405話 ニブルヘル
ダンジョンコアを名乗るその『王』は、元々兵器だった。
超古代において外付け魔装を実現しようとした『三つ眼計画』。そこから発展した人型魔装兵器中央制御系群トレスクレアの端末の一つでしかなかった。しかし古代兵器トレスクレアはその開発者たるパンドラと融合し、虚飾王へと変貌する。結局はルシフェルに封印され、月にされてしまったが、端末の一つたる指揮型九号機だけは封印状態で地上に残されてしまった。
封印が解かれたのは幸運という他ない。
その類稀なる解析能力により復活当初の世界情勢をある程度理解し、更には言語を解析することで習得すると、まずは世界に馴染むことを心掛けた。当時最も勢力の強かった魔神教へと潜り込み、そこで最重要人物になることで安全を得た。自身の疑似魂へとインストールされていた超古代の情報からオーパーツとしか思えない技術を生み出し、真の目的のために邁進した。
全ては月に封印された虚飾王パンドラを解放するため。
傲慢王ルシフェルや色欲王アスモデウスを討伐し得る戦力を整えるために人間を利用した。何も知らない人間は簡単に乗せられ、アゲラ・ノーマンという偽の姿で実質的に人間社会を掌握する寸前まで辿り着いた。彼にとって唯一の計算外は、冥王アークライトという存在だろう。
未知の魔法、死魔法を操る新たなる『王』は知略的にも能力的にもアゲラ・ノーマンを苦しめた。
アゲラ・ノーマンが神聖グリニアという国を利用したように、冥王アークライトはスバロキア大帝国を利用することで戦いを仕掛けた。
多くの運命が重なり、迷宮魔法を獲得しなければ死魔法で消されていたことだろう。
いや、迷宮魔法を手に入れても死にかけた。
神機巨兵という最大兵器を以てしても冥王アークライトに滅ぼされたのだ。アレに乗り移っていたのは魂を分けた分霊でしかなかったが、それでも力の大部分を保有していた。寧ろ逃がしていた極小の魂の方が保険だったはずなのだ。
冥王アークライトの《魔神化》は魔法に目覚めて間もないダンジョンコアなど一蹴し、容易くその魂を破壊して冥府へ沈めた。
だからダンジョンコアは恐れた。
冥王アークライトはまだ戦ってはならない相手だ。
地下に迷宮を広げ、時を待とう。
人間や動物、そして魔物を住まわせることで力を回復させよう。空間を操る迷宮魔法さえあれば冥王が生み出した煉獄にすら干渉し、その魂を掠め取り、そこから回収される魔力で力を付けられる。初めは気付かれないレベルでほんの僅かに。時が来れば一気に広げ、力を完全回復させた後は冥王から逃げ回りつつより大きな力を付ける。
そう考えた。
(これは……冥王の管理する魂の領域へと干渉できない!?)
初めは驚きがあった。
これまで簡単に手を出せた煉獄が急に遠くなったのだ。これまでも何度か死魔法によって押し込まれ、魂の領域を奪い返されることもあった。しかし全く手が出ないようにされたのは初めてである。
戸惑いつつ、ダンジョンコアは思案する。
(空間の壁……しかし空間への適性ならば私の迷宮魔法の方が上です。これまで世界と接続していた冥界とやらが完全に隔離されてしまった。しかしこれでは接続口が……)
思考は巡り、あらゆる可能性が試算され、すぐに答えへと辿り着く。
(なるほど。これまでは同じ部屋に存在していた現世と冥界……それを完全に分離したということですか。そして二つの部屋にしてしまった。よく調べればそこに繋がる道は確かに存在します)
ダンジョンコアの考えは正解であった。
迷宮魔法という空間適性の強い魔法を持っているからこそ、これだけ一瞬で正しい答えを得たのである。だが答えが分かったから再び冥界に干渉できるかどうかといえば、そんなわけない。冥界とは死魔法という秩序によって構成された異空間であり、迷宮魔法といえど直接作用することはできない。これまでは世界と直接触れていたからこそ、その延長に迷宮魔法を伸ばすだけで干渉できたに過ぎない。完全隔離されてしまった以上、正規の手段でそこへ至る道を通るしかない。
特に魔力量で負けているダンジョンコアでは直接ぶつかり合って冥界に干渉するという手段は取れない。そんなことをしても魔力差で押し返され、力を無駄に消費するだけとなる。更には逆探知で居場所まで知られることになるかもしれない。
