4話 講師VS生徒
アリーナには今二人の男が立っている。
片方は講師で第四階梯の魔術師のヘイダス。自信ありげに仁王立ちしているのが彼だ。
一方、緊張した趣を見せるのが、そのヘイダスの対戦相手、レインである。
講師と生徒の戦いという珍しい戦いに期待の目を向ける者は少なく、あっさりと勝負がついてしまうという確定した未来を予想して、がっかりとした表情をしているのが多い。
実際、主席であるミネルバとヘイダスの戦いだったら、皆の関心も集まっただろう。
しかし、そのミネルバが決闘をレインに任せた、というより押し付けたことに失望している者たちも多く、ミネルバの考えていることが理解できずにいた。
押し付けられた当人である、レインもその思惑がわからなかった。
ヘイダスも含めて、この場にいる全員が理解できないだろう。
ただ、今はそんなことは些細なことで、レインとヘイダスが決闘をすることになったのは事実であり、これから始まるのは間違いない。
「ふんっ、貴様のような奴に、この私が負けるわけがない。勝敗は始まる前から付いている」
苛立だし気に言うヘイダスに、レインは笑みを向けて同調した。
「ですよねぇ。僕もなぜこんなことになったのかがわかりません」
その飄々とした態度は、ヘイダスの苛立ちを増加させるばかりだった。
ヘイダスは何も言わないが、決闘に挑む前の態度としては覇気が感じられなさ過ぎた。やる気がないのかと言いたいほど。
いや。押し付けられたのだからやる気はなくてもいいのだが、第四階梯の魔術師を前にしてとる行動には思えず、ヘイダスはますます目の前の生徒を認めることができない。
「今回使えるのが<ショット>だけというのが残念だな。他にも使えたら、貴様に魔術属性についてたっぷりと享受させてあげられたのにな」
「そうですか。では、それは次の機会がありましたら、ぜひご享受していただきたいです」
「ふん。この決闘でお前もそんな悠長なことは言っていられなくなるぞ」
「そうですか?それはやってみないとわからないというものでしょう?」
「そんなことはわかり切っている。魔術属性を持たぬ欠陥に、本当の魔術師である私が負けるわけがない」
「そうですか」
これ以上言い返すとさらに長引く予感がし、レインはそこで押し込めた。
ヘイダスも言い返してこないのなら何も言わないのか、そこで黙り、審判役を務めるミリアムへと視線を向けた。
それに合わせてレインも向けると、ミリアムは変わらずおっとりとした表情をしていた。
もうここまで来るとすごいと思えて、レインは心の中で感心していた。
「それでは、ルールの確認です。決闘で使用できるのは無属性魔術の<ショット>のみ。それ以外の魔術の使用は禁止です。これに違反した場合、即座に反則負けとします」
ミリアムはレインたちの表情を見て了承を確認すると、ルールの説明を続けた。
「次に決着方法ですが、私が審判として判断させていただきます。また、生死に関わる重大な怪我を与える行為も禁止とします。これも違反がありましたら、即座に失格にします。以上でよろしいですね」
確認を取ると、レインが手をあげた。
「何でしょう?」
「魔術を使わない、素手による攻撃はありなんでしょうか?」
その発言にアリーナ中がどよめく。
それも当然だ。魔術師とは本来中遠距離において戦うものであり、素手による肉弾戦など割合がごくわずかなのだ。
一流の魔術師の中にはそういう接近戦と魔術を複合させて戦う者もいるが、レインは明らかにそうは見えない。
「貴様、まさか<ショット>という基本魔法が使えないと言うわけではあるまいな」
馬鹿にしたような言い方に、生徒たちも乗っかってアリーナ中に笑いが生まれる。
そんな周囲の様子に対して、ミリアムは真面目な表情で答える。
「一応<ショット>のみを使うことを想定しているので、肉弾戦はあまりよろしくないですね。どうしてもと言うのなら、許可しますが」
「……それならいいです。<ショット>による打ち合いだけで」
少し考えてから出した結論だが、周囲はその結論を馬鹿にするような声が巡る。
『おいおい、せっかくのチャンスなのにいいのかな?』
『魔術の打ち合いで勝てるわけねぇだろ』
『うわっ、馬鹿なの、あいつ?せっかく認めてもらえるところで、自分で拒否ってるし』
