何がなんでも首ったけ
馬車は嫌い――――彼の方がそう仰ったから。
スゥノの街にある高級酒場『白蠍亭』の二階、奥まった一室では人目を忍んで集まった四人の男達が静かに語りあっていた。
東の大国タスルの宰相を務めながらも歳若くして隠居生活を送る亀相のセオナ、南国アザリ王の従兄弟であり将軍も務める黒き犬相のガラド、大陸の中央にありタスルと勢力を均するルター国外相は鰐相のゴストー、そしてこのスゥノで最も高級な娼館琥珀熊亭を商う熊相のグルンである。
軽食として用意された食事は粗方済み、今はそれぞれがグラスに注いだワインを傾けている。
「先日、彼のお方の興味を惹けないものかと観劇にお誘いしたのだが駄目であった」
セオナがグラスを揺らしながら溜息混じりに零し、それを拾ったゴストーが返す。
「それはもしや『白鷺の羽』一座がやっていた演目であろうか」
「さよう。もしや貴殿も彼のお方をお誘いになられたのか」
「うむ。巷で人気のある一座と聞きましてな。しかし、貴殿と同じように断られてしまった」
互いに断れることは承知で万が一の可能性に賭けてはみたものの、やはり結果は芳しくなかった。
「さようであったか。…………ところで、叶うならばぜひ彼の方へお願い申し上げたいことがあるのだ」
「ほほう。彼の方へ願い事を申し出る気か?」
「我ら僕が願い出るなど過ぎた事は承知しておる。もし、叶うことならばと言うておりましょう。今のままでは到底叶えられることではございませんがな」
鰐特有の鋭い牙を覗かせて揶揄交じりに笑うゴストーへ、柔和な面立ちをしたセオナが緩く頭を振りながら答える。
「貴殿がそのように仰るとは気になりますな。どのような願いか伺っても?」
「我が国へ一度だけでも良いのでお越し頂きたいと思っている」
「それは……また……何と申し上げればよいのやら」
セオナの言葉に唖然とした様子で目を見開いたゴストーは、同情と共感の篭った眼差しを向けつつ言葉を濁す。
「彼のお方の馬車嫌いでは到底願い出ることもできぬ有様ではあるがな」
「馬車を利用するたびにろくな目に合わぬと以前零しておりましたし、馬車の座り心地も悪いからと。それだけの理由で彼女は外へ出たがりません」
セオナとゴストーの切なげな遣り取りに、娼館亭主のグルンが笑いながら口を挟む。
「確かに彼のお方の柔らかな体を思えば、馬車の座席は苦痛以外の何物でもなかろうよ」
「……貴殿、彼のお方に触れることを許されたのか」
「以前、我が背に彼のお方がお座り下さった」
胡乱な眼差しを向けてくるゴストーへ、セオナは得意げな笑みで答える。
「羨ましいかぎりだ」
忌々しげにぼやいたゴストーがグラスを一気に呷るとグルンは透かさずワインを注ぎ足した。
自国においては当然ながら、他国にまで名が知れる三方が顔を合わせた席に下手な給仕をつけるわけにはいかないため、こうしてグルンが給仕の代わりも務めているのである。
「まぁ、そうぼやかれますな。実は貴殿に相談がございましてな。貴殿にとっても悪い話ではないと思うのだがいかがだろうか」
「ほぉ? まずはその相談を聞いてから判断いたそうか」
「先も申したが、是非とも彼のお方には我が国へお越しいただきたいと思っておる。しかし、ご存知の通り彼のお方は馬車を嫌うておられる。そこで…………」
セオナは言葉を切ると薄い笑みを浮かべたまま黙している隻眼を装うガラドへと目を向けた。
「アザリで作っておられる馬車があれば、彼のお方も我が国まで赴いてくれるのではなかろうかと思っておるのだが。ガラド殿、一つご協力をいただけないだろうか」
「妙に近辺を嗅ぎ回っている者がいると思ったが、やはり貴殿の手の者であったか」
静かにワインを飲んでいたガラドは一つ息を漏らすように笑うと、ついと伏せていた視線を上げてセオナを見る。
「やはり気付かれておったか。腕の良い技巧師を集めておられたから、また何か企んでおるやもと思いましてな。聞けば、色々と馬車を作らせているそうではないか」
悪びれなく答えるセオナにガラドは犬歯を覗かせて笑みを漏らした。
「馬車の乗り心地が良ければ多少の遠出はお誘いできるかと思いましてね」
