4:記憶の消滅
もし、こんなにイリを好きにならなければ、俺はこんなに苦しまなかったのに。
病院の白い壁に、微かにつたうツルを見つめて、俺は溜め息をついた。ツルはイリの病室まで届いていた。まるで、眠り姫を外敵から守り王子の訪れを待つ城の外壁のようだった。
わからない。昨日の違和感は、結局なんだったんだろう。
「イリ〜…」
「…おはよう」
「あ、ぉおはよう!」
「何焦ってるの?」
こんなときに、いつもはクスクスと笑っているはずのイリは、静かにふんわりと笑って俺から視線を外した。
「なぁ…」
「ん?」
落ち着き払ったイリは笑顔で、また振り向いた。あまり長くない髪が風もないのになびいた。ベッドの白が顔に光を呼び込み、きららかな微笑みがあまりに自然な女らしさで、あまりにイリらしくない不自然さで、一瞬ドキリとした。
「あ、あの…前に言ってたコサージュって、どんなやつ?」
「コサージュ?」
「ほら、店の中で言ってたじゃん、最後の一個のコサージュ」
「…?」
もしかして、覚えていないのだろうか。何のことだかわからないとでも言いたそうに、微かに首を傾げて考え込んでしまった。
「…ぁ…えっと…」
何も言えなかった。
何がどうなったのかわからない。イリに何があったのかわからない。
この日を境に、俺の知っているイリは消えた。