404話 冥界門
アリエットにとってアバ・ローウェルの制圧は実に簡単なことであった。禁呪《黒望楽園》によって多くが廃人となり、抵抗力を奪われている。不死に近い性能を有する魔族は容易くアバ・ローウェルへと乗り込み、その日の内に大聖堂にまで侵略した。
頑丈な大聖堂は精神を破壊する黒い雪を通さず、内側にいた聖騎士や神官たちは抵抗を試みた。実際に戦うのは聖騎士や神官たちが個人的に雇っている護衛だ。
彼らは異形の者たちに剣を向け――
「え、あ?」
彼らの刃は魔族の体表で弾かれてしまう。まるで岩でも斬っているかのような感覚だった。そうして茫然としている間に、魔族は反撃する。それは炎を纏った殴打であったり、口から吐き出す雷撃であったり、腐蝕の爪であったり、純粋な怪力であったりと様々。だがそれらは人間を殺すのに充分過ぎる威力を誇っている。
聖堂の通路は次々と赤く染まり、悲鳴や肉の千切れる音が木霊する。
彼らの中には餓楼分霊を操る者たちもいたが、小さな餓楼は魔族たちに咬みついてそこで終わり。すぐに引き剥がされ、その魔族は大きな口を開く。その魔族は顔ではなく、腹に巨大な口があったのだ。無数の鋭い牙が並ぶその口へと餓楼分霊が放り込まれ、あっさりと噛み砕かれる。
餓楼は所詮、魔力で構成された魔装だ。つまり魔物の力を手に入れた魔族からすれば餌でしかない。より多くの魔力を取り入れ、餓楼に咬まれたことでついた掠り傷も魔力を使って即座に再生する。
「ウオオアアアアアアア!」
「た、助け――」
そしてもう一度、腹の大口を開いて一飲み。
聖騎士の男は上半身を食い千切られ、臓物を撒き散らしながら倒れた。
他の聖騎士や、逃げ遅れて腰を抜かす神官たちの末路も似たようなものである。魔族は新しい魔力を獲得するため、我先にと喰らっていた。
腹に大きな口を持つ巨漢の魔族。
毛深く、尾の部分に蛇が生えた魔族。
酸性の唾液を垂らす獣のような四足の魔族。
青白い肌を晒し、その背からは触手のような線虫を生やす魔族。
筋肉質な腕を四つも生やした真っ赤な肌の魔族。
枯れ木のような右腕で水分を奪いつくす魔族。
両腕が鎌となり、蟲の頭部を持つ魔族。
上半身が黒い霧となっている半霊半実体の魔族。
多種多様、千差万別にして一つとして同じ個体は存在しない。それが魔族だ。融合した魔物と人間によって微妙に変化するため、似通った見た目でも全く異なる性質を持っている。彼らも元は人間だったが、場合によっては複数の魔物と融合したことで精神が魔物寄りとなっている。
この残虐性や、魔力を求める性質もそこが由来となっていた。
「この辺りはもう……大した戦力もないのね」
「このまま完全制圧しますか?」
「任せていいかしら」
「はい。やり遂げてみせます」
火の鳥と融合したことで通常の魔族よりも高い不死性と火力を得た男、フェレクスが魔族たちに指示を出していく。彼は複数の魔物と融合しており、他の魔族と比べても極めて大きな力を持つ。また彼は魔に呑まれることなく、人間であった頃に近い理性を有していた。ただ完全に人間らしいというわけではなく、価値観は魔物寄りとなっている。
だからこそ、魔物たちを統率し、アリエットを補佐する魔族としての立場を得ていた。
「そういえばボアロはどうしたの?」
「奴は先んじて南に送りました。逃げ道を塞ぐようにと命じましたが……元より奴は理性の強い方ではありませんので」
「まぁいいわ。あたしの言うことは聞くから。それよりここを任せていいなら、あたしは少し外すわよ。ちょっと行きたいところがあるの」
「お任せください。アリエット様が帰還した時にはこの大聖堂を制圧しておきます」
アリエットは単独でどこかへと行ってしまう。
魔族たちにとってアリエットは王にして創造主だが、誰も彼女を守ろうとはしない。なぜなら魔族などよりアリエットの方が遥かに強いからだ。心配するだけ無駄ということである。勿論、その忠誠心に偽りはない。命令があれば即座に従い、与えられた力を発揮することだろう。
そして不死鳥の男、フェレクスは再び魔族たちに命令していく。