散々な言われようで、レインもため息をついた。
「それが確認できればこちらとしては他にはありません」
そう言ってヘイダスの方へ視線を向けると、そちらもレインと同じように頷いた。
「こちらも良い」
二人の了承を得ると、ミリエムは審判として二人に言った。
「それではお互い距離を取ってください」
お互い背を向けてしばらく歩いて止まる。
振り返って確認すると、およそ五十メートルほど離れているのがわかった。
その距離で十分と判断したミリアムは、両者に頷いて、声をあげた。
「それでは、試合開始!」
♢♢♢
試合開始の合図で、両者とも両手を前に出して呪文詠唱を始めた。
今回の決闘で使われる<ショット>は、簡単に言えば、魔術師の魔力を一点に集めて弾丸として放つ魔力弾だ。
この魔術は基本的に使用する魔力の量で威力が決まってくる。したがって、より多くの魔力を込めれば威力は上がるという単純な魔術なのだが、ただ多くを込めればいいという話ではない。
たとえば、その極大の一発を避けられる、あるいは防がれるといった事態になった場合、次の分を残していなければ確実に負けることは当然だ。
また、その一撃を撃つ前に攻撃されてしまえばそこで終わりなのも明白だ。
ゆえに、速さと威力のバランスを考えなければならない魔術で、これを主軸として戦うのは少し考えさせられるのである。
<ショット>の呪文詠唱は次の通りだ。
『我を力として・撃ち放て』
ただ、ヘイダスはそんな正直にやるつもりはなく、速さで追い込んでやろうと思っていた。
(速さで威力が落ちても、どうせ私の方が威力は上だ)
そんな自信を持っていた。
「『我を力として・撃ち』―」
レインの詠唱初めのタイミングで、ヘイダスは一言。
「『撃ち放て』!」
その言葉だけで魔術が起動し、<ショット>がレインへと迫る。
この程度の呪文短縮は学校の生徒でも難しくなく、大抵の者は<ショット>はヘイダスと同じように呪文短縮している。普通に唱えているレインの方が普通ではなくて、それを見る皆も呆れていた。
やはり、最初の一撃で決まってしまうのか、と。
「っ!」
しかし、呪文短縮してくることは予想しやすいことで、その早いタイミングに慌てることはなく、レインは自分に向かう魔力弾を体を少しずらすだけで躱す。
それにより<ショット>は後方の壁に当たり、呪文短縮しているとは思えないほどの威力を発揮して壁にぶつかった。
幸い壁が割れることはなかったが、それにも等しい音が響き、生徒たちの耳を撃つ。
本来呪文短縮するといくらか威力が落ちるもので、ここまでのものにはなりづらいが、やはり第四階梯ということで生徒たちは羨望の眼差しを送る。
それゆえに気付かなかった。
「『放て』」
そう言った瞬間、<ショット>が発動するまでその一言が呪文には思えなかった。
だが、驚いたとは言え、さすがに危機対処能力の高さでその場は回避した。
今度も壁にぶつかるが、ヘイダスの時のような音は響かなかった。
しかし、生徒たちの心を占めるのはそんながっかり感ではなく、驚きだった。
そして、ヘイダスも驚きの表情をレインに向けていた。
「貴様、今『放て』の一言で<ショット>を発動しなかったか?」
それが誰もが共通する疑問だった。
ヘイダスの使う『撃ち放て』以上に短縮した<ショット>は発動しないと言うのが常識だ。
しかし、今の<ショット。は威力はヘイダスに劣るとは言え、しっかりと魔術として発動していた。
「あんなに短縮して発動するなど、今まで聞いたこともないが」
そんな疑問に返ってきたのは、大それたことではなかった。
「それは先生が呪文が途中で終わったと思ったからですよ」
「は?」
レインはヘイダスの攻撃を避けるまで、<ショット>の呪文の『我を力として撃ち』まで詠唱していた。
そして、避けた後に詠唱を続けるように『放て』を言った。
これで『我を力として撃ち放て』となり、<ショット>の魔術をちゃんと全て呪文を詠唱して発動していることになる。
「からくりと呼べるものではないですよ」
その拍子抜けの結果に、生徒たちはがっかり感をあらわにしたが、相対するヘイダスはその異常さに勘付いた。
たとえ詠唱の間に少しの間が入っても、魔術を発動するための魔力を途切れさせずに集中していれば、確かに魔術は発動する。
