116話 妖精の島
シュウとアイリスは、小妖精の案内に従って空を飛んでいた。スラダ大陸南西の海であり、霧に包まれた迷いの海とも呼ばれている。沿岸部を航行する分には問題ないが、遠洋へと向かうと霧に包まれて迷ってしまうという。
だが、小妖精の案内があるので問題ない。
(こっちこっちー)
彼女の放つ淡い光は、まるでランタンだ。霧の中でも見逃さない。
シュウはアイリスを抱え、移動魔術で空を飛んでいた。
「寒いのですよー」
「我慢しろ」
「暖かくなる魔術を使って欲しいのです」
仕方ないと言った様子で新しい魔術陣を展開する。自身とアイリスを結界で包み、内部を暖める魔術だ。終焉級にまで至ったシュウは、もはや無限にも等しい魔力を有している。禁呪を何万発と使わない限りは尽きることがない。
使い切る前に死魔法で回収すれば済む話なので、無限という表現はあながち間違っていないかもしれないが。
「それよりもアイリス。この霧、感じるか?」
「何をです?」
「感知を乱す霧だ。魔力を感知できない」
「シュウさんの魔力は分かりますよ?」
「それは俺の魔力が大きいのと、近いからだ。あの小妖精の魔力は感じ取れない」
「……確かに。分からないのですよ!」
迷いの霧と呼ばれるだけあって、本当に迷わせる効果がある。
『王』の魔物たるシュウでも例外ではない。
尤も、シュウは不老なので迷ったところで死にはしないが。
「しかし、かなり長く飛んだな。そろそろだと思いたいが……」
「小妖精さんの隠れ里ですからねー。遠くにあっても仕方ないのです」
「それもそうか。転移魔術を開発したいな……」
「シュウさんならできるのですよ!」
「うーん……」
シュウも『鷹目』の魔装を見てから、転移を本気で開発している。しかし、今のところ不可能だ。その理由は色々とある。
まず、転移の手法についてだ。
一度分解して指定座標で再構築する手法、空間そのものを繋げる手法、別次元を介する手法、虚数の架空次元を指定する手法、量子学の存在確率を操る手法など様々な方法が考えられる。そのどれもが確立されたことのない手法であり、またシュウにとっても未知の領域となる。本気で開発に取り組んだとしても、何年かかるか分からない。
面倒ごとが多いので、安住の地を見つけるまでは本格的な開発には至らないつもりだ。
(妖精郷……安住に足る地なら、居住地を構えるか)
◆◆◆
貴族、フリベルシュタイン家の領地は元大帝国の南部だ。
神聖グリニアや魔神教の影響が届きにくい場所であり、故にホムフェルト・フリベルシュタインは好き勝手なことをしていた。
「また……また一人……」
そして最近の彼の悩みは、宝剣による血族の殺害である。
一夜で一人。
これまで三人が殺された。初めは娘のエリューシカ、二番目は隠居した父ゲルファルド、そして昨晩に三番目の被害者として甥のラケシューラ。まさに呪いであった。
「おのれ……呪われた宝剣が儂を……」
宝剣は地下室に閉じ込めても、突き破ってきた。
おそらく売り払っても戻ってくるのだろう。
ならばホムフェルトにできることは、呪いを相殺できる幸運の何かを手に入れることだけ。
「小妖精……小妖精さえ……」
宝飾品を全身に付け、豚よりも肥え太らせた腹を揺らしていたホムフェルトは影も形もない。彼は隠れるように離れの屋敷に閉じこもり、信頼できる家令と従者だけしか近づけない。教会によって駆逐されたはずの野良魔装士を密かに呼び寄せ、護衛までさせていた。
「た、高い金を払ったのだ……必ず小妖精を見つけるのだぞ」
震える手で魔除けの宝石、魔除けの人形、魔除けの呪符を手繰り寄せる。
それらを抱き寄せるようにして、呟いた。
「妖精郷を必ず見つけるのだ。早く……グッフッフッフ」
お喋りな小妖精は教えてはならない人物に妖精郷を伝えてしまった。
◆◆◆
妖精郷。
それは御伽噺に出てくる魔物の住処だ。妖精系の魔物が人間を襲わないということもあり、見つければ幸せになれる理想郷の一つとして伝えられていた。
「あれが……」
「妖精郷なのです……?」
小妖精の案内が止まり、霧が僅かに晴れた。
そこには緑あふれる島があった。
