396話 地下迷宮への退却
シュウはアリエットに試練を与えるべく放置しているが、何の助けもしないわけではない。如何に強くとも、今のアリエットだけではフェイを守り切れないだろう。彼女が守るという選択をした以上、それが可能となるよう最低限の補助はする。
「ギアアアアアアアアアアアアアアアア!」
激しい鳴き声が劈く。
水面が揺れ、木の葉が散り、大気すら震えた。
山水域西部に位置する岩山の頂上を縄張りとするその魔物は、侵入者の姿を確認して吼えたのだ。炎より出でて炎に還るとされるその魔物は凰禽仙炎と呼ばれるもの。岩山の主として無数の琉炎鳳を従える鳥系魔物である。
それらは冥王シュウ・アークライトを目の前にして激しい敵意を抱いてしまった。
完全に運の尽きである。
「《亜空間》」
熱量を増大させ、燃やし尽くそうとする凰禽仙炎に対してシュウは時空魔術の第七階梯を発動した。
この魔術、《亜空間》は異なる位相の時間を生み出すことで亜空間を生成するというだけのものだ。これを維持するためにはそれなりの技量が必要だし、発動できたからといって倉庫くらいにしか使えない。
ただし時空を操る術を持たない相手に対しては封印空間として使うことができた。
激しく炎を吐きだす凰禽仙炎に対し、シュウは死魔法で対応する。焼き焦がすほどの炎は全て殺し尽くし、そのエネルギーを吸収した。一瞬にして炎が消え去ったことで凰禽仙炎は混乱するも、その翼に爆炎を宿して再び炎を放った。
(思ったより馬鹿だな)
シュウは即座に凰禽仙炎の真下へと亜空間を開き、そこに向けて移動魔術を発動した。凰禽仙炎はシュウの移動魔術を受けて強制的に真下へと移動させられ、亜空間の内部へと引きずり込まれてしまう。
せめてもの抵抗で大爆発を引き起こしていたが、すぐに空間の出入り口は閉じた。
そして凰禽仙炎が消えてからは早い。
次々に亜空間が開き、シュウは目につく琉炎鳳に移動魔術をかけて亜空間へと放り込む。あっという間に岩山には静寂が訪れ、熱は空に吸い込まれていった。
「後は獣系の魔物を幾つか見繕っておくか。それとなくアリエットの周辺に配置して……っと、やることが多い」
わざわざ死魔法で滅ぼさず、手間をかけて封印しているのには理由がある。アリエットにけしかけて契約の鎖を使わせ、配下として利用させるためである。天狐の他、何種類かの魔物は既に確保しているとアイリスから報告を受けている。だが配下は多い方がいい。
分かりやすく助けはしないが、必要なものは揃える。
それがシュウなりの手助けだった。
◆◆◆
摩天楼の古代遺跡が立ち並ぶエリアを拠点としたアリエットは、まずは腰を落ち着けて態勢を整えることにした。摩天楼の周囲にある樹海に天狐を放ち、警備させている。契約の鎖で縛っているのでアリエットの思うがままだ。
そして他にも手頃な魔物を発見すれば契約の鎖で縛り、警備させている。
理由はフェイを守るためであった。
ロカの秘術を教えたとはいえ、フェイに戦う能力はない。また彼の親友でもあるルーはフェイ以下の戦闘力という他ない。だからアリエットが補わなければならないのだ。一度助けると決めた以上、妥協するつもりはなかった。
「そう。まだ見つからないのね」
古代遺跡の内部に居住するアリエットは、一日に何度か窓の側に行く。そこで契約した鳥系魔物から情報を入手することで脱出ルートを探していた。
流石に未知の領域を無暗に歩き回るつもりはない。
地形を知るアバ・ローウェルの人々と遭遇戦を強いられるし、そうして下手に逃げ回る内に遭難してしまうかもしれないからだ。だから魔物を操って迷宮内の情報を集め、地上に続く道を探していた。
「アリエットさん、やっぱり僕もお手伝いを」
「何もしなくていいわ。それよりも修行を続けて。今のあんたに必要なのはそれよ」
「……はい」
フェイは少し落ち込んだ様子で戻っていく。
