409話 シュレリア古城の戦い②
シュレリア古城の奥で祈りを続ける法王たちも、この異常には気付いていた。激しい爆発音、耳を塞ぎたくなる悲鳴、そして苛立ちの怒号がそれを教えてくれる。しかし彼らは儀式の通りに祈りを続け、救いを信じ続けた。
彼らは祈りという儀式によって魔力に形質を与え、少しずつ術を構築してきた。予定通りであれば間もなく完成するそれを今更止めることなどない。
(そろそろですね)
術式の代表者として中央に立つ法王カストールは目を開き、仕上げに取り掛かった。古城に監禁されている側近たちで円を作り、その中央上空に光が集まりつつある。跪くカストールが見上げると、光は何かの形へと変化しつつあった。
彼らの行う儀式は夢回廊により得た知識を基としている。
だから儀式の詳細をよくは知らなかった。法王は夢回廊の知識で自分たちの助けとなる存在を呼び出すということだけは知っていたものの、何が現れるか具体的には知らなかった。
徐々に天井が溶けていく。
元より彼らの軟禁されている部屋の広間は天井が高く、成人男性十人分ほどはあっただろう。だが上に集まった魔力は周囲の者を押しのけて溶かし、真っ白な何かが出現する。
「おお!」
思わずカストールは声を上げた。
それに反応して他の者たちも祈りを止め、その姿を目の当たりにした。
「これは……翼、ですか?」
「魔物?」
彼らの真上に出現したそれは十六の翼で全身を覆い隠していた。だがそれはただの翼ではなく、その羽の一つ一つに眼が付いている。それらは激しく瞳を動かし、瞬きしていた。また翼の内の二対はしっかりと開かれており、その翼の先端には七重の光輪があった。
これらの光景が不気味であることもあって魔物のような印象を覚える。
ただその感覚は誤りではない。
この儀式は祈りによって魔力生命体を生み出し、使役するというものだ。その成り立ちこそ救済を求める祈りだが、性質としては魔物と変わりない。
カストールは懐から石膏の小壺を取り出し、それを異形の存在へと差し出した。すると壺は何かの力を受けて浮遊し、翼を持つ異形へと吸い込まれる。この壺の中には考え得る限り残虐な方法で殺害した動物の血を蒸発させて残った粉末が入れられている。謂わばこの中には呪いが詰まっているのだ。
それからの変化は劇的であった。
身体を覆い隠していた翼の一対が大きく開かれ、その内が露わとなる。そこには石膏像のように真っ白な顔が張り付いていた。その位置は体の中心付近であることから、顔が腹に張り付いていることになる。
「我を呼び覚ましたのは汝らか?」
女性と男性、子供と老人の声が入り混じった言葉が発せられる。不快感のある声が背筋を撫で、自然と姿勢がきちんとしてしまう。
皆が唾を飲んで瞬きもせず固まる中、カストールだけは義務感を駆り立てさせることで口を開く。
「その通りです。あなたが救いの御使いでしょうか?」
「汝らは何を求む?」
「敵を……エル・マギア神に仇為す魔族という輩を討ち滅ぼしてください」
「よかろう」
何も詳しいことは聞かず、異形の御使いは了承した。
そして理解し難い声色を吐きだす。
「我、告詛御霊が命じる。弾けよ」
そう告げられた途端、天井が弾け飛んだ。頑丈な石造りの建物だったが、まるで焼き菓子のように容易く崩れて吹き飛んでしまう。
シュレリア古城の奥にある最も頑丈な建物が彼らの居場所だった。
そこはまだ魔族に直接攻撃されておらず、ここを守っていた兵士たちも逃げるべきかどうか話し合っていた。しかし兵士たちは目撃する。
青白い光を放ち、大量の眼を宿した翼に覆われた異形の守護者の姿を。カストールたちが監禁されていた建物を破壊して出現した破壊の天使を。
◆◆◆
古城の東側を制圧したアリエットは、そのまま奥へ押し込もうと考えていた。引き連れてきた魔族ボアロはパワーを活かして単騎突撃を行い、古城の守りを壊そうとしている。また二面四腕の猫型魔族バステレトは辛うじて生き残った兵士に催眠を仕掛けているため別行動だ。
そして最も新しい魔族ヴォルフガングは崩れた城壁を登り、尖塔の屋根に乗って遠吠えしていた。
「アリエット様、もうここは制圧も同然かと」
「簡単だったわね」
肉の焼ける不快な臭いに顔を顰めつつアリエットは思案する。魔族の拠点として獲得したアバ・ローウェルにとってシュレリア古城は嫌な敵拠点だった。我慢を重ねて強力な魔族を生み出し、一息に攻めてみればこの有様である。
これならばもっと早くから攻勢を仕掛けてよかったとすら思っていた。
