406話 魔族化の儀式
アリエットの率いる魔族たちはアバ・ローウェルのほぼ全てを制圧した。人数の問題から皆殺しとはいかなかったが、あらかじめ発動していた禁呪《黒望楽園》の影響で逃げ切れた者はそこまで多くない。
事実上、アバ・ローウェルは首都機能の全てを失うことになった。
しかし生き残った者たちはアンジェリーナ・トラヴァル・ローウェルの下へと一つに集まる。ギルド『戦士の塒』もアンジェリーナの直轄となり、戦力を提供すると共に他のギルドを傘下へ収める形で一つの軍団を為した。
「アンジェリーナ嬢、これで戦力は五千くらいにはなりましたよ。指揮系統の再編に手間取っていますが、アバ・ローウェルを取り戻すのに充分な数です。勿論、その質も」
「そう。なら編成を任せるわ。私が餓楼を授けます。素質のありそうな人物を……そうね、三百ほど見繕っておきなさいな」
「承知しました」
戦士の塒ギルド長のザスマンは深く頭を下げる。
それから僅かに頭を上げ、上目に視線を向けつつ尋ねた。
「それで法王聖下は?」
「此度のことで責任を取っていただくことになったわ。それに命令系統が二つ以上存在すると、現場の人間にとって困ることになるでしょう?」
「その通りです」
「安心なさい。処刑したりはしないわ。まだ役目があるもの。少し大人しくしていただいているだけですのよ」
恐ろしい女性だ、とザスマンは内心で思う。
これでアンジェリーナは西グリニアおよび魔神教の最高権力者となった。緊急事態ということでほぼ全ての探索者ギルドも手中に収め、聖騎士やトラヴァル家私兵団も含めれば五千を超える兵を保有していることになる。当然だが、その全ての兵士が魔装か魔石を持っている優秀な戦力だ。
西グリニアに国王という制度は存在しないが、それに等しい権力といえる。
「そんなことより調査はどうなっているの?」
「腹心に二十の部下を与えて探らせている所です。ただ現時点の報告で、敵の数は五百に満たないだろうと予測されています。現在は首魁の発見を優先させている所です」
「そう。他は?」
「通常、魔物は同種で群れを作ります。上位種となる魔物が下位種を統率することで群れとなるのです。しかしアバ・ローウェルを襲った魔物……あれを魔物といって良いのかは分かりませんが、あれらが同種とは思えませんでした。つまり異種の魔物が群れを成しているということになります。これは前例のないことです」
「何が言いたいの?」
要領を得ない今更な報告にアンジェリーナも少し苛立ちを見せる。
だがザスマンは努めて冷静に、重い口調で続けた。
「これは未確認情報ですが、人間を魔物に変える存在が発見されたようです」
「……どういうことかしら?」
「情報を吐いたのは戦士の塒でも末端の探索者でして、荷物持ちをしている者です。彼の仲間が魔物共に挑み、しかし逆に殺されかけたところで銀髪の少女が現れたとか。その少女は右手から鎖を放ち、死にかけた彼の仲間を縛り上げ、こう問いかけたそうです。『生き残りたいか』と」
そこでザスマンは口を閉ざし、何か悩むような素振りを見せる。それはどういう風に言葉で表現して良いものかと考えていたからであった。
ただそれも少しの間だけ。
すぐに口を開く。
「ここからは本人も錯乱した様子で曖昧な情報となるのですが……仲間が化け物に変えられた。仲間に殺されかけて、必死に逃げてきた。まとめるとそんな話です」
「……その銀髪の女が怪しいということですわね」
「それを手掛かりに調査させています」
「なんて冒涜的なのかしら」
アンジェリーナが思い当たったのは、禁忌に触れた魔術師という犯人像だ。ザスマンの話が真であると仮定すれば、敵の首魁は人間の姿をしているということだ。人型の魔物ということも考えられるが、それはどちらでもいい。
一番の問題は人間を魔物に変えるというその手段である。
聞いたこともなければ、どのようにすれば可能なのか予想すらできない。
「魔物ならともかく、人間が相手なら必ず殺さなければならないわ。こんな舐められた真似をされて、ローウェル家が侮られるなんてことはあってはならないの。皆殺しよ。一切を滅ぼしなさい」
「心得ました」
「しばらくはこの古城の拠点化も急がせるのよ。古い城だから、念入りに手入れしておきなさい。それと私は西側の都市へと首都機能を移設する準備も進めますから、軍の指揮は委任するわ」
「は! 承知しました。防衛網構築と共に進めます」
「私は神官たちを集めて会議を開きます。それが終わるまでに成果を出すことを求めますから、心してかかりなさい」
アバ・ローウェルを追われた生き残りたちは、その西部の川沿いに建てられたシュレリア古城を拠点として戦力を整えていた。かつてはアバ・ローウェルを魔物から守るために建設された軍事拠点であり、古い造りではあるが頑丈なので現代でも充分使えた。