助けてもらうばかりで何も返せないのはとても心苦しい。しかしフェイとルーの実力ではアリエットの助けになり得ないのも事実だ。頼りにならないから魔物を使役しているのだと思ってしまい、余計に辛くなる。
実力が伴っていないことは分かっているので、従うしかない。
焦りすら感じていた。
立ち止まり、振り返る。
「あの、これからどうするんですか?」
「勝つまで戦うしかないわ。諦めるって選択肢はないでしょうし」
「すみません……」
「気にしなくてもいいわよ。あたしがやりたくてやったの。それに、いずれはこうなると思っていたわ」
「え?」
「元からあたしは戦う予定があったのよ。本当は別の国と戦う予定だったけど、力を確かめるのに丁度良かったわ」
それを聞いて、フェイは思い出す。
よく考えれば自分はアリエットのことを何も知らなかった。別の場所から花の街にやってきた余所者ということは知っていたが、詳しい事情を聞いたことがない。
この際だからと問うてみる。
「アリエットさんはどうして戦うんですか?」
「復讐よ」
「それって」
「あたしの村を滅ぼした奴がいる。そいつを殺すために力が欲しいの。それだけよ」
「……だったら、どうして僕なんかを」
「仮にも弟子なんだから、助けるのはおかしなことかしら?」
本当にそうだろうか、とフェイは考える。
この時代、師弟関係とは親子の絆に等しい。たとえば職人であれば、寝食を共にし、師は持ちうる技術の全てを弟子に託す。血脈の如く引き継がれる技術こそが彼らの絆だ。探索者もチームに迎え入れた新人に自分たちの経験と技術を託し、次世代を育てていく。
だがフェイはその絆を作れず、裏切られた。
本当の親は欲のために殺されてしまい、フェイ自身も利用できないと分かった途端に捨てられた。元より道具のように扱われていたこともあって、アリエットの言葉に信頼が置けない。
別に彼女のことが信頼できないわけではないのだが、今の言葉だけは心からのものでないと気付いた。
「それだけ、じゃないですよね?」
今のアリエットからは、ゼクトたちと同じく表面的なものしか感じ取れない。
「他にも理由があるんじゃないですか?」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく、です」
はっきりと言葉にできるわけではない。
ただ、少なくとも優しさや哀れみから手を差し伸べたわけではないと思っていた。論理的に考えても子供一人を助けるために西グリニアと敵対するのは割に合わない。親であったとしても諦めて見捨てるほど強大な相手だからだ。
だからアリエットにとって何かの益があるはずである。
上手い表現こそ見つからなかったが、フェイは心の底でそのように思っていた。
アリエットは少し考える。
(まぁ隠すことでもないわよね)
口にするのが憚られて誤魔化しの言葉を使ったが、それを見抜くのならば隠している意味もない。それに感情に由来する理由など、所詮は揺れ動いて移ろってしまう程度のものとしか思っていない。信頼していたスレイに裏切られたことで、アリエットは感情に対するある種の不信感があった。
より強い信頼とは、利益によって結びつけられた俗物的理由に基づくもの。
シュウとアイリスが築き上げたものと同じだった。
「才能よ」
「……僕の、ですか?」
「それ以外に何があるというの? あんたには才能がある。魔装のことだけじゃないわ。ロカの秘術を短期間で会得できる適性からみても明らかよ」
「捨てるには惜しいって思ってくださったんですか?」
「端的に言うとね」
「良かったです」
フェイは安堵する。
先程の曖昧な返しと比べれば冷たい理由に思えたが、フェイにとってはとても誇らしかった。ずっと役立たずとなじられていた時は自信がなかった。ゼクトは恩人ということにかこつけて様々な雑用を押し付け、まともな賃金も払われなかった。それは正当な働きができていないという錯覚を押し付けられるには充分だったのだ。
