6話 専門的な発言
休日は思いの外あっという間で、気付いたらもう登校日となっていた。
レインはその日の朝はぐったりと寝ていて、起きる気が起きなかった。
「うぅー、まずいなぁ……」
レインは今の自分の状況を冷静に分析する。
布団の中で横になっていて、目は半開き。意識は半覚醒といった感じで、すぐに制御を手放せば夢落ちしてしまいそうだった。
外は朝の陽気の包まれ、晴れやかな一日の始まりを告げる。まだ早朝なためか人通りの少ない町は静けさの中に小鳥の声と若干の人の気配がするだけだった。小鳥と判断したのは、雰囲気として朝に泣くのは小鳥のような気がしたからだ。
そして、昨日で二日あった休みは終わり、また学校へ行かなくてはならない。
週七日の内、五日が学校あり、残る二日が休みとなっている。
学校に入って初めての休みは一日目はミネルバに町を案内することで潰れ、二日目はずっと家に引きこもって趣味の情報収集をしていた。
しかし、それに熱中しすぎて夜更かしという、あまり褒めらるべきではない状態に陥ってしまっている。
どうにかして起きなければいけないのだが、半覚醒の状態では満足に体を動かせずにただそのだるさがのしかかる。
理性の自分は起きなければいけないと体に呼び掛けて、意識を保たせているが、本能の自分はまだ寝たいと叫び、体をやわらかいベッドに縫い付ける。
このままでは埒が明かないと思ったレインは、だるく重く苦しいとさえ思える自分の寝たいという感情を体現した体をゆっくりと起こすと、朝の目覚めとして欠伸をした。
♢♢♢
レインは朝の目覚めという英断のおかげで無事時間までに教室に着くことができたレインは、今朝は妙に騒がしいことに気付いた。
疑問符を浮かべて教室の中に入ると、教室のある一角に人だかりができていた。
そこには十人以上が詰めかけていて、おそらくその席に座る人に詰め寄っているのだろう。
どうやら悪いことではなさそうだが、喜びとも歓喜とも取れる騒ぎように驚く。
そちらをちらりと横目に見ながら席に座ると、隣の席の男子が声をかけてきた。
「よっ、おはよう」
「おはよう」
名をアルド=ネイシスと言い、このクラスでは比較的に仲がいいと言える人だ。
レインがヘイダスに勝ってから生徒からの風当たりは良くなったが、それでもまだ反感を持つ人はいる。
このアルドは皆の態度が変わる前からある程度接してくれていた。もっとも、他人よりも自分優先という性格らしく、周りにわからない程度にやっていて、正直に言うとレインはその柔軟性には感心していた。
今では周りをそこまで気にしないで話すようにはなっている。
「お前もあの人だかりが気になるみたいだな」
「そりゃそうでしょ。あんなに騒いでいれば」
二人して人だかりへと視線を向ける。
しかし、何分人が多いため何で騒いでいるのかが全く分からない。
「なぁに、大したことじゃないんだよ」
「大したことじゃないのにあんなに騒いでいるの?」
「まぁ、どう思うかは人によるってことだな」
「つまり、あそこに集っているのは全員興味あるってことか?ていうか、全員男子か」
見てみればこのクラスの男子のほとんどがそこに集結していた。中には他のクラスの生徒も混じっていて、レインは何となくしょうもないことのような気がした。
「お前のその顔、大体あたりだ」
「僕はまだ、具体的なことは思ってないけどね」
「ただ、しょうもないこととか思ったんだろ?」
「そんな顔してる?」
「バッチリしてる。そこら辺の女子と同じ顔だぜ」
辺りを見てみれば、アルドの言う通りそこに視線を向ける女子は不機嫌そうな子をしていた。自分もこんな顔なのかと思うと、予想はあまり間違っていないことがわかる。
「で?結局あれは何なの?」
「知りたいか?そんなに知りたいか?」
嬉々として迫るアルドに身を引きつつ顔も引きつらせて答える。
「なんでそんなに嬉しそう?」
「いや、ここまで勿体付けるとこっちも面白くなってきてな」
「はぁ。どうでもいいから、早く教えてくれよ」
「知りたきゃ、あそこに入ってくればいいだろ?」
「僕はそんな面倒なことをするとでも?あんな人混みは苦しい」
「軟弱発言だなぁ」
「何とでも」
ずっと勿体付けてきたアルドは、そろそろいいかと思い、レインに告げる。
「実は、あれはな………………」
「長い」
「わかった、わかった。言うさ。あれはな……ずばり、グラビアだ」