「厄介ですね。力を回復する手段が限定されてしまいました。迷宮は魂の養殖場として便利だったのですが……私は魂そのものへ干渉するのは苦手ですし」
どうしたものか。
魂を宿らせた人形で立ち上がり、興味本位で冥界への道を辿ろうとする。部屋が別たれているなら、壁をぶち破るという野蛮な手段に頼らずともよい。正規の道を使っても冥界に辿り着けるはずなのだ。
虚数時空を利用した面白いギミックであるため、その知識欲に負けてしまった。
魂だけが通過を許された冥界門に触れてしまったのだ。
「なっ!?」
次の瞬間、ダンジョンコアは何かに咬みつかれて振り回される。元から戦闘を想定した人形ではないので非力な造りとなっており、何の抵抗もできなかった。そもそも迷宮魔法を使えば依り代の人形を独立空間として指定し、外部からの干渉を遮断できるはずだったのだ。
しかしソレは簡単に牙を喰い込ませてきた。
それもそのはず。
冥界門を守る冥域の怪物は死魔法を与えられている。依り代を保護する迷宮魔法を殺し、牙を届かせることは簡単なことだったのだ。
そうしてダンジョンコア本体の魂を乗せた人形は、訳も分からぬまま引きずり込まれたのだった。
◆◆◆
冥界門を介して引きずり出したダンジョンコアに対し、シュウは無言で攻撃を仕掛けた。対象を根源量子に還元して完全消滅させる死魔力が襲いかかる。理解不能といった様子だったダンジョンコアも、流石にこの一瞬で状況を察したらしい。咄嗟に迷宮魔力で防御し、死魔力を逸らした。
魔法はそれ一つで絶対の法則を織りなす。
対抗できるのも同じ魔法というわけである。
「逃がすなよアイリス!」
「分かっているのですよ!」
シュウが攻撃を続ける一方で、アイリスは心得たとばかりに時間を操り結界を張る。固有空間を生み出し操る迷宮魔法に対してこれは明確な対策とならない。しかしアイリスはほんの一瞬でも逃げ道を阻むという目的の為に幾重もの結界を発動したのである。
しかもわざわざ一つ一つ別方式の結界にしている。
冥王アークライトの攻撃力を信頼しているからこそ、アイリスはただ補佐に徹した。
「馬鹿な! ここまで早く――」
珍しいダンジョンコアの動揺する姿を鑑賞する暇もない。シュウはとにかく急いで《魔神化》を発動して、死魔力の術式を鎖のように解き放つ。空間を侵食する魔神術式はあっという間にダンジョンコアの依り代を捕らえ、逃走できないよう縛り付けた。
即座に発動される凍獄術式。
質量を含む物理エネルギーを殺すことで冥界へ物質が侵入することを拒む層こそニブルヘイムだ。シュウによってこの世に顕現した冥府の第一層を具現化したのである。魂は決して殺さず、物質的エネルギーだけを殺す。
またシュウはそのまま第二層、幽忘術式まで具現化させてダンジョンコアの魂を浄化しようと試みた。しかしダンジョンコアも以前にこれをくらって魂の大部分を失った経験がある。自身の大部分を消滅させた魔神術式を警戒しないはずもなく、ダンジョンコアはすぐにその土地との融合を試みた。
「シュウさん!」
「まだ魂を捕まえていない。もう一度器を破壊する」
幽忘術式は魂に作用し、その精神体を浄化してただの魔力に還元する。しかし魂の器に入られてしまっては作用しない。再び凍獄術式で魂を引きずり出す必要がある。
シュウの魔神術式は冥界を具現化しているだけあって、その手順も冥界の規則に準ずる。物質に属するエネルギーを排除することで魂を剥き出しにして、魂に張り付く記憶や人格といった精神体を白紙に戻す。それによって無垢な魂に戻し、再び現世へと送り返す。だから肉に属する者は冥府第二層に影響されない。
ダンジョンコアは迷宮魔法によってその魂を保護し、大地を器として再誕する。空間を切り取って独立させ、固有空間として運用するのが迷宮魔法の本質だ。そこに魔術を組み合わせれば無機物すらも肉体として利用することができる。普通の魔物とは異なり、魔力で身体を構築する必要もない。
周囲の土、岩、草木を取り込んだダンジョンコアは巨人となって立ち上がる。
「忘れたか。身体の大きさは的の大きさだってことを」
そう告げるシュウの足元から広域に魔術陣が広がる。その範囲に土の巨人が入った瞬間、全身がサイコロ状に切り刻まれた。防御不可の座標斬撃魔術《斬空領域》である。魔力が強く干渉する体内は魔術の発動座標として設定するのが難しい。しかしシュウは体内魔力を死魔法で殺し、無理やり可能としている。