可能であれば一部は生け捕り、基本は殺害して喰らってよし。ただ一つのルールは人間を逃してはならないということだけ。
魔族たちの侵略は続く。
◆◆◆
また一人、また一人と力尽きていく。
猫又はアバ・ローウェルを守る者たちを蹂躙し、甚振るように仕留めていた。二匹の番で現れたということもあり、聖騎士たちではどうしようもない。魔石があろうと、餓楼分霊を購入していたとしても、戦況には何の影響もしない。
これこそが災禍。
単騎にして厄災であると定義された魔物である。
「終わりだ……こんなの」
立っているのは彼しかいない。
聖騎士として順風満帆な人生を送っていたはずだった。このまま命じられるがままに仕事をこなし、ローウェル一族に気に入られ、出世することを夢見ていた。
だがこれはどうだ。
絶望そのものではないか。
血を流して倒れる元同僚や上司、あるいは今回の戦いでのみ仲間となった者たちはピクリとも動かない。もしかすると虫の息程度は残っているのかもしれないが、もう関係なかった。二体もの猫又を前にして動けぬ仲間がいたからといって何が変わるのか。
膝を折り、人間を貪り喰らう巨体を眺めることしかできない。
「ふぅん。結構強そうじゃない」
そんな戦場に響いた鈴のような声。
彼は力なく首を向ける。するとアバ・ローウェルの方から歩いて来る少女を見つけた。腰には一目で特注と分かる剣を差し、ゆったりとした服が風になびいている。右腕は墨でも塗りたくったのかと思うほど真っ黒で、光る鎖がまとわりついていた。
「生きているのはこいつだけかしら。まぁ、一人でも生きているなら別にいいわ」
少女、アリエットは足を速めて男の元へと近づく。
一方で猫又は全くこちらへと気付いておらず、転がった死体を喰らい続けていた。男は助かったのだろうかと考え、すぐに否定する。あの強さは身に染みて理解している。無様に逃げようとすれば真っ先に気付かれ、瞬時に回り込まれて喰われた。あれはこちらを見ていないようで、常に気配を張り巡らせているのだ。
今更こんな少女一人が来たところで好転するとは思えなかった。
しかし次に彼女の口から放たれた言葉は男を驚かせる。
「あなた、生き残りたい?」
「え?」
「死にたくないの? 死にたいの?」
「あ、え……死にたく、ないです」
死にたくないかどうか問われて素直に死にたいと言う者は少ないはずだ。だから男も思ったままにそう答えた。それは間違った感情ではなかったはずだ。
「そう、じゃあ器にしてあげるわ」
「は?」
相手がアリエットでなければ。
「いい魔物が丁度二体。あんな強い魔物だと精神が塗り潰されてしまうかもしれないけど……関係ないわね。どうせ契約で縛るし」
右手の光る鎖が伸びて二体の猫又へと突き刺さる。契約の鎖は瞬時に分裂して魔物を縛り付けた。猫又たちは激しく抵抗を試みるも、無駄である。
アリエットは闇の孔を発動し、その魂と肉体を構成する魔力ごと取り込んだ。暴食タマハミと同じ能力である。
続けて再び契約の鎖を発動して茫然とする男を縛り上げた。
「あなたはこれから生まれ変わる。あたしの忠実な配下になる。次の目覚めまで、さようなら」
その言葉を最期に男の意識は消滅する。
鎖を伝って侵入した二体の災禍級魔物の魂が彼の精神体を破壊したのだ。魔物の精神をベースとして男の精神にあった記憶や価値観が付与され、最適化されて生まれ変わる。
悍ましい色の魔力に包まれたそれは、卵から孵る雛鳥のように産声を上げた。
「ああ」
「素晴ラシキコトヨ」
誕生した魔族は前後に猫の頭部を、合計二つ持っていた。
大きさこそ成人男性と同程度であり、細身であるせいかしなやかな印象を覚える。また前後の頭部に合わせて腕も四本あった。ただ腰から下は一人分の肉体であり、主体となっているのはやはり前の頭部と腕らしい。
アリエットの前に跪くと、後ろの頭部と目が合った。
「ここの死体は食べていいわ。その魔力、残った魂を喰らって強くなりなさい。成果を挙げれば追加で魔物の魂もやるわよ」
