5話 町の案内
噂の欠陥魔術師が決闘で講師を負かしたという話は、その日の放課後には学校中に広まっていた。実際に決闘を見ていた生徒たちが広めたのだろう。
たしかに、話の話題としては面白いものであり、しばらくこの話題で退屈しないのだろう。噂されている当人以外は。
もっとも、負けた講師の方のヘイダスには特に何もなく、やはり勝ったレインの方が生徒たちの興味を引いていた。
皆からの蔑みや嘲笑の対応から一転、別の意味で一気に注目の的になった。
魔術師は実力主義だが、たった一回の勝利でここまで劇的に変化するとは思っていなかった。
様々な人から声をかけられ、授業の合間にはクラスの人たちが話しかけてくるほどだ。
当然いきなりちやほやされているのを見たら、気に食わないと思う人もいるが、レインがヘイダスに勝利したのは事実なので、下手にちょっかいを出すことができない。
それに、あの決闘を見ていた者たちはレインの魔術の発動速度を知っている。
基本的に決められた場所以外で魔術を使うことは禁じられているが、もしどさくさに紛れて魔術を使ってもすぐに対応してしまうだろう。
とは言え、反感を持っていることに変わりはないので、遠巻きに睨むように視線を送り、小声で悪口を言うくらいはしている。ただ、それを気にするレインではないが。
それよりも、レインにとっては急に話しかけてくる人が増えたことが大変で、そちらの方が神経を使ったりするのだ。レイン自身の中にも、まだ若干の戸惑いもあるため、表面上は割り切っても整理が追い付いていない。
周囲の見る目が変わったことに関しては良いことだとは思えるが、どうにもこの急激な変化に中心にいるレインが置いて行かれている気がする。
そういう日が少し続き、入学してからの初めての休みがきた。
皆はそれぞれ町に出て友だちと楽しく過ごすことが多いようだ。
生憎、レインにはそんな予定はなかったが、前日にミネルバに言われ、どうせだから町を見て回ろうということになった。
最初は面倒に思ったレインだったが、実際休日にやることがなかったので、そうしてみるのも悪くないと思って了承した。
よく考えてみれば、レインはこの町にそれなりに長く暮らしていても遊びに出歩くことがあまりなかったのだ。せっかくの機会を有効活用しようという考えだったのだが、レインは今少しだけ困惑していた。
魔術師育成学校の生徒たちは、休日でも制服の着用が義務付けられていて、長期休暇の時以外は外出の時は皆制服を着用している。
これはむやみに魔術を使わせないために、学校の生徒だとわかりやすくして抑止力としているらしい。
それでレインも制服を着用して待ち合わせ場所にいるわけだが、その場所がレインには居心地が良くないものだった。
簡単に言えば、王城の敷地に入る門の前で待っている。
ミネルバが第一王女であることはわかっているし、この場所を待ち合わせにするのもわからなくはないが、実際に来てみると場違い感がすごかった。
制服を着ているがゆえに、ただでさえ年齢よりは幼い顔をしているレインは、王城近くで働く者が多く通る門の前では注目されていた。
(最近、いろんなことで注目されている気がする)
眼帯をしていることもそうだが、どうにもレインは目立ちやすい性質にあるらしく、本人の希望とは全く違う方向へ行く周囲にため息が漏れてしまう。
だいたい王城の敷地の前だけあって、そこはだだっ広い広場のようになっているのだ。そんなところで一人で待たされる方としては、気まずいと言う他にない。
「ごめんなさい。待った、よね」
いつの間にか駆け寄って来ていたミネルバが、明らかに待ってました、という雰囲気を出していたので、謝罪と同時に確認した。
「別にいよ。待ったと言っても、時間通りではあるんだし」
時間に遅れたのであればレインも言うところがあったが、ミネルバは時間通りに来たので、文句言うのは筋違いというものだ。
「そう。なら、よかった」
「それで、今日はどういう予定なの?さすがに何も聞かずに来たんだけど」
「あぁ、それね。えっとね、私からのお願いはね、この町を案内してほしいんだよ」
「?」
ミネルバの質問には疑問しか浮かばなかった。
この国の王女が、王城のある町を案内してほしいと言う。
疑問を抱かない方が不自然である。
「案内するまでもなく、知ってるんじゃないの?」
「知らないから、案内してほしいって言ってるんだけど」
