408話 シュレリア古城の戦い①
恨みという感情はとても強い。
多くの細やかな感情を有する人間の中でも、憎悪ほど激しいものはないだろう。恨みは継続性こそ低いが、それだけ瞬間的な出力が高い。そこに精神感応する魔力が加われば相応しい形となって具現化する。
「まさに呪い、というわけね」
新しい魔族アールフォロは複数の子を奪われた妊婦から生み出された。女たちの魂に蓄積された呪いを凝縮することで悍ましい力を持つ魔族が誕生した。
呪いと願いは表裏一体。
また魔術も魔力という代価を払って願いを叶えるという意味では呪いに近い性質を持つ。魔術の中でも特殊な呪術という技術は、魔力の代わりに別のものを支払うことで術を強化する。呪術も魔力を使って発動していることに変わりはなく、大切なものを犠牲にしてでも願いを叶えたいという強い意識を表出させるための儀式に近い。広義的には魔晶や魔石といった魔力物質の魔力を代わりに消費する魔術も呪術と呼ぶこともあるが、本質ではない。
魔術は魔力を媒介するので、規模に応じた魔力は必要だ。
それを織り込む術式を構築するための触媒として呪術や儀式を利用することもある。強い感情を喚起するという本質的な目的がそこにある。
魔術を学ぶにあたってこれは基礎事項にあたり、アリエットもロカ族の修行で触れた。ロカの秘術で扱う印や、魔術詠唱も儀式の一種だからだ。
「魔族も呪いや儀式を応用すればもっと強くできる。無理に契約するより、憎悪する者たちに持ち掛けた方がいい。強い願いや呪いを集めるとすれば……」
魔族化についてはアリエットも分かっていない部分が多い。
人間や動物という器に魔物を融合させることで魔族になるという基礎は成り立ったが、それを強化する方法や力の方向性を制御する方法が確立したとは言えない。
魔力を増強するだけなら大量の魔物を融合させればよい。もしくは災禍より上の強力な魔物を使うのも良いだろう。
だから力の性質を強化する手法について、色々と研究していた。
シュレリア古城に戦力を集め、圧力をかけている西グリニアに対する戦力が欲しい。そういった経緯からアリエットは強い魔族を求めていた。魔族は適当に作っても充分役立つほど強いが、異能のような特別な力に目覚めることもない。
「……上手くいくといいわね」
アリエットが向かったのは少し大きめの建物だ。
そこは各地から連れてきた人間を収容する場所として利用されている。ただ普通の人間ではなく、そこに収容されているのは酷い皮膚病患者たちばかりだ。元から西グリニアでは皮膚病患者を専用の街に隔離する習慣があるのだが、彼らはそこからアバ・ローウェルへと連れてこられたのだった。今は魔族たちによって世話されており、アリエットを含む魔族にすら心を開いている。
それだけ他の周りの人間から冷遇され、突き放されていたということだ。世話をされているとはいえ異形の者たちを受け入れつつあるのだから相当である。
故に上手くいくだろう。
積み重なった恨みの強さは、魔族を生み出すのに役立つ。病という理不尽な理由で虐げられ、除け者にされ、不自由を強いられてきた患者たちもまた然りだった。
◆◆◆
シュレリア古城は魔族を討滅するべく、多くの神官や聖騎士が滞在している。
最前線ということで戦闘を想定した者ばかりだが、古城の奥にはそうでない老人たちがいた。魔神教法王カストール・アスラ・トラヴァルとその側近たちである。アンジェリーナが実権を握って以降、彼らはシュレリア古城に監禁されていた。
彼らの周りにいるのはアンジェリーナ子飼いの神官や聖騎士、あるいはトラヴァル家私兵であり、古城から脱出する術はない。立場こそ変わらないが、実質は犯罪者と変わらない扱いであった。対外的には魔神教最高位の聖職者が祈りに尽力することで魔族の進行を食い止めているということになっているため、助け出してくれる者など現れない。
しかし彼らもこのままではいられない。
