ひとゆめと出発
お風呂上がり。小学生の頃までは風呂の後には瓶の牛乳を飲んでいたのだが、いつのまにかその習慣を止めていた。なんとなく今は飲みたい気分なのに、あいにく冷蔵庫には入っていなかった。
「風呂上がりの『お先に失礼しました』は~?」
「はいはい失礼失礼」
ニュースを観ていた鬱陶しい我が親父は居間で寝っ転がり、面倒くせえ絡み方をしてくる。人付き合いが苦手に思うのは一割くらいこの親父のせいだと考えている。
「卒業式はどうだったの?ボタン下さい~って女の子いたか?」
「俺は一年生だから貰う側だしそんな相手いねえしそもそも今時貰わねえよ」
「けーっ。父ちゃんがお前ぐらいの頃はなー、そりゃもうボタンの一つや二つ……」
「へいへいすげーどすな」
あーもう面倒くせえ。さっぱりしたはずなのに台無しな気分。
こんなのは無視して二階へはよ戻るか。
「――――――今日、なんかあったのか」
ロボット開発が~、廃工場が~、ニュースキャスターが淡々と事件を読み上げる中、親父の鋭いツッコミ。
いきなりなんだシリアスに。
「……まあ、いろいろ」
「いろいろて。おっかあがお前の様子がおかしい言っとったで」
おっかあとは、母親のくだけた呼び方である。父親はおっとう。
俺も普段はおっとうおっかあ呼びをしている。これは某日本の昔話のアニメの影響だ。
「ちょっと用事が出来たんだよ、明日の」
「倒置法て。ふーんそうでございますか。んでお勉強のご予定はありますかねおぼっちゃん?」
この親父のペースに巻き込まれる感じがどうにもモヤモヤさせられる。死神のじいさんと同じ、場の空気を自分で作るタイプなのだ。
「そのうちやるから。んじゃ」
「ケーッ、この不良」
……精神が乱されるのでもう退散しよう。
「なんかあったら頼れよ」
階段の一段目を昇る瞬間、後ろの居間からそう聞こえた……さらっと親っぽいこと言うのはやめろや。
「お待たせしました」
「お帰りなさい」
ふはへへへ女の子にお出迎えしてもらえるとは。変な笑いが出たわい。
「いやーいいお湯でした」
「いいなー、気持ち良さそう」
平山さんのお風呂シーンを希望している人なんてそれはそれはたくさんいるだろう。まずここにいるぞ。
「平山さんってお風呂上がりは牛乳飲む派ですか?」
「うん、体に良いかなって。美味しいもんね」
ますます牛乳が恋しくなった。
牛乳……中学までは給食で散々目にしていたのに、高校じゃ弁当になってからさっぱり見なくて寂しいよ……
「今日はお疲れさまでした」
「明日もあるし、早く寝ようね」
「ういっす」
寝ろ、をこんなに優しく言われたのは保育園以来かもしれん。
体をベッドにイン。枕に頭をオン。完成、完全おやすみ圭吾くん。それでは……
「おやすみなさーい」
「おやすみなさい」
って待てい。
平山さんはベッドの隣で女の子座りしていらっしゃった。
「平山さんがベッドを使った方が……大変だったでしょうし」
「私、なんだか眠くなくて。もともと中代くんの部屋なんだから構わないよ」
幽霊は睡眠の必要がないのだろうか。謎だらけだ。
「それに! 中代くんこそ、明日も大変だからしっかり休まないと!」
「へ、へい」
たぶん平山さんは一歩も譲らないだろうし……仕方ない、ベッドで大人しく眠気の訪れを願おう。
「……」
「……」
めっちゃ気まずい。眠れない。座っている平山さんは暇なのかちらちら視線を寄越してくる。
「……やるしかないんですよね」
独り言のように、自分に言い聞かせるように呟く。
「……不安だよね」
「それでも、やらなきゃならないですから」
静かな暗い部屋、他の人からすれば、響いているのは俺の声だけに思われるだろう。
時計の針が刻む音、鳥の鳴き声、揺れる木々が夜を作り出していた。
上手くいくだろうか。今日の出来事は夢じゃないのか。明日なにが起こるというのか。頭の中が巡り巡ってなおさら眠れない。
「あのね」
眠れないほどこんがらがる脳みそへ、しんと伝わってくる少女の言葉。
「もし駄目だったら、恨んじゃうかも」
「!?……それは、困りましたね」
心臓がバクバクしてきた。あらやだこわいのこわい。
「えへへ、冗談」
なーんだ、平山さんったらお茶目。そんなところがキュート。
「だから――――――駄目でも、申し訳ないって思わなくて大丈夫だよ」
……余計に困ってしまったな。そんな都合の良い慰めをされてしまったら、なおさら頑張りたくなってしまう。
「毎日枕元に立たれても、俺は大歓迎ですよ」
「あっ、それもいいかも」