災禍の魔物を取り込んだだけあって、普通の魔族とは一線を画する力を保有している。この時点で現魔族の中ですら最高峰といえるだろう。これからより多くの魂や魔物を取り込めば、更なる強さを得られること間違いない。
魔物の精神らしく、新しく生まれた魔族は近場の死体から喰らい始める。
それを見て、アリエットはまた別の場所へと移動した。
◆◆◆
アリエットの率いる魔族軍がアバ・ローウェルへと侵略開始したタイミングで、シュウとアイリスはここから離れていた。元から転移でどこにでも移動できるため、移動には準備も時間も必要ない。
ただ監視魔術は設置済みなので、どのような状況かは常に情報が送られてくる。
こうしてアバ・ローウェルから離れた理由は、ただ戦いに巻き込まれないようにすることだけが理由ではない。重要なやるべきことのために一度離れていたのである。
「シュウさん、急がないと戦いが始まっているのですよ」
「分かっている。準備は終わった」
二人のいる場所は山水域の一部であり、険しい山に囲まれた谷間だ。周囲に生息していた魔物は狩り尽くされ、人間も近づくことはない。誰にも邪魔されないという条件によって選ばれた場所だからだ。
シュウは全身から黒い術式を放出し、空間へと這わせている。魔神術式という死魔法専用の術式を流し込んでいるのだ。術式に触れた物質は根源量子へと還元されて消滅しており、アイリスですら《量子幽壁》によって遮断していなければ死んでいる。
「冥界の完全封鎖が完了した。冥界門の設置も完了だ。仕上げにコイツを」
そう言いながら影に手を翳す。
すると真っ黒な何かが顔を出した。鋭い牙を有する不定形生物は餓楼を元に生み出した番犬である。シュウによって魔力を注がれ、死魔法すら組み込まれ、もはや寄生という性質以外に原形が残っていない。三つの口と三つの目を持ち、また目はそれぞれ二つの瞳を内包した重瞳になっていた。
ぎょろぎょろと独立して動き回る瞳には不気味さがある。
しかしながらシュウに対して忠実であり、その怪物は身を低くして命令を待った。
「そこに入れ。そして寄生を俺から冥界門に切り替えろ」
シュウは魔神術式の密集した場所を指さす。そこはまるで穴でも開いているかのように真っ暗で、周囲の物質は絶えず死んでいた。だが怪物は迷わずそこへ飛び込み、魔神術式へと包まれて一体化する。元より死魔法を注入されているので魔神術式に触れたくらいで死にはしない。
その忠実な怪物に対してシュウは告げた。
「それは底なしの孔。冥界に繋がる唯一の門だ。全ての遊離した魂は冥界門を通過して煉獄へと辿り着く。そして余計な異物はお前が排除しろ。お前の名は冥域の怪物。生と死を別つ道に立ちふさがる門番だ」
冥域の怪物は返事をするように揺れる。
そして次の瞬間、魔神術式は溶けて消えた。ケルベロスもそこに吸い込まれ、閑散とした谷は元の様相を取り戻す。
かなりあっさりとした終わりだったので、アイリスがおそるおそる尋ねた。
「完成、ですか? なんというか……」
「拍子抜けか?」
「はい」
「そもそも冥界門は今まで現世と冥界の繋がりが剥き出しだった部分を限定させただけだからな。現世と冥界はある種、ひとつながりだった。空間属性に強い適性があれば煉獄くらいは観測できたかもしれないくらい、密接だった。今回はそれを完全に封鎖し、冥界門という唯一の道を作っただけ。だから魂はその道を通り抜けるし、冥域の怪物も魂は素通りさせる」
「だからダンジョンコアに干渉されて煉獄も押しのけられたわけですからね」
「俺も煉獄を作った当初は干渉されることなんて想定していなかったから、改めて防壁を組むのに時間がかかった。しかも魔法クラスを防ぐとなると色々準備もいる」
「だからこそ、あっさりしすぎなのですよ」
今、煉獄と冥府を合わせた冥界は膨大な魔力によって隔離されている。その魔力は冥界に蓄えられたものを利用しており、その魔力経路や分配システム、また術式維持の方法、強度の確保など様々な部分で構築に時間を取られた。
極めつけは現世と冥界を繋ぐ道を守る存在である。
ダンジョンコアという魔法の使い手が侵入してくることを想定しなければならないとなると、生半可な守護者では足りない。ここにきてようやく最後のピースが嵌ったということだ。
