チョコレート・ミステリー
その甘さは口の中に広がり、後には少しのほろ苦さが残る。
俺は、チョコレートが嫌いだ。
今日は2月14日、バレンタインデーである。
が、残念ながら俺には縁の無いイベントだ。
少なくともこれまではそうだった。
ぶっちゃけいつもと何も変わらない日だ。
そしてバレンタインだからと言って学校が休みになるわけでもなく、いつも通りに通学中である。
街中はそうでもなかったが、高校の敷地内に一歩踏み入れるとまるで別世界の様だ。
視界の片隅では女子たちがどうやってチョコを渡すかを楽しそうに話している。
渡すチョコがドロッドロに溶ければいいのに。
また別の片隅では男子たちが誰にチョコをもらいたいかをはしゃぎながら話している。
もらったチョコにネジとか入ってればいいのに。
そんな女子も男子も浮かれきっている雰囲気の中を俺はいつもと変わらない気持ちで歩く。
別に悔しくなんかないし。
チョコなんて欲しくないし。
俺仏教徒だし。
リア充爆発しろ。
下駄箱に着き、上履きを取り出そうとした時、異物感がした。
「おろ?」
俺の下駄箱は一番上なので、背伸びをしないとしっかり奥まで見ることができない。
ゴミじゃないよね?
いじめ?だめ!絶対!
おそるおそる覗いてみると、ゴミではなく小さい箱だった。
…ゴミより怖ぇ。しかしよく見ると、手のひらサイズのその箱は丁寧に包装されていた。
リボンまで巻いてある。
…ひょっとしてこれは!
周りを確認し、箱を開ける。
中にはハート型の茶色い物体。
チョコレート来たぁぁぁ!
ひゃっほい!
浮かれたまま再度箱の中を確認する。
すると箱の中には他に何もなく、差出人の名前を示すものもない。
となると、だ。
俺は冷静さを取り戻した。
高確率でイタズラだな。
まったく、高校生にもなって幼稚なことをする奴もいたもんだ。
だが残念だったな!
俺は騙されないぞ!
ふはははは!
…はぁ。
朝からなんか疲れた。
上履きに履き替え、教室に向かう。見ると確かに、そんな感じだ。
教室に近くにつれ、浮かれた雰囲気も色濃くなっていった。
いつもと違う雰囲気の教室の中の、いつもと同じ自分の席に座る。
俺の席は窓際最後尾。
ぼっちの特等席だ。
クラスの中心メンバーはいつも通り教卓の周りにたむろっている。
俺の席には静かな空気が漂う。
俺はこの席が好きだ。
朝のホームルームが始まるまでの少しの時間、窓の外をボケッと眺めていると、不意に隣から挨拶が聞こえた。
「おはよ」
声の主は俺の隣の席の女子、矢島百華だった。
ポニーテールがよく似合う、活発な女子。
「おお、早いな」
俺と矢島は同じ部活に所属していて、腐れ縁的な関係である。
「朝練出てたから」
見ると、確かにそんな感じだ。
ワイシャツの胸元が開いていた。
まぁそれでも色気を感じない程慎ましやかだけどね。
何がとは言わないけど。
「それはごくろうさま」
ねぎらってやる。
「あんたも来なさいよ。まだ一回も来てないでしょ?」
「だって、朝練は自由参加じゃん」
うちの部活はゆるっゆるなのだ。
「だからこそ来なさいよ!」
「え、ちょっとよく分からない」
「だって、いつも私一人で練習してるし…」
「なんで俺がお前の練習につき合わなきゃならんのだ。だいたい、お前だってたまにしか出ないじゃん」
俺が出る必要性皆無じゃん。
「あんたが来るなら毎日出るわよ!」
「いや意味分かんねぇから…」
「うるさい!とにかく出るの!」
もう会話になってないよね、これ。
しょうがない、あれを使おう。
「分かったよ、可能な限り善処するように心がけてみるよ」
必殺!the玉虫色!
