220話 暴食の兵団①
シンクはディブロ大陸の『王』をじっくりと観察する。
見た目は普通の豚鬼ともそれほど変わらず、強いて言うならば筋肉質であることくらいだ。だがその肉体には赤い血管のような模様が刻まれており、禍々しさを強調している。また上半身は裸であるが、肩には巨獣の革を加工したものと思われるマントを付けていた。
そして暴食王はゆっくりと右腕を差し向け、人間たちを指さした。すると親衛隊の豚鬼たちが駆けだす。
「来るぞ! 迎え撃て!」
親衛隊の豚鬼、喰魔豚鬼は『王』と同じく全身に血管のような赤い模様がある。そして特徴的なのは両掌に鋭い牙の並ぶ口があったことだ。
思ったより速い喰魔豚鬼たちの進行を止めるべく、背を向けて逃げていた兵士たちも次々と魔術を放つ。聖騎士たちも魔装か魔術を使って攻撃を仕掛けた。勿論、シンクは聖なる刃を高密度化して飛ばす。
魔力攻撃の一斉掃射。
普通の魔物の群れならば崩壊するだけの威力と密度であった。
しかし、それらが喰魔豚鬼にダメージを与えることはなかった。ただ両手を差し伸べ、その掌にある不気味な口を開く。それだけで魔術や魔装攻撃が喰われた。
「そんな馬鹿な!」
「攻撃を食べただと!?」
そんな驚きの声が各所から挙がる。
喰魔豚鬼は長きに渡ってエリュトを食し、変異進化した特殊個体だ。魔力を蓄積する能力を獲得し、それによって魔を喰らう魔導へと至った。
この種に魔力攻撃は通用しない。
そして同様に物理攻撃も効かない。
「ウオオオオオオオオ! 砕けろォ!」
ナラクは果敢に飛び掛かり、殴打で喰魔豚鬼の一体を吹き飛ばそうとした。だがその打撃は確かに喰魔豚鬼の腹に食い込むも、そこで止められる。
『暴竜』とまで恐れられた彼の一撃は都市すら粉砕する。
だが喰魔豚鬼は平然と受け止めた。
「ニヌキ、スチキ?」
「ごはああっ、がああああ!?」
ただ軽く、虫でも払うかのようにナラクを弾き飛ばす。
それだけでナラクは遥か彼方へと吹き飛ばされ、部隊後方で味方を押し潰しつつ着弾した。
シンクもそれを見て唖然とさせられる。
だがすぐに自分の役目を思い出し、大声で告げた。
「奴らとまともに戦うな! 暴食王もその取り巻きも絶望級以上だ!」
絶望級とは一体でも複数の国家が滅びるとされるほどの魔物だ。討伐にはそれこそ湯水のごとく戦力を投入し、犠牲を厭わず戦う必要がある。覚醒魔装士を複数投入してもぎりぎりの戦いとなるだろう。
そんな魔物が『王』を含め複数いるのだ。
戦場は一気に混乱した。
「あんなのと戦えるかよ!?」
「早く逃げろ!」
「詰まっててこれ以上は進めないんだ!」
不味い、とシンクは焦る。
あの絶望を目で見てしまった最前線と、まだ見えていない後方で認識の差が生じている。それによって一気に後退しようとする前線に後方が追い付けていない。
だが、まだ希望はある。
それはシンクの魔装だ。
(皆の魔術や魔装は無効化されたけど、俺の聖なる刃は効いている)
単純に相性の問題で、聖なる刃は喰魔豚鬼に届いていた。魔を喰らう魔導も結局は魔力で発動している。それを聖なる刃で分解してしまえば刃は届く。
事実、シンクが狙った喰魔豚鬼は胸に切り傷を付けていた。
だがそれも魔物の自己修復により治癒してしまう。
(一、二、三……親衛隊は八体。それに加えて暴食王。想定以上だ)
予定では暴食王と親衛隊が辿り着く前に撤退を完了させることになっていた。しかし巨獣に騎乗するという予想外の行動をされたことで遭遇が早まったのである。
何としても、最終撤退ラインまで時間稼ぎをする必要がある。
シンクは通信機でセルアへと呼びかけた。
「セルア様、暴食王と遭遇しました」
『分かっています。既に砦へと援軍要請をしました。ラザード様とアロマ様が参られます!』
「ありがとうございます」
仕事が早くて助かるとはこのことだ。
暴食王も喰魔豚鬼もシンク一人で抑えられるような相手ではない。確かに魔物特効の強烈な魔装を有するが、それでも人間の身体能力には限界がある。人知を超えた身体能力と魔導を有する魔物を相手にどこまで戦えるかは疑問であった。
故にこのような不測の事態では砦から援護を呼ぶことになっていた。