「大変なのは私だって分かるのですよ。私も構築を手伝いましたし」
「道の術式はアイリスの研究が役立った」
「虚数時空のアレですよね」
「道はどこにでも存在しなければならない。しかし空間の接触を限定するものでなければならない。冥界門も場所に縛られてはならない。だからどこにでも存在する虚数時空の研究が応用できた」
時間とは完全連続ではない。
これがアイリスの研究によって導き出された結論であった。
一分と二分の間には『秒』という時間が存在する。同様に一秒と二秒の間にもコンマ秒という時間が存在する。そうして時間を細かく分割した時、無限に分割し続けられるならば時間とは完全連続であるということになる。しかし実際は時間を極限まで分割した場合、どうしても分割できない限界へと到達する。
それが量子単位時間という時間の最小単位だ。物質が細かい粒子の結合によって存在しているのと同様に、時間も細かい単位の結合によって成り立っている。
当然だがその細かい量子単位時間の間には隙間が存在する。通常は実感することすらできない微小な隙間であるため、時間は連続であると錯覚しているのだ。これはアニメーションとも似ている。静止画を次々と切り替えることで動きを演出するアニメーションも、突き詰めれば『隙間』が存在する。この隙間こそが虚数時間と呼ばれるもので、この隙間によって構築された空間を虚数時空と呼ぶ。実数時空を生きている限り、この虚数時空は認識することすらできない数式上の存在だ。
どこにでも存在し、尚且つそこへ続く道は限定される。
これほど冥界門としてピッタリな性質はない。
つまり虚数時空とは、微小な虚数時間の隙間の集合なのである。アニメーションのコマとコマの間に存在する空隙へとアニメの登場人物は干渉できない。だからこそ、そこへ干渉できるように術式を整えたアイリスは驚愕に値する。
「冥界は完全に分断され、虚数時空により繋がった」
「じゃあ、魂を掠め取られることもないってことですよね?」
「ああ。それと同時に冥界門は罠として機能する」
時空魔術の極致とも言える技術によって誕生した冥界門だが、結局は空間との関連性が強い。そのため、空間に作用する迷宮魔法を持ったダンジョンコアは興味を抱くだろう。
だからこそ、それは罠となる。
「ほら、手を出してきたぞ」
思った通り、という感情が声にも表れていた。
「ダンジョンコアが引っかかった」
冥界とは冥界門も含めて冥王シュウ・アークライトの所有物だ。だからどこで門が開かれようとしているのか、すぐに察知することができる。
冥界門はどこにでも存在し、冥界へと繋がる唯一の道でもある。
だがその権能を有するシュウは死魔法より生み出した魔神術式により冥界門と冥界門を繋げ、現世を移動する特殊な門を生み出すことも可能であった。一切の光を映さない漆黒の死魔力が術式を描き、空間へと張り付く。
それは空間を穿つ孔となり、奥より三つの口を有する怪物が現れた。
「早速仕事してくれたことを労わないとな……冥域の怪物。あれだけ探しても見つからなかったダンジョンコアをあっさり引きずり出せた。褒美は奮発するぞ」
興奮気味にシュウは告げる。
先程、冥界門に寄生させたばかりのケルベロスはその口の一つに人型の何かを咥えていた。ペッと吐き出されたソレは地面に転がされる。
モデル指揮型九号機。
かつて目覚めた古代兵器トレスクレアの一体を模した人形は、恐れを含んだ目をしていた。
久しぶりに難しい理論
虚数って存在しない数とか、空想上の数とか教わるんですけど、それって間違いなんですよね。正確には我々人間が認識する3次元実数空間では表現できない範囲の数です。
量子論は基本的に非連続であることを前提にしているので、数学的記述と相性が悪いんですよね。だから量子の間を埋めるように虚数を設置して、擬似的に連続とみなしています。
私なりの物理学的解釈なので間違ってたらすまぬ。
やっぱ冥界に続く門にはケルベロスがいますよね。これはずっと出したかった。




