3話 巻き込まれた
ようやくミネルバが平常運転に戻ったのは、講師の説明が始まった時とほぼ同じタイミングだった。
ゆえに、それ以上特に話すことはなく、そのまま講師の言葉に耳を傾けた。
担当する講師はⅠ組とⅣ組の担任講師の二人だ。
自己紹介で、Ⅳ組の講師の方はミリアム=ハーリオンという女性の講師であり、ヘイダスと同じく第四階梯であるとわかった。
そのスタイルは良く、両クラスの男子が熱い眼差しを送っているが、レインとしては何も思うところがなかった。
「さて、先に私の方から説明させてもらいます」
おっとりとした声でミリアムに、場が一気に静かになった。これが人気ということなのだろう。
「この学校が魔術師育成学校だというのは当然のようにわかっていると思いますが、実際にはどういうことをするのか、それを説明できる人は少ないでしょう。その説明を今からやるんですから」
その場にいるおよそ六十名が、ミリアムの次の言葉を待つ。
「この学校が魔術師の育成で行うのは、大きく分けて二つ。一つは、すでに始まっている座学による魔術に関する知識の習得。この知識というのはあらゆる魔術の基本の軸となるので、みなさんにはしっかりと学んでいただきたいものです」
続く二つ目は、少なくともレインは予想済みだった。他にも勘付いている生徒はいるみたいだが、アリーナという場所で説明していることからして予想できてもおかしくないことである。
「二つ目は、実践による実技の習得。せっかくの知識も、使えなければその効果は半減と言えるでしょう」
ミリアムの、使えなければ半減、という言葉であちらこちらから嘲笑が漏れる。
彼らの視線がどこを向いているのかは、見なくともレインに向いていることはわかり切っていた。
たしかに、魔術特性の無いレインは欠陥魔術師で、せっかく得た知識も無駄になると判断するのは当然のことだろう。それがわかっているため、レインは特に何かを言うつもりはないし、周囲の反応に気づいているミネルバも、出過ぎた真似はせず反論はしなかった。
「この実践というのは、あくまで知識を試すためのものであって、決して誰かと競うためのものではないと理解してもらいたいです。過去には友達同士で実際に戦って、大怪我を負ってしまうような事態に発展してしまったこともあるんです。幸いなことにその生徒は一命をとりとめましたが、皆さんはそのようなことをして魔術師としての品位を失わないようにしてください」
ミネルバの発言は訴えかけるものだったが、レインはそれを冷ややかな態度で聞いていた。
(品位、ねぇ。その言葉の定義によるけど、こうやって他人を虚仮にする奴らに、品位なんてものがあるのかは不思議だね。まぁ、他人のことは言えないけど)
変わらずレインの周囲の雰囲気は良くないばかりだった。
そのことに憤りを覚えることはないが、度が過ぎるとどうなるかはわからなかった。割り切っているとは言っても、限度があるからだ。
(その限度を越えなければいいけど)
そうやって他人に期待するレインだった。
「この二つのカリキュラムによって、皆さんを一人前の魔術師として育成していくわけです。ですが皆さん、一つ理解しておいていただきたいのは、皆さんはまだ魔術師と呼べるほどではないということです。皆さんはまだまだ卵からかえったばかりで、魔術師としては半人前以下です」
先ほどまでと同じおっとりとした声だったが、その声が発する言葉は厳しいものだった。
頭では理解しているつもりでも、実際に言われてみると何か来るものがあり、生徒それぞれが険しい表情をしていた。