その結末に待っていた裏切りを思えばアリエットの語った理由に不満などない。
てっきり落ち込むと思っていた彼女は意外そうな表情を浮かべる。
「あんた、変わっているわね」
「僕はアリエットさんに助けられたんです。役に立てるなら、僕はそれでもいいと思っています」
「あたしに利用されているのよ?」
「でもアリエットさんは僕から取り上げるだけじゃないですよね。僕の為に動いてくれるじゃないですか。復讐のためっていいながらも僕の修行を付けてくれますし、見捨てればいいのに助けてくれましたし。だから僕は感謝しているんです。ルーのことも考えて、ここまで連れてきてくれた」
「キュ?」
子供だから何も分からないということはない。フェイだってアリエットがどれほど骨を折ったのか理解できる。西グリニアという強大な敵と戦うことを選択し、わざわざ迷宮の奥に行ってルーまで連れてきてくれた。
何の役にも立たない子供に支払う労力ではない。
今こうして助けられたこと自体が自分の価値を示しているようで、ずっとそわそわしていた。一刻も早くアリエットから本音を聞きたいと思っていたのだ。
「僕はアリエットさんについて行きます。修行するのが僕の役目だというのなら、一刻も早く役立てるように努力します」
「そ。期待しているわ」
それはお世辞でも気遣いでもなく、本心からの言葉だった。
◆◆◆
アンジェリーナ・トラヴァルの策略と復活させた古代兵器により、大罪人と目される者が地下に逃亡したと分かった。
その犯人は戸籍不明の女と、咎人として連れてこられた少年ということが分かっている。更に女は咎人の証である罪印を消し去り、呪い返しによって無実の神官にそれが浮かび上がることとなった。咎人を助け出したこと、その輸送担当だった聖騎士を殺害したこと、魔物を召喚したことなど、挙げればきりがないほど罪状が重なっている。
「これより、我々は地下迷宮三の六の十三地域に赴き、エリア探索を行う。目標は聖堂に喧嘩を売った罪人だ。銀髪の女とガキが一人。ガキの方はともかく、女は聖騎士様を三人も殺害している。発見しても情報収集を優先して戦闘は控えろ」
アバ・ローウェル近郊にある地下迷宮への入口で、三十四人からなる探索者チームが簡単なミーティングを開いていた。彼らはローウェル一族が一つ、アスラ家からの依頼で罪人捜索を請け負った者たちだ。実は彼ら以外にも依頼を受けたチームは幾つもある。
元よりアバ・ローウェルには戦士の塒という大型ギルドが一つあるだけで、他に探索者を抱える組織はない。迷宮に対するノウハウは聖騎士とすら比較にならないので、ローウェルの者たちもお抱えの聖騎士ではなく、懇意にしているギルド員に依頼していた。
ジオーン家やトラヴァル家からも同じように戦士の塒へと依頼を発行しており、探索者たちにとっては早い者勝ちの大仕事となっていた。
それぞれのローウェル分家からは勿論だが、その中でも様々な思惑を持つ者が別々に依頼している。他にもローウェル家への覚えをよくするため、個人的に探索者を雇って罪人を捜索する有力者もいるのだ。ターゲットは少ないが、この大仕事からあぶれることはない。
「いいか。この仕事を完璧にこなせば、俺たちは報酬を山分けしてもしばらくは遊んで暮らせるだけの財産を手に入れられる。それに出世だって約束されたようなもんだ」
歓声が上がった。
この国においてローウェル一族の庇護を受けられることは成功者への第一歩である。たとえ末席であったとしても彼らの権力は大きい。何かしらの情報を手に入れ、必ず成り上がってみせると意気込んでいる者ばかりだった。
また迷宮へと深く潜ることになるが、恐怖もない。
何故なら彼らには都合の良い盾が捨てるほどあるのだから。
「よぉし! まずは咎人共を使った安全確保だ! いつも通り、楽に行かせてもらうぜ!」
