1.大谷先輩
「寒い~」
女の子がとある部屋の中で厚着しながらストーブの前で震えている。その隣には、別の娘がストーブに手をかざしている。こちらは長袖にマフラー、下はなんとミニスカートだ。
「美香ちゃん、寒そうだね~」
「当たり前だよぉ…。ああもう!冬なんてやだぁ…」
ドアが開き、男子が二人入ってきた。
「…大谷先輩、ずいぶん寒そうですね?」
一年生の林原 勇人が声をかける。
「おー、林原君エライねえ~。今日もきたの?」
「ええ秋山先輩、こういう空気の方が僕は好きですから。」
照れくさそうに林原が答えた。
「こういう空気ってのは、ほとんど活動のない我がサークルの空気のことかい?」
「いや、西山先輩そういうわけじゃあ…」
メガネをかけた、いかにも偉そうな男子、西山 明弘があきれた様子で訊く。
「西山先輩、林原君をいじめないで下さい。」
「いや、私もいじめるつもりで言ったわけじゃないけど…」
大谷、大谷 美香が少し怒ったような顔で言う。あわてて西山は大谷をなだめた。顔に合わず、西山は意外にも後輩思いの心やさしき先輩だ。
ここは、新山情報大学。私大である。特に立派な大学ではなく、誰か著名人物を輩出したわけでもない。おまけに彼らのサークル、科学研究サークルは部員の8割が幽霊部員という大学屈指のサボリサークルである。
林原は、つい先日サークルに入ってきた。運動サークルに疲れ、半分逃げるためにやってきたのだ。もう半分は、いろんなサークルを覗いていたときに大谷が気になったからだ。ロングで黒髪の美少女、迷わずサークルへの加入を決めた。
「じゃあねー美香ちゃん。」
「うん、また明日。」
駅で西山先輩、秋山先輩と別れた。ほぼ毎日、4人いっしょに帰り駅で二人きりになる。駅から電車に乗って降りるまでの10分間は、林原にとってささやかな楽しみだった。
「でね、そいつ教授に目をつけられちゃってさー」
「あはは、それはやりすぎですね~。」
会話をはずませながら、改札を通る。しかし実際には、まともに目もあわせられないほど恥ずかしかった。
「あれ?ちょっと、大谷先輩。」
階段から駅のホームに降りて、林原は不審に思った。
「今日って、霧出てましたっけ?」
ホームから見える町並みが見えにくくなっていた。
「そう?でも霧なんかいつでも出るんじゃない?」
と言っている間に、霧は目に見えて濃くなっていった。
「え?え?、全然周りが見えない?」
「どうなってんのよ~…」
ついには1m先も見えなくなった。ようやく、林原は恐怖感を覚え始めた。
「林原君、こっち来て。とにかく屋内に戻りましょう。」
肩を抱えられ、階段に引っ張られる。
「は、はい。」
いきなり急接近したので、恥ずかしくて顔が赤くなった。
大谷は手と足で前方を探りながら、一歩ずつ進んでゆく。が、歩けど歩けど階段に当たらなかった。本来なら階段からわずか5m足らずの場所にかかわらず、だ。
霧がだんだん晴れ始めた。徐々に前が見えるようになっていった。が、
「え?ここは…?」
今足もとはコンクリート製のホームのはずだが、いつの間にか草が生えている。最近改修したホームだから、間違っても草は生えてはいなかったはずだ。
「離れないで。」
小声で大谷が言う。先輩として、何とかしなければと思っているようだ。林原は小さく頷いた。肩を抱えられながら、一歩一歩進んでゆく。
霧はだいぶ晴れてきた。見えてきたのは…
「???」
建物が見えてきた。暗いのでよくわからないが、4階くらいだろうか?しかしとにかく古そうなデザインの建物だ。
「誰だ!」
後ろからいきなり声がした。振り向いてびっくりした。軍服姿の…高校生で日本史の教科書に出てきた軍人にそっくりの人物。そして、向けられていたのは…
「鉄砲!?」
晴れ始めた霧の中から、次々と現れる。
「見慣れぬ服装だな?なぜ基地内にいる?」
