5.新しい出会い
この頃になると世界情勢が少しづつ落ち着かなくなってきた。もともと、この世界では日本、アメリカを中心とする太平洋陣営と、イギリス、ドイツを中心とする欧州陣営に別れ冷戦状態となっていたが、それがだんだんと実力行使へとシフトし始めたのである。
一ヶ月前にはドイツが通商破壊を急に激化させ、大西洋情勢が徐々に怪しくなっていった。アメリカの要請を受け、日本は艦隊を大西洋へと派遣。世界はいよいよ大戦を避けられなくなってきた――
タンタンタンタン…
軽やかなリズムのエンジン音を響かせ、内火艇が港から離れていく。
二人が乗る内火艇が向かう先は、駆逐艦 雪風。先日までインド洋で欧州軍の警戒に当たっていたが、第二艦隊のアメリカ派遣に伴う召集を受け、横須賀に帰投したのだ。
「あの船?」
「そう見たいですね。いくら駆逐艦とはいえ、近くで見ると大きい…」
全長118メートル、排水量2000トン超。最新鋭の陽炎型の8番艦である。甲板上では、水兵たちが忙しそうに駈けずり回っている。
「ねえ、林原君は大尉で私は少尉なのよね?じゃあ私は林原君って呼んじゃまずいのかしら。」
大谷が不安そうな目で林原を見つめる。
「い、いえ…プライベートなら普通に呼んでもらっていいですよ。」
顔を赤くして林原が答える。
「待っていたぞ、二人とも。」
舷梯を上がったところに、ヒゲを生やした少佐が立っていた。
「幹部候補生学校から来ました、林原 勇人大尉です。」
「同じく、大谷 美香少尉です。」
軽く礼をした。少佐がニヤッと笑う。
「堅くならなくていい。俺が艦長の岡野だ。」
ついてこい、と手で合図される。
「君たち二人の話は聞いているよ。満点での首席卒業に女でほぼ満点卒業だってね。」
艦内を歩きながら、岡野が話す。
「来てくれたのは嬉しいが、なぜこんなとこへ来たんだい?駆逐艦なんて狭いし、その上艦隊の雑用役みたいなもんだ。」
「戦艦は厳しいと聞いたもので…」
思わず本音が出てしまい、しまったと思った。
「ハハハ、駆逐艦は楽だぞォ。ワシら全員家族みたいなもんだからな。」
鉄拳が飛ぶと思っていたら、笑い飛ばされた。おかしな艦長だ。
「林原大尉…だったね。君はこっちだ。大谷少尉はそっちだ。二段ベッドだが、まあ好きな方を使ってくれ。」
まあゆっくりしていてくれ、また士官が集まったら自己紹介でもしてもらうから、と言い残し岡野はどこかへと行ってしまった。
「…大雑把な艦長だね。」
「…そうですね。」
二人はとりあえず、割り当てられた部屋で荷物整理をするしかなかった。
コンコン
昼間は林原と艦内散策をしたが、何しろ駆逐艦なので見るところが少ない。見るよりも艦内の将兵につかまっている時間の方が長かった。例の卒業試験の件は日本中を駆け巡ったらしく、艦内にいた水兵はもちろんのこと、上陸から帰ってきた二・三人にも同じようなことを言われる始末であった。
で、そうこうしている内に夜になった。割り当てられた部屋にいると、ノック音だ。
「はい、誰?」
ドアを開けると岡野がいた。
「突然すまないね。実は今日もう一人女が配属になって、この部屋に入れてもらいたいのだが、いいかな?」
「え?ええ…」
少し戸惑いながら、私の他にも女の子がいるんだ…と意外な展開に驚く。
「秋原二水。」
ドアの影から女性が姿を現した。自分と歳はほとんど変わらないように見える。
「よ、横須賀教育隊から来ました!あ、秋原二等水兵です!」
ガチガチで敬礼をする女の子。ちょっとおかしくなり、ふふっと笑ってしまった。
「大谷少尉よ。よろしくね。」
笑顔で返した。緊張が解けないせいか、秋原は視線が上へと向いている。
「艦長、後は私にお任せ下さい。少し緊張しているようですから。」
「そうか、なにぶん女だからよろしく頼むぞ。」
岡野は去っていった。大谷は改めて秋原を見た。