ハハハとブラックジョークに笑うが、それができるのも今夜限りになってしまうのだろうか。
「会うのなら学校でみんなと、が一番ですけどね」
「……うん」
カチッカチッと時計の針が進む。何時を指しているのだろう、長い刻が経ったように感じるのは、緊張と恐怖、不安――――――
「私、中代くんに出会えて良かった」
――――――もしか、この少女と出会ってからの、ときめきのせいかもしれない。
「俺も、平山さんと出会えて良かった」
嬉しさを口にしたら、リラックスできたようで自然とまぶたが閉じてくる。暗闇に目が慣れたのに、次起きるまで彼女の姿が見れなくなるのは寂しい。
ふと、眠れないならと平山さんが唄いだした。その透き通った子守唄は、優しい音色が体へ浸透していくようで、心地よくて――――――
ああそうだ……保育園の昼寝の時間を思い出す。なかなか寝付けない子もいたっけ……その中には俺もいて、そんな時には先生が子守唄を唄ってくれて……側にいてくれたり――――――
あの頃の懐かしさへ微笑みを浮かべて、そのまま深い眠りにつく。
「……おやすみなさい」
" 何故 "
頭に響く。俺は一人、立ち尽くしている。
" 何故 "
また頭に響く。これは誰なんだろう。
闇の中を歩いている。行かなければ。会わなければ。
……何処へ?誰に?
なぜそう考えたのだろう。理由は分からない。でも歩みは止められない。そうしなければならない。
" 何故 "
強く頭に響く。分からない。答えられない。でもその質問が、俺には必要なものだと感じた。
はっ、と何気なく手を見る。
黒く染まった異形の形。
腕だけではない、この体すべてが、おおよそ人ならざる姿。
化け物。
そう呼ぶに相応しい姿だろう。自分でもそう見えるのだから。
違和感はなかった。これが俺なのだと認識した。
この怪物は何処へ行くのだろうか。誰かに会いに行くのだろうか。なぜそうしなければならないのだろうか。
ただただ、歩いている。訳も理由もなしに。
そうしていると、女の子が倒れていた。なぜだか顔も姿もハッキリとわからない。でも女の子だと分かったし、助けようと思った。
" 何故 "
激しく頭に響く。
そうだ、なぜそう思ったのだろう。理由が、わからない。
女の子は息をしているのだろうか。まったく動かない。血のようなものも流れている。
いつの間にか女の子の周りに白と黒の人だかりができていた。誰も助けようとしない。素通りする人、写真を撮る人。他人と話し合う人、指差す人。
救急車らしきサイレンが鳴り響いている。だから、そのうち到着するだろう。だから、通りすぎても大丈夫なはずだ。はずなんだ。関わらなくていい。俺に出来ることなど、ないはずなのに。
なのに。
穢れた手で、彼女を抱き起こしていた。
人々の視線が刺さる。フラッシュが眩く照らす。どうして、こんなことを。
" 何故 "
分からない……分からない――――――分からない。
それでも、助けたかった。その願いに間違いなどないはずだと。
頭に響くモノへ応えるように叫びあげる。
波紋が広がるように、人々が消えていく。
なにも分からない。なにも答えられない。だから――――――
俺は、理由が欲しかった。
寝起きはいつも気だるい。ボーっとするので枕にでも頭をぶつけて覚醒しようとするが、すぐに諦めた。もうちょっと寝ていたい……。
「おはよう、中代くん」
「おはようございます!」
はい目ぇ覚めたー! 目ぇ覚めましたよー! いやー女の子に起こしてもらえるなんて感涙や!
「7時丁度だね」
壁に掛けられた時計で確認。じいさんのアラームは必要なかったか。
『目覚めは良いか~?』
何処かで監視しているのか?なんで今起きたってわかってんだ。
『ずいぶんと魘されておったようじゃからの』
なになに俺の夢の内容知ってたりすんの? いつも起きると忘れちゃうから教えてよ。
『そのうち思い出すかものう』
それで思い出せた経験がないです。
『それより』
お、なんだ。
『お嬢さんに席を外してもらえんかの』
まさか、平山さんには聞かせられない話か。
「すいません平山さん。部屋外で待っていてもらえませんか」
「もしかしてJさんから?わかったよ。あ、そうだ――――――」
平山さんは伝言を残して退室し、部屋に一人。
『よいか』
その前に平山さんから頼まれたご挨拶だ。
「おはようございます。ってさ」
『……本当に真面目なお嬢さんじゃなー』
俺もそう思う。
で、だ。朝からいったいどんな情報だというのだ?
