393話 アバ・ローウェル襲撃
フェイという少年にとって、探索者は憧れの職であった。彼が探索者を目指したのは間違いなく両親の影響である。父も母も、紫水花に所属する優秀な探索者だったのだ。
だが時に優秀さは良縁よりも嫉妬を呼ぶ。
目立って活躍していた二人は周囲の人間から僻まれていた。だから二人が迷宮で死んでしまった時、その財産の全てを周囲は奪っていった。フェイの両親が子の為に残していた財の全てを色々な理由を付けて周りが分配してしまったのである。
そんな光景を幼いながら見ていたフェイは、すっかり探索者たちへの憧れを失っていた。残ったのは衣服など最低限のものと、大きな失望。当然だがフェイを引き取るような者はいなかった。
これからは一人で生きなければならない。
幼いながらそう思っていたところにゼクトたちは現われた。
彼らは傷心していたフェイを慰めつつ近づき、信頼させようとした。誰もが見捨て、無かったことにしようとしたフェイを引き取ったのである。初めは食事を与え、住む場所も与え、生きていくために必要なものを提供してくれた。そして探索者の仕事を教える名目で地下迷宮に荷物持ちとして挑むようになった。
だからフェイはゼクトたちを信頼するようになり、恩を感じるようになった。この時に助けてくれなければ間違いなく自分は死んでいたか、盗みなどに走っていただろう。
徐々に扱いが悪くなって、最終的には虐げられるようになってからもゼクトたちには従った。恩の感情が呪いのように染みついていたからだ。幼かったフェイはそれが洗脳だと気付けず、自分では抜け出せないまでになっていた。しかしこれでよかったのだ。決していい生活ではないが、こうして恩を返すことで自分を必要としてくれることを望んでいた。かつて自分を除き、両親が残したものを根こそぎ奪われた際に感じた喪失感を埋めてくれた。
(そう、思っていたのに)
魔術陣の敷かれた儀式場まで連れてこられたフェイは、何度も感じた失望を再び思い出す。それは異空間に収納していたものを吐き出させるべく、ゼクトたちから尋問を受けていた時のことである。激しい殴打は確かにフェイを傷つけたが、最終的にその心を折ったのは真実の言葉であった。
冥途の土産か、それとも意図的にフェイを傷つけるためか。
ゼクトたちは嘲笑しながらこれまで隠していた真実を語った。
探索者だったフェイの両親は迷宮で仕事をしている最中に魔物から奇襲を受け、他の仲間を守って死んだと教わった。だが本当は活躍していたフェイの父と母に嫉妬し、また溜め込んだ財産を目当てにして殺されたのである。魔物を誘導して二人に戦わせ、隙だらけだった背中から切った。
そんなことをゼクトは嘲りながら語った。
(全部、偽物だった)
当時は物心ついたばかりだったフェイに詳しい事情を知る方法はない。だが両親は紫水花の大部分から疎ましく思われていたようだ。計画的に殺され、計画通りに奪っていった。ただ、実行犯であるゼクトたちの取り分は実に少なかった。
それこそ、僅かな金の他には何もない。
更には欲しくもない子供を押し付けられた。ゼクトたちも上手く利用されたのだ。これで希少な魔装を持っていなければもっと酷い扱いだったに違いない。
憎悪を浮かべつつ、ゼクトは語った。
(ルー、それにアリエットさん……少しだけ、楽しかったなぁ)
最後の最後に心を開いた相手を思い出した。
陰鬱な心に、細い光が差した。
「おい! 誰だお前は!」
ずっと視線を下げたまま歩かされていたフェイは、突然の大声に肩を揺らす。途端に騒がしくなり、フェイを囲む三人の聖騎士が次々と武器を構え始めるのが分かった。
何が起こったのだろうと目を上げ、そして何度も瞬きする。目の前の光景が夢なのではないかと疑ってしまった。
「なんで、アリエットさん」
ここにいるはずのない人がいた。
搾取される生活に彩りを与えてくれた、新しい恩人である。初めて見る黒い剣を腰に差し、肩には羽兎のルーを乗せている。
ここからは驚く暇もない。
アリエットが謎の剣を抜くと同時に、彼女を中心として地面が闇に染まった。驚き、聖騎士たちが何か動き出そうとする前に彼らは地面より飛び出した槍に貫かれる。フェイは知らなかったが、これは闇の第三階梯《無象鋭鎗》と呼ばれる魔術だった。
闇は霧となって消え去り、聖騎士たちは血を噴出させながら倒れた。
「助けに来た。それだけよ」
「キュッ!」
それがフェイにはとても格好よく見えた。
◆◆◆
時は少し遡る。
フェイを助けると決めたアリエットは、迷宮を歩きながら改めてアイリスより説明を受けていた。その説明とは、改めて覚悟を問うものである。
