172話 渦の禍②
シンクと聖騎士たちが禍渦鱗に痛めつけられ、それでも回復と同時に戦う。その光景を見ることしかできないセルアは、遂に目を逸らしてしまった。
だが、そんな彼女にアイリスは忠告する。
「セルアさんを守るために戦う人たちから目を逸らしちゃダメなのです。あなたの心が傷ついているように、あの人たちも痛みに耐えているのですよ!」
「……はい」
破滅級など、本来は国家滅亡級の魔物だ。
今でこそ神聖グリニアによる大陸の監視が行き届き、それほどの魔物は脅威となる前に聖騎士によって摘み取られている。どうしても見逃しはあるのでその時はSランク聖騎士や大国で稀にいる軍の覚醒魔装士が出撃するのだが、ともかく一国の戦力で対応できる相手ではないのだ。
アイリスがいるからこそ辛うじて戦闘は維持できているが、すでに壊滅しているのが普通である。
戦いに縁のなかったセルアからすれば、とても見ていられない光景だろう。
既に塔の床は彼女を守る者たちの血で真っ赤に染まっている。
「私にもできることはないのでしょうか」
「生き残り続けることですねー。あの人たちの戦う理由がセルアさんですから」
セルア・ノアール・ハイレンは王家最後の血筋だ。
ファロン帝国にとって最後の希望でもある。
だからこそシンクも聖騎士も勝ち目のない戦いを続けているのだ。
「この戦いの末……必ず見届けます。シンクは必ず勝ちますから」
「そうですねー」
セルアの心も固まったと悟り、必要以上の手出しは不要と考える。
実は自分なら瞬殺できるというのは、アイリスも心に秘めておくことにした。
◆◆◆
何度もやられると流石にコツが掴めてくる。
聖騎士たちが盾となり、シンクがどうにか一撃を探るといった戦法を確立しつつあった。禍渦鱗の渦は非常に厄介で、攻撃を防ぐことは難しい。聖騎士がやっていることはただ囮となることだけで、実に無様なものであった。
「そっちに回り込んでください!」
「攻撃は二の次だ! 奴の動きを制限しろ!」
「ぐあああ!」
聖騎士はとにかく突撃を繰り返す。
暴れまわる禍渦鱗は背中から生えた触手による攻撃もあるので、死角はあれど常時全方位に攻防が可能だ。それに空気と水の渦が合わさることで直接触れることすら難しい。触れる時は禍渦鱗から直接攻撃を受ける時だけだ。
そしてシンクはその瞬間を狙う。
唯一、渦が途絶えるその時でなければシンクの剣は当たらない。ほんの一瞬、渦が途切れたところに剣の先が刺さった。
「ギュギョアッ!」
「うぁっ!?」
しかし強烈な膝蹴りとそれに付随する渦が叩き込まれ、シンクはまた重傷を負う。しかし次の瞬間にはアイリスによって再生され、また攻撃できるようになった。
また時を戻されている影響で体力も尽きない。
後は精神の問題だ。
流石に何度も殺されかけては心が折れる。
「はぁ、ぁ……」
呼吸を整え、次こそはと意気込む。
こういった無茶な戦いは勢いが大切だ。ただ気合と気概で挑み続ける限り、精神に積もり続ける疲労は無視できる。しかしシンクはそうもいかない。一刀に細心の注意を払い、焦りを排し、恐怖に打ち克って再び構えるのだ。
(見えない)
彼の師は言っていた。
対象が生物である限り、そこには必ず動きの継ぎ目が存在する。対象が生物である限り、その身体には必ず継ぎ目が存在する。
その継ぎ目さえ分かれば、後はそこに目がけて剣を振るだけ。
しかしシンクにはそれが見えない。
(だめだ。集中しないと)
雑念は剣を鈍らせる。
弱音を振り払い、できるというイメージを思い浮かべた。
過剰な慢心は禁物とはいえ、自信も一つの力となり得る。人はできると思ったことしかできない。できないと決めつけてしまっては本当にできなくなってしまう。
だが、シンクの心は徐々に揺らぎ始めていた。
再び踏み込んで禍渦鱗の隙を突くが、渦で刀が逸れてしまう。やはり掠るだけであり、致命傷どころか動きを止めることすらできない。破滅級ほどの魔物にとって、この程度の傷は魔力で補填できるもの。積み重ねたとして意味がない。
(少しずつ当たるようにはなっている)
聖騎士の特攻による陽動に、無制限の回復という最大の支援があるのだ。破滅級とはいえこれくらいできなくては困る。
シンクは口を閉ざし、ただ呼吸のためだけに用いる。
もはや余計な言葉や連携は必要ない。
斬っては吹き飛ばされ、致命傷を負わされ、アイリスに回復され、また隙を狙う。
(そこだ)
聖騎士オルグレイアが触手攻撃を受け、そしてその身体が貫かれた。彼は覚悟を決めて身体を守る魔力をわざと解いたのだ。そして禍渦鱗も一瞬とはいえ動きが完全に停止する。
そしてこれを見逃すシンクではない。
オルグレイアは渦による追撃の痛みに耐えてほんの僅かでも抑えようとしている。
シンクの魔装は鋭さを増し、禍渦鱗の触手を完全に断ち切った。
「ギョッ!?」
そして他の聖騎士たちもハリボテではない。
攻撃が止まった瞬間、一斉攻撃した。渦に阻まれながらも次々と掠り傷を負わせる。禍渦鱗はそんな掠り傷によって僅かに意識が聖騎士に移り、シンクへの反撃を僅かに遅らせた。