『いや、男の朝といえば"アレ"が立って辛いじゃろうし、お嬢さんに見られるのも困るかと思うてな』
そ れ か よ 。
そうだけども。生理現象だから仕方ないのだけれども。実際助かったけれども。
チラリ下半身を一瞥……平山さんにはもうちょい待機していてもらおう。
『伝えたいのはそれだけではないぞ。お前さん達に朗報じゃ』
というと、まさか見つかったのか! ちゃんと捜査を続けてくれていたんだな。
『お前さんの部室に行くのじゃ』
つまり学校へ行けと。卒業式の影響で本日は休みだが、部室へは入室できたはずだ。
そこに平山さんの体があるんだな。
『それはわからん』
エ・エー。なんだよそれー。どういうことなんだよー。
『とにかくそこへ行くのじゃ』
……しょうがない、男の"アレ"もおさまってきたし学生服に着替えて登校するとしよう。学校の警報器が鳴らなければいいけど。
部屋の外で待っていてくれた平山さんへ予定を伝える。
「学校に行けばいいんだね」
「そうです。あ、ところで……」
じいさんに言われたのが気になったので平山さんに尋ねてみよう。
「寝ているときなんですけど……俺、なんか寝言とか言ってました?」
「うーん、なかったと思う……それがどうかしたの?」
「いやーじいさんにからかわれてーハハハ」
じいさんなりのジョークだったんかい。
一階へ降りて歯磨き洗顔。鏡の中の俺は今日も天パがクルッと渦巻いている――――――心なしかイケメン度が上がっているような。
あれ、今日の俺、イケてね?
もしや平山さんがいる手前、かっこつけようとしている態度が顔に表れているのでは?
うん、なんだかイケメンっぽい。イケメンだわ俺。これはイケメンですわ。あーイケメン過ぎるわ俺。
「どうでしょう平山さん!俺イケメンですかね!?」
「えっ……?あ、う、うん!か、格好いいと思うよ!」
平山さんはお世辞を使った。
中代に52149のダメージ。
中代の心は折れましたありがとうございましたしんでしまった!
「……どうもっす」
「ほ、ほんと!ほんとだから!」
よく見るとイケメンかもしれない。そんな慰め、空しいじゃない。
俺の顔は泣いていない。でもいつも心は泣いている。非モテはいつもこうだ。文句だけは美しいけれど……
「いただきます」
朝食は野菜のふりかけご飯。間違いなく栄養が足りてないが、生まれてこのかた16年。もはや慣れである。
ふりかけのパリパリとした食感と白米の柔さが対比となっており噛みごたえがある。ちょっぴりの塩辛さの後にご飯の甘さが来るのが堪らない。ついつい箸が進む。
野菜のふりかけと鮭のフレークは上からかけたまま食べる派ですわ。混ぜるとなんか味が雑になる感じがしますのよ。
「ふりかけはオッケーなんだね」
ふむふむと女子に眺められながら食事をするのは給食の時間でもあったが、ここまで注目はされなかったのでちょいと恥ずかしかった。
「ごちそうさまでした」
とても美味しゅうございました。歯や唇に付いたふりかけの粒をお茶で流してお片付け。
腹も満ちた。それでは休日登校といきますか。
「なんや、学校行くんか」
親父が自身の朝食をとりながら話しかけてきた。親父も仕事が休みのはずなので今日はほぼ一日、家庭での仕事をするのだろう。
「部活じゃい。んじゃ行ってくるわ」
「あっそ。じゃあ父ちゃんは家で寂しく庭掃除よよよ。あー息子がいてくれたらなーチラッ」
マジ親父面倒くせえ。家を抜け出しそうぼやくのだった。
「面白いお父さんだね」
平山さんは昨日は親父と会ってなかったんだったな。
「毎日顔を合わせりゃそんな意見は変わりますって」
「でも、中代くんの両親は良い人だと思うよ」
「それは……そうなんだろうけど」
あんなんでも俺の親だし。俺は世話になりっぱなしのダメ息子な自覚はある。
「中代くんも良い人だよ」
「ハハハ、またお世辞を」
「本音だって」
平山さんったらもう。よっ、この世渡り上手! Ms.誉め殺し! この世全ての善!
「さすがに不信が過ぎるよ……」
平山さん若干引くの巻。
「えー、そんじゃ学校へ参りましょうか」
「部室って、そういえば中代くんは何の部活をしているの?」
よくぞ聞いてくれました。それは――――――
「着いてからのお楽しみってことで」
「な、なるほど」
フフフ。
まあ、たいした名前じゃないんですけどね……