崩れていく土の巨人はダンジョンコアの魔術によって再生し、更にはその体表が金色へと変貌していく。オリハルコンへと変性させる魔術を発動したのだ。更には迷宮魔法による層を幾重にも展開し、あらゆる攻撃を表面で受け止めるようにする。
かつての神機巨兵と同じであった。
「シュウさん、あれ!」
「分かっている。あの時と同じ奴だな」
対処法もかつてと同じ。
凍獄術式を発動することでオリハルコンの巨人を分解する。死魔法の黒い術式が鎖のように伸びて巻き付き、周囲の空間を冥府第一層へと侵食した。具現化した冥府はシュウの世界そのもの。巨人が持つ数万層もの表皮を瞬時に分解し、再び魂が剥がされそうになる。
ダンジョンコアもただそれを待つだけではなく、巨人の内側で小さな依り代を生み出し、表面に凝縮した迷宮魔力を纏うことで冥府の現象へと抵抗した。
だが魔力量が根本から異なる。
ニブルヘイムはあらゆる物質が冥府へ落ちることを拒む迎撃階層だ。それが物質エネルギーである時点で即座に分解され、魔力として吸収される。それが法則であり、絶対の決まりだ。物が上から下に落ちるのと同じくらい『当たり前』のことなのだ。
ダンジョンコアの依り代も迷宮魔力で守られてはいる。しかし常にその魔力を魔神術式が侵食しており、依り代が破壊されるのも時間の問題であった。
「ならば……この私もここで強くなるまで!」
しかしただでやられるダンジョンコアではない。
その身に纏う迷宮魔力を変化させ、九つの触手を背中から生やす。相変わらず悍ましい色合いをしている迷宮魔力は、同じ魔法だけあって死魔法の影響を受けにくい。
「冥府とやらをこの世界に具現化したのは大きな過ちでしたね。私の迷宮魔法は空間を操り、切り取り、奪い取り、私のものとする。この世に顕現した冥府を介せば、冥界に存在するであろう数多の魂を奪い取ることも容易いというもの!」
ダンジョンコアは実体化した冥府に向けて触手を送り込み、その奥に保管されているであろう魂を奪うべく迷宮魔法を発動する。
逃げ出すことは不可能だと断言できる。
だからこそ、無茶を通してでもここで冥府にある魂を強奪することで自己強化を図るしか突破口は存在しない。確かに魔神術式は脅威だ。シュウは《魔神化》に伴ってその魂すら死魔法の法則になり、別位相の存在へと昇華している。同じ魔法でなければダメージを与えることすらできないだろう。何より、この世に顕現した冥府に抗う術をダンジョンコアは持たない。迷宮魔法による世界の切り取りと独立化を以てしても、即座に再侵蝕されてしまう。圧倒的な魔力差のせいで抵抗が意味をなさない。
故にあえて冥府へと飛び込み、その身や魂が削られることを前提にして一発逆転を狙う。
一方でシュウは黒い術式を伸ばし、ダンジョンコアの依り代が操る迷宮魔力の触手へと絡みつけた。
「そうやすやすと冥界に手を出せると思うなよ」
その言葉通り、触手は動きを止めてしまう。
突如として出現した暗黒の炎に包まれてしまったからだ。かつて獄王と呼ばれた『王』の魔法、獄炎魔法により生み出された消えることのない炎である。この炎は対象を破壊し尽くすまで消えることなく、対象が消えた後ですら燃え続ける不滅にして呪われた火だ。
不変、不滅といった性質を内包しているからか、この炎に囚われると逃れる術もなく固定される。ダンジョンコアの触手はニブルヘイムに留まる地獄の炎に阻まれてしまったということだ。
そしてこうしている間にも凍獄術式はダンジョンコアの依り代を分解し、その魂を引きずり出そうとする。
「お前の力が完全回復する前に……今日、ここで仕留める」
ダンジョンコアはかつて魂の大部分を切り離し、魔力の多くを失った。一方でシュウは冥界システムのお蔭で余るほど魔力を持っている。
覆しきれない魔力量の差がある今、終わらせるのが最善だ。
「その魂を欠片でも残しはしない。冥府第三層、零魂術式」
地獄の蓋が開く。
シュウの肌に張り付く魔神術式が世界を侵食し、ダンジョンコアの依り代を包み込んだ。空間が引き裂かれ、ドロリとした液体のようなものが溢れだす。その正体は冥府の底に蓄えられた死という概念そのもの。死魔法を凝縮し、魔力として蓄えたものだ。