「これより守護の御使いを降霊させる。祈り、信じなさい」
カストールは側近たちへと呼びかけた。
彼らが軟禁されている場所は生活する分には困らない。しかし魔石も刃物などの武器も取り上げられ、脱出する方法は無に等しい。彼らは魔術を自力で構築する方法を学んだこともないので、自力で魔術を発動するという発想もなかった。
だがある日、カストールは天啓を得る。
「絶えず祈りなさい。食べることも、寝ることも惜しんで願いなさい。必ず私たちの神は万軍によって応えてくださいます。エル・マギア神は不条理をそのままにされない」
皆にそう言い聞かせ、カストールは自ら進んで祈り始める。それに続いて他の者たちも祈り始め、部屋全体が静かになった。この大きな部屋の外にはアンジェリーナの私兵が警備しており、怪しいことをしようとすればすぐに止める。だが、神に祈るくらいで止められたりはしない。
カストールがここまで強く祈りを勧めるのには理由がある。
(夢回廊の通りであれば、私たちは逆転できる)
六日前からカストールは夢で何かを語りかけられるようになった。
洞窟のような場所を徘徊しつつ、その所々で映像が浮かんだのだ。何をするべきか、何を準備するべきか、何が起こるのか、それらが朧気に語られた。カストールが夢回廊だと気付くのに時間はかからず、その意味を悟るのもすぐであった。
ただ夢回廊は何度かに分けて語られた。
それはこれからカストールたちが実行しようとしていることが、手間と時間のかかる儀式だったからである。そして今日は最後の儀式が行われる日だ。
最後はただ、一心不乱に祈るのだ。
これまでは儀式に必要な魔力を工面するためのものだった。最終段階まできた今、あとは術式を形にするための強い願いだけが求められる。
「このままトラヴァル家の思うがままにさせるわけにいかぬ。さぁ、心を一つに」
このままアンジェリーナの好きにはさせない。
そんな考えのもと、密かに儀式を進めた。
◆◆◆
「なんて、考えているのでしょうね」
アンジェリーナは嘲笑を浮かべる。
シュレリア古城に軟禁した法王や枢機卿たちの考えなどお見通しであった。そもそもシュレリア古城を警備するのはトラヴァル家に所縁のあるものばかりである。監視も徹底しているし、ある程度は泳がせていた。たとえばカストールたちが警備の者たちを買収しようとしても、ある程度は目溢しするように言いつけている。
完全に縛るより、どこか緩んだ場所を作っておく方が監視しやすいというのはアンジェリーナの持論であった。
「お嬢様の慧眼には感服いたしました。ピタリと合わせるとは」
「ええ。このために危険を承知で何度も魔族を攻撃したのよ。どれだけ攻撃すれば、どれだけ踏み込めば、どれだけ挑発すれば魔族は攻めてくるのか。その境界線を測る時間は充分あったの。私は非力ですもの」
「御冗談を。餓楼の恐ろしさは存じております」
「ふふ。私自身に戦う力がないのは事実よ。それはともかく、法王聖下の呼び出そうとしているモノは使える。シュレリア古城とは本当に都合の良い場所ね」
「見事な策にまで昇華させたのはお嬢様の手腕でございますれば」
実に機嫌の良さそうなアンジェリーナは今後のことを考える。
アバ・ローウェルが占領されてから半年近く経ったので、領土や領民を切り取られた西グリニアも多少は落ち着きを見せている。ローウェル一族による独裁に近い政治体制だったことも良い方向へと動いた。元から権力が集中しつつあったのでアンジェリーナへの負担も増えたが、代わりに反対意見もなく全て思うように考えを通せたのだ。
「法王聖下が何か企むのは想定されていたことよ。その予兆は見えている。それがこちらに牙をむくなら、魔族をコントロールして先にぶつければいい。元より近い内にシュレリア古城で迎え撃つ予定だったから好都合というものよ」
「しかしあの方々のやろうとしていることは実現するのでしょうか? 盗み聞いた話では今夜に儀式が完成するとのことですが……神の使者を降霊させるなど」