「ホントどうでもいいな」
「即答でそれを言うかよ」
アルドの言う通りグラビア本なら、あそこに男子たちが集まっていて、自師たちが冷ややかな目でそれを見ているのは理解できる。
「もうちょっと、勿体付けた俺に対するねぎらいはねぇのか?」
「何を期待しようが何も出てこないよ」
「お前冷め過ぎじゃね?それにあれはただのグラビア本じゃねぇ。なんと、歌手のリンリンの水着姿がのってるんだってよ!」
「誰だよ、それ?」
これまた即答。
その対応の冷たさに、アルドは演技で泣き真似をしていた。
「お前はなんて枯れた奴なんだ。あの歌手リン=マーベルを知らないなんて」
「なんだ、それなら知ってるよ」
これまた枯れた発言をすると思っていたアルドは、突然の変調に驚いた。
「お前リンリンのことを知ってたのかよ。なら何でさっき言わねぇ?」
「リンリン何て呼び方は知らないよ。僕が知ってるのはリンって呼び方だけだ」
情報収集という趣味を持つレインでも、リンリンという呼び名は初めて聞いた。そもそもリン=マーベルについて調べることがあまりないからであるが。
「おいおい、悲しいなぁ。お前も一ファンならもっとリンリンのことを知っとこうぜ?」
「言っておくけど、僕はファンじゃないよ。お前はファンなの?」
アルドは自信満々に答えた。
「違うね!」
「さっきまでの力説は何だよ」
「俺は巨乳を愛する。あのミリアム先生のような巨乳だ。あの柔らかさに包まれて俺は眠りたい!」
「それ、たぶん永遠の眠りだから」
「俺にはあの優しい性格もぐっときたね!」
「性格までわかるもんかね」
「あの性格とおっとりとした態度、そしてあの巨乳。まさに教師の鑑だね!」
「お前の教師像って何?」
「お前もそう思わねぇか?俺とあの先生の出会いは運命だと!」
「信じていれば気が楽だね」
「俺は決めた。あの人を女神として崇める!」
「迷惑なだけだと思うけど?」
「俺は本当に思う。ここに入って良かったと!」
「その実感が別の所から湧いてくれば文句なしだけどね」
レインはアルドへの対応が面倒に思えているが、それでもこうして会話することができていることを少なからず嬉しく思っていた。
(いや、会話になっているのか?)
些かの疑問は残るが。
♢♢♢
今、Ⅰ組ではヘイダスによる魔術理論についての講義が行われていた。
「皆も知っての通り、魔術とは魔力を込めながら詠唱することで発動するものだ。そしてこの発動の際には、それぞれの魔術の魔法陣が展開される」
皆真剣にヘイダスの言葉に耳を傾け、板書されている字をノートに取っていく。
「そして、その魔術を発動するときに込める魔力の量によって、その魔術の強さが変化していく。また、呪文短縮あるいは短縮詠唱を行った場合も同じようになる。ただし、そうした場合はどの魔術を発動するときも消費魔力が上昇し、威力も落ちてしまう。この理由が何か説明できるか?」
ヘイダスの投げかけた質問に、生徒たちは戸惑いを見せる。
今まではそういうものだと習ってきて、そういうものだと思ってきたため、理由など教えてもらえなかったし、考えてもこなかった。
隣同士で顔を見合わせてわからないと首を振りあう生徒たちの中で、レインは面倒に思いつつも言った。
「それは魔術を構成するときに、無理を通すからです」
レインの言ったことに生徒たちは振り向き、ヘイダスも感心したようにするが、すぐに返してきた。
「無理、とはどういうことかね」
以前ほどの高圧的な態度を取ってはいないが、生徒に負けたというのは精神的にくるもので、友好的な態度とは言えなかったが、それでも幾分かマシである。
「魔術の発動の際に詠唱する呪文は、短縮していないものが基本であり、それが今までの研究で最も効果的だと思われている呪文です。その呪文に何らかの手を加えて発動して、たとえ発動速度が速かったとしても、それはすでに最適の呪文から外れているので、消費魔力にも威力にも影響が出ます。それが呪文短縮によって消費魔力が増加し、威力が落ちる理由です」
「……その通りだ」
悔しそうにしているヘイダスだが、正しいことを間違っているとは言えないので、渋々レインの答えが正しいことを認める。
いや、渋々どころか、付け加えることがないほどだった。回答としては満点と言えるだろう。
そんな回答を出したレインに、周囲から感嘆の声が漏れていた。