普段、シュウが扱う死魔力よりも遥かに『死』の力が強い。
ありとあらゆる物質、また魂を滅却して本当の意味で死を与える。それが冥府の最下層に存在するニブルヘルだ。ここを現世に具現化する零魂術式に抵抗という余地は存在しない。
「そん、なァ!?」
「沈め。今度こそ」
零魂術式が溢れだす沼の淵より生じた黒い術式がダンジョンコアの依り代を捕まえる。そのまま容赦なく引きずり込み、死の底へと沈めてしまった。
ニブルヘルは冥府の中でもシュウだけが存在を許される最も危険な場所だ。ゆえに冥府の最も深い場所に位置しており、普段は封じられている。本来は魂を破棄するために用意された場所であり、転生を繰り返すことで摩耗してしまった魂を滅却する目的でシュウも設置した。濃密な死魔力の沼であるため、物質だろうと魔力だろうと全て殺して根源量子にしてしまう。
どんなベクトルも持たない、完全な無になる。
ニブルヘルの中でダンジョンコアも少し暴れ、抵抗していたようだ。しかしその抵抗もすぐに弱くなり、やがて反応は消えた。
「終わりました?」
「ああ。今から解く」
何も言わずともアイリスは《量子幽壁》を発動し、具現化した冥界の影響を受けないよう回避していた。この世の者にとって冥界の環境は悪影響でしかない。
広げられた魔神術式はシュウの中へと戻っていき、異質な空間も元の姿を取り戻した。尤も、激しい戦いのせいで元通りの環境とは言い難いが。
「これで倒せました?」
「少なくとも力の大部分は奪った。前みたいに分霊を作っていたとしても、また力を失ったはずだ」
「これでまだしぶとく生き残っていたらどうするのです?」
「そのためのアリエットだろ」
「あー、そういう」
冥界は閉じられ、現世との繋がりは冥界門だけとなった。その冥界門も冥域の怪物が守護しているので素通りとはいかない。死んだ魂だけはここを通過し、その裏側にある煉獄にまで到達することができる。あとは煉獄の精霊が冥府へと魂を運び、浄化するというこれまでと同じシステムだ。
量子時間の隙間から生じる虚数時空を利用しているので、冥界門はどこにでも存在し得る。肉体から離れた魂は霧散することなく、冥界門を通って煉獄で保護される仕組みへと変更されていた。
つまり迷宮魔法によって煉獄が押しのけられることもないということだ。
ダンジョンコアは迷宮で人間、動物、魔物を養殖し、そこから魔力を得ていたので、こうなってしまえば弱体化から抜け出すことも難しいだろう。尤も、分霊を残していればの話だが。そして仮にダンジョンコアが分霊を残していたとして、小さく切り分けられた魂を回復させる方法は限られる。真っ先に思いつくのが迷宮魔力を与えられたアリエットを利用することであった。
「俺たちの目的は変わっていない。ひとまず魂の循環は取り戻した。仮にダンジョンコアの分霊が生き残っていたとしても、派手には動けないはずだ。もう二度も痛い目に遭わせたからな」
「ここからが大変じゃないですか? 頑張って探してプチプチ潰すんですよね?」
「冥界を遮断した関係上、煉獄による情報収集もできない。煉獄は死体から遊離した魂の一時保管所として扱う。俺たちだけで探すしかないな。そのための手がかりがアリエットだ」
迷宮魔法の影響を受けたであろうアリエットをわざわざ保護し、力まで与えているのはこうして繋がりを得るためだ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、というわけである。
ただダンジョンコアは再び魂の一部を失い、更なる弱体化を強いられている。状況的に有利なのはシュウたちであった。
「それに早速、煉獄に魂が流れ込んでいる。冥界門は正しく機能しているということも分かった」
「アリエットさんの方ですね?」
「山水域の領域内でも迷宮魔法に邪魔されることなく煉獄が機能した。それだけでも大収穫だ」
「ですね!」
シュウとアイリスは転移してその場から消える。
次は多くの死体が発生しているアバ・ローウェルへと赴き、アリエット率いる魔族軍の様子を見るために。
冥府の最下層がニブルヘルです。
死魔力の泉になっていて、何でも滅却します。魂の破棄を担うと同時に、《魔神化》時に素早く大量の死魔力を用意することができます。