「…とりあえず、荷物は置きましょ。上のベッドを使っていいから!」
「はい!」
と、言った瞬間秋原は倒れこんでしまった。緊張で貧血を起こしたらしい。
「ちょっと、林原君。」
隣の部屋から林原を呼ぶ。
「はい?」
「冷たいタオル持ってきてくれない?理由は私の部屋来ればわかるから。」
「はい…」
よくわからず、林原がタオルを取りに駆けていく。大谷は部屋に戻るとベッドに横たわらせた秋原の様子を見た。
自分と同じ黒髪だが、こちらはバッサリと肩らへんで切ってある。首からは「安全祈祷」とお守りがかけてあった。
「先輩、持って来ましたよ。」
林原が白い濡れタオルを持ってきた。
「うん、ありがと。」
大谷はタオルをたたむと秋原の額にのせた。
「この人…どちらさんですか?」
いきなり登場した女性に、林原は驚いた様子だった。
「さっきここに配属されてきたの。緊張で貧血を起こしちゃったのね。」
「う…うううっ…」
秋原がうめき声をあげた。気がついたらしい。
「秋原二水。わかる?」
大谷が声をかける。顔色はさっきよりもだいぶ良くなった。
「秋原二水、聞こえる?」
もう一度大谷は声をかけた。秋原は目を開けた。
「…!?」
はっと身を起こす。二段ベッドゆえに高さがないので、頭を思い切りぶつけてしまった。
「あいたたたたた…」
額をおさえながら、こちらを見る。
「あ、え?」
大谷と林原は顔を見合わせた。ああそうか、林原は初めて見たんだ。
「大丈夫?この人は林原大尉。私の友達よ。」
安心させるために、大谷は林原を紹介した。林原が軽く会釈する。
「あ、そうですか…あ!じ、自分は横須賀教育隊から来ました、秋原二等水兵です!何卒、よろしくお願いします!」
大声を張り上げて自己紹介をする。緊張感からはまだ抜けていないようだ。
「とにかく、あなたはここで寝ていなさい。私と林原大尉はこれから用があるから。」
そういって、部屋から出た。夕食を食べなきゃ。
「改めて、呉の海軍幹部候補生学校から来ました林原大尉です。」
「同じく、大谷少尉です。」
士官がガンルームに集まり、自己紹介が始まった。
「いや~女の子とはまた新鮮だね。それも成績優秀と聞いたからどんなのかと思ったが…」
「考えていたよりもずっといいですね。」
士官がざわつく。それもそのはず、駆逐艦への女性士官配属はこれが初なのだ。
「小坂大尉、貴官の趣味は女を引っ掛けることかね?」
岡野がニヤリと笑って皮肉る。
「おっと…。私は、砲術長の小坂大尉だ。願います。」
「航海長の石野だ。よろしく。」
機関長、水雷長と続く。
「よし、ではさっそくだが本艦は明日よりアメリカに向けて出港する。」
一通り紹介が終わると、艦長が切り出した。
雪風所属の第二艦隊は、大西洋で活動している第一艦隊との交代として出撃する。日々強まっていく欧州の脅威に対してアメリカ海軍と共同で抑止にあたるためだ。いよいよ、二人の海軍軍人としての人生がスタートしつつあった。
「ありがとうございます、もう大丈夫です。」
部屋に戻ると、秋原が体を起こしていた。顔色はすっかり良くなっていた。
「よかった。あまり緊張しなくていいのよ。」
言いながら、大谷は私物を上のベッドへとのせた。いちいち上下交替するのは面倒だと思ったからだ。
「あっあの!」
「ん?なあに?」
「大谷少尉って、あの呉士官学校の大谷さんですか?」
「え?そうだけど…」
途端に秋原は目を輝かせた。
「凄いですね!あの難しい卒業試験で、しかも速成3ヶ月で296点なんて…」
「私はあなたが思ってるような凄い人物じゃないわ。ちょっと前まで普通の大学生よ。」
「え?大学生!?」
ああそうかと大谷は思った。この世界では大学と言えばエリート中のエリートだったっけ。
「私なんて…女学校をでたばかりですから…何も知らなくって。」
不安そうな秋原を目の前に、大谷は何も返せなかった。