「いや、何で知らないの?そもそも、知らないんじゃ、昨日までどうやって学校に来ていたのさ」
「どうやってって、馬車で送ってもらってたんだけど」
「……じゃあ、質問を戻すけど、何で町のことを知らないの?」
「私、馬車以外でこの町を通ったことないから、詳しくは知らないの。一応、私王女だから私が乗って
るって簡単にばれないように、馬車の窓にはカーテンが掛かってて、外はあまり見てないし」
「王城から町を見たりしないの?上の方なら一望できると思うけど」
「そうだけど、上から見てるだけじゃわからないことってあるでしょ?」
それも一理ある。
正直、そんなことを頼まれるとは思っていなかったが、ミネルバのこの町に対する知識をこのままにしておくのも気が引けたため、仕方なく決心した。
「わかった。お望み通り、案内してあげるよ」
「ありがとう」
「ただし、そういうのは事前に言ってくれてると助かったんだけど」
「ご、ごめんなさい」
♢♢♢
ヴィクト王立学校が存在するこの町、『シューネル』は、王城があることとその広さから一般的に『王都』と呼ばれている。
この町はヴィクト王立学校とともに発展してきたと言え、町の人々はその学校を誇りに思っているらしい。
ちなみにそのヴィクト王立学校はおよそ二百年前に建てられた学校である。
しかし、他の国の魔術師育成学校よりはその歴史は短いもので、魔術が研究されてきた歴史を見ても、ヴィクト王立学校はまだ世間一般には古いとは言えない。
ただ、この学校が優秀な人材を輩出してきたのは事実で、魔術師のトップの現在の第六階梯である『王』の中の一人はこの学校の出身である。
ヴィクト王立学校以外にも全部で十の学校がある今では、卒業生が第六階梯であるというのは素晴らしいことなのだ。
中には第六階梯の卒業生がいないところもあるのだから。
そう考えると古くはなくとも実績を持った学校と言えるだろう。
また、魔術という技術がある程度の恩恵をこの町にもたらしているところはある。
魔力を持たない普通の人間は魔術を使えないが、それでもここには様々なところに魔術と関わりのある場所があるのだ。
町の所々にある噴水を地下で繋ぐ水路。
これは学校の卒業生が作成した設計図を基に、魔力を動力源として水を循環させるというものだ。このときに使用する魔力は魔術師が供給するわけではない。当時の研究で大気中には微量の魔力が含まれていることが判明し、それを使用することで水路を動かしている。ちなみに、この魔力は循環式になっており、大気中で使われた魔力は、しばらくしたら自然と補完されるようになっている。その理屈はいまだにわかってはいないが。
また、水路だけでなく、町に無数にある街灯も魔術の恩恵を受けている。
水路と同じように、これらの街灯に贈られる電気は一か所から供給され、その電気を生み出すための魔力も大気中から吸収している。
他にも火を起こすための道具、音声を町中に流すスピーカーなど様々な魔術の恩恵がある。
ヴィクト王立学校が一番新しい学校ではあるが、このように町の生活に魔術を取り込む仕組みをいち早く確立したのは、このヴィクト王国なのだ。
それを考えると、この国は最先端の技術があると言える。
「へぇ、結構詳しいんだね」
レインの話を感心しながら聞いていたミネルバに、レインは呆れ気味に突っ込んだ。
「いや、一応君の方が知っておいた方がいいことだと思うけど」
「うぅぅ、返す言葉もない」
二人は今、休憩を兼ねての昼食のためにレストランに入った。
ミネルバは王女であるため高級レストランに入ろうとしていたのだが、それではレインの気が休まらないということで、頼まれごとをされている立場を利用してある程度落ち着くレストランにしてもらった。それでも、そこそこの所に入ったのはレインの譲歩だ。
今は注文した料理が来るのを待っている。
「だいたい、王女なのに町を知らない理由って、過保護過ぎない?ずっと馬車で送られてきたんでしょ?」
「他と比べようがないから何とも言えないわね。でも、過保護かどうかは置いておくとしてこうして見てみようっていう気になったんだから、あんまり言わなくてもいいんじゃない?」
「……それもそうだね」
今日一日でこの町を案内しろというのは難しいところで、隅々というのは考えるまでもなく無理である。であるから、要所を抑えていくやり方にしている。