洞窟型の地下通路が縦横無尽に広がり、ある場所では古代遺物の眠るエリアが広がっている。そして出現する魔物も奥に行くほど強くなっていく。普段の狩場で遺跡発掘に勤しむことと比べれば、場所もよく分からないもの探しは危険度も大きい。
咎人は彼らの儲けを底上げしてくれる便利な存在だった。
彼らは意気揚々と迷宮に潜り始めた。
◆◆◆
ローウェルを冠する者たちがこぞって迷宮探索に精を出し、アバ・ローウェルに魔物を持ち込んだ大罪人を始末しようとしていた。だが、咎人収容所に召喚された魔物の掃討に貢献した張本人、アンジェリーナ・トラヴァルは罪人の捜索に積極的ではなかった。
それよりも古代兵器をより洗練させ、戦果を挙げることに注力していたのである。
「よろしいのですかお嬢様」
「ええ。今頃、私の成果に追いつくべく戦士の塒を使って罪人の捜索を行っていることでしょう。それを捕えて処刑することで実績を重ねられますわ。でも魔神教におけるもっと本質的な部分で成果を出す方がいい。目先の利益に囚われている者たちと同じ次元で思考してはいけないのよ」
「その通りでございます」
西グリニアでは制度上、女でも上に立つことができる。ただ歴史の中で女当主がいたことは稀であった。大抵は最も優秀な男児が継ぎ、それ以外は分家となる。そして女は家の力を高めるために他家へ嫁ぐことがほとんどで、当主になれることなどまずない。それこそ男児が生まれず、断絶を避けるために婿を取るというパターンばかりだった。
そんな中でアンジェリーナはひときわ輝く才覚を見せた。
トラヴァル本家の後継者候補は他に多くいたが、これまでの後継者争いでふるい落とされてきた。その激しい競争の中でアンジェリーナは勝ち続け、更には筆頭とまで呼ばれている。また更に実績を積めば自身の子にでもトラヴァル本家を任せ、法王にすらなれるだろう。
確実に歴史に名を残すであろうこの目標を為すため、アンジェリーナは普通でいられない。
「私の目標は追放者ですわ。あの忌々しい聖教会を滅ぼすことに尽力することこそが近道ですのよ」
「ではやはり大砲を?」
「ええ。あなたの家が運営している工場に支援いたしますわ。それで火薬を大量生産なさい。私、他の協力者にも既に声をかけて戦力を確保していますの。今や大聖堂の三割が私の信奉者ですのよ」
「この私もお嬢様の手足となり働きましょうぞ。我らオジマス家は十二代前よりトラヴァル家にお仕えし、その中でもとりわけアンジェリーナお嬢様の家と懇意にさせていただきました。トラヴァル家におきましても二度目となる女当主、そして史上初の女法王となられることを願い、尽力いたします」
「期待しているわ」
それからも今後について様々なことを語り合い、互いに強い利害関係で結ばれた主従であることを確認し合う。こうして手足となる者たちを繋ぎとめることも楽ではない。しかしアンジェリーナは生まれ持った才覚と美貌、そして積み上げてきた実績に加えて大きなビジョンを掲げる。それによって数多くの有力者を魅了し、商人たちを期待させ、職人たちから期待される。
ほんの短い時間であったが、大砲生産に一部かかわる有力者オジマス家との信頼も強まった。
彼が帰ってすぐ、侍女が手帳を片手にアンジェリーナへと予定を告げる。
「お嬢様、続きましてはラクシュメール家当主と面会予定です」
「たしか彼の叔父が聖堂の正史編纂部にいたわね。それと弟が聖騎士の教官だったかしら」
「その通りでございます」
「ふふ。彼らとはもっと仲良くする必要がありそうね」
彼女はともかく根回しが上手い。
ローウェル一族の多くが罪人の確保に力を割いている中、アンジェリーナだけは先を見ていた。
「情報をたくさん集めなくてはね。あれだけの力を持っているのなら、そう簡単に捕まらないわ。今は必要な戦力を集めるべきなのよ。いずれ罪人の居場所は知れるわ。その時に罪人を討伐できるだけのものを揃えている者が勝つのよ」
自信たっぷりに、彼女は未来を思い描いていた。