「あたしはやるわ」
「決意は堅いみたいですね」
「魔神教と戦うことになるんでしょ? いいわ。あたしはいずれスレイを殺さなきゃいけない。あいつは別の国でいい立場にいるんでしょ? 予行練習とでも思うわ」
「ま、やる気があるならいいですけどね」
迷宮を歩く二人に近づく魔物はいない。
その理由はアイリスとアリエットが強すぎるからだ。初めは愚かな魔物が襲ってきたが、一瞬で迎撃することで強さを示した。それからは全く襲われていない。
「それで……勝算はあるんでしょ?」
「元からアリエットさんの能力なら国を一つ滅ぼすくらい簡単です。それと、これも」
アイリスは引き寄せの魔術で魔剣を取り寄せる。
妖精郷の技術を結集させて作った宵闇の魔剣と常盤の鞘である。刃そのものが魔晶によって作られているため頑丈で、術式媒体としても優秀である。魔装によって生み出された剣を含めても、この世に存在する剣の中で最高峰といえるだろう。
かつてはその力に飲まれ、暴走したこともある。そのためこの刃を手に取る資格を得た今でも、アリエットは敢えて使わず預けたままにしていた。アイリスは今こそ必要になったと思ったのである。
「いいの?」
「使うべきだと思うのですよ。いずれはアリエットさんが使いこなすものですし」
「……手に取っていい?」
「どうぞ」
壊れそうなものを触るかのように、アリエットは手を伸ばす。指先が僅かに震えているのをアイリスは見た。殺意に飲まれ、安易な復讐に走った時のことを思い出しているのだろう。
「この剣って呪われていないわよね」
「まぁ闇属性の強い剣ですからね。闇は物質や精神の均衡を崩します。強い衝動が眠っているなら、それが魔剣の影響で明らかにされたのかもしれないです」
「そんな副作用があったの?」
「アリエットさんが暴走してから調べて分かったんですよー」
「……いろいろ言いたいことはあるけどいいわ」
溜息を吐きながら魔剣を手に取った。
アイリスはこともなげに恐ろしい効果を語ったが、実際はそこまで強力でもない。それこそ暗示のようなもので、意識していれば心を奪われることもない。しっかり心を保っている今ならば触れたところで復讐に支配されることもなかった。
差し出された魔剣を手に取り、しばらく握りしめてから腰に差す。
どこかホッとしている様子であった。
「大丈夫みたいですね」
「ちゃんとコントロールするわ」
しばらく進み、いつもフェイに修行を付けていた場所までやってくる。
大空洞の遺跡まで到着すると、すぐに物陰から羽兎が顔を出した。鼻をひくひくと動かして警戒しつつ出てくる。フェイに懐いていた魔物、ルーであった。
ルーはアリエットの足元まで移動し、淋しそうに鳴き始めた。その姿はかつてフェイを見捨てると決めた日に見せたものと重なり、少しばかり罪悪感も覚える。そんなルーに彼女は話しかけた。
「あんたのご主人様、助けるわよ」
「キュ……キュ!?」
「これから国と戦争をするの。もうここに戻ってこれないかもしれないわ。だから一緒に行きましょ」
手を伸ばす。
ルーも全く迷わなかった。高く跳んでアリエットの肩に乗った。まるで元から定位置であるかのように馴染んでいる。
「いくわよアイリス。さっさと終わらせて、あたしはあたしのやりたいことに集中するわ」
「これから転移します。行先はフェイさんの目の前ですよ」
「好きに暴れてもいいのよね?」
「もちろんなのですよ」
奪われたものは奪い返す。
敵対者に奪われる前に討ち滅ぼす。
免罪符を得た復讐者は少しずつ箍を外そうとしていた。
「帰りは自分で頑張ってくださいねー」
そんなアイリスの声を聴きつつ、アリエットは空間転移で姿を消した。
◆◆◆
転移直後にアリエットはフェイを発見した。聖騎士に囲まれてどこかへ連れていかれようとしているのを目の当たりにし、すぐ魔剣を使用した。込められた闇魔術を使ってすぐに始末し、フェイを助け出すことに成功した。
本当にあっさりである。
転移を駆使して侵入し、宝剣と評価しても差し支えない武器を使っての襲撃だ。失敗するわけがない。茫然とするフェイに対し、アリエットは手を引いて歩き始める。
「え? アリエットさ――」
「いいから来て。帰りは自分で頑張れとか勝手なこと言って……さっさと逃げないと捕まるわよ!」
「そ、そうなんですか……?」
今更後悔しているわけではないが、何もギリギリで言うことはないだろう。アリエットは内心で毒づいていた。ここまで来てしまったものは仕方ないし、どうせフェイを助けることは確定していた。まずは隠れられそうな場所を探して移動する。
