271話 タマハミ①
シュウとアイリスは転移でメラニアへと移動していた。
ここは学園都市ということもあり、主に学生や教師や学者が生活している。魔神教勢力下にある国は優秀な学生をメラニアへと留学させて、学力の向上を目指すのだ。このメラニアは様々な国から優秀な人材が集まっているということもあり、警備は非常に厳重である。
しかし二人は悠々とこの街を歩いていた。
「本当は転移禁止区画だから対抗結界が張られている。ここで専用キーが挿入されたゲートを使えば別だがな」
「ハデスの転移対抗結界をそのまま使っているのですねー」
「ああ、申し訳程度にキーを変更したみたいだが、俺たちならマスターキーでシステムの根幹から結界をすり抜けられるからな。だから気づかれずに転移できる。そうじゃなければ、正門を潜って学園都市に入るしかない」
メラニアは機密保持と警備の関係から、転移は防止されている。そして正門には厳重な警備が敷かれており、正式な許可を受けたIDを保有する者しか入ることができない。基本的に学園都市の内部にいる者は正式な許可を受けた者ということになっているのだ。
故にシュウとアイリスは中を堂々と歩くことができる。
「でも研究所に入るには別のIDが要りますよね?」
「それはあれだ。『鷹目』が準備してくれている。それ以外の場所はハッキングと時間停止で対応だな」
「いつもの奴じゃないですかー」
今の世界の根幹を支える技術はほぼ全てがハデスを源流としている。そしてハデスが源流にあるということは、シュウならばそのすべてを知っているということだ。ハッキングでセキュリティに侵入することは難しくない。
また透明化や時間停止を併用すればまずどこにでも侵入可能だ。
「煉獄の精霊からある程度の情報は手に入れている。アゲラ・ノーマンがいると思われる研究所に侵入するぞ」
「わかったのですよ!」
目的地はメラニアの中でも中心地にある研究所だ。
神聖グリニアが手を入れている研究施設の一つであり、その地下深くに目的地がある。そこへ向けて二人は歩き始めた。
◆◆◆
「ぐああああああああああああああああああ!」
実験場の一つで呻きのような悲鳴が上がる。
それは絶えず続いており、研究員の幾人かは目を逸らしていた。透明樹脂が嵌めこまれた大窓を挟んだ実験場では、ある人物がベッドに縛り付けられていた。
魔術による束縛の他、ゴムバンドによる物理的拘束も施されている。
またその実験体の男に様々な薬品を注入するのは防護服を着た研究員であった。
「ぐあああああ! あああああああああああ!」
新しい薬品が注入されるたびに絶叫は酷くなる。
だが関係ないとばかりに新しい薬品が投与され、あるいはメスのようなもので体を切開され、機械のようなものや魔晶を埋め込まれていく。
「うが、ああ……ぎゃあああああああああ!?」
この非道に思える実験の責任者はアゲラ・ノーマン。
そして被験者は『無限』の聖騎士ベウラル・クロフである。
神聖グリニアが誇る覚醒聖騎士に対してこのような実験をしていると知られたら、マギア大聖堂は激怒することだろう。故に普通の研究所でこのようなことはあり得ない。しかしアゲラ・ノーマンが大丈夫だと言い切ってしまったので、他の研究員も疑いつつ実験に従っていた。
「ふむ。安定してきましたね」
透明樹脂越しにも聞こえる悲鳴を聞いても、アゲラ・ノーマンは淡々とデータだけを眺めている。この実験がベウラルに凄まじい苦痛と負担を与えているのは確かだが、数値上は目標を達しつつあった。
「ノーマン博士、六番までの魔晶を埋め込みました。スケジュール通り、変異率が七割を超えた時点で七番の埋め込みを開始します」
「宜しい、続けてください」
「はい」
ベウラルの体は徐々に変化し、人間という枠から外れていく。
肌の色が黒ずみ、肉が盛り上がっていく。ベウラル・クロフという人間の原型は失われ、魔物のような風貌へと変異しつつある。