「魔術を使う上で、皆さんには足りないものを自覚していただきたいのです。そして、どれか一つだけができていてもいけません。魔術師とはそれぞれの能力が平均以上であり、そしてどれか特筆すべきことがあって初めて一流と言えます。今第一線で活躍している方たちは皆がそういう存在なのです。私はまだその域には達してはいませんが、それでも言わせてもらいます。皆さんの中には、将来、第六階梯、すなわち『王』の座に就きたいと考えている人もいるでしょう。それ自体は構いません。しかし、それを成すのならば、もっとよく自分のことを知らなくてはいけません。自分の体のこと、自分の心のこと、自分の魔術のこと。それら全てを理解してください。それが高みに至る最低条件であり、その先にこそ高みがあるのですから」
なぜか途中から演説っぽくなっていたが、その言葉には説得力があり、納得できるものだったので、その場にいる全員が拍手をした。
それをするに値する話だった。
魔術師という在り方を教える立場である講師から、生徒たちへ送られる叱咤と激励。
それは心に来るものがあり、新しい日々の始まりにはもってこいの話だった。
拍手が止んでいく中、ミリアムと入れ替わりで生徒たちの前に立ったヘイダスは、こほん、と咳ばらいを一つしてから話し出した。
「ミリアム先生の話の直後でとても話しづらいことなのだが、私からは夏に行われる『全学魔術祭』についての説明をさせてもらおう」
ヘイダスの言葉で、先ほどまでのミリアムの話への感動とは違う熱が生徒たちの間で生まれていた。
『全学魔術祭』。
それはここヴィクト王立学校だけでなく、他国の魔術師育成学校を交えた、国家を超えての魔術による祭りなのだ。
しかし、祭りと言ってもそれは騒ぎ遊ぶ祭りとは意味合いが異なり、それぞれの学校から出場する生徒同士で戦い、その腕を競い合うというものだ。
この一大イベントは毎年夏に行われ、それは国家間において盛大な盛り上がりを見せる。
また、魔術師育成学校は全てが王立学校であるため、ある意味で出場する生徒たちは国家の威信を背負っていると言っても過言ではない。
優勝すればその者は将来を約束されたようなもので、またその者が所属する国も世間から評価を受けて、他国に対して一歩リードできるのだ。
そして、出場できる生徒はどの国も同じ数になっていて、不平等が起きないようになっている。
それゆえに、望んだものが必ず出場できるわけではなく、あくまで国に認められなければならないのだ。
そんな重い存在である選抜生徒になるのは無理でも、期待せずにはいられない生徒たちはヘイダスの言葉を待ってワクワクしているのだ。
この対応には慣れたもので、ヘイダスも慌てることなく説明した。
「この全学魔術祭において、参加する者は国を背負って他国の学校の生徒と競うことになる。それゆえに、参加者は厳正な審査の元で決められるが、残念ながら一年の時から参加できるものは少ない。主席は参加できる可能性は高いが、それ以下となると厳しいものがある。それは当然だ。二、三年は君たちよりも長くこの学校で魔術師になるべく学んでいるのだから。それでも、この中にはもしかしたら参加する者が出る可能性はないわけではないので、大まかに概要は説明しておく」
前置きを終えると、ヘイダスは静まる生徒たちに向けて説明を始める。
「この全学魔術祭は毎年出場条件が変わる。一人での出場だったり、チームでの出場だったりと。今年の出場条件は二人一組のペアであることだ。すなわち、タッグ戦ということになる」
早くもどう出ようかと相手を探す騒がしい生徒もいるが、達観して何もしない生徒もいる。
どちらの反応も正常なものだ。
この大会に出るだけでも国に認められた証になるのだ。盛り上がってしまうのもわかる。
しかし、自分には無理だろうと諦めている者もいるのは、仕方のないことだろう。文字通り、トップクラスの人たちが集まる大会に、自分なんかが出られるわけがないというのも理解できることだ。