勇んで来たはいいものの、アリエットにとってここは全く知らない場所だ。ここがアバ・ローウェルであるということしか認知していないし、そもそもアバ・ローウェルと花の街の位置関係も分かっていない。堅牢な石造りの建物は太い石柱が幾つも立っており、その陰ならばひとまず身を隠せそうだ。そこまでフェイを引っ張り、身を屈める。
ついでとばかりにルーをフェイに押し付けた。
「キュッ!?」
「あの」
「いいからジッとして。まずは罪印を消すわ」
そう言いつつ、宵闇の魔剣から闇の第七階梯《反転呪》を引き出す。この魔術は魔力的な影響力を跳ね返し、無効化することができる。魔術式の中でも対象を指定する部分に干渉し、また発動者についての情報を遡ることで発動する繊細かつ難しい魔術だ。第七階梯でありながら戦略級魔術並みの技術力を求められる。
だがアリエットは魔剣を通すことによって何の困難もなく発動してみせた。
フェイの頬に刻まれていた罪印は《反転呪》によって消失し、おそらくこれを刻み付けたであろう者へと跳ね返っていった。その人物は困ったことになったかもしれないが、アリエットはどうでもいいとばかりに次の行動を開始した。
「もう見つかったのね」
既に騒がしくなりつつある。
聞こえる声からして聖騎士の死体が見つかったのだろうと予想できた。
「フェイ、あんたどうやってここから出るか分かる?」
「ごめんなさい。分からないです」
「……見つからずに脱出するのは難しいかもしれないわね」
もう騒ぎは隠しきれないほど拡大しつつある。
見つからないように建物から脱出するのは無理だった。誰かに見つかってしまえば服装からして怪しい二人は捕まってしまうに違いない。アリエットも大人しくするつもりはないが、騒乱を起こせば雪だるま式にそれが広がっていく。
そこでアリエットは胸に手を置き、自身の内側を意識する。
封印術を得意とする彼女は自前の異空間を保有しており、そこには彼女の手札が幾つか捕獲されていた。
「迷っている暇はないわね。出番よ、下僕たち」
そう告げると異空間が開き、そこから真っ白な狐の魔物が出現する。天狐と呼ばれる災禍級の魔物で、かつて修行のために戦った相手でもあった。本来は人と敵対するはずの天狐が大量に現れた。周囲が天狐で埋め尽くされたせいで詳細な数は不明だが、少なくとも十以上いることはフェイにも分かる。
またルーは自分より遥かに強大な魔物を目の当たりにして震えあがり、耳を畳んでフェイにしがみ付く。
「あの、アリエットさん……?」
「心配する必要はないわ。これはあたしが魂を縛った下僕よ。私の魔装の能力でね」
落ち着いて見ると、天狐たちの首元には青白く輝く鎖が巻き付いている。決して二人を襲うようなことはせず、寧ろ守るような立ち位置である。
「あんたが異空間収納できるように、あたしも魔装を持っているのよ。契約の鎖と呼んでいるわ」
アイリスと共に魔装の使い方を研究する中で、彼女も自身の力の本質に気付くことができた。初めは鎖を出現させて操るだけの魔装だと勘違いしていた。しかしアリエットの魔装はそんな物理的なものに留まらない。鎖とは本質を象徴する形質でしかなかった。
肉体だけでなく精神、すなわち魂までも縛り付け、掌握する。それこそがアリエットの魔装、契約の鎖である。この能力によって山水域の一画を縄張りにしていた天狐たちを従えた。その上で封印術をかけ、異空間に隠していたのである。
魂を縛り付けて体内に保管するようなもので、アリエット自身は気持ち悪いと感じているが。
「あんまり使いたくないんだけど、これを囮に脱出するわよ」
「えっと、どこに?」
「迷宮の中。地上を逃げるのは難しそうだからこうする」
前後左右、どの方角にも逃げ道はない。
そこでアリエットは暴食タマハミを取り込んだことで手に入れたもう一つの覚醒魔装を発動させた。万物を食い尽くす闇の穴が出現し、地面を抉っていく。アバ・ローウェルは山水域の地上部に存在する大都市であり、その地下には迷宮が広がっている。つまり地面を破壊すれば、地下迷宮が出てくるのだ。どんな方位にも逃げられないなら、下に行く。
闇の穴は石の敷き詰められた床を飲み込み、地面を貫いて大穴を開く。本来ならば迷宮魔法に阻まれて穴など開かないはずだが、山水域に限っては元より地上と地下が一体化した迷宮領域なので可能となった。
この地下迷宮へ続く大穴を囲むように天狐たちが配置され、壁となる。
「さぁいくわよ」
フェイを俵のように抱え、ルーも彼の肩に全力で掴まる。
二人と一匹は重力に任せて地下迷宮へと飛び込むことに成功したのだった。