「博士、八号ウイルスの定着を確認しました。変異率が急激に上昇中。遺伝子レベルでの変質が進行。魔晶による命令因子は無事に供給しています」
「では沈静命令、痛覚遮断を」
「はい! レベルは?」
「そうですね。まずはレベル三から。効果がないようでしたらレベル八まで許容します」
肉体へと埋め込まれた魔晶へと魔術式による命令が送信される。これは精神魔術や回復魔術をメインとしたものであり、ベウラルへと命令を下すことができる。沈静命令と痛覚遮断により、拘束ベッドで暴れていたベウラルは大人しくなった。
そしてアゲラ・ノーマンは最後の実験工程を命じる。
「では胸部の切開を。ストレージとなる黒魔晶を埋め込みます」
痛覚が消されたベウラルは胸を切り開かれる。
そして執刀する男がそこを開き、内部をあらわにした。分厚い肉に覆われ、さらには外骨格のようなものまであり、その奥に肋骨や内臓が収納されている。黒魔晶が埋め込まれたのは心臓のすぐ横であった。
妙な機械や針のようなものも一緒に埋め込まれ、やがて広げられた胸部が閉じられる。すると自動的に切り裂かれた胸部が再生し、綺麗に癒着した。
「完了ですね。試作型強化人間、タマハミの完成です。約束通り、腕は戻しましたよ」
アゲラ・ノーマンがそう宣言すると同時に、実験室では小さな歓声が生じた。
確かに約束通り、ベウラルには新しい腕が生えていた。
◆◆◆
研究所へと侵入したシュウとアイリスは、資料保管庫と思われる場所を訪れていた。ただこれは適当に進んでいるわけではなく、興味本位で研究内容を確認しようとしたのである。
「なるほど、生物系の研究所か」
細菌、ウイルス、免疫などに関連する論文が多く収録されている。
資料室のデバイスを操作したシュウはそんな感想を漏らした。またアイリスは棚から紙の資料を取り出してパラパラとめくっていた。
「強化人間を作る実験みたいですねー」
「ディブロ大陸のためか? 多少強化した程度じゃ意味がないと思うがな」
「でも戦争だったら役に立ちそうですよ」
「どうせ殲滅兵を使うだろ」
シュウはここの研究をあまりよく思わない。
殲滅兵を完成させておきながら、それよりも弱い強化人間を作る意味が分からない。それならば生物兵器の方がまだ使い勝手が良いはずだ。
(いや、寧ろそっちが本命か?)
考え直したシュウはデバイスを操作し、機密ファイルへとアクセスする。パスワードが設定されていたが、システムに侵入して容易く突破する。
「当たりだな」
ファイルを開いたシュウは、とある実験データを眺め始めた。アイリスも興味を示したのか、横から覗き込む。彼女も研究に携わっているだけあって、少し読むだけで概要は理解できた。
「魔術ウイルスによる人体への影響、ですか?」
「ああ。しかもこのウイルス、俺が昔作ったものに似ている」
「え? シュウさんってウイルスなんか使ったことありましたっけ?」
「昔の大帝国で使ったことあるだろ。ほら、ゾンビウイルス」
「あー……」
アイリスも確かに覚えている。
意識を奪い、人間を襲うようになる魔術ウイルスだ。細胞だけでなく意識レベルにまで変異をもたらすウイルスであり、かなり危険だ。なのであれ以降はシュウも使ったことがない。
デバイスの画面を見つめるシュウはそのウイルスのデータを分析する。
「どうやら不死化を目的とした実験のようだな」
「不死ですか? でもそれだったら魔物になっちゃいますよ?」
「不死属化じゃない。不死化だ。一応は人間のまま、不死になろうとしている。肉体は魔力じゃなくて、ちゃんと肉で構成されている」
「それってどういうことですかね」
「詳細は別のファイルらしいな」
再びデバイスを操作し、目的のファイルを検索する。またパスワードを突破してその新しいファイルを別画面に開いた。
タマハミプロジェクトと題を打たれたそのファイルには、複数の画像と共にデータが添付されている。なので添付ファイルも同時に開く。画像には、灰色の肌をした人型の化け物が映されていた。