魔族は確かに人を超えた肉体性能を有しており、特異な力に目覚めることもある優良種だ。しかし魔物と混じることで精神性が狂暴になり、理性的な判断が困難になるのだ。それが原因となって知能も低下し、戦略的な動きや情報収集などが苦手となる。
実際、アリエットと同レベルの会話が成り立つのはフェレクスやバステレトくらいなものだ。彼らは多量かつ強い魔物を取り込んでいるにもかかわらず理性を失っていない稀有な存在であり、現状の魔族において最も優秀と言っても過言ではなかった。
「次はここを踏み台にして街を探さないといけないわね」
「はい。ですが街道を探れば意外と早く見つかるかと」
「強い魔物を探すこともついでにやって欲しいわ。魔族の材料にするから」
「もう少し西の……俺の元になったレクスという人間の故郷に近づけば地理についても分かると思います」
「そう……まぁ期待しているわ。あんたの復讐が終わることも願ってるわね」
「ありがとうございます。アリエット様に頂いた力があればこそです」
理性が残っているからこそ、フェレクスには人間だった時に抱いた目的意識も強い。彼は自分を貶め、咎人にした人間に復讐するつもりだった。
「我が命じる。潰えよ」
次の瞬間、不可思議な声が聞こえた。
男のような、女のような。あるいは子供のような、老人のような声だった。アリエットがそれを認識すると同時に身体が重くなり、思わず膝を突いてしまう。その衝撃は凄まじく、少し地面にめり込んでしまっていた。これはフェレクスも同様で、彼の場合は体ごと地面に縫い付けられている。
「堕ちよ、跪け」
さらに追加の言葉が放たれ、アリエットですら倒れて起き上がれなくなってしまう。まるで何かに押さえつけられているかのようであり、全身全霊を込めても動けなさそうだった。
しかし辛うじて首だけは動かし、どうにか捻って声の方角に目を向ける。
彼女が目撃したのは無数の目を宿す翼に覆われた異形であった。八対十六枚の翼にある眼はせわしなく動いており、そのうち四枚の先端には七重の光輪がある。また人間で言う腹部に相当する位置に仮面のような顔が張り付いており、声はそこから発せられていた。
(あれはいったい……)
異形の放った言葉の通り、アリエットとフェレクスは潰され、堕ちて、膝を突かされている。
アリエットの危機を察したのか、遠吠えしていたヴォルフガングが一息で飛んでくる。鋭い爪に呪詛を纏わせ、翼を持つ異形を引き裂こうとする。
「捻じれよ。爆ぜよ」
しかし異形は再び告げる。
するとヴォルフガングは空中でバランスを崩し、続けて爆発した。ただその爆発も高威力というわけではなく、無傷のまま着地する。
そこでアリエットは気付いた。
(言われたままのことが起こっている……まさか言霊?)
言霊とは魔術における詠唱とも関連する事象だ。魔力を操り、言葉をそのままに具現化するのが言霊と呼ばれるものになる。理論上可能というものであり、少なくともアリエットにできる技術ではない。つまり魔術において翼の異形はアリエットを上回っている可能性が高い。
(言葉を話すほどの魔物。油断ならないわね)
アリエットは冷静になり、魔剣の能力を使って《反転呪》を発動する。これによって言霊が跳ね返され、アリエットにかかっていた重力がそのまま異形へと降りかかる。悠々と浮かんでいたソレは思わぬ呪い返しによって地に叩きつけられた。
一方で頸木から解放されたアリエットは《無象鋭鎗》を発動し、地面から鋭利な槍を出現させて串刺しにしようとする。
「無為となれ」
黒い槍が貫こうとした瞬間、再び異形が告げた。
すると不定物質の槍は霧散してしまう。元から不安定なエネルギー状態にある物質であるため、術者にとっても操りやすい代わりに干渉もされやすい。言霊により容易く壊されてしまった。
そして自らへと跳ね返された重力の言霊を解除し、再び浮かび上がる。四方に浮かぶ七重の光輪を激しく回転させ、翼に張り付いた瞳をせわしなく動かし、不気味な声を轟かせた。
「我は告げ知らせる者、告詛御霊である。汝ら、我らに仇為す魔族――」
「邪魔よ」
「――その言葉、敵対の宣告と断じる」
告詛御霊は交渉を続けようとはせず、敵対と判断して即座に雰囲気が変化した。その身体を覆い隠す十六枚の翼が全て開かれ、告詛御霊の全容が明らかとなる。その胴体は彫像のようで、四肢は肘や膝から下がなく、頭部も存在しない。そして腹に張り付いた顔は勿論不気味だったが、翼に隠されて見えなかった胸部にも同じような顔が張り付いていることが分かった。
二つに増えた口から言葉が紡がれる。
「閉ざせ/満ちよ」
異形の天使を中心として結界が張られ、その内側が光に満たされた。それはアリエットを含め魔族にとって毒のようなものであり、力が抜けていくのを感じる。