「ふんっ。遠出とは貴殿の国までのことを仰られるのか」
飄々と答えるガラドへゴストーが胡乱な眼差しを向けて絡む傍らで、グルンが慌てて割り込む。
「お、お待ち下さい。彼女はまだ我が館で世話をする者ですぞ。勝手に連れ去られては困ります」
「元は我が国、そなたの弟がやっていた館におられたのだ。弟の館が元に戻れば問題はなかろう?」
「そうは仰いますが、既にアザリの館は畳みましたので……」
「館再建の出資はしよう。許可はいつでも出せる。彼のお方が背負われているものも払えば文句はあるまい?」
「そ、それは……」
羽振りが良いとはいえグルンは庶民でありガラドは王族である。
獰猛な笑みを浮かべながら畳み掛けられては否とは言えない。
しかし、獣相の少ない『人間』は希少であり、『人間』を世話しているだけでも館に箔はつく。
ましてや彼女は獣相を持たない更に稀な生粋とも言える『純人間』であり、例え買えずとも彼女見たさに館へ訪れる者は後を絶たないのだ。
アザリの戦火を逃れ、このスゥノへ逃げ延びて来たときもガラドの一言で通常の客は取らせていない。
再びアザリへ戻してしまえば折角増えた客足が減ってしまう。
目まぐるしく損得を数えるグルンは言葉に窮し狼狽えるばかりであった。
「彼のお方が背負われているものならば私が支払いましょう。さすれば我が国へお越し頂いても問題はないはずだ」
ガラドを牽制するように太い腕を見せ付けてゴストーが身を乗り出す。
「まぁまぁ、ゴストー殿。少し落ち着きくだされ。そこで私からの相談と申しますか提案なのですが、アザリとルターの国境近くにある我が領土に空いた館がございましてな、現在手を入れておりますが、一つその館へ彼のお方にお越しいただけないかと思っているのですよ」
その表情から異を唱えようとするゴストーに先じ、セオナが掌を見せて遮る。
「確かに我が領土ではありますが、シンフの街であればアザリの王都、ルターの王都、我がタスルの王都、どこからでもほぼ同じ距離といえましょう。ルターからスゥノへ出向くよりかはシンフに赴いた方が近い。今回こうして皆様に集まっていただいたのはこの話をするためでしてな。いかがだろうか。ゴストー殿は彼のお方が背負われているものを支払われ、スゥノからシンフへ続くルター領内の道を整備される。私はシンフまでの道を整備し、館と彼のお方のお世話をしお守りする者を揃えましょう。そして、ガラド殿には件の馬車を用意していただきたい。皆様にとって悪い話ではございませんでしょう?」
勿論、アザリからスゥノへ向かうよりかはシンフへ向かう方が距離は短い。
元々、この席で話題となっている者はガラドとの馴染みが一番深く、彼が望めばあるいはアザリに戻ることを承諾するかもしれない。
いや、馬車の乗り心地にさえ満足してしまえば承諾する可能性は非常に高い。
奸智に長けると噂のあるガラドの元へ戻ってしまえば、何かしらの策を講じて密かに隠してしまわないとも言い切れない。
アザリが未だ戦火燻る今だからこその提案である。
「確かに悪い話ではないが……特別良い話でもないな」
口角を釣り上げたガラドは挑戦的な眼差しをセオナに向けた。
「ワルト国への牽制……はいかがかな? ワルトとの間にある我が国がアザリにつけばそう簡単に手も出せますまい?」
驕りとも思える言葉を返すセオナではあるが、それだけの力を持った大国ゆえの言葉でもある。
ガラドが是と答えれば秘密裏ながらも条約は結ばれ、今は収束を迎えつつあるが先日まで殺りあっていたワルト国が再び攻め入った際にはタスルが軍を出す。
けっしてガラドにとっては悪くない話である。
「…………王は、今回の戦による賠償としてワルトの金鉱を望んでおられる」
互いに探り合うように見合っていたガラドとセオナであったが、溜息を零したのはセオナだった。
「まったく……噂どおりの方ですな。善処いたしましょう。しかし、それでは我等が聊か不利益だ。今、改良を進めている馬車の技術を教えて頂く。これならばいかがですかな?」
「承知した。……しかし、そこまで調べ上げていたとはな。見逃さずに殺っておくべきだったか」