「これは……何なのです?」
「さっきのウイルスで人間を変異させるプロジェクトだな。一応これが第三段階結果と書いてある。多分、ウイルスの解明と制作が第一段階、動物実験が第二段階だろ。データを見る限り……完全ではないが不死も実現可能だな」
「うーん。結構非道ですねー」
「やり方は最低だな。それだけに現実的だが」
一通りのデータを閲覧した後、それらをコピーする。コピー禁止のプロテクトが仕掛けられていたが、それらは賢者の石を元に作ったソーサラー・マザーデバイスで強制解除した。コピーデータを記録用デバイスに保存した後、シュウはさらに操作を加える。
「何しているのです?」
「データの消去だ。流石にこれは消したほうがいい。俺にとっても都合が悪いからな」
「確かにシュウさんが作っている冥府とも対立する仕組みですからねー」
「ああ。一応、ウイルスも消しておく方がいいな。まずはアゲラ・ノーマンを探すぞ」
「はーい」
「それと棚の資料も処分しておく」
二人は資料保管庫から出る前、腐食の魔術で紙の資料を消去する。魔術がかけられた棚は徐々に腐食していき、部屋中を塵のようなものが舞い始めた。
シュウは部屋を出た後、扉に魔術封印をかけて発見を遅らせる工作を施す。
そのまま、再び研究所を探索を始めた。
◆◆◆
地下研究所の奥深くで、異形の人型が魔術によって縛られていた。大きさは人間よりも一回り大きい程度だが、とても人間には見えない。実験によって変異させられたベウラルである。
精神呪縛系の魔術によって封じられているため、物理的な拘束はほとんどない。
「あの、博士……本当に良かったんですか? おそらく理性が……」
「問題ありませんよ。彼も了承済みですから」
やはり研究員は心配そうだ。
元から人体実験をしていたという後ろめたさはあった。だが流石にSランク聖騎士を、許可があるとはいえ弄って精神崩壊させたという事実は重くのしかかる。下手をしなくとも処刑なのではないかという考えが彼の思考を過った。
だが、アゲラ・ノーマンはどこ吹く風である。
「では早速、コントリアスに輸送しましょうか。ゲートの準備をしてください。バロム共和国の聖堂に一度運び込み、その後で陸路を移動させましょう」
「はい……手配いたします」
「ああ、そうだ。やはりさっきのは無しでお願いします」
「え? はぁ」
「丁度、実験中だったものがありましてね。そちらも試しましょうか。地下レールを使って十二番地区の航空宇宙学第二実験場へと移送してください。それと第二実験場には試作したロケットに発射準備を送っておくように。私は一度聖堂へ戻りますので」
「お、お待ちを!」
言うだけ言って出ていこうとするアゲラ・ノーマンを研究員は慌てて呼び止めた。指示だけでさっさと帰ってしまうというのはあまりにも無責任だ。元は聖騎士とはいえ、異形の怪物を輸送してロケットに積み込み発射しておけというのは流石に雑過ぎる。
「博士は付き添われないのですか?」
「ええ。少し用事がありましてね。あとは君たちに任せますよ」
アゲラ・ノーマンは問答無用で部屋から出ていく。
背後で唖然とする研究員を放置して、地下研究所にある彼専用ゲートへと向かう。これでも彼は最高位の聖騎士であると共に、魔神教から多くの権限を与えられている。多少の横暴は許される立場だ。
同じフロアにある、彼のIDだけで入出ができるゲートの部屋。
彼はゲートを起動し、潜り抜ける瞬間それを破壊する。腐食の魔術によって潜ってきたばかりのメラニア地下研究所側ゲートが消失した。したがって、メラニアからアゲラ・ノーマンを追うことはできなくなったのだ。
「流石にロケットを使えば奴らに勘付かれますからね。悪く思わないで下さいよ人間」
無機質な白い顔には笑みのような何かが浮かんでいた。
核兵器の次はバイオ兵器。
現実では禁止されているけど、創作だからOK




