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フェンス

昭和40年代のたいていの団地の前にはフェンやスが作られていた。そのフェンスも例にもれず、海岸近くにある私の住む4階建ての市営住宅の入り口の横にあり、高さが2メートル、横は5メートルほどの金網のフェンスで、じめじめした湿気、濃い緑の苔が生えてやいる場所にあった。手を掻けるにはちょうど良い網目になっていた。


私は小学校から帰り、三階にある家のキッチンに置かれたお昼御飯をほうばると、すぐに階段を駆け降り、いつものようにそのフェンスの真ん中あたりにへばり付いた。私が小学校3年生から、6年生になる時まで、母親は近くの港にあるスーパーのパートで働いていた。帰りはいつも夕方7時頃、母親が戻るまでは、いつもフェンスにへばり付いて通りを行き交う車や人を眺めて時間をつぶしていたのだった。


6年生になっても、私は小学校の休み時間は友達と遊ぶこともなく一人窓から外をぼんやりと眺めていることが多かった。小学校に上がった頃から、目に入る影像を安定して受け入れることが難しくなってきていて、直接目から入る全体の影像が一つ一つのバーツに分解され、動き回るのだ。そんなことが、週に数回いつとも決まらす起こっていた。ある時、友達と昼休みドッチボールをしている時にそれが始まった。どうしようもなく、呆然と立ちつくす私をめがけてボールが勢いよく飛んできた。

「あぶない」友達の一人が大きな声で叫んだ。

私は飛んできたボールを全くよける事なく顔面で受けていた。目の前が真っ暗になった私は意識が遠ざかるのを感じていた。気がついたら、学校の保健室のベットの上だった。

「みんなが、君が急に変になって、目をつぶって、ぼーっと立っていたって、言ってたけど大丈夫」


「もう、大丈夫です、少し油断してました。」目に写る映像が分解したんで、とも言えず、保健室の先生には、差し障りのない返事をしてクラスに戻ったのだった。その事があって以来、私はあまり話をしなくなり、クラスの友達も私を気味悪がりドッチボールにさそうことはしなくなり、友人もいなくなっていった。

何度かの経験でそれが起こったら、しばらくギゅっと目をつぶっていると、目に写る映像はもといた場所に落ち着き、安定する事がわかってきた。数ヵ月たち対応の仕方を身に付けた私は普通の生活を送っていた。


団地の入り口にあるごくありふれたフェンスが私と未知なる外界、を繋ぐ境界だとわかったのは偶然だった。日曜日、母親が買い物に出かけたあと、3階から階段を降り、一階の出口に着いた時そのフェンスの上の方にカラスアゲハが漆黒の羽根をゆっくりと羽ばたかせてとまるのに気がついた。カラスアゲハは、私に気づいていないのか飛ぶ気配はない。私はフェンスにゆっくりと近づいて行った。もう少しで手が触れるという所で飛び立ったカラスアゲハをフェンスごしに見送ったその時、目に入る映像がかってに動き出したのだった。


久しぶりであったが、いつもの様に、ぎゅっと目を閉じて映像が安定するのを待った。数分がたち、目を恐る恐る開けてみた。いつものように、落ち着いている風景が見えるであろうことを当然のように考えていた私に信じられない風景が広がっていた。フェンス越しに見える映像がまったく見たこともないものだったのた。


そこには、フェンスの網目に写る一つ一つの映像が生きているかのように写し出され、はっきりとした物語を語っていた。

フェンスの面を区切る針金は、動き回る映像を固定し私に一つ一つの映像を確認させようとするように意識の安定感をとりもどさせた。


見たこともない風景、大きな波が港に襲いかかり逃げ惑う人々、団地を呑み込み跡形もなくしてしまう映像。脈絡なくそれぞれが未来に起こる何かを暗示してるかのようだった。それらの映像の中に、母親が写っている事に私は気づいた。他のものとは違いゆっくりと流れる時間、手にはスーパーの袋を持ち。中には夕食の食材だろうか、長ネギがはみ出ている。銭湯の角を曲がって、公園に向かう砂利道を団地に向かって歩いている。映像はそこで途切れた。と同時に他の映像も同時に消えてしまった。