「これから夏に入るまでの短い期間だが、どうしても出場したいと言うのであれば、ペアを見つけ。申請書を提出してもらう。そうしなければ審査の対象にもならんからな。理解していると思うが、この申請書を出す生徒は数多くいる。それぞれ審査していくのは実に大変なことだ。ゆえに、期限を過ぎたら提出不可なのはもちろんのこと、余計なことで手を煩わせるような真似を慎んでもらいたい。冷やかしも当然だ。そんなことに時間を割いている暇などないのだから。自分の実力を正確に把握し、この全学魔術祭に出場するに値すると判断した時にのみ、申請書を提出しろ。何度も言うが、暇ではないので余計に手を煩わせないことだ」
問答無用とでも言うような迫力だったので、前の方でそれを見ていた生徒たちは若干後ろに引いていた。
かくいうレインも、離れていても伝わる迫力に舌を巻いた。
(それほどまでに忙しいのか。まぁ、僕には関係が薄いかな)
そうあっさりと部外者になるレインだったが、ヘイダスが自分に向ける視線を見て、少なからずイラっと来た。
『お前のような無能はちょっかいを出すな』
そんなことを言ってそうだと思った。
「無能は手を出すな、とでも言ってそうね」
レインが思ったことそのままミネルバが口に出していた。
そのことに驚くレインだったが、隣にいるミネルバはどうにもレインに対して言ったようには見えなかった。
まさか、と思って前の方へ視線を戻すと。
(うわぁ、面倒くさい)
明らかにヘイダスの表情が引きつっていて、周囲の生徒もミネルバへ目を向けていた。
心の中で叫んでいるレインは、できれば無関係を装いたかったのだが、さすがに自分のことを言っているミネルバに失礼に思えるので、仕方なく諦めた。
「どう意味かな、ミネルバ君」
引きつった顔のままゆっくりと言葉を吐き出すヘイダスを、先ほどの説明の時に纏っていた覇気を越える怒気が包んでいた。
その場の誰もがヘイダスとミネルバから距離を取り、自然と二人の間にぽっかりと空間が空く。
もう一人の講師であるミリアムはにこにことその場を見守っていた。
(この状況をそのままにしておく神経がすごい)
離れようにもミネルバから距離を取って部外者面できないレインは、おっとりとしている担任講師に呆れ、抗えない面倒に直面する。
いや、面倒にまで発展する前に両者熱が引く可能性がないわけではないかもしれない。
(ないな)
自分で出した希望を速攻で砕いてしまったことを悔やみながらも、レインはミネルバ任せのこの状況に辟易としていた。
周囲が引いたおかげでできた空間を通してヘイダスの顔をしっかりと見たミネルバは、堂々と一歩前に出て発言した。
「さっきの表情、まるでレインを馬鹿にしているようだと言ったんです」
一応ですます調ではあるが、その声に含まれる怒気がそれを薄れさせ、明らかに喧嘩を売っていた。
対するヘイダスは講師という優位な立場から見下ろすように、こちらは隠すことのない感情をその目に込めていた。たとえ王女であっても、この学校の中では一生徒に過ぎないということだろう。
「そんな憶測、軽々しく言っていいものではないと思うがね。たとえ、君が王女でも主席でも、講師である私にそのような態度をとっていい理由にはならないだろう?」
「えぇ、そうですね。ただ、それは先生にも言えることではないでしょうか?」
「どういうことかね?」
「つまり、講師であっても生徒の尊厳を踏みにじるような行為は、慎むべきだということです」
「それを勝手な憶測と言っているのだよ」
「憶測ではありませんよ」
「はぁ?」
レインとしては残念ながらヘイダスの意見の方が一理あるように思えてしまうが、ミネルバの発言は驚きだった。あまり、ミネルバのことをよく知っているわけではないが、嘘をつくような人には思えないからである。
ヘイダスも意図が読めないようで、怪訝そうな顔をしている。
「憶測でないとなぜ言える?」
「学校中で言われてるじゃないですか。聞いたところによると、レインの魔術特性のことを言ったのは他ならぬヘイダス先生らしいですね」
「ぐっ……」
それには言い返すことができないのか、ヘイダスは言葉を詰まらせた。
(それをここで出すのか。僕としてはもうどうでもいいように思えてたけど)