しかし、先ほどその間の時にヘイダスの攻撃を避けている。それは呪文短縮を行ったとはいえ、相当な威力はあったはずだ。実際、生徒たちはヘイダスの<ショット>が壁にぶつかる音に驚いていた。
にもかかわらず、レインの方はその威力が近くを通っても狼狽えず、魔力を制御し続けていたのだ。
(一流の魔術師ならできるかもしれない。私でも<ショット>程度ならできる。しかし、まだ十代の魔術師の卵にできることではない)
普通でない様子に戸惑うヘイダスだったが、講師としてのプライドもあるのか無理やりに考えをねじ伏せて、目の前の相手を完封しきることにした。
いくら普通でないことができたとしても、レインが欠陥魔術師であることに変わりはない。
「『撃ち放て』」
ヘイダスは再び<ショット>を発動する。
しかし、それに対して今度はレインは魔術を使わず、<ショット>を躱して生身で接近する。
その行動に意表を突かれるが、それでもお互いの距離にある程度の隔たりがあるので、立て直すには十分だった。
ヘイダスは狙いを定めるように両手で照準を付け、<ショット>を発動する。
「『撃ち』―」
ヘイダスの魔術発動を感知したレインは、走りながら右手を前に出し、ヘイダスが唱え終わる前に一言。
「『放て』」
それだけで<ショット>が発動し、まだ発動もせず、至近距離ゆえに躱す時間もないヘイダスに直撃する。
「ぐあっ!」
しかも、それは先ほどヘイダス回避した一撃、さらにはヘイダスが放った<ショット>よりも強力な一撃だった。
両手を前に出していたがために咄嗟にかざした両手に魔術が当たり、価値をもぎ取れるほどではないが、それでもその威力でヘイダスは数メートル後ろに押しやられ、痺れる両手をさすっていた。
まさか講師が生徒に、しかも魔術師として欠陥のあるレインに一撃をもらうとは思っていなかった生徒たちは、戸惑いを隠せなかった。
しかし、ヘイダスの驚きは自分が攻撃をくらったこととは別の所にあった。
「貴様、何だ今のは?」
「ルール違反はしていませんよ。接近しただけで肉弾戦ではありませんし、使った魔術も間違いなく<ショット>です。これ以上の情報が必要ですか?」
「わかってて言っているだろう。なぜ貴様は『放て』の一言で<ショット>を発動できた!」
言われてみれば、というような雰囲気がアリーナに立ち込める。
ヘイダスが一撃をもらったことに意識が向いていた生徒たちは気付いていなかったようだ。
「私は今まで、そんな呪文短縮は聞いたことがないし、あんな威力が出せるなどとも知らない。一体、貴様は何をしたのだ!」
黙ってあまり狼狽えることもなく観戦していたミネルバも、今回のことは予想外で慌てていた。
誰もがそうだろう。
基本魔術である<ショット>は、もっとも研究されてきた魔術の一つと言える。そして、その研究の結果、現代では『撃ち放て』の呪文だけで発動するようになっている。
しかし、これ以上は今の技術レベルでは解明のしようがなく、これ以上短縮して発動できるようになるまではあと百年かかると言われているほどだ。
(それがこんな欠陥魔術師なんかが……)
ヘイダスは歯ぎしりをし、その表情を見たレインは冷ややかな目でヘイダスを見ていた。
「まるで、欠陥魔術師のくせに、とでも言いたげですね」
「……それもまた憶測だろう?」
「あぁ、別にいいですよ。ミネルバが拘ってくれてるから言いづらかったんですけど、僕は欠陥魔術師と言われることはあまり気にしてないんです。むしろ、欠陥魔術師だったからこそできたこともありますし」
「それが、先ほどの呪文短縮だと言うのか?」
「えっと、当たらずとも遠からず。いや、半分正解、ですかね」
「半分、だと?」
「そうです。半分です」
この決闘の最中に笑みを浮かべて返答するレインは、何てことないように言う。
「僕には魔術属性がありませんから、どうやっても無属性魔術しか使えないんですよね。ですから、僕はその無属性魔術を鍛えたんです。他の魔術師と渡り合うためには、今持つ武器を磨き上げるしかない。でも、無属性魔術はそのほとんどが誰でも使える基本魔術。優劣を決められるほどにするのは、並大抵の努力では無理です。ですが、それでも僕はその道を突き進むと決めたんです。そして、その結果がこれです」