私は力が抜けてその場に座り込んでしまった。見上げたフェンスは何事もなかったようにいつもの景色を写し出していた。


「どうしたの、そんな所にへたりこんだりして、あら、少し顔色が悪いんじゃない」母親はいつものように優しい声だった。一人っ子の私を、父親が三年前に病気で亡くなってからはひとりで育ててくれている母親。


母親を見上げた私は母親が持つスーパーの袋からはみ出す長ネギを見て驚きの声をあげた、

「そのスーパーの袋は・・・」


「スーパーの袋?それがどうしたの」母親は訝しげに言った。


「フェンスに写ってたんだよ。お母さんが歩いている所も、その袋も」私は、立ち上がって、フェンスを指差した。


「ここに、いっぱい変な景色が、ここに、」


「変な子ね、さあ、さあ、夕御飯だから。帰るわよ」母親は、私の手を握って団地の階段へ引っ張っていった。


その夜、私は夢を見た。私をフェンスが取り巻きどんどんと狭くなってくるのだ。四面に写る映像は何を写し出しているかも分からない、確かなことは私を捉えて離さないという強い力だけは、どんどん大きくなってくるのがはっきりとわかった。もうこれ以上小さくなれない「やめて!やめて!」自分の叫び声で目が覚めた。

シーツは汗でびっしょりとなり、体の震えはしばらくとまらなかった。


この出来事があってから、一週間は何事もなく過ぎ去った。いつ、起こるのだろうかとびくびくしながらも、目に入る映像が飛び回ることもなく過ごしていた、ただ、あれ以来団地の入り口にあるフェンスには近づかないようにしていたのだった。


またカラスアゲハだった。日曜日の朝、母親がパートに出かけた後、なにげなく窓から外を眺めていた私の目の前を、あの時と同じカラスアゲハが私を誘うようにゆらゆらと舞はじめた。

「どこから来たんだろう、あっちへ行け」怖くなった、私は震える声をあげ、カラスアゲハを大きく手で払った。


カラスアゲハは漆黒の羽根を羽ばたかせながら、ますます私の方へ近づいてきた。ばたばたと蝶の羽ばたく音が周囲の音を遮断して私を混乱に落し込んだ。


いつものように何も変わらない風景が見えることを願って目を閉じた。そおっと目を開いたと同時に体が宙に浮くのを感じた。

そして、意識が遠のいた。どれくらい時間が経ったのか分からないが、私は自身が全く違うものに変わってしまった事をすでに自覚していた。


「未来を垣間見た者は、その世界には留まれないのだ」どこからか低く重い声が頭のなかに鳴り響いた。


「未来、あれは未来だっんだ、あの大きく襲いかかる波が、逃げ惑う人々が」


私の姿が部屋にある鏡に写った。漆黒の羽根を持つカラスアゲハだった。カラスアゲハとなってしまった私は、団地の窓から外へでた。母親を探すため通りをまっすぐ港のスーパーに向かった。

スーパーのレジに母親の姿があった。


「お母さん、お母さん、逃げて、逃げて」私は、母親の頭の上を飛び回り続けた。声は母親に届くことはなく、レジの作業が忙しい母親は私を見ることはなかった。


私は、母親の回りを飛び続けた。力がなくなり羽根を羽ばたかせることはできなくなった。母親にこれから起こるであろうことが伝えることができないのなら、せめて、母親の近くでと、レジを打つ母親の前にある台の上にとまり静かに横たわった。母親に拾い上げられた私は、優しい手の中でこと切れた。


辺りには、ゴーという地鳴りが響き、遠くに波が大きなうねりをもって、この港にあるスーパーに向かって来るのが見えていた。


終わり




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