古城といえど道は手入れされており、他の街との繋がりも維持されている。街道を使って他の街から兵力や物資を調達し、アバ・ローウェルを奪い返す準備が進められていた。
◆◆◆
アバ・ローウェルから住民たちを撤退させたことで、アリエットたち魔族軍は大きな拠点を手に入れることができた。廃人となった人間たちは数か所に分けられ、魔族化を待っている。
魔物と融合することで魔族を生み出せるのはアリエット一人だ。またアリエットが契約の鎖により保管していた魔物の魂も数が少なくなり、そう簡単に魔族化できない状況にもなっていた。
「我らが王よ」
「魔物ガ足リヌト伺イマシタ」
魔族化の停滞に悩んでいた彼女の下にやってきたのは、前後に二つの頭部を持つ猫の魔族バステレトであった。災禍級の魔物、猫又を二匹も融合させられたことで他とは隔絶した能力を保有している。また大量の魔力を獲得することで更なる強化を積んでいた。
流暢な前の猫頭と機械的な発音をする後ろの猫頭が交互に問いかける。
「何か策でもあるの?」
「我らは妖しき力により惑わせ、魔物を操ることができます」
「故ニ任セテクダサルナラバ、魔物ヲ捕エテミセマショウ」
「ふぅん。そんなことができるのね」
元より猫又という魔物は感覚能力に優れており、魔力の波動を操ることで敵の感覚を狂わせるという魔導を保有している。それによって猫又と敵対した者はその位置情報を見誤ったり、聞こえないはずの音が聞こえたり、匂いに気を取られたり、肌を刺すような気配を感じさせられたりと惑わされてしまう。
融合したことで魔導を継承したこの魔族も同等のことが可能であった。
「それなら、あたしと一緒に来なさい。魔物を操れるなら、それを引き連れて近くの街を襲うわよ。ここはもう制圧しているから後回しでいいわ。それよりも周囲から戦力を奪っていくわよ」
「承知」
「オ任セヲ」
山水域は未開拓地域も多く残されており、そこに強力な魔物が群れで棲息している。それを操り、魔族の材料とすれば西グリニアの人間を強制的に配下とすることも難しくはない。
可能というのであれば、バステレトに任せることに忌避はなかった。
「行くわよ。まずは東側と南からね」
アンジェリーナ率いる残存勢力が西側のシュレリア古城を拠点として、西グリニアの西部勢力を集結させていることも分かっている。ならば東部や南部から手を出すのが正解だろう。怨敵たるスレイ・マリアスが東方の国家に根を下ろしているため、それを警戒する意味もある。
二つの顔、四つの腕を持つ異形の猫型魔族を引き連れ、アリエットは各地を回り始めた。
◆◆◆
西グリニアは元々小さな村でしかなかった。
千三百五十年前に終焉戦争が終結し、その混乱の最中で魔神教元教皇だったクゼン・ローウェルが西グリニア村を開拓した。魔石という神聖グリニアにおいては禁止されていた技術を持ち出し、魔装を持つ人間から抽出することで多様な魔術を扱えるようになった。ただこれから氷河期が始まるという時期に合わせた柔軟な対応だったと歴史が証明している。
当時は山水域のような自然に満ちた領域も侵食していなかったので、頼りになるのは魔術だけ。それを求めて西グリニア村には多くの人が集まり、やがて許容限界を超えた。だから危険を冒して魔物に侵されていない安全な場所を開拓した。
千年以上が経ったことで開拓集落も村から街、都市へと発展する。それらは同じく魔物の住処を避けて作られた街道で結ばれ、交易して特色を交換することで一つの国となった。
しかし氷河期による直接的被害を免れた山水域ですら、その多くが魔物の支配域となっている。現代人には到底対処できない厄災に匹敵する魔物も多い。ゆえに安全地帯となっている街は貴重な場所であり、街道もまた重要な役割を担っていた。
逆に言えば街や街道から外れると、人間は何もすることができないということである。
「選びなさい」
赤に染められ、生臭い匂いが充満する広場でアリエットは声を張り上げる。
「このあたしに従うか、ここで死ぬかを」
宵闇の魔剣からは闇が滴り、それが舗装された地面に広がって沼のようになっている。また闇の沼からは細長い針のようなものが突き出て、聖騎士や探索者たちを磔にしていた。
本来ならば街を守るべき者たちが碌な抵抗もできず、アリエットに敗北した。
何よりも恐ろしいのは、街を囲む魔物の大軍である。
まずアリエットは街を攻めるにあたって、バステレトの催眠能力を利用して魔物を集めた。人類の非居住区域は多くが自然のままである。そこには様々な魔物が生態系を構築しており、中には高位級や災禍級の魔物までいた。それらは群れとなって街道を塞ぎ、住民たちは逃げる方法すら失ったのである。
そこでアリエットは街の中心で宣言する。