日本人の特技である。
「それ、出る気ないでしょ…」
あ、バレた。
「はぁ…。もういいわよ…」
矢島が諦めたようにため息をついた。
よし、なんとかなったぞ。
再び窓の外を眺めようとすると、矢島があ、と何かを思い出したように会話を続けた。
「そーいえばあんた、チョコは?」
「は?」
素直に何のことか分からなかった。
「だから、チョコ。下駄箱で見てたじゃん」
あぁ、すっかり忘れてた。
てか、見てたのかよ…。
「これだろ?イタズラだよ。手紙もなんも入ってないし」
そう言って箱をカバンから取り出して見せた。
「え!?うそ!?ちょっと見せて!」
そう言ってなぜか矢島は慌てて箱を俺から奪い、中を開けて確認した。
「ホントだ…」
これまたなぜか呆然としている矢島から箱を取り返しカバンにしまった。
「だろ?だから、イタズラだって」
するとバッと矢島がこっちを見た。
「絶対そんなことないって!入れ忘れたんだよきっと!女子の私が言うんだから間違いない!だから差出人誰なのか探しなよ!」
と、すごい剣幕で言われた。
そのあまりの迫力に、分かった、頑張ると思わず言ってしまった。
こいつなんなんだ…。
女子ってこんなに怖いものだっけ?
俺の知ってる女子と違う。
ふと、少し気になることを矢島に聞いてみた。
「そーいや、お前は誰かにチョコ作んないの?」
こいつも一様年頃の女子(?)だ。
色恋の一つや二つ有っても当然だろう。
「え?私はまぁ…。その…。」
なにやら歯切れが悪い。
なるほど、俺としたことが野暮なことを聞いてしまったようだ。
「あぁそっか。ごめんな。作れないか。」
瞬間、左アッパーが炸裂した。
「あんた、殺すわよ」
そこには女子ではなく悪鬼羅刹の類いがいた。
「すいませんでした…」
激痛の残るアゴを押さえながら謝る。
すると隣からため息が聞こえた。
どうやら本気で怒ってるわけではなさそうだ。
「とにかく、さっき私が言ったこと、忘れないでね?」
矢島がふてくされながら言う。
はて、なんだっけ?
俺が本気で悩んでいると、矢島は呆れたようにため息をつく。
そんなにため息ばっかついてると幸運が逃げてくぜ?
まぁ言うと殴られそうだから言わない。
「イタズラじゃないってこと。ちゃんと差出人探しなさい」
するとタイミングを計ったように担任が教室に入ってきて、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。
ホームルーム中、さっき矢島に言われたことを考える。
イタズラじゃないのなら、一体誰が?
心当たりまったく無いな。
親しい女子はほとんどいない。
部活の後輩からもらうのは毎年恒例行事だが、下駄箱に入れるなんてことはまずしない。
ダメだ、さっぱり分からん。
まだ痛いアゴをさすりながら俺は頭を悩ませた。
***********************
あっと言う間に昼休み。
結局心当たりは無いままだ。
一目惚れされる程の容姿でも性格でもないしなぁ。
とりあえず飯だ飯。
腹が減ってはなんちゃやらだぜ。
弁当を食べていると、話しかけられた。
「ちょっといいかな?」
ルーム長の吉井優美子だ。
theルーム長みたいな女子。
黒髪ロングの秀才美人。
そんな吉井が俺になんの用だろうか。
「なんだよ?」
「あ、うん。えっとね、放課後ちょっと用事があるから、教室に残っていてくれないかな?」
「あー、分かった」
「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」
吉井がニコッと笑って去っていった。
…これはひょっとして?
そしてあっという間に放課後。
吉井の一件があって授業が全く手につかなかった。
とうとう俺にも春が来たのかな?
放課後といえどまだ教室に人も多く居るだろう。
乙女というものは雰囲気を大事にしたがるからな。
もう少し、人がいなくなるのを待とう。
この辺の気遣い、紳士である。
15分ほどトイレの鏡の前で髪の毛を念入りにセットし、教室に戻る。
心臓が高鳴る。
そのせいで後ろから近づいてくる騒がしい足音に気付かなかった。
「やぁーっと見つけた!」
すさまじい衝撃と共に聞きなれた声が聞こえた。
「っごは!なにすんだ!」
振り返るとそこにはやはり矢島がいた。
どうやら少しご立腹のようだ。
「どこにいたのよ!放課後の部活ぐらいでなさいよ!」
これはちょうどいいかもしれない。
今日の部活には少し遅れることを伝えてもらおう。
「あー、その事だけどな…」
「言い訳なんて聞きたくないわ!早く行くわよ!」
「いや、だから…」
「ごちゃごちゃいわない!」
話を聞け!