「ご冗談を。貴殿のお蔭で何人使い物にならなくなったことか。では――」
「ああ、タルス王には宜しくお伝えして欲しい。……そうそう、ワルトにはもう一つ大きな金鉱があるそうだ」
セオナが懐から取り出した牛皮紙にそれぞれがサインをし、交換を済ませる傍らガラドが呟く。
「やれやれ。貴殿が生きている間はアザリへ手を出さないよう王へ進言しておきましょう」
「貴殿こそ、コレを見越して持ち込んだ話であろうが。慧敏と言われるだけのことはある」
コレ、と揺らして見せた牛皮紙を懐へとしまうガラドのからかいには、セオナはただ肩を竦めただけであった。
「さて、ガラド殿は承知いただけたがゴストー殿はいかがであろうか」
「いかがも何も我が国への利益が少ないではないか」
それまで黙っていたゴストーではあったが、セオナに水を向けられれば釈然としない様子で答える。
「確かに。ガラド殿が手がけている馬車はかなり良い物だそうで……ゴストー殿にも詳しくお話いただけますかな?」
「俺が話さずとも内情はとくとご存知なようではあるが? まぁ、いい。馬車については以前彼のお方から良い話を聞いてな、その話を元に車輪を太く厚い物へと変え、車輪の回りにはシーチュを均等に巻きつけることで衝動を和らげることにしてみた。まだ改良の余地はあるが、従来の車輪に比べ格段に性能は上がった。また、座席の部分も改良を加え座り心地も良くなっている。試作は出来上がったので近々彼のお方へ試していただくようお願いするつもりだ」
セオナに促され呆れた表情を浮かべたガラドであったが渋る素振りも見せずに説明をしてみせた。
物資が乏しく他国から輸入に頼ることの多いアザリではあるが、自国で開発した技術を他国に売りつけることでは大陸随一である。
その技術を活かした軍事力を軽んじたのが、先の戦争で負けたワルト国だ。
一方、話を聞いたゴストーは聊か驚きの表情を浮かべて言いよどむ。
「シーチュか……しかし、それは……」
「承知の通りシーチュをただ巻き付けただけでは直ぐに磨耗してしまう。そこを改良し、スゥノからアザリへ行くまでは持ち堪えられる代物となった」
「なんと……」
「ルター国で採れる鉄を融通していただきたい。で、いかがだろうか。もう少し改良を進めたいところではあるが、彼のお方に試していただいた後であれば試作をルター王へ献上しても構わぬ。ルター王が気に入れば道の整備の言い訳も立って容易く手がけられるであろう?」
「っ! 貴殿ら! まさかグルではあるまいなっ!」
したり顔のガラドにゴストーは思わず声を上げるが、異口同音に否と答える二人は返って胡散臭い。
何もかもがお膳立てされた話なため、素直に頷きがたいものはあるがゴストー、引いてはルダー国にとっても悪い話ではない。
アザリは資源に乏しいためか野心溢れる国でもある。
今回の戦に関してもワルト国が軍を動かすよう仕向けたという噂が真しやかに流れているほどだ。
ここは下手に断るよりも乗った方が良いとゴストーは判断する。
それに、自分だけが彼の方に関してのけ者にされるのは面白くない。
「否と言える状況ではありませんな。飲みましょう」
「では、改めて特使をルター国へ送りますので宜しく頼みます」
こうして三国の中枢に立つ者達が密約を交わす。
「さて、グルン。貴方のことですが、彼の方が館を出られても問題ないよう取り計らいましょう。金離れのよい者を数名送るということでいかがですか?」
「同じくアザリからも数名紹介しよう」
「あなた方兄弟は彼のお方が世話になったことですし、背負われたものに少し色を付けて私からも数名紹介いたしますか」
一庶民の存在など容易く消し去ることができる権力者達からこうも言われてしまえばグルンはもう何も言えない。
それに公にはできないながらも三人と深く誼を結べたところは大きい。
「宜しくお願い致します」
深々と頭を下げたグルンに、三人はそれぞれ満足のいった様子で笑みを浮かべ、改めてワインを満たしたグラスを打ち鳴らした。
彼の方がタルス国にあるシンフ領の館へ移るのはもう少し先のことである。