「どうかしらね。夢回廊に常識は通じないわ。あれは超常の奇跡なのよ」
ともかく、と区切ったアンジェリーナは続ける。
「今晩よりシュレリア古城にて決戦を始めるわ。釣り上げは順調よね?」
肯定以外は許さない態度の彼女に対し、こう返事をする。
「当然でございます」
張り巡らされた策謀は今夜、一つに紡がれる。
◆◆◆
その日、アバ・ローウェルは激しい攻撃に見舞われた。
餓楼分霊を得た者たちが大砲による焦土作戦を行ったのだ。餓楼という魔装は影より化け物を召喚する能力ではない。影に寄生するこの魔装はものを仕舞うのに丁度いい。餓楼の中に大砲や砲弾を隠すことで軍隊の機動力は格段に上がった。
「追いなさい!」
さっさと大砲を収納して逃げていく人間たちを追えとアリエットが命じる。すると彼女に従う魔族たちは我先にと駆けだした。
人間たちも影から餓楼を召喚し、迫る魔族を追い払おうとする。
だが相手が悪かった。
彼らへ最も早く近づいたのは猫背気味の狼男であった。どこか病弱な印象を覚えるのは腕や足が細く、毛並みも薄汚れているからだろう。しかし見た目通りの貧弱な魔族ではない。餓楼が人狼の魔族へ噛みつくと、それをあっさりと引き剥がしてしまった。そればかりか餓楼を両手で引き裂き、一息でその宿主へと接近して右肩へと噛みついた。
「ぎゃっ!?」
「あ、おい」
悲鳴が上がったのも束の間、噛まれた男の首筋に焼け爛れたような痣が現れる。その痣は肌を伝って顔を覆い、赤や黄色の液体が滲み出た。服や防具で隠れているが、全身がこのように爛れているのだろう。男はそのまま倒れ、少し痙攣してから動かなくなった。
それに恐れをなし、人間たちは一目散に逃げていく。
誰もあのような死に方はしたくない。
しかし逃亡などアリエットは許さなかった。痩せこけた人狼の魔族へと命じる。
「ヴォルフガング、ブレスを使いなさい。一掃するのよ」
「御意」
ガラガラと枯れた声で返事を返すと、魔族ヴォルフガングは大きく息を吸い込んだ。胸が膨らみ、口の隙間から呪詛が漏れる。
そして一気に吐き出された黒い息が逃げ惑う人間たちを襲った。
これこそ新しい名前付き魔族ヴォルフガングの最も強力で極悪な能力、呪詛ブレスだ。元よりこの魔族は大量の呪詛や病魔を体内に抱えており、今でも継続して呪いが生成され続けている。常人であれば動けなくなってしまうほどの苦痛を伴うだろう。そんな呪いの吐息は草木を覆えば瞬時に枯れ果てさせ、人間に触れれば腐蝕させてしまう。
「あ、あああ! 溶ける! 俺の腕が溶ける!」
「吸ったら終わるぞ!」
「風! 風の魔術は使えないのか!」
「知るか馬鹿!」
幾人かは逃げることも叶ったようだが、多くは呪詛に呑まれた。
肌に触れればそこから肉が腐り、骨が溶け、血も黒く変色して固まる。また吸い込めば内臓機能が停止して即死する。呪詛ブレスの厄介な所は、あくまでも呪いであるという部分だ。一度でも身体を侵されるとそこから呪いは広がり、解呪しなければそのまま死ぬ。
今の人間たちにできる対策は呪詛に侵された部分を切り落として延命することくらいであった。
ヴォルフガングの放ったブレスで人間はほぼ全滅。
「追撃するわよ。フェレクスは先行しなさい。ボアロ、バステレト、ヴォルフガングは私と一緒に行くわよ。アールフォロは……まぁフェレクスが連れて行ってくれる?」
「かしこまりました」
アリエットの肩に乗っていた赤子のような魔族がふよふよと浮かび、フェレクスの背に掴まる。見た目こそ歩くことも儘ならない子供に見えるが、秘めた力は悍ましさすらある。無差別な能力なので単騎で扱う方がいいという判断だった。
「このままシュレリア古城を落とすわ。今晩の内にね」
赤い日差しを正面に見据え、アリエットは告げた。
◆◆◆