「あ。そう言えばゆみっこが探してたわよ」
さらっと態度を変えてそんなことを言う矢島だった。
…こいつ、殴りたい。
「だから!今日は吉井に頼まれ事をされてるから、部活には遅れるんだよ!」
「そーなの?だったら早くそう言いなさいよねー。と言うかだったら早く行きなさいよ。女の子を待たせるなんて最低よ?」
「おまえが…!」
「ほら早くしなさい!」
堪らず文句の一つでも言ってやろうとしたがすかさず遮られてしまった。
しかし矢島の言うことも一理ある。
なるべく早く教室に向かおう。
歩き出して間もなく、矢島が呼び止めた。
なんだろうかと振り返ると矢島が笑顔で手を振っていた。
「部長には私が伝えておくから!なるべく早く来なさいよね!」
そうやっていつも笑顔でいればいいのに、なんて思ってしまった。
軽く手を振り返し、教室に向かった。
深呼吸をし、ドアを開ける。
吉井がこっちを向いた。
「あ、やっと来たー。探したのよ?」
そう言って腰に手を当ててむーっと怒った風にしている姿も、絵になっている。
「ああ、悪い。ちょっと矢島に捉まっていて」
「ふふ、相変わらず仲良しさんなのね」
あっさり笑顔になるところを見ると、どうやらさっき怒っていたのは演技だったらしい。
「そんなんじゃないって。腐れ縁みたいなもんだよ」
まぁ仲は悪くないだろうが。
今はそんなことはどうでもいいのだ。
「そんなことより、用事ってなんだよ?」
「あー、そうだね。そうだった。実はね、これを手伝って欲しいんだ。」
もちろん返事はOKです!
…ってあれ?
告白は?
見ると絶対に告白とは縁もゆかりもないような書類の山があった。
「…これは?」
「先生に急に頼まれちゃって。だから、あなたに手伝って欲しいの」
いやでも、まだチャンスはある!
きっと作業中に告白にパターンだ!
そうと分かれば善は急げ、だ。
「分かった、じゃあさっさとやろう」
作業開始から10分が経過した。
雑談は交わしているが一向に期待している様な話にならない。
痺れを切らして、こっちから話題をふることにした。
「そう言えば、なんで俺に頼んだんだ?」
「だって、副ルーム長でしょう?」
そうだった。
じゃんけんで負けたんだっけな。
でもこれまで、仕事をした覚えがない。
「でも俺、今まで仕事らしい事してなかったんだけど」
「だってあなた、いつも声をかける前にいなくなっているんだもの。」
そう言って吉井は苦笑いした。
…そうだったの?
俺としたことが!
こんなにおいしいイベントを逃していたとは!
それもこれも全部、いつも早く部活に来るように急かす矢島のせいだ!
「じゃあ今までずっと一人で?」
だとしたら由々しき事態だ。
「ううん。いつも春君が手伝ってくれてたから」
春君?
伊藤春か?
伊藤春。
顔も心もイケメン。
そのくせリア充組には属さない草食系イケメン。つまり俺の敵である。
ならばますます早くしないと。
イケメンに取られてしまう前に!
「吉井は誰かにチョコをあげたりしたのか?」
「あ、うん。」
「でもね、まだ気持ちは伝えてないんだ。自信がなくて…」
えへへ、と吉井は恥ずかしそうに紙で顔を隠した。
キター!!
「そんなことないだろ。吉井なら大丈夫。嫌な男子なんていない。男子の俺が言うんだから信じろ。」
だから安心して俺に愛の告白を!
「本当?」
吉井は心配そうにじっと俺を見つめる。
「絶対だ。」
強く念を押す。
「うん、ありがとう」
吉井がにこっと微笑む。
ミッションコンプリート!
「じゃあ、行ってくるね!」
…ん?
