108話 地獄の炎
御伽噺の魔物。
神話に登場する竜の復活。
眠りより復活した『王』は黒炎の咆哮を放った。
「我の力を奪う者は誰だ?」
杖を通して魔法が奪われていることには気付いていた。
獄王ベルオルグはプライドの高い竜であり、『王』である。自身の力を奪い、勝手に使った人間を許すことはない。自身が復活の際に開けた大穴の周囲では、既に獄炎が猛威を振るっている。一足先に帝都の住民を燃やし尽くしていた。だが、先に果たすべき目標は魔力を簒奪した者である。ベルオルグは魔力の繋がりから、その相手を既に見つけていた。
「我を復活させてくれた礼だ。痛みを感じさせる間もなく殺してくれよう」
地獄を生み出す『王』、ベルオルグ。
その伝説はスバロキア大帝国と属国で幾つも語り継がれている。
悍ましき黒の炎で地獄を生み出す魔物。
魔を呼び寄せる王の魔力。
決して眠りから起こしてはならない。
決して抵抗してはならない。
獄王ベルオルグは厄災である。
ただ過ぎ去るのを、震えながら待つのみ。
それが語り継がれる伝説である。
◆◆◆
シュウは帝都の中心で爆発した魔力を視認した。
そして獄炎と共に翼を広げる黒い竜の姿も。
「ようやく復活か」
秘めた魔力、放つ魔力、そして獄炎魔法。
冥王シュウ・アークライトに匹敵する『王』だった。そして飛竜系の『王』である獄王ベルオルグは、絶大な獄炎魔法で城壁の一角を焼き尽くした。その火力、範囲、呪いの深度は桁違いである。アルベインの杖から引き出した獄炎魔力など比較にならない。
幾人かの将軍が炎に包まれ、死ぬ。
帝都の地下から這い出た飛竜系の魔物は、恐怖を与えるのに充分だった。獄王ベルオルグは絶望級の魔物だ。人々と世界に絶望を与える。
「あれは人間に殺せない」
同じ魔法を使うからこそ分かる。シュウは人間程度に殺されるほど弱くない。寧ろ、殺される方が難しいほどだ。
獄王ベルオルグに任せれば、シュウの願いは達成されることだろう。
幾つもの《冥導》は獄炎を吸い込んで満足し、あっという間に空間の穴は塞がった。
これ以上はシュウも手を出す必要はない。
革命軍も近づくことを止めて、撤退の準備をしているようだ。獄王ベルオルグの怒りを受けた帝都アルダールは、何もしなくても滅びるだろう。下手に手を出す方が危険である。
ベルオルグは厄災。
過ぎ去るのを待つのみ。
シュウも同格である獄王は気になるが、静観するつもりだった。
「っと……危ないな」
獄炎魔法はかなり広範囲に放たれている。
シュウのところにも流れ弾が飛んできた。勿論、死魔法で吸収する。
(魔法も殺せるのか)
死魔法の本質はエネルギーの喪失だ。
シュウはエネルギーを奪い取ることで死を与える。それが魔法であっても同じだ。ただし、エネルギーを吸収しきれない場合は殺せない。弱めることはできても、完全に殺すことはできない。
流石に『王』の魔物ともなれば、扱う魔力は莫大だ。
殺しきれない魔法もある。
覚醒魔装士を殺せないように、魔法も殺せないことがある。
(あとは獄炎魔力を見てみたいが……それは無理かもな)
獄王ベルオルグの魔法なら、概念たる獄炎魔力を使わずとも帝都を滅ぼせるだろう。仮に抵抗できるとすれば秘奥剣聖だけだが、堅い鱗を持つベルオルグなら魔装の攻撃も通さない。魔力で肉体を構築している魔物は、保有する魔力によって強度が変わる。シュウのように霊系魔物は堅い構造を有さないので例外だが、竜であるベルオルグは鱗という構造を持つ。その構造は莫大な魔力で強化され、武器による斬撃など通さない。
鱗のない場所や目や口の中を狙えば別だが、ベルオルグが簡単にそれを行わせるはずもない。
(アイリスの所に戻らないとな)
シュウは騒ぎに乗じて姿を消した。
◆◆◆
獄王ベルオルグが復活した頃、アイリスと『鷹目』も避難を始めていた。
「これは危険ですね」
「シュウさんみたいですねー」
「あれが本能に忠実な『王』の魔物ですよ。理性的なシュウさんは珍しい方です。私の集めた情報によると、最も新しい緋王シェリーも本能的な化け物だとか……」
「そうなのです?」
「不死王ゼノン・ライフは比較的理性的ですが、近づく生物を尽く殺してしまうという点で狂っています。何人の愚か者が殺され、不死属に変質させられたか……」
「怖いですねー」
「とても怖いですよ。『王』の魔物は。アイリスさんは幸運でしたね」
黒い炎は決して触れる訳にはいかない。
一度でも獄炎に触れたなら、死は確定となる。アイリスと『鷹目』は慎重に回避していた。
「そろそろ転移で逃げますか? 避けるのも限界がありますからね」
「魔術も焼かれちゃいますね」
アイリスは時に結界を使って獄炎を防いでいる。しかし、獄炎魔法は対象を焼き尽くすまで消えず、どんなものでも焼くことができる。勿論、魔力や魔術も対象だ。
獄炎は燃やし尽くしても消えず、残り続ける。
ベルオルグが放てば放つほど、逃げる場所は消えていく。