「大きさから見て……石垣島ぐらいはあるかもしれんな」
「何の話です?」
「こっちの話だ」
島の中央には巨大な木がある。島の一割を占めるのではないかと思うほどの巨大樹だ。そして巨大樹を中心として淡い光が大量に飛び交っている。まるで蛍の群れだった。周辺が薄く霧で覆われているため、幻想的に見える。
だが、その光は蛍ではない。
全てが妖精系の魔物なのだ。
「……妖精系だけじゃない。霊系の魔物もいる」
幽霊、悪霊などがほとんどで、偶に精霊もいる。妖精系と霊系が近い種族であることから、妖精郷に霊系魔物がいても不思議ではない。
一方で妖精系は小妖精が大多数。そして稀に人間に近い姿の妖精もいる。
「シュウさんシュウさん! あれ、伝説の森妖精なのです!」
「……魔物なのか」
「魔物なのですよ?」
「いや、なんでもない」
エルフといえば、西洋の妖精。あるいは創作物で登場する架空の種族として知られている。シュウの知識にもそれがあった。まさか妖精系の魔物だとは知らなかったので、少し驚いたのだ。
(こっちこっちー。こっちだよー)
案内役の小妖精は点滅しながらシュウとアイリスの側でテレパシーを発する。そして目立つ大樹に向かって勢いよく飛んで行った。
まだ多少の霧は残っているが、迷うことはない。
追いかけるのは容易かった。
(どうやら、島全体が結界に覆われているらしいな。あの霧そのものが結界というわけか)
あの規模の結界を維持するとなると、余程特殊な術式が必要となる。そうでなければあっという間に魔力を消耗してしまうだろう。魔物には奪う以外に魔力を回復させる方法がないので、非効率的な結界は命を削ることに他ならない。
そこだけはシュウにも疑問だった。
アイリスを連れて大樹へと向かっていく。数百もの小妖精が飛び交い、無邪気にシュウたちを観察していた。
(ねぇねぇ! 人間!)
(あっちの人、凄い魔力だよ!)
(バーカ。人間じゃなくて魔物だよ)
(凄いね! 神様みたい)
(幽霊がびっくりして隠れちゃった)
(でも何で人間?)
シュウは魔力を隠しているが、世界を滅ぼせるほどの魔力を隠しきれるわけではない。魔力が生命力や強さの証しと言って良い魔物の世界では、本能的に魔力の多さを感じ取ることもできる。
妖精や霊たちは、シュウの魔力に慄いていた。
そしてアイリスという人間が訪れたことに疑問を感じていた。
「シュウさん」
「問題ない。敵対されたとしても、対処は簡単だ」
今のシュウとアイリスは囲まれている状態だ。だが、雑種級や低位級ばかりであり、まるで問題にならない。油断しているつもりはないが、恐れてなどいなかった。
「それよりもあの木……」
「大きいですねー」
「問題はそこじゃない。魔力を含んでいるぞ。魔物か?」
「でも木ですよ?」
「植物系の魔物もいるだろ?」
「それはそうですけど」
「妖精郷の結界を維持している方法も気になる。あの大樹が関わっているかもしれん。気は抜くなよ」
「はーいなのですよー」
しかしシュウもアイリスも魔力の限り不老不死だ。あまり気にすることはない。
警戒するべきは拘束や封印系である。
移動魔術による移動速度を落とし、シュウはゆっくりと大樹に近づいた。大樹は本当に大きい。高さは高層ビルほどもあり、枝でさえ一般的な木の幹より太い。それでいて葉は普通の大きさだ。
シュウとアイリスは枝の一つに降り立ち、周囲を見渡した。
妖精系の魔物たちが枝葉の隙間から顔を出し、二人を観察している。一方で案内してきた小妖精は、飛び回りつつテレパシーを発していた。
(凄い魔力の仲間! 連れてきたよー!)
アイリスはともかく、シュウのことは仲間だと認識している。この妖精郷が妖精系と霊系魔物の住処だからだろう。
そうして小妖精が呼びかけて数秒。
大樹から木霊のような声が返ってきた。
『……まさかこれほどの者を引き連れてくるとは』
そして大樹の幹に波紋が生じる。
スッと音もなく、幹の内側から緑髪の女性が現れた。大きさは子供程度だが、その眼には確かな知性が宿っている。
「ようこそ客人。私はこの妖精郷を統治する樹妖精にして、唯一のネームド。アレリアンヌと申します」