103話 帝都決戦③
壁をすり抜けて移動するシュウは、とある通路に顔を出した途端、背筋が凍るような殺気を感じた。慌てて飛びのくが、首元で魔力が漏れる感覚を覚える。避けたつもりだったが、斬られていたようだ。
即座に魔力を感知して自分を斬った相手を見る。
(白髪交じりの老人……いや、初老か?)
手に持つ武器は刀だ。珍しい武器であり、シュウは魔装以外で見たことがない。恐らくは男の武器も魔装ということだ。
「殺すつもりだったのですが……」
「あんな殺気丸出しの斬撃が殺すつもりかよ」
「流石は暗殺者『死神』。それとも冥王アークライトと呼んだほうがよろしいかな?」
「どちらでもいいさ。好きに呼べば」
シュウは実体化し、幾つかの魔術陣を展開する。
そして刀の男は殺気を消して静かに構えた。
(この魔力、技量、気配……大帝国に残る最後の覚醒魔装士、秘奥剣聖だな)
一対一において世界最強の男。
それが『鷹目』の調べた秘奥剣聖の情報である。剣士として世界最高であるのは勿論、実は有名な剣術道場も経営している。その門下生は帝都で数百人にものぼると言われ、大帝国軍の兵士にも覚醒魔装士であることを隠して剣術指南をすることもある。
間違いなく接近戦では敵わない相手だ。
「ちょっとまずいか……」
「逃がしはしませんよ」
「だよな」
「恐らくは陛下を暗殺しようとしているのでしょうが、私が護衛としてここにいるので不可能です」
「そうかもな」
覚醒魔装士は無限に魔力が湧きだす。つまりシュウの死魔法では殺せない。
接近戦では勝てないので、魔術か死魔力を使うしかない。
「お前はリスクを承知で殺す必要があるらしいな」
シュウは展開した加速魔術で下がりながら、死魔力を放つ。漆黒の魔力が秘奥剣聖に死を与えるため、全方位から襲いかかる。
だが、秘奥剣聖はその場から消失するように移動した。
『王』の魔物にまで進化したシュウの眼でも捉えることができない移動である。これにはシュウも驚かされた。
(どこだ……)
前方、右、左。
どこにも見えず、上を確認する。だがいない。
魔力も気配も感じない。
精密な無系統魔術で感知を誤魔化しているのだ。
どこにも見当たらない。
(後ろか!)
バッと振り返ると、既に目の前まで刀が迫っていた。
左目がザックリと切り裂かれ、魔力が噴き出る。反撃とばかりに死魔力を放つが、それも秘奥剣聖は避けた。
消失するような移動。
まるで転移である。
「くそ……面倒だ」
魔力密度から見て秘奥剣聖の刀は魔装に間違いない。
秘奥剣聖は冥王を容易く傷つけたにもかかわらず、油断はしない。真剣に、冥王の命が尽きるまで全力を崩さない。
シュウはすぐに傷を修復し、全方位に魔術陣を展開する。
通路全てを埋め尽くす《斬空領域》の魔術陣だ。そして回避する隙間もないほどに斬撃を生み出した。
(これで転移もできないはずだ)
だが、床に広がった魔術陣が切り裂かれる。
犯人は考えるまでもなく秘奥剣聖だった。斬撃が速すぎて見切れない。シュウですら死を覚悟する強さだ。一対一において世界最強とは真実である。
「この魔術展開速度、そして私の剣に反応するほどの反射神経……真の実力者ですね。私と同じ覚醒魔装士ですら、私の剣を見切ることはできなかった。回避できるということは、君は覚醒魔装士を超える何かを秘めているということ。不謹慎ながら心が躍りました」
「……」
「君はハイレイン流剣秘術を知っていますか?」
「確かお前が生み出した剣術流派だっけ」
「はい。しかし私は剣術を教えているわけではありません。私が教えるのは剣のための秘術です」
「剣のための秘術?」
「『王』の魔物たる君に教えてあげましょう。鍛え抜いた人間の可能性を」
シュウはジッと秘奥剣聖を見つめ、一挙一動を見逃さないようにする。転移のような空間移動をしているなら、全方位を警戒する必要がある。一瞬でも気を抜くことはできない。
魔術は発動する前に切り裂かれる。
ならば死魔力を使うしかない。
両手に漆黒の死魔力が溢れ出し、シュウはそれを纏う。
一方で秘奥剣聖は正眼の構えから微動だにしない。互いに視線すら動かさず、気配の隙間を狙い合う。先に隙を晒した方が負けだ。その隙が僅かに一秒の千分の一だとしても、二人は見逃さない。
(静かすぎる……隙がないのか隙だらけなのかも分からん)
秘奥剣聖は恐ろしい剣の使い手ではない。
確かに剣技は達人という言葉で表せない技量に達しているが、彼の本質はそこではない。自分自身の気配を自在に操るというものである。空気に溶けるような無の気配だけでなく、受けただけで死を幻想するような殺気も放てるのだ。自在な気配操作と、相手の集中の隙を狙い打つ技量。それが無敵の剣術を生む一つの要因だ。
シュウ如きでは敵わない。
(消えた!)