「え、どこに?」
俺は目の前にいますよ?
「春君のところ。あなたのおかげで勇気が出たの。本当にありがとう!」
そう言って吉井は駆け足で教室から出て行ってしまった。
…え、なにこの展開。
しかもこれ、残り俺一人でやれと?
目の前にはまだ半分も終わっていない書類の山があった。
イケメンは本当に俺の敵だ。
*****************
仕事を全部終えたらすっかり遅くなってしまった。
職員室に書類を届ける途中、吉井が満面の笑みで謝罪とお礼を述べて浮かれたテンションで去っていった。
どうやら上手くいったらしい。
リア充爆発しろ。
ものすごく疲れた。
そう言えば結局部活に行けなかったな。
明日矢島に問い詰められると思うと、余計に疲れが押し寄せてくる。
早く帰ろう。
下駄箱に行くと、人影が一つあった。
近づくと、向こうもこちらに気づいたようだ。
「あー!やっと来た!」
聞き覚えのある声。
マジかよ。
「こんな寒い中レディを待たせるんじゃないわよ!」
やはり矢島だった。
しかも大変ご立腹の様だ。
いや待っててくれなんて頼んでねぇし。
「なんでいるんだよ…」
「何よ、一人で寂しいだろうから待っていてあげたのに」
なんだよ、可愛いとこあんじゃん。
「さぁ、部活に来なかった言い訳を聞きましょうか?」
前言撤回。
やっぱり可愛くねぇ。
帰りながら、散々問い詰めてくる矢島に事の始終を話した。
「あはっ。珍しく良いことしたじゃない」
こいつは人の気も知らないで…。
「あ、それで分かったの?」
唐突に矢島が質問をしてきた。
「あ?なんのことだ?」
「だーかーらー、チョコの差出人。分かったの?」
ああ、吉井の一件があってすっかり忘れていた。
結局心当たりは外れ、やっぱりイタズラだったんだろう。
俺は最初から分かっていたから!
一秒たりとも期待とかしてないから!
「あー、やっぱりイタズラだわ。家に帰ったら捨てるわ」
「え!?捨てちゃうの!?」
なぜお前が驚いてんだ。
「だって、何が入ってるか分かったもんじゃないだろ?」
「失礼ね!変なものなんて入れてないわよ!」
矢島はそう言った後にはっと手で口を覆った。
ちょっと待てよ?
ってことは…。
「このチョコ、お前が?」
矢島は顔を真っ赤にした。
「そうよ!バカ!だから早く食べなさいよ!バカ!」
何回バカって言うんだ。
しかしこれは意外中の意外。
チョコを取り出す。
イタズラでは無いことは分かったが、これはこれで食べるのに勇気がいるな…。
「何よ?」
「いや、覚悟がまだ…」
「は!?いいから早く食べなさい!」
矢島は強引に俺からチョコを奪い俺の口に突っ込んだ。
「っおま!…旨い」
なんと普通に旨いチョコだった。
「当たり前でしょ?」
矢島は少し誇らしげだ。
「あぁ、正直意外だった。でもまぁ、ありがとな。は義理でも貰えて良かったわ」
すると矢島はムッとした表情で歩み寄ってきた。
「言っとくけど、それ義理じゃないから」
「え、それってどう言う…」
その言葉の真意を問う。
「言わせんな、バカ!」
ドンッと矢島のグーパンが胸に飛んできた。
少しの沈黙。
お互い見つめ合って3秒位だったのだろうか。
しかしはるかに長く感じた。
そして二人ともはっと顔を真っ赤にして背中を向けた。
顔が熱い。
口の中に残っているチョコの甘さが蕩けていくようだ。
何か言わないとと思っていると、矢島が振り返った。
その笑顔はまぶしく、さらに甘さが広がる様だった。
「お返しはもちろん3倍返しよね?」
一瞬呆気に取られたが、ようやく言うべき言葉が見つかった。
「期待に添えるかどうか分からんが、任せとけ」
その甘さは口の中に広がり、後には少しのほろ苦さが残る。
俺は、チョコレートが嫌いだ。
だけど、たまにはいいかもしれない。
一年に一回位は。
今日は2月14日、バレンタインデーである。