実際、ヘイダスがばらしたことはさしたる問題ではなく、他の生徒たちがレインにすることが問題となるような気がしていたのだが、改めて考えてみるとミネルバの意見も納得できるものだった。
たしかに、ヘイダスのあの時の行為はレインの尊厳を踏みにじっていたたと言えるだろう。
だが、それを言われても、そう簡単に自分の非を認めるようなら最初からやっていないはずのヘイダスは返す。
「そうは言っても、先ほどのお前の言葉が憶測でないことの証明にはなっていない!」
そう、そこなのだ。
どう考えてもそれを証明することは不可能に近い。
なにせ、他人の考えを読むということは、あくまで呼んだ側の推測でしかなく、何人その推測が合致しようと本人が認めなければ証明にはならないのだ。
ゆえに、ヘイダスはずっと否定し続ければいいわけで、ミネルバが何を言おうとも動きそうにないのだ。
それがこの場にいる者の見解だった。
しかし、ミネルバはレインやヘイダスを含めたその場にいる全ての者の度肝を抜いた。
「なら、決闘というのはどうでしょう?」
生徒たちが驚きの声を上げ、ヘイダスは目を見開き、ミリアムもおっとりとした表情を崩し、レインも唖然とした。
生徒から講師への決闘の申し出。
過去に例がないわけではないが、ここまで喧嘩腰で講師に挑んだ決闘はないかもしれない。
「ふふふっ」
硬直から脱したヘイダスは、不気味な笑いを浮かべていた。
その様子に、周囲では恐ろしさを感じているほどだ。
いくら主席のミネルバであっても、現役の講師相手に決闘を挑むのは無茶であり、無謀だ。
魔術師の全六つある位の中で、第四階梯のヘイダスはそこら辺の魔術師とは違い、本物の強さを持っていると言っていい。普通の魔術師はそこに上がるまでに半生を使うと言われているため、その若さでそこにいるのは優秀な証である。
魔術師の位が与えられるのは基本的に魔術師育成学校を卒業した時で、現在ミネルバは位を持っていないが、それでも十分トップクラスの実力を持っている。
しかし、だからと言って現役の魔術師に勝てるかと言われれば難しいところで、ミリアムが言ったようにミネルバもまだ魔術師の卵であり、未熟なところが多々あるのだ。力の差は把握できないが、誰もが直感でミネルバの敗北を予期した。
「面白い。その決闘、受けてやろう。身の程を弁えることの重要性を教えてやる」
全身から魔力を放ってプレッシャーを与えるヘイダスに、ミネルバは真っ向から言い放った。
「決闘に負けた方が自分の非を認める、ということでいいですか?」
「あぁ、構わない。どうせ私が勝つのだからな」
自信満々の表情で言うヘイダスを見て、レインもミネルバの分が悪いことを察した。
(第四階梯は伊達じゃないか)
魔力もそうだが、覇気もすごく、正面に立つのも圧倒させられるほどだった。
実際、この状態のヘイダスの前に立てる生徒などなかなかいないだろう。
ましてや、学校に入ったばかりの一年にどうこうなるとも思えないのが生徒全員の見解だった。
そんな中で堂々としているミネルバに、尊敬すら込めた視線を食っているのが何人かいた。
「決闘は一対一で、使う魔術は自由、で構いませんか?」
「いいのか、ハンデを付けなくて?今なら受け付けるぞ」
「そうですか。では、魔術は無属性の基本魔法、<ショット>のみということで」
「一気に狭めたな。まぁいい。そういうシンプルなものこそ実力の差が出るというものだ」
もうやる気十分という感じのヘイダスに、ミネルバは最後に一つ付け加えた。
「それと、戦うのは私ではなく、この人です」
「いや、ちょっと待て」
即答で反論したのはレインである。
それは当然だ。
なにせ、ここまで場をかき回しといて最後は人任せとはどういうことなのだろう。
決闘をすると言った時もそうだったが、今度も誰もが唖然とした。
しかし、ミネルバが指差しているのはレインで間違いなく、その指がレインに嫌な現実を認識させる。
さっき逃げていれば良かったと、そう悔やむレインだった。