僅かに乱した集中の隙を突かれた。シュウの視界と感知をすり抜け、秘奥剣聖は目の前にまで迫っていた。正面から喉元を貫く神速の一撃。
だがシュウは霊系魔物であるため、急所が存在しない。それを利用してダメージを負いながら反撃しようと考えた。秘奥剣聖が首を貫いた瞬間、死魔力で頭部を消し飛ばす。肉を切らせて骨を断つ、という作戦だ。
魔装の刀が首に触れる。
そしてシュウは勝利を確信した。
しかし、秘奥剣聖はその油断すら読み取る。
「甘いです」
その一言が聞こえたのは正面ではなく、左側からだった。
同時に、シュウは上半身と下半身が分かれた。秘奥剣聖に切り裂かれたのである。いつ移動したのかも分からない。シュウが転移と考える能力だ。
(強い)
シュウは斬られた程度で消滅するほど弱い魔物ではない。このまま斬られたとしても、軽く数千年は持つ自信がある。
事実、真っ二つに斬られた傷はすぐに修復した。
それを見た秘奥剣聖は目を細める。
「私の力で殺すのは難しいですね。その傷も修復するということは、霊系魔物ですか」
「逆に俺がお前を殺すのも難しいな」
今はどちらが有利か不利か判断できない。
シュウは秘奥剣聖に攻撃を当てることすらできないが、一撃で殺すことができる。
逆に秘奥剣聖はシュウを翻弄しているが、シュウを殺すほどの攻撃力はない。
「その一瞬で移動する能力……転移か?」
「そう見えますか?」
「……」
その言い方では、秘奥剣聖が転移能力者ではないようだ。あの移動が転移でないとするならば、シュウには視認できない速度で動いているということになる。
つまり、空間を飛び越えて移動する転移ではなく、通常の移動能力を底上げする加速ということだ。仮に魔力を注ぐほど素早さが増えるならば、非常に面倒なことになる。シュウでは捉えきれない可能性が高い。斬撃の速さにも納得がいく。
「私の能力を見て戸惑っているようですね」
再び秘奥剣聖が消える。
そして死角となる左下から低姿勢より放たれる鋭い一撃。シュウは回避できず腰のあたりを斬られる。やはり移動した瞬間も斬撃を放つ瞬間も見えない。シュウに捉えることができるのは、当たる直前の刀だけである。僅かな空気の揺れと光の反射で感じ取れるだけだ。
(いや、待て!)
本当に見えないほど速いなら、刀が当たる直前も反応できないはずである。寧ろ、切られる直前こそ見えないほど速くなるはずだ。
感知できるということは、秘奥剣聖に不可避の速度はない。つまり、シュウが斬撃を直前まで認識できていないだけである。
(幻術か何か……あるいは技術?)