とは言え、それはあくまで一国民であるレインの側から見た要所であり、王女であるミネルバには見なければならないところが山ほどあるのが現状だ。
本当は隅々まで見た方がいいに決まっているのだが、一度に全てを知ろうとするのは逆効果でしかないことは、情報収集を趣味としているレインには分かり切っていることだった。
「まぁ、興味を持つのが第一歩、ていう感じだね」
「なんか上から目線な気がする」
「実際、この国のことは君より知ってると思うんだけどなぁ」
「やっぱり、一歩目って大事よね」
反論のしようがない言葉に、ミネルバは観念して逃げを選択した。
その様子がおかしく、レインは笑った。
そうしている時、不意に思い出してレインが言った。
「そういえば、この前のことがまだだったね」
「この前?」
ミネルバは反射的に返すが、考えたらすぐに答えが出てきた。
「あぁ、あの決闘の時のことね。いいよ、お礼はしなくても」
「誰も礼を言うとは言ってないんだけど」
「あれ?でも、あれから風当たりが良くなったんじゃないの?」
ミネルバは先ほどの仕返しとでもいう感じで、不敵な笑みを浮かべ、レインも否定できなかった。
「……機会を作ってくれたことには感謝してる。あれがなかったら、こんなに早く対応が変わることもなかっただろうし」
「でしょでしょ」
「でも、それとこれとは別問題」
「え?」
何か嫌な予感がしたミネルバは顔を強張らせた。
「あそこで急に僕になすりつけるみたいなことは、常識的に考えてどうなのかなって思うんだけど。どう思う?」
「常識って……。常識外れの人が何言ってるんだって言いたくなるけど、たしかにそれは悪かったわね。謝るわ。ごめんなさい」
そう言って素直に頭を下げたミネルバに、レインはそれ以上言うことはなくそのまま許すことにした。そもそも、そのことはそこまで怒ってはいなかった。さっきもレインが言ったように感謝はしているのだから。腹が立っていないと言えばうそになるが。
ただ、こうやって謝ったのなら水に流すのが最善だろう。
ミネルバもそういうレインの空気を感じ、笑みを浮かべた。
「それはそうと、よくヘイダス先生に勝てたわね」
「おい。なら何で僕を戦わせた?」
「えっと……怒らないで聞いてほしいんだけど」
「言ってみて」
レインに促され、言葉を慎重に選ぶようにミネルバは言った。
「実は、レインの実力を見ておきたいと思ったのよ」
「そんな理由か……」
今度は怒りではなく呆れがきた。
しかし、心の中では水に流している以上、何も文句は言わない。
「でも、何で僕の実力を見ようと思ったんだ?」
「何となく、レインって強いような気がしたから」
「確証はないでしょ」
「でも、実際に強かった」
「結果論でしかない」
「予感が当たったのは事実だよ」
静かに繰り広げられる言い合いは、喧嘩とは違うが、妙に緊張感があった。
「じゃあ、何でそうまでして僕の実力を確かめたかったの?」
「レインのっていうよりは、同世代の魔術師の実力を、かな」
「だったら、僕みたいな欠陥魔術師じゃなくて、もっとちゃんとした奴にすればよかったのに」
同世代がどの程度なのかみたいのであれば、レインのようなイレギュラーな存在ではなく、もっとまともな魔術師の実力を見た方が参考になるに決まっている。レインのようなイレギュラーの戦いはあまり参考にはならないだろう。
しかし、ミネルバは返した。
「魔術師の世界は実力主義だよ。優秀な人よりも強い人の方が評価される。机の上で、管理されたシステムの中でしか力を出せない魔術師は、生き残ることができない」
ミネルバの発する言葉は強い言葉だった。
説得力というより、威圧感があった。
ミネルバの本音がそこに込められているがゆえに、強い言葉となっているのだろう。
「レインはそういう決められた枠の中じゃなくて、もっと広い世界で生きているような気がしたからね。初めて見た時そう思った」
「根拠もないのに?」
「女の勘は馬鹿にできないよ」
「ははっ。それはすごいね」
勘だけで何も根拠はなかったのに、それでもレインをあそこで戦わせたことが驚きだった。
「つまり、ミネルバは自分の見たいものを見るために僕を戦わせたのか。もしかして、あそこでヘイダス先生に食って掛かったのも計算の内?」
「いい機会だと思ったのは事実だけど、あの先生にイラついたのは嘘じゃないよ」
「そう。まぁ、今更事情を聞いても仕方のないことかもね」