シンクは気配を薄めて再び死角に移動し、正確無比な刺突を放つ。
形状変化によって剣先をピックのように鋭く尖らせ、渦巻く水の中央を穿った。粘性抵抗を考えれば空気の渦を狙うのが一番だが、渦の中心を正確に狙うには見えない空気よりも水が良い。その狙いは正しく、渦を突き抜けて禍渦鱗の鱗の隙間に差し込まれた。
「……」
「……」
束の間、シンクと禍渦鱗は見つめ合う。小さな静寂の後に、禍渦鱗の纏う渦がすべて消失した。
倒したか、と誰もが思う。
しかし次の瞬間、禍渦鱗の魔力が膨れ上がった。
「皆さん下がるのです!」
アイリスは魔装の力の副作用として勘の良さが備わっている。誰よりも早く危機に気付き、同時に雷撃魔術を三重に展開する。小さな魔術陣だが、最適化した高威力の魔術だ。
そして禍渦鱗は魔力を一気に解放し、強大な渦を巻き起こす。
「ギョギャアアアアアアアッ!」
絶叫に呼応するように渦は巨大化し、シンクも聖騎士たちも吹き飛ばす。いや、吹き飛ばすばかりか彼らの身体をバラバラにする勢いで猛威を振るっていた。
シンクも床に叩きつけられ、内壁と激突し、天井まで打ち上げられ、また床にと息を吐く暇もない。
聖騎士たちも同様だ。
無事だったのは結界に守られているアイリスとセルアだけである。
「シンク! それに聖騎士の皆様も!」
渦はアイリスが放った強烈な電撃も弾いた。気圧差や水圧差を含む強烈な渦はあらゆる攻撃を無効化してしまう。それこそ禁呪クラスの術式ならば別だが、普通の魔術ではどうしようもない。
まず近づくことすら不可能だ。
暴風雨のようなものなので、結界で防ぐことに問題はない。
しかしこれでは攻撃が通用しない。
流石は破滅級というべきか、凄まじい力だった。
「これは不味いですねー。今までは手加減していたみたいなのですよ」
「そんな……」
一通り力を解放したからか、ようやく渦が小さくなる。再び禍渦鱗は渦を纏い、低く唸った。
だがシンクも聖騎士たちも立ち上がれない。
全身打撲に加え、骨折や内臓損傷などの重大な怪我である。
アイリスはすぐに時間遡行を発動し、肉体の損傷を全て回帰させた。だが幻痛は今も残り、何よりも必死の思いで届いたと思った敵はまだ本気を出していなかったという事実が重くのしかかる。
「馬鹿な。勝てるわけがない……」
聖騎士オルグレイアは仰向けに倒れたまま呟いた。
分かっていたことでもある。
破滅級とは、本来はSランク聖騎士が出るべき敵だ。如何に聖騎士が強力な魔装士であるとはいえ、勝てる相手ではなかったのだ。無制限の回復という最高のバックアップがあれど、攻撃が届かなければ意味がない。
影が差し、オルグレイアは気付いた。とどめを刺すため、禍渦鱗が接近していたのだ。
「私もここで終わりか」
禍渦鱗は右手を掲げる。
オルグレイアも死を覚悟して目を閉じた。
しかしいつまで経っても彼に死は訪れない。恐る恐る目を開くと、禍渦鱗の一撃はシンクの大剣によって防がれていた。刃の形状を幅の広い剣とし、両の手で支えて禍渦鱗の力と渦に対抗している。
「オルグレイア、さん! 早く退避を!」
「あ、ああ」
シンクはまだ諦めていなかった。
勝利を諦めたくなるほど心は折られているが、目の前で断たれようとしている命を見過ごすことはできなかった。
禍渦鱗は鬱陶しいとばかりに渦を強化し、膝蹴りを叩き込んだ。振り下ろされた腕と渦を防ぐだけで精一杯だったシンクに防ぐ術はなく、強烈なその攻撃によって彼の身体は上下真っ二つに分かたれるかに思えた。
それを救ったのはオルグレイアである。
魔装を展開するほどの時間もなかった彼は、その身を盾にしてシンクを守った。人々を守るという聖騎士としての本分を思い出したのだ。
当然、人体を分解するほどの一撃を直撃で喰らえばただでは済まない。
「がっは……」
「ぅぐ」
オルグレイアは肉片を飛び散らせて即死する。人体というクッションを経ても衝撃は健在であり、シンクも血濡れとなりながら吹き飛ばされた。
初めての死者にセルアも思わず目を背ける。
打撃による肉体の爆散などという凄惨な死を目にしてしまったのだから当然だ。
(流石にここまでですね)
アイリスも元から全員を助けるつもりはなかったが、死者が出た時点でもうシンクたちに勝ち目はないと判断した。特に聖騎士たちのリーダーであるオルグレイアが死んだのだ。シンクはともかく聖騎士たちに充分な士気が残っているとは思えない。
時間停止、《雷威槍》のコンビネーションで仕留めることを決意する。
だがアイリスが時を止めようとする寸前、禍渦鱗に何の前触れもなく頭頂部から股まで赤い線が走った。
そしてズルリと二つに分かれて崩れ落ちる。
切り裂かれて崩れた禍渦鱗の背後では初老の男が刀を収めていた。
「え……?」
誰が漏らした言葉だろうか。
唐突な勝利に誰もが戸惑いを隠せない。
そんな中、シンクは急いで体を起こして叫んだ。
「し、師匠!?」
またアイリスも言葉には出さず、驚いていた。
(あれって確か秘奥剣聖なのです!?)
時の魔女とスバロキア大帝国の剣聖。
およそ二百五十年ぶりとなる邂逅であった。