。地面の瓦礫をさ」
「こいつがどうした?」
「大きな瓦礫はどうでもいい。注目するべきは細かい瓦礫だ。フェイの野郎は小柄だが、勢いよく走れば細かい石ころなんかが散らばる。素人目には難しいが、俺ほどになれば……」
バードは指先で不自然な部分を追い、すぐに崩れた建物の一つを指さす。
「……そこの裏だ」
フェイはまた、びくりと震えた。