レインは人差し指をピクリと動かす。
その動作が見えた者はいなかったが、次の現象は見えた。
レインの目の前に魔力が集まり、あろうことか無詠唱で<ショット>が発動していた。
しかも、その<ショット>は今までのように一つではなく、十を越える弾丸がヘイダスへと向けられている。
「なっ!?」
ヘイダスは何が起きているのか、頭の理解が追い付かない。
一つ一つを弾丸として放つ<ショット>は、本来複数同時に発射することは定義されていない。ゆえに、呪文詠唱をして発動したところで、連続で一つずつ発動はできても、複数を同時に発動はできないはずなのである。
そもそも人間の口で、複数の詠唱を同時にするなどできるはずもなく、一度に発動できる魔術も一つであるという原則にも当てはまる。
しかし、目の前で起きたことはその原則を打ち破るものだった。
いくら<ショット>という基本魔術でも、無詠唱で発動するなど前例はなく、ましてや、複数同時に発動するのもまた前代未聞である。
「僕の得意分野は、詠唱の短縮、あるいは無詠唱発動なんですよ」
「無詠唱、だと?」
「はい。とは言っても、何もせずに魔術発動できないのは当然です。いくら頭の中で詠唱しても、魔術が発動しないのは自明の理。ですが、僕はあることをして、詠唱と同じ効果を再現しているんですよ。それが何か、わかりますか?」
そう言われても、目の前で起きていることが常識を外れているので考えようもなく、ヘイダスは呆然とし、いつの間にかアリーナも静まり返っていた。
そんな様子を見て、レインは肩を竦めると答えた。
「答えは、体の動き、です」
「体の、動き、だと?」
「そうです」
レインは右手を前に出して、ヘイダスに説明する。
「僕は<ショット>を発動するとき、こう指先を少し動かしました」
そう言いながら、ヘイダスに見せるように指先を動かしたレインだったが、その動きは微かなものであり、意識してみなければ気付かないほどだった。
「僕にとってはこれが、普通の呪文詠唱や『放て』の短縮詠唱と同じ効果を持っているんです」
「だったら、何かの偶然で指が動いた時に<ショット>が発動してしまうのではないか?」
「そんなわけないじゃないですか。常識で考えてください」
このセリフを聞いた誰もが思っただろう。
『常識外れの人間が言うことじゃない』
そう思うのが当然だろう。
「誰でもわかることですよ。たとえ呪文を正確に詠唱しても、そこに魔力を込めなければ魔術は発動しないんです。それと同じですよ」
それは確かに納得できることだった。
レイン自身が言っていた。その体の動きは、呪文詠唱と同じ働きをしていると。ならば、呪文詠唱の常識がある程度反映されている。
しかし、それでもレインの異常性に対する考えが変わるわけではなく、むしろ理解すればするほど際立ってくる。
「それと魔術の複数夏同に関してですが……」
ここまで説明されれば、最後まで聞いてみたい。
そんな考えがその場にいる全員の頭を占めていた。
自分たちが欠陥魔術師と軽んじた者が、まさかこれほどとは思っておらず、衝撃的だった。その常識外れの人間がどんなことをしているのか、もっと聞きたいという欲求があった。
しかし。
「それに関しては秘密です」
ここまで教えておいて勿体付けるやり方に、周囲から不満の声が上がった。
かくいうミネルバも気になっていたので、ブーイングをしたいとさえ思った。
それでも、ヘイダスだけは冷静になっていた。
「なるほどな。自分に関することは極力教えないというのが、普通だからな。むしろ教えすぎているか」
「その通りです。どこから弱点になるかわかったもんじゃないんで」
「なら、なぜ無詠唱のからくりを教えた?」
「こんなのちょっと観察してれば、わかる人はわかりますからね」
「そうか」
「……それで、この状況でまだ決闘って続いているんですかね?」
この状況とは、レインの発動した十を越える<ショット>が、待機状態のままヘイダスに向けられているということだ。このまま発射すれば、間違いなくヘイダスが詠唱する前に攻撃でき、また、この数を躱しきるのも無理だろう。
それを見て、審判役であるミリアムが二人に近づく。
「この勝負、レイン=スーウェルトの勝ちとします」
決着は劇的ではなく、妙にあっさりとしたものだった。