勿論このままでいるはずもなく、フェレクスとヴォルフガングは揃って攻撃を仕掛けた。巨大な炎が告詛御霊を襲うと同時に、呪詛ブレスが結界を破壊しようとする。侵食する病毒の呪いが結界を侵し、あっという間に溶かしてしまった。
「こいつはあたしとフェレクス、ヴォルフガングでやるわ。アールフォロはバステレトに合流して古城の完全制圧を手伝いなさい。ボアロを囮にすれば容易いはずよ」
「承知しました」
「グルルルル……」
フェレクスは背に掴まらせていたアールフォロを軽く叩く。見た目こそ赤子だが、王たるアリエットの命令を聞くという性質は他の魔族と変わらない。どれだけ知能が低くともアリエットに逆らわないのが魔族の特徴だ。
命じられるがままにアールフォロは浮かび上がり、バステレトと合流するべく離れていく。告詛御霊はそれを邪魔しようともしなかった。それはアリエット、フェレクス、ヴォルフガングの三人で睨みを利かせていたからである。少しでも怪しい動きを見せれば即座に攻撃すると言わんばかりに殺気を飛ばし続けていた。
「……いいわね。素材にするわ」
そして当然のことだが、告詛御霊の強さはアリエットの目に適う。あれも魔物の一種なのだから、魔族の材料として使える。言霊によりこれだけの事象を引き起こせるのだから、相当強い魔族ができあがるはずだ。
逃さないつもりで闇の第八階梯《無明幕》を発動する。運動エネルギーを崩すことで通過を拒否する結界だ。これにより闇色の帳が降りて逃げ道が失われる。
シュレリア古城は誰一人として出ることも入ることも叶わない場所になった。
◆◆◆
アリエットが優秀なネームド魔族を率いてシュレリア古城へと攻め入る少し前のこと。西グリニア軍は全戦力の七割を以てしてアバ・ローウェルへと進軍していた。その数は七千にも上る。聖堂所属の聖騎士や神官術師、そして戦士の塒の傘下に入った探索者ギルドの者たちがひと固まりになって進軍していた。
山水域はそのほとんどが魔物の生息域であるため、安全な街道は限られている。だからこれだけの数で進めばすぐに見つかってしまうだろう。しかしながら西グリニア軍はそれを回避する裏技によってアバ・ローウェルへと魔族に見つかることなく到達することができた。
「素晴らしい。疑っていたわけではないが、夢回廊とはこれほどなのか」
「聖騎士長、それよりも陣地形成を」
「うむ。探索者を呼んでここの泉を中心とした拠点を作らせよ。それと最優先でバルサリア殿の天幕を作り、休ませるように。あの方の夢回廊あってこその作戦だ。地下迷宮を行く関係上、あの方なしでは孤立してしまう」
「はっ!」
彼らは地上ではなく、地下迷宮を進むことでアバ・ローウェルの近くまでやってきていた。山水域は地上も含めた迷宮であり、地下一層の巨大迷路の出入り口が幾つも存在する。西グリニアの街にはこれら地下迷宮の出入り口が存在しているので、究極的には地下通路を使ってどの街にも行くことができる。
ただ地下迷宮は一階層しかなくとも広大かつ複雑であり、魔物も大量に生息しているので通路としての利用は難しい。夢回廊を見ることのできる神官が誘導してくれたお蔭で取れた手段だった。
彼らが拠点として定めたのはアバ・ローウェルと繋がる出入口からほど近い空間であり、安全な水場もあることから七千の人間が野営するのに充分な条件が揃っている。またこの空間は古代遺物も残されていた。
「聖騎士長! バルサリア様の言った通り、遺物の倉庫を発見しました!」
「本当か? 中身は?」
「まだ調査中ですが、軽く見ただけでもかなりの物資が見られました。以前花の街で話題になった召喚石と思しきものも発見しています。それ以外にも暗所でモノが見えるゴーグル、火や土の魔術を撃つ武器、電撃攻撃ができる棍棒など、今からでも戦力増強が見込めます」
「預言通り、というわけか」
今回の作戦は夢回廊による預言に依存している。アンジェリーナ・トラヴァル・ローウェルの命令とはいえ、不確かなものにこれだけの兵力を賭けるのは不安もあった。聖騎士長という立場を預かっているからこその重圧もあって、ここまで生きた心地がしなかったほどである。
だがこれで予定通りだ。
魔族に気付かれることなくアバ・ローウェルへと接近し、地上では魔族の中でも特に強い個体をシュレリア古城に引き付けている。今こそ神聖なる西グリニアの首都を取り戻す時だと意気込んだ。
「予定通りであれば間もなく決戦となる、か。アンジェリーナ様の餓楼もあって負ける道理なし。これなら失敗を恐れることもあるまい」
邪悪な魔族を討ち、英雄の一人として凱旋する。
彼はそんな未来を妄想していた。