魔物と一つになり、魔族となってアリエットの配下になるよう命じるのだ。当然だが街の聖堂に属する聖騎士や神官術師たちは抵抗するが、それはバステレトを始めとした幾人かの魔族が制圧した。トドメとばかりに宵闇の魔剣で闇を操り、見せしめとして磔にする。
「俺は魔族になるぞ!」
「お前……あ、おい!」
「それなら、私も」
「僕も死にたくない!」
そして極めつけはバステレトによる催眠だ。
たった一人でいい。
アリエットの誘いに陥落した人物を作り出す。人間は前例に弱く、緊張した精神状態では特に顕著となる生き物だ。たった一人がきっかけとなるだけで、そこからは雪崩のように信念を翻す者が現れる。自分だけではない。自分だけが弱くない。そんな風に責任転嫁できる状況を演出するのだ。
「私も!」
「俺も!」
「魔族になる! ならせてください!」
「人間なんかやめる!」
「あ、おい! 貴様ら止め――」
これでも強い信念を抱く者は少なく、その貴重な意思は数によって封殺される。
魔族は人を超えた存在であることもすでに証明された。多くの市民にとって遥か上の存在であろう聖騎士や優秀な探索者を子供のようにあしらう魔族に憧れを抱く者すらいたはずだ。
(もう引き下がれない。それに引き下がるつもりもない。だってこれは復讐のためだもの。あたしはあたしが悪であることを誤魔化したりしない)
縋るような弱い生き物たちを見下しつつ、アリエットは闇色の剣を掲げる。その先より光が天に上り、その光の柱から無数の鎖が飛び出た。
覚醒している彼女本来の魔装、契約の鎖は意のままに操れる。膨大な鎖は広場に集まった人間それぞれの首へと巻き付き、あるいは街を囲む魔物たちも拘束した。アリエットは迷宮魔力を流し込み、完全独立していたはずの魂を融合させる。精神体を溶かし合わせ、一つの生命として定着させる。
街の住民を二百人ほど魔族化させた。
「余った人間は……連れて行くのに留めましょうか」
人間に対して確保した魔物の数が少ない。そのため魔族化も全員というわけにはいかないのだ。アリエット自身も幾つか強力な魔物の魂を確保しているが、それはもしもの時に備えて今は保存していた。
配下にした魔族に命令し、まだ人間のままとなっている者たちをアバ・ローウェルへと連行する。魔物を集め次第、彼らも魔族化させることになるだろう。
アリエットは着々と戦力を増強させていた。
◆◆◆
魔石とは魔装から生み出すものであり、願うだけである程度の魔術発動を助けてくれる触媒と認識されている。どんな役立たずな魔装でも、魔石化することで有用な触媒となり得る。また魔装と異なり、魔石は次代へと引き継ぐこともできる。このことから引退した魔装使いも洗礼を受けることによって魔装を魔石に変えることがほぼ義務となっている。
聖堂は魔石を高額で買い取るため、老後の金策として魔石化する者は多い。
千年以上も蓄えられてきた魔石は膨大なものとなっており、魔石の利用方法に対する研究も多くされてきた。
「先生、術式配置完了です。チェックお願いします」
「ん? うん……うん、いいね。大丈夫だと思うよ。これでやってみようか」
「魔石は幾つにしますか? 予定では十六個ですが、術式の容量としてはまだ余裕があります」
「いや、変に成果を求めるより確実な成功を優先しよう。我々の研究室が出す第一号だ。ローウェル家の方に献上するものと思ってやらなければ」
「分かりました」
アバ・ローウェルが悪しき者たちに襲われたという話は西グリニアのそれぞれの街で伝わっている。そして研究所のあるような大きな都市では、魔術研究や魔石研究に秀でた者たちがチームを組んで新兵器の作製などにあたっていた。
この研究室では魔石を利用した研究が多く行われており、これからアンジェリーナ・トラヴァルより依頼された兵器の試作を行っていた。
「では魔石の融合、および純化作業工程を開始します。先輩、第二段階の準備も」
「了解だ。先生は温度の確認をお願いできますか?」
「分かった。君は爆破術式定着化に集中するように」
「いやぁ、研究費があるとこんなこともできていいですよね」
戦時特需とでもいうべきか、研究設備や研究者には大量の投資が行われている。主にローウェル家の関係者から投資されているということもあり、研究員たちも成果を挙げるべく必死である。ローウェル家が役立たずを切り捨てるという話は有名なのだから。
そしてこの研究室ではまもなく成果が出せるということもあり、最高の未来を夢見ていた。
「さぁ、余計な話はここまでだよ。魔石爆弾は危険なものだ。間違っても起爆させないよう、魔力流量に気を付けるように、熱量は私が見ておくから」
アンジェリーナ率いる西グリニア軍も、魔族を撃退するべく力を蓄えていた。
アリエット「お前も魔族にならないか?」