帝都アルダールは黒で埋め尽くされようとしていた。
「移動先の選択が難しいですね。『死神』さんはどこにいるのか分かりませんから」
「革命軍の陣地に逃げます?」
「他国に逃げるのが一番ですが……アイリスさんはそれで満足しませんよねぇ」
「シュウさんと早く合流するのですよ!」
「……仕方ありませんねぇ」
『鷹目』もいつの間にか甘くなっているようだ。
シュウとアイリスが最高の顧客であると同時に最大の協力者ということもあり、『鷹目』は二人の願いを可能な限り叶えてくれる。
(バレると『死神』さんに怒られそうですが……まぁいいでしょう)
懐から小さな魔道具を取り出した『鷹目』は、躊躇いつつも起動する。
その魔道具は掌に収まる程度の大きさであり、円形の方位磁針のような魔道具だ。そして起動すると針が動き、ある一点を指し示す。そして針は小刻みに震えていた。
アイリスは尋ねる。
「それは何です?」
「『死神』さんの居場所が分かる魔道具です。あの人は『王』の魔物ですから、固有の魔力を持っているんですよ。それを感知して指し示すというわけです。方向と距離さえ分かれば、私の魔装で移動できますからね。これで彼の下に行けますよ」
「おおー」
いつでも居場所を感知できる魔道具の存在を知られれば、シュウは機嫌を損なうかもしれない。実際はそこまで狭量ではないが、『鷹目』からすれば冥王とは恐ろしい存在だった。
「『死神』さんには秘密ですよ?」
「分かったのです」
「では移動します。私に掴まってください」
「はーい」
ひと際大きな獄炎が降ってくる。
それは帝都の一角を焼き尽くし、滅ぼし尽くす魔法だ。
だが、それが落ちる直前。アイリスと『鷹目』は転移によってその場から消えた。直後に獄炎は一帯を焼き尽くし、地獄の黒き炎が蹂躙することになる。
一般市民は即死であり、死体も残らない。
建造物も原形を留めていなかった。
◆◆◆
初老の男が立ち塞がる。
地獄の炎を放つ黒き竜の前に。
「まさか一日の間に二体の『王』と戦うことになろうとは」
秘奥剣聖にとって人生最大の不幸だろう。
『王』の魔物は国を簡単に滅ぼせるほどの存在であり、一人の人間が立ち向かえる相手ではない。
「スバロキア大帝国を強くするための力……それがあんなことになろうとは思いもしませんでした。このような結末のために……」
呪いの炎に包まれる帝都に、復興という希望は存在しない。何故なら、獄炎を消す方法は存在しないからだ。可能だとすれば、それは魔法でなければならないだろう。
つまり、獄王ベルオルグを討伐して獄炎を消せるのは冥王アークライトだけである。
しかし秘奥剣聖は冥王の怒りを買ってしまった。協力も依頼も望めない。
「秘奥剣聖殿……もう我々は戦争をしている場合ではない。革命軍と戦っている余裕はありません」
「ええ。革命軍も逃げるように下がっていますね。それよりも竜杖は?」
「ただの杖になりました。それに―――」
獄炎が飛来する。
秘奥剣聖は会話をしていたアディルの服を引っ張り、回避した。先程からアディルは完全に足手まといとなっている。しかし、秘奥剣聖は彼を殺させる訳にはいかない。もう他の竜杖保有者は皆殺しにされている。秘奥剣聖の側にいたアディルだけが生き残っているのだ。
言い換えれば、大帝国軍を指揮できるのはアディル大将軍だけというわけである。
(逃げ場所も少なくなってきましたね。帝都も終わりですか)
獄炎は消えることがない。
つまり、獄炎に包まれた帝都は死の都となった。獄王ベルオルグが統べる地獄として変容した。もはや人間の暮らせる場所ではない。
秘奥剣聖は魔装の刀を伸ばし、ベルオルグの瞳を貫こうとする。それがアディルを抱えた状態で放てる唯一の攻撃だ。
だが、ベルオルグは見向きもしない。
無造作に放つ獄炎魔法が勝手に迫る刀を燃やし、決して届かせないのだ。
(新しい皇帝陛下は……もう)
秘奥剣聖は新皇帝となったストラディ・マルス・クロサリア・ベルゼス・サウズ・スバロキアの隠れ場所を知っている。城と大公家にある隠し通路から行ける地下シェルターだ。魔装や魔術による大規模攻撃を受けても壊れないように作られている。しかし、魔法は想定していない。
それに、獄炎魔法は城や大公家の屋敷をも燃やしている。
あれでは地下から逃げられない。
つまり、新皇帝は閉じ込められたままである。決して消えない獄炎魔法が地上で猛威を振るっている以上、皇帝は餓死する運命にある。
「アディル大将軍。死ぬ覚悟と大帝国が滅びる覚悟はできましたか?」
「とうにできていますよ」
貴族は先の『動く死体』事件で多くが死んだ。大公家の血を僅かでも引き継ぐ貴族もいない。つまり、スバロキア大帝国を統治する正統な後継者は失われた。
全く関係ない者が大公家の一族を僭称し、皇帝となる可能性はある。
しかし、そんな僭王に仕える気は微塵もない。秘奥剣聖もアディルも同様の意見だった。故に、ここで死ぬ覚悟すら決めた。