「そう言ってくれると、こちらとしてはありがたいわ。ありがとう」
「別にいよ。……あぁ、最後に一つだけ。何で、同世代の実力が見たかったの?」
「それはね、私の将来の夢のために、いろいろ知っておこうと思って」
「将来?」
「そう。私の将来の夢はねー」
ミネルバはちゃんと座り直して、はっきりと言った。
「『王』になることなの」
その言葉に、レインは少なからず驚いた。
先ほどと同じ強い言葉で言ったそれは、先ほどとは違い、わかりやすい意味を持っていた。
「……『王』っていうのは、国の王様じゃなくて、魔術師の頂点ってことでいいのかな?」
「そうよ」
「君の魔術属性は確か火だから、『火の王』を目指しているってこと?」
「そうよ」
魔術師の頂点、『王』と呼ばれる第六階梯は誰もが憧れる存在である。
この『王』になるために、魔術師の道を進むと決めた者も数多くいる。
ミネルバはそんな中の一人なのだ。
しかし、ミネルバは他の同世代とは違うところがあった。
それは、彼女が首席入学しているということだ。
つまり、同世代の中では最も第六階梯に近く、その夢は夢物語で終わらない可能性もある。
「すごいね」
それが真っ先に出た言葉だった。
レインは別に『王』の称号を目指しているわけではない。こうして『王』に憧れる人に今まであっても、特に何も思わなかった。思うとしても、頑張れ、くらいのものだった。
しかし、レインは初めて『王』を目指す者をすごいと思った。
レインにそう思わせたのは、ミネルバの目だった。
その目は今まで会ったどの人よりも輝いていた。
「そんなにすごいかな?いろんな人がそう思っていると思うけど」
「けど、誰も彼もがミネルバと同じってわけじゃない。中には口先だけの奴もいるわけだし」
「そういう人は悲しいわね。夢は口にするだけじゃなく、ちゃんと目指さなくては意味がないのに」
「そうするだけの勇気がない人もいるんだよ。あるいは、ずっと夢に浸っていたいって人もね。人の考えは人それぞれだから」
「レインは『王』を目指さないの?」
「目指さないよ。僕の目指すものは、その先にあるから」
「先?どういうこと?」
「……今は黙ってようかな。教えるタイミングはこっちで測りたいし、タイミングを逃せば面白さ半減だろうし」
「どんな基準よ。でもまぁ、そう言うならそれでもいいわ」
「ありがとう」
この話はこれでおしまいという風に締め切ったところで、レインは視界の中でミネルバ以外も見えるようになった。
意識が完全に正面の彼女に向いていたのだろう。
今はそれが解けて、さっきまで見えていなかったものが見えた。
「それにしても、君の所の人も大変だね」
「ん?どういう意味?」
急にさっきまでとは違う軽い雰囲気で話すレインに、ミネルバは若干戸惑った。
「君が町を出歩くって聞いて、何もなかったのかってこと」
「特にはないけど」
「なるほど。そういうことか」
レインは一人で納得したようで、自分たちの席から少し離れたところに座っている二人組の男に軽く会釈した。
その二人は突然の行動に驚いたようにしていて何も返さなかったが、レインはそれでも良かったので気にせず体の向きを戻した。
突然のレインの行動にミネルバは疑問符を浮かべていた。
「あの人たちは、レインの知り合い?」
「いや、初対面」
「じゃあ、何で会釈をしたの?」
「さてね」
はぐらかす言い様にムッとなるミネルバだったが、何かを言う前に料理が運ばれてきてた。
「こちら、オムライスと蟹クリームドリアになります」
レインの前にオムライス、ミネルバの前にドリアが置かれ、ミネルバは完全にタイミングを逃してしまった。
一方、レインの方はようやくきた料理にワクワクしていた。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
早速オムライスを食べようとしたレインだったが、何を思ったのかふとテーブルから去っていくウェイトレスを見た。
そのウェイトレスはレインたちと同い年くらいの少女で、茶髪のショートヘア、そして青い瞳をしていた。
しかし、レインが気にしたのはその少女の姿でもなければ、素性でもない。
レインは自分の感じた違和感を精査して……結局オムライスを食べることにした。
レインがそのウェイトレスに視線を向けたのは一瞬で、ミネルバは気付いていなかった。