我が部屋の虫殿
私の部屋には、一匹の虫がいる。
なんとも言えない、どこにでもいそうで何の虫なのかは解らないのだが。
私が仕事から帰り部屋に戻ると、まるで「やあやあおかえり」とでも言わんばかりにまず、その姿を見せてくるのだ。
そうしてその虫は、私の前を通り過ぎ、見えなくなる。
見えなくなるというのは、消えてなくなるのではなく、物陰に潜んでしまい、見つけられなくなるのだ。
私からは見えないが、向こうからは「ようやっとおでましか、遅かったな」と、待ちわびていたに違いない。
私は部屋に戻ると、必ず電気をつけてすぐにパソコンを起動させるのだが。
このパソコンを起動させ、ゆったりとしたチェアーに腰かけると、また、物陰から虫が顔を出してくる。
こういう時の虫は、のんびりとした優雅な飛翔を見せ、華麗に私のデスクトップの画面を横切ってゆく。
綺麗な海を映している時も、鮮やかな夕陽を彩っている時も、虫は「そんな事知った事か」とでも言わんばかりに、横切ってゆくのだ。
まるでこのパソコンの前を横切るのが、彼にとってお決まりの散歩道であるかの如く。
パソコンでする事と言えば、インターネットを使って週末を楽しむ為の映画を調べたり、動画サイトで下らない動画を見て笑ったり、翌日の仕事が楽になるよう作業用のソフトを操作したりするのが私の日々ではあるが。
虫にとってのこの時間は、「いかにしてこの巨大なる隣人に、我が方を向かせてやろうか」とでも考えていそうなほど、画面の前を横切ったり、私の視界の隅を通りがかったり、キーボードの端っこへと降り立ったりしてくる。
気まぐれな猫でもここまで気まぐれな動きはすまいというくらいに、その小さな羽を羽ばたかせ、キラキラと鱗粉を舞い散らしながら、虫はその存在をアピールするのだ。
この虫は、なりこそ小さく弱々しいが、大変に私の機微に聡い。
鬱陶しくなって手で除けようとしても、手を動かした時には既にいなくなっている。
一度、忙しい時に画面前を飛ばれて「いい加減邪魔だ、潰してくれようか」と手を挙げた時などは、普段見せぬほどの必死の上昇飛行を以て、私の手の届かぬ高さまで逃げてしまったこともあった。
物陰などに潜まれれば私の手が届かぬのは解っているのか、パソコン画面のすぐ裏側や、本体に開いている小さな廃熱用の穴などにも入り込み、じっとしているのだ。
彼にしてみれば「今外に出ても痛い目に合うだけだ、この隣人殿の乱心が収まるまではゆったりと休んでいよう」という腹積もりなのかもしれない。
実際、そんな勘気はすぐに失せ、私はまたパソコン作業に集中するのだから。
私は一度、この虫について友人に話したことがある。
職場での友人で、子供のころからの付き合いのあるM君だ。
彼はとてものんきな性格で、そして物知りで、私と二人、よく馬鹿なことを話して遊んだりしていた。
この日も、「うなぎが高いから今年はサンマでいいか」「君、それではウがつかないじゃないか」と、下らない物言いをして笑いあったりした後であったが。
肝心の虫について話すと、M君は注意深く周囲を左右し、ふと、真面目な顔になったのだ。
そうして小声で、私に耳打ちする。
「君、それは本当にそこにいる虫なのかい?」と。
私は「もちろんだとも」と胸を張って言うのだが、M君は「本当にそうなのか、疑わしいな」と、半目になって肩をすぼめた。
彼がこういう仕草の時は、私をからかいにきている時である。
どうやら本気で取ってもらえていないらしいと解りながらも、「もしかして、私は幻覚でも見たのだろうか」と苦笑ながらに乗ってしまう。
私とM君というのは、どうしてもこのような感じになってしまいがちなのである。ある意味では難儀していた。
そうして私の返しを聞くや、嬉しそうに「いやいや」と手を振りながら、彼は腕を組んで笑うのだ。
「見た君自身が幻覚だなどと言うようでは、ますますもって怪しい。これは一度君の部屋で確認しなくてはいけないな」と、M君は困ったような素振りを見せながら、そんな事を言うのだ。
これには私も「なるほど、確かにそうかもしれない」と、そう思いそうになって「いやいやそれはおかしいだろう」と気づくのだが。
だが、気づきながらも私は、余計なことは言わず、「ああ、その方が手っ取り早いに違いない」と頷いて見せた。