また、ついでとばかりに聖なる光が強度を上げて放たれる。魔術も魔装も維持できないレベルの聖なる光だ。これによって味方の攻撃手段も失われるが、魔物は身体能力の低下と魔導の使用不能を強いられる。
「さて、ここからだな」
シンクはオリハルコンの刀に聖なる刃を宿した。
こういったことを想定し、あらかじめ実体の剣を用意しておいたのである。セルアの聖なる光は魔装を分解してしまう。故にシンクの魔装で作られた武器も消えてしまうのだ。しかし同じ魔力崩壊を司る聖なる刃は使えるので、剣さえあれば問題にならない。
高密度の聖なる刃を宿した刀を振り上げる。そして自らの師の動きをイメージしつつ、ただ愚直に暴食王へと振り下ろした。
◆◆◆
援軍要請を受けた砦からはラザードとアロマが飛び出した。
アロマは魔装によって樹木龍を生み出し、それに二人で乗るという形で現場へと急行する。そしてラザードは指輪の調子を確かめていた。
「術式調整は充分なの?」
アロマは問いかける。
「はい。一応、実戦でも確かめてはいます。しかし過剰発動すると魔晶に負荷がかかりすぎるという問題が解決していません。ハデスには黒魔晶を注文しているのですが、間に合わず……」
「あまり無茶はできないわね」
「しかしそう言っている余裕もなさそうです」
樹木龍は空を駆け、あっという間に最前線へと辿り着いた。そこは聖なる光の効果範囲内であり、樹木龍が消失していく。
アロマはすぐにセルアへと連絡した。
「入ったわ。聖なる光を止めてくれる?」
『はい。シンクをお願いします』
「ええ、任せて」
二人の最強聖騎士が樹木龍から飛び降りた。
◆◆◆
シンクは茫然としていた。
振り下ろした刀が綺麗に消滅していたからだ。
(……っ! 分解魔法!)
理解すると同時に跳び下がる。
すると寸前までシンクがいた場所に穴が開く。分解魔法が行使されたのだ。
聖なる光の中でも平然と魔法を使ってくる暴食王は脅威だ。勿論、魔力崩壊の影響で暴食王は肉体が溶けるように消滅している。そのため動きが鈍く、お蔭で分解魔法も回避できた。
『シンク、お二人が来ます! 聖なる光を解除するので気を付けてください』
そんな通信が入ると同時に、広範囲を照らしていた淡い光が消失した。これによって魔力崩壊現象も停止し、シンクは魔装を具現化する。それと同時に刀身を伸ばしつつ横薙ぎに振るった。
「ぉおおおお!」
刃が喰魔豚鬼の一体に食い込む。
聖なる刃は容易く絶望級の魔物を切断し、その魂をも切り裂いた。ただの一撃で喰魔豚鬼の一体が滅びる。
そのまま二体目も切り殺そうとしたが、そこでまた刀身が消滅した。
「おっ、と」
いきなり刀が消されたことでバランスを崩し、シンクはたたらを踏んだ。
そして視界の端で暴食王が手をこちらへと伸ばしているのを確認する。分解魔法が放たれる。そう察知したところでもう遅い。シンクには回避できるだけの余裕がない。
(不味い、死ぬ)
だが、思わぬところから助けが現れた。
暴食王の足元に影が差す。その直後、上空から樹木龍が突撃してきたのだ。また激しい地響きに紛れるようにして背後で着地する音が聞こえる。
「よく持ちこたえたわね」
「ここからは私たちも戦います」
『樹海』の聖騎士アロマ・フィデア、『千手』の聖騎士ラザード・ローダ。
共にシンクよりも先輩の優秀な聖騎士だ。
「今のはアロマさんの……」
「ええ。魔力を喰らう樹木龍よ。でも」
樹木龍は消滅する。
暴食王が分解魔法で消し飛ばしたのだ。
「あの通りね」
アロマは初めから分かっていたかのように冷静であった。
そして『樹海』の二つ名を知らしめるかのように、豚鬼の軍勢を囲む形で次々と大樹を生み出した。
「あの木は暴食王の視界を防ぐためよ。これで分解魔法を抑えてあげるわ」
「ありがとうございます」
シンクは時間的余裕ができたことに安堵する。
そして再び魔装を具現化し、腰だめに刀を構えた。刀身には徐々に聖なる光が集まっていく。
「ラザード、暫くは私と二人で抑えるわ」
「そうですね」
「いいや、三人だぜェ!」
そこに復帰したナラクも現れた。