シュレリア古城はかつてアバ・ローウェル西方の軍事拠点として重要な位置づけにあった。山水域の魔物から首都を守るための拠点であるため、その防衛力は非常に高い。川から水を引き込むことで全方位に堀を作り、弓や魔術による遠距離攻撃で敵勢力はかなり削れる。また岩場や高台などの地形的な利点もあるため、魔物の大軍が考え無しに突撃したところで壊滅するのがオチである。
ただ、それはあくまでも地を伝って攻める場合の話だ。
「脆いものです。上から攻めればこの通り」
両腕を炎の翼に変えて飛ぶフェレクスは嘲る。
彼の操る爆炎は流星のように降り注ぎ、頑丈なシュレリア古城を無防備な上から破壊していた。ただ古城といえど補修もされて頑丈なので、脆いというほどでもない。空を飛ぶフェレクスに弓や魔術で反撃するくらいの余裕はあった。
西グリニア軍にとって残念なのは、射角の問題で大砲が使えないことだろう。
そもそも大砲は古城の城壁から撃ち下ろす目的で設置されている。基本的に砲身は下を向いており、どれだけ上に傾けてもフェレクスのいる遥か上空には届かない。また誰もが上空を見上げていたので、すぐ側のことが疎かとなる。
「アー……アアー」
フェレクスが連れてきたアールフォロは、その小さな体を活かして兵士たちの視線から逃れるように行動していた。空から降り注ぐ爆炎に気を取られているため、シュレリア古城を守る兵士たちはアールフォロの存在に気付けない。
赤子のようなアールフォロは兵士たちの足元で浮遊し、額にある第三の眼を見開いた。そして腹の奥から金切声を発する。
「キアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
根源的な恐怖を呼び起こす絶叫が木霊し、兵士たちは全身を硬直させる。アールフォロは精神に作用する能力を多数保有しており、声もその一つとなる。これを聞いてしまった者は狂気に襲われ、精神力で耐えきれなかった者は意識を失う。
城壁を守っていた兵士たちは次々と倒れ、どうにか耐えきれた者たちもアールフォロの姿を目撃して恐怖した。下半身が植物に包まれた赤子という見た目でありながら、とても安心できる風貌ではない。事実、その額にある第三の眼が開かれることでシュレリア古城は更なる狂乱に包まれた。
「あ、あ、あああ、終わりだ。終わりだ」
「もうだめだ。俺たちは死ぬんだ……」
「消えてしまいたい」
「死にたい」
その邪眼を見てしまった者たちは鬱状態に陥り、止める間もなく自刃してしまう。闘志を燃やしていた者ですら呆気なく死んでいった。
また城壁を守る者がいなくなればフェレクスの攻撃も通りやすくなる。雨のように降り注ぐ炎は地獄を作り出した。空からの攻撃という手段によってシュレリア古城は当初の防備を無意味なものにされてしまう。本来ならば完璧な防御力を誇っていたはずの地上防御すらも疎かになるほどに。
「オオオオオ! オオオオオオオッ!」
咆哮と共に地響きが鳴る。
途端に城壁が文字通り弾け飛び、その衝撃で人が宙を舞った。砕けた石材が散弾のように兵士たちを襲い、被害は余計に拡大する。彼らには何が起こったのか理解できなかったことだろう。
簡単な話だ。
猪頭の巨漢魔族、ボアロが体当たりしたのである。最もパワー溢れる魔族のボアロにかかれば、破城槌がなくとも容易く城壁を破壊できる。
そうして壊れた城壁へと彼女は踏み込んだ。
「蹂躙しなさい! 一切の反撃の隙も与えないように! 完膚なきまでに!」
宵闇の魔剣を掲げたアリエットはそこに秘められた魔術を発動する。闇の第三階梯《無象鋭鎗》だ。不安定化した流動する暗黒物質を槍状にして操る魔術だが、魔剣に込められた魔術拡張機能によりある程度は好きに改変できる。
使い勝手の良さからアリエットも愛用していた。
地面に広がった闇の沼から次々と暗黒の槍が出現し、辛うじて戦える兵士たちを仕留めていく。万全だった東側の城壁は容易く突破され、そこを守る兵士たちは全滅したのだった。