こうして休日、M君は私の部屋に来たのだが、そんな時に限って、虫は私の前に姿を現さない。
まるで私の連れてきたM君が気に入らないとばかりに、拗ねてしまったように出てこなくなるのだ。
あるいは、本当に幻覚の類なのかもしれないと思えた。
残念ながら、M君が私の部屋にいる間、軽く見積もって六時間ほどは、その気配すら感じられなかった。
最も、虫の気配を探る事が出来たのは最初の一時間ほどで、残りの五時間は、天井ばかり見ていた気がするが。
M君が家に帰り、私が疲れてシャワーなど浴びて部屋に戻ると、また虫が私の前に現れるのだ。
湯上り不精で生乾きの髪の周りを、ふわふわと羽をばたつかせながら飛び、パソコンの置いてある机の上に止まる。
こういう時の虫は、私の方をじっと見て、不機嫌そうに触覚を動かしていた。
彼の気持ちを察するならば、「君の男の趣味は最悪だな」とでも思っているのではないだろうか。
彼にとっての私とは、ただの隣人ではないのか。あるいは恋人か何かのつもりなのかもしれない。
毎日顔を合わせるのだから、無理もない。
風呂上りの無防備な時にも、部屋で着替えて裸になる時もその様を見せるのだから、これはもう恋人と言ってさしつかえないかもしれない。
そんなだから、彼にとってこの時の私は、なんともふしだらな存在に映ったのではないか。
そんな風に考えると、掌で潰せてしまえる弱々しい命であっても、なんとなく、見逃してあげた方がいい気がしてしまう。
結局この時も私は、虫に乱暴を働くことなく、不機嫌そうな虫と、じ、と見つめ合っていた。
そうしている間に、虫の方から飛び立ち、どこぞへと消えてゆく。
どうやら私の浮気心は、彼に許されたらしい、と、ふ、と、笑みがこぼれたのを記憶している。
この虫は、一体どこから来たのだろうか、と思ったこともあった。
気が付けばそこにいて、そうして、死ぬ事なくずっと私の前に現れるのだ。
これはいよいよもって幻覚じみてきたと自分の正気を疑ったこともあるが、私は正しく正気であり、理性的で、そして真面目だった。
先程話したM君であっても、平素は「君は真面目過ぎるな」というくらいだから、それに関しては折り紙付きである。
その真面目なはずの私であっても、虫の存在はよく解らない。
最も付き合いの長いはずの私であっても解らないのだから、私以外の誰にも解るはずはないのだが。
ふと、気が向いた時、「この虫は一体何なのだろう?」と、虫の種類などを調べたりもしたのだが、今一検索方法が解らず、結局解らずじまいになった事があった。
それ以来、何の虫なのか気にはなるものの、解らないまま保留してしまっていた。
当の虫はと言えば「我は何々虫でござい」などとは語ってくれず、ただ触覚を動かすばかりである。
世の中、名乗らずにいればその者の名などは誰にもわかるモノではなく。
だからこそ名刺という文明の申し子が存在するのだが。
虫の世界には名刺と呼べるものは存在しないらしく、故に、何の虫かぱっと見で解らない彼は、まるで凡百に埋もれた名画の如く、何なのか解らないもののままであった。
虫は、私の機微に聡い。
仕事が早く明けて気分が軽い時などは颯爽と現れ、リズミカルに羽を揺らして私の指の前に降り立ったりもするが、私が恋に悩み、暗い気持ちになっている時などは、やはり空気を読んで、ひと際幾度も画面の前を飛び、その姿を目に触れさせようとしていた。
私はそんな小さな命を見て、わずかばかり心が癒されたような気もするのだが、同時に「虫なんかに癒されてバカバカしい」という気持ちにもなり、ふ、と、小さなことに悩んでいた自分に笑えてしまったりもする。
この虫に、もし名前を付けるとしたら何なのだろうか?
パソコンの前を飛ぶ虫。
私の仕事を邪魔する虫。
私が好きな人と結ばれている時は見えない虫。
好きな人が帰ってしまった途端に姿を見せる虫。
恋人面しながら、それでも私が傷つくと、慰めようとしてくれる虫。
何の虫なのか解らない虫。だけど、私にとってかけがえのない虫。
「おじゃま虫と名付けよう」
そう笑うと、虫殿はにやりと笑った。
「ならば君は、おじゃま虫に気に入られた虫だ」とばかりに。
そんな感じの笑みだった。
私の部屋には、今もおじゃま虫がいる。
何なのかよく解らない、だけれど、いつも私と一緒にいてくれる虫だった。