こういう風に周囲から評価されるということに、レインは悪い気はしていなかった。まぁ、目立つのは嫌なのでほどほどにしては置くが。
そうしてレインがひと段落と気を抜くと、ヘイダスから追加攻撃がきた。
「では、レイン=スーウェルト。現代の呪文が魔術を発動するうえで最適になっているという話だったが、そもそも呪文とは何か、なぜ呪文という言葉の羅列を言っただけで魔術が発動するのか、答えてみろ」
だんだん、質問が魔術理論から魔術そのものについての質問になっている。
このまま魔術の存在意義や人の存在意義という根本的な質問になりはしないだろうかと、内心ひやひやしながらも、レインは自分の中にある知識で答える。
皆が狼狽えるような質問でも、レインはまだ答えられる。情報収集が趣味というのは伊達ではないのだ。
「呪文は簡単に言えば、キーワードです。呪文なんて仰々しい言い方ではなく、そう表現した方がしっくりと来ます。魔術で何かしらの現象を引き起こす際、その現象を魔術師自身がイメージする必要があります。この行為は誰もが無意識に行っていることです。そのイメージに従って魔力が魔術として現象を起こすのですが、意識的にイメージするだけでは足りません。そこで必要なのが呪文です。魔術という扉を呪文という鍵で開ける。わかりやすい例えではそうです。ですが、具体的に言うと、それは自分がその現象を引き起こすのに何を思い浮かべるか、です。たとえば、空を飛ぶという魔術を使うとします。その時に思い浮かべやすいのは自分が飛んでいる姿よりも、鳥のように最初から自然に飛んでいる者の姿だと思います。なぜなら、そちらの方がよく目にするからです。さすがに鳥よりも人が飛んでいる方が目にするなんて人はいませんから。要するに、連想していけばいいんです。空を飛ぶならどんな生物か。その生物は鳥。鳥が大空を飛ぶイメージ、という風に。現代の呪文はその連想がしやすい呪文になっていて、それを唱えている魔術師本人の無意識、つまりは深層心理に強くイメージさせることができます。そして、その無意識というのは魔術に多大な影響を与えます。だからこそ、先ほど答えたように呪文短縮をすると、そのイメージが若干弱まって影響が出るわけです」
そう言って、終わりという雰囲気を作ると、いつの間にか教室が静まりけっていることに気付く。
何かまずいことでもしたか、と不安になっていると、ヘイダスが口を開いた。
「まるで専門家みたいだな、貴様は」
レインの言ったことに対する反応が理解しづらいもので、ヘイダスが何を言いたいのかわからないレインは、周囲の生徒たちを見渡す。
見ると、誰も彼もが戸惑っていた。
何かおかしなことでも言っただろうかと首を傾げるレイン。
そんなレインに、さらにヘイダスが言う。
「そこまでの知識を持っている生徒を、私は今まで見たことがない。貴様はなぜそこまで知っているのだ?」
「……情報収集が僕の趣味なんで、その最中に得た知識ですよ」
「そうか。まぁ、さっきの答えに免じて、そういうことにしておいてやろう」
ヘイダスはレインへの言葉は終わりにして、戸惑う生徒たちへ言う。
「全員、さっきのスーウェルトの答えは、精々頭の片隅に入れておく程度でいい。ああいう専門的なことは三年になってから、いや、卒業して職に就いてからでもいいくらいだ。今のお前らに必要な知識を完全に超えている。戸惑う奴もいるだろうが、気にしなくていい」
そもそも専門的な質問をレインにしたのはヘイダスなのだが、まさか答えられるとは思っていなかったようで、表情には焦りが見えた。
それを見て、レインはしまったな、と思った。
自意識過剰と思われてしまうかもしれないが、レインはこれでまた注目されてしまうのではないかと思った。
売り言葉に買い言葉のような形でべらべらと言ったが、もう少し自重しても良かったかもしれない。もしかしたら、レイン自身が心の中で、知識を自慢したいと思っていたのかもしれない。
(随分冷めてると思ってたんだけど、まだまだってことかな)
そう思ってはいても、レインは再び質問を投げかけられれば、自分がおそらく答えてしまうだろうなと思っていた。それだけ他人との接触がなかったため、自慢できるものは自慢しておきたいと思うのかもしれない。
結局はその時になってみないとわからない、ということだ。