口からは血も垂れているが、特に問題はないらしい。アロマやラザードからすれば『誰?』とでも言いたくなるが、今はそんなことを気にしている時ではない。どこかで見たことがあるような気はしたものの、目の前の脅威を優先することにした。
撤退作戦にも終わりが見えていた。
◆◆◆
「おい、あれ、南にいった奴らじゃないか?」
誰かがそう叫んだ。
砦で休息を取っていたシュウたちもそれに耳を傾ける。
「そうだ! 間違いない! こっちに来ているぞ!」
「おい誰か正面ゲートを開けてやれ!」
「かなり疲れているみたいだ。ベッドの空きはあるか?」
「取りあえず毛布だ。毛布持ってこい!」
急に慌しくなる。
特に医療従事神官たちが忙しそうに指示を出し始めた。
「おいシュウ。俺たちも手伝うか?」
「必要ないだろ。他の奴らも動いている。必要以上に動けば邪魔になるだけだ。それより何が起こっているのか見に行くぞ」
「ま、俺もそっちの方が興味あるしな。それでいいぜ」
シュウはギルバートを伴って砦の屋上へと上がっていく。ギルバートの部下で幼馴染でもあるキーンも溜息を吐きつつ付いて行った。
屋上には既にシュウたち以外に結構な人が集まっており、事の次第を眺めていた。
「おい見ろ! 『樹海』のアロマ様だ!」
そう言って一人の兵士が遥か遠くを指さす。
彼の言う通り、そこでは大量の樹木が生じては消滅してを繰り返していた。また強烈な光が輝いたかと思えば地響きが鳴り、またある時は何かが雨のように降り注いでいる。
まるで災害だ。
「ギルバート、あの戦いに参加できるか?」
「冗談言うな。無理に決まっている」
「これからあれと戦うが、覚悟は決まったか?」
「……今ほど帰りたいと思ったことはないな」
ギルバートは嫌そうな顔を隠すこともしない。
それも当然と言えば当然だが、キーンは諫めた。
「ギル様、あまり顔に出さないでください。貴族失格ですよ」
「どうせ俺は家を継がないからいんだよ」
「はぁ……まぁ今回ばかりは気持ちも理解できます。私もあれとは戦いたくありませんよ」
暴食王の分解魔法が大地を抉り、樹海を消失させる。
それらの光景は砦からも見ることができた。いや、目視できるほどに戦場が近づいていたのだ。
「こんな砦、何の意味があるんでしょうね?」
「牛鬼との挟み撃ちを防ぐためだろ」
「ギル様、それはそうですが、このままでは砦なんて一瞬で破壊されますよ」
「確かになぁ」
ギルバートとキーンはしみじみと会話を続けているが、その間にシュウも考察していた。
今回の作戦についてだ。
(俺たちはこの砦を作り、撤退場所の確保をするように言われていた。そして暴食王にちょっかいを出しに行った連中がここまで引いてきている。どうするつもりだ?)
様子見だとしてもオブラドの里に六百の兵士と二人の覚醒聖騎士で挑むのは間違いだ。そこにナラクという第三の覚醒魔装士が加わっても大して変わりはしない。
今ならばシュウも覚醒魔装士が何人いようが殺せる自信がある。それほど力を解放せずとも神聖グリニアを滅ぼすことは容易いし、本気を出せば一瞬で消滅させることも可能だ。またその気になればこの惑星ごと消し去ることもできる。それが終焉級という存在だ。特に賢者の石を手に入れた今ならば、星を消して新しい星を生み出すことも不可能ではない。
そんな神の如き存在が終焉級だ。
仮に暴食王がその域に至っていなかったとしても、三人程度の覚醒魔装士で倒せるわけがない。これは自明なことであり、魔神教も理解しているはず。
それ故にシュウはこの作戦の意図を測り切れずにいた。
(この砦に特別な罠でも仕掛けたか? それとも俺すら知らない兵器を開発した? いや、大抵の研究はハデス財閥と何らかの関係を持っている。全く噂にも聞かないなんてことはないはずだ。まさかあのアゲラって奴が単独で作った兵器でもあるのか? だが昔の鍛冶仕事ならともかく、現代兵器は一人で作れるようなものじゃない。となると……)
だが、ここでシュウは思考を止めた。
(いや、最悪は俺が暴れたらいいか。アゲラ・ノーマンを炙り出すためにも今回の討伐作戦は成功させる必要がある。無理だと判断すれば……暴食王は俺が狩る)
『王』の気紛れで成功を確約されてしまう。
この討伐作戦の行く末を、シュウはまず見守ることにした。