相手の意識を読み取り、その隙間を縫って斬る。
ただそれだけ。
そんな剣士として基本的な戦術を極めたのが秘奥剣聖である。相手の意識を読むだけでなく、自分自身の気配を読ませることで錯覚させる。無の気配から死を感じる殺気まで、その最低値と最大値を自在に扱う。気配の高低差が錯覚を生む。
「気付きましたかな? 気配が変わりましたが」
「おいおい……まさか、ただの剣技で俺を圧倒していたのかよ」
「これでも剣の秘奥を求める者です。魔装の力がなくとも戦えます。尤も、私の魔装は丈夫で切れ味の良い武器ですから重宝しておりますが」
「……それだけの魔装なのか?」
「そのようなことはありません。ですが、君を殺すのに魔装は必要なさそうです」
その言い方には少しイラっとするが、秘奥剣聖の実力は本物である。ただの人間でありながら、化け物を凌駕する剣技を身に着けた。
秘奥剣聖は隙のない構えのまま、語り始めた。
「私は五十年前まで魔装士ではなかった。ただの剣士でした。多少の魔力はありましたので、無系統の身体強化術だけは使えましたがね」
「魔装士ではなかった? それは魔装だろう?」
「そうです。しかし当時は持っていなかった。私はハイレイン流剣秘術の師範でしかなかったのです。そして剣技を極め、ただの剣術でとある魔物を討伐しました。絶望級とまで言われた悪魔系の魔物です。その戦いで私の魔力は覚醒し、同時に魔装を目覚めさせました。私にとって魔装は後付けの力でしかありません。本質は剣技です」
「なるほど。別に手加減しているわけではないと」
「理解して頂けたようですね」
魔装士として、秘奥剣聖は非常に稀なケースだ。本来、魔装士は限界の中で魔力を覚醒させる。これによって魔装士は覚醒魔装士となるのだ。しかし、秘奥剣聖は魔装士でなかったが、剣を極める過程で魔力が覚醒した。その覚醒によって大量の魔力と、魔装を手にしたのだ。
「気配の操作、そして気配の読み取り、最後に歩法。これがハイレイン流剣秘術の奥義です」
秘奥剣聖はシュウに僅かな隙を見つける。同時に気配をゼロにまで消し去り、特別な歩法で一気に視界から外れた。勿論、魔力を消すのも忘れない。
ずっと捉えていた対象の姿、気配、魔力がいきなり感じ取れなくなると、それは消失したかのように錯覚する。僅かな隙を大きな隙に広げ、死角から攻撃を繰り出す。ただそれだけだ。
剣術の基本的な技術である、間合いの取り方。これが非常に上手い。
相手の間合いから消えて、自分の間合いへと相手を入れる。
後は剣を振るだけだ。
ハイレイン流剣秘術は剣術というより、剣のための秘術。気配と歩法の秘術だ。正面からの暗殺術とすら表現できる。
シュウは秘奥剣聖の剣技を考察する。
(この剣技は一対一を想定している。気配の隙を突くという性質上、相手の数が多いほど失敗しやすい。だから一対一において世界最強なのか)
秘奥剣聖の対処法は複数人でかかることだ。
仮にシュウが二人いたら、既に勝利しているだろう。二人が同時に隙を見せることはほとんどないので、剣技の餌食になる確率は大幅に下がる。三人、四人と増やせば増やすほど隙は勝ち筋が見えてくる。
(皇帝の殺害は難しそうだな)
今のままでは秘奥剣聖に勝てない。シュウはそれを悟っていた。少なくとも負けはしないはずだが、勝つことも不可能だ。精々、足止めが限界である。
これにはシュウも困り果てた。
しかし、魔力感知で救いの一手が打たれていることに気付いた。
(これはアイリスと『鷹目』……)
シュウが秘奥剣聖に苦戦していると気付いたのか、皇帝を暗殺するために動いているようだ。これから、放っておいても皇帝を殺せるだろう。シュウは秘奥剣聖を釘付けにすればよい。
そして皇帝に危機が迫っていることは、秘奥剣聖も気付いたらしい。
初めて焦りの表情が見えた。
「これは……」
「逃がすか!」
魔力を惜しまず、死魔力を使う。膨大な魔力を消耗してしまうというリスクのある死魔力だが、今のシュウならばかなりの量を扱える。皇帝が殺されるまで時間稼ぎも可能だ。
触手を思わせる死魔力の攻撃が秘奥剣聖に迫る。
漆黒の魔力は触れるだけで滅びる一つの法則。魔装すら殺してしまう。秘奥剣聖は切り裂くこともできない。よって回避に集中するしかなかった。
「形勢逆転だな」
「……困りましたね」
このままでは守るべき皇帝が、別働のアイリスと『鷹目』によって殺される。転移によって皇帝と側近たちが軍議する部屋の近くまで移動していることは分かっていた。
ここから走っても間に合うかギリギリだ。
そもそも、冥王たるシュウが見過ごすとは思えない。
秘奥剣聖は魔装の力を使うことを決意した。