基地?ここは陸上自衛隊の基地内なのか?もう霧はほとんど晴れかかっている。周りには同じような建物がいくつも並んでいた。
「よし!連行しろ!」
状況が飲み込めず、必死に回答を探している間に数人の自衛官らしき人物に抱えられ、建物内に連れ込まれた。
「離してよっ!」
大谷が懸命に抵抗する。
「動くな!」
怒号が飛ぶ。同時にゴッと鈍い音がし、大谷の声が聞こえなくなった。男たちの隙間から、ガックリとうなだれた大谷が見える。
「先輩っ!」
そう叫ぶと同時に、林原の首を何かが思いっきり打った。途端に、意識がとんでいった。
「…じょうぶ?ねえ、大丈夫!?」
体を激しく揺すられ、林原は気を取り戻した。首に激痛が走り、思わず顔をしかめる。
「うう…」
首をさすりながら体を起こす。どこだかわからない。薄暗い。
「林原君っ」
「あ…、大谷先輩…」
そこでようやく、大谷が泣きそうな顔でこちらを向いているのがわかった。
「せ、先輩、僕は大丈夫ですよ。先輩は大丈夫なんですか。」
「…。」
あー、泣いてしまった。ひっくひっく、と嗚咽が聞こえる。
「ごめ…せんぱいなの…に…なんにも…できなくって…」
顔をあげることなく泣きじゃくる。林原は、大谷の初めて見た一面を前にどうしていいかわからなかった。
ガチャン!
不意にドアが開く音がした。鉄のドアだ。背中から、光が漏れてきたのがわかった。
「来い。二人共だ。」
軍服姿の男が短く言った。
「先輩、立って下さい。」
大谷の腕を掴み、林原は立ち上がった。よろけ気味の大谷を支え、軍服姿の男についてゆく。
「ここへ入れ。」
木のドアが前にあった。ドアノブを回し、ゆっくりと開ける。大学教授の部屋のような狭い部屋だ。
机に一人の男が背中を向けて座っていた。軍服姿ではなく、ごく普通の私服だ。
「矢野さん、お連れしました。」
軍服姿の男は、丁寧に言い敬礼した。
「ありがとう。外してくれ。」
男が振り向いて返答した。メガネをかけた、やさしそうな男だった。30代後半…だろうか。
軍服姿の男はもう一度敬礼をすると、ドアを閉めた。
「さて…、適当に座ってくれていい。」
矢野と呼ばれた男がやさしく言った。林原は、近くの椅子にうつむいたままの大谷を座らせる。
「まずは…手荒い歓待を受けたようだが、体の方は大丈夫かね?」
林原が積み上げてあった本に腰掛けるのを確認し、矢野は喋り始めた。
「はい、僕は大丈夫ですが…」
と言いつつ、大谷の方をチラリと見た。
「大谷美香…さんだったね。少し横になるかい?」
少しの沈黙の後、大谷はゆっくりと顔をあげた。
「…もう、大丈夫です。」
頬には目から伝って流れ落ちた涙のあとが残っていた。目は真っ赤だ。
「泣いただけですから。」
必死に笑顔を作っている大谷を見て、林原は切なくなった。
「わかった。君たちには話さなくちゃいけないことが山ほどあるからね。」
矢野は立ち上がり、後ろの戸棚をまさぐった。
「あ、あの…なんで先輩の…大谷先輩の名前をご存知なんですか?」
はっと思い、林原は思わず訊いてみた。
「君たちの持ち物を見せてもらってね。学生証を見せてもらったよ。勝手に見てすまない、もう返さなくちゃね。」
戸棚をまさぐるのをやめ、机の上にあった。布袋を林原に渡した。開けてみると、携帯やかばんが入っていた。
「そうだ、自己紹介がまだだったね。私はこの研究室の室長の矢野 雅史です。研究室と言っても、私一人しかいないけどね。」
頭をかきながら、照れくさそうに言った。
「新山情報大学、一年生の林原 勇人です。」
「同大学二年生の大谷 美香です。」
矢野は笑顔で返すと、まさぐっていた戸棚から大量の書類らしきものを取り出してきた。
「呼吸を整えて。今からとんでもないことを話すから。これから話すことは全部現実、本当のことだ。衝撃的かもしれないけど、ちゃんと聞いて。…わかったね?」
「はい…」
「わかりました。」
二人の返事を